閑話 幼馴染たちの大切な大切な物語
それは、フロシオンの町の東側に位置する巨大な公園、フロシオン中央公園の中にある古の森の入り口の、大きな大きな石の本の中にある。今まで幾人の子どもたちが、目を輝かせて覗き込んだだろう。
気の遠くなるような時を経てなお、欠けることなく崩れることなく、刻まれた言葉は語りかける。古のセレンティアへと向かう日に、すべての人たちの幼い日の大切な思い出が、また一つ新しい物語となって扉をあけるのだ。
誰もがいつか自分の世界を歩き出す。どこまで行けるのか、それは誰にもわからない。何が待っているのか、それも誰にもわからない。
ただ、本当に大切なことを見つけ出し、それを信じることができたなら、それは古の輝きに結びつき、どこまでも守り導く力になるだろう。歩むその道に、光は投げかけ続けるだろう。
セレンティア物語はそんな未来を、可能性を、今日も人々に伝え続ける。緑の町フロシオンの、遥かなる時間の中に散りばめられた叡智と気高き精神は、金色の光と香りになって尽きることなく降り注ぐのだ。
セレンティア物語
ある町の広場にとても大きな木がありました。
その頭が時々雲にかくれるほどでした。
立派な木は町の人たちの自慢でしたが、
この木がいつからここにあるのか誰一人知りません。
そしてこの木に花が咲いているのをまだ誰も見たことがありませんでした。
夏の初めの美しい夕暮れ時でした。
木の下を通りかかった若者は足元で何かが光っているのに気がつきました。
それは金色のレース針でした。
若者は辺りを見回しましたが誰の姿もありません。
ただ、どこからかすすり泣くような声が聞こえました。
広場の中にも、もちろん木のそばにも誰もいません。
よくよく耳をすますとそれは木のはるか上から聞こえてきます。
その泣き声は弱々しくて悲しげでした。
きっとレース針を落とした人が困って泣いているのだと心配になった若者は
思い切って木に登ることにしました。
若者はこの木が大好きで毎日見に来ていましたが、
一度も登ろうと思ったことはありません。
それほど大きな木なのです。
どこまで登れば持ち主に会えるのかまったくわかりませんでしたが、
それでもこの落とし物を届けようと、
若者は勇気を出して登りはじめました。
しばらくすると教会の尖塔が見えました。
夕暮れの光にかがやいています。
若者はそれを見ながら登って行きました。
次に町のはじにある橋が見えてきました。
ずいぶん高いところまで来たのだと感じ、
若者は少し心細くなりましたが、
ここで引き返すわけにはいきません。
とにかく登って行きました。
やがて海が見えてきました。
初めて見る海です。
若者はしばし心をうばわれました。
さっきよりももっと高いはずですが、
こわさよりも感動が若者の中に広がっていました。
海に落ちていく夕日を若者はじっと見つめました。
きらめく青の上に無数の黄金の筋が広がっていきます。
その美しさにはげまされた若者は、
さらに上を目指して登って行きました。
その間も泣き声はずっと続いていました。
だんだんと辺りが暗くなり、枝が細くなってきました。
若者は夢中で登り続けました。
そうするしかなかったのです。
もう何も見ていませんでした。
ただただ枝をつかみ足をかけ、上を目指して登り続けました。
落とし物を届けよう、その一心でした。
どれくらい登ったのか、さすがにつかれを感じた頃、
ふと何かが若者のほほをかすめていきました。
雲です。
白い雲の上に着いたのです。
辺りはほんのりと明るく、
うすいベールでおおわれたような青空がずっと上に見えました。
若者はおそるおそる足を下ろしました。
足元はしっかりしていて揺れることはなく、
若者は少し安心しました。
泣き声は近くに聞こえます。
若者が声のする方を向くと、
白い草原のような場所にすわっている娘の姿が見えました。
どうやら泣いているのはその娘のようです。
娘の髪は銀色で着ているドレスは真っ白です。
それはまるで教会にかがやくステンドグラスの中の天使のようでした。
若者は娘のそばにそっと歩み寄って優しい声で言いました。
「おじょうさん、どうしましたか?」
娘ははっと顔を上げて若者を見ました。
その瞳は花のような美しい赤紫色でした。
自分とは姿形の違う若者に娘は一瞬おどろきましたが、
若者が優しく声をかけたのでそれ以上はこわがらず素直に答えました。
「大切なレース針をなくしてしまって困っているのです」
若者は娘の瞳の美しさに息をのんでいましたが、
それを聞くと大きくうなずいて笑顔になり、明るい声で答えました。
「ああ、よかった。実は私はこの雲の下の町に住んでいる者です。
落ちていた針を見つけたので木に登って届けに来ました。
落としたのはあなたなんですね。会えてよかった」
若者の言葉に娘は目を見張りました。
はるか下に見える町からわざわざ針を届けに来てくれたのです。
娘はさらに涙をこぼして感謝の気持ちを伝えました。
今度は悲しみの涙ではなくてうれし涙です。
娘は星を編む仕事をしていました。
すわっていた場所に生えている草を刈ってその茎から糸を作り、
それを金色のレース針で編むのです。
ていねいに編んでいくとやがてそれは星の形になり、
愛されますようにと願うと小さな光が宿ります。
それを雲の上からそっと飛ばすと風に乗って運ばれていき、
自分の場所を見つけてかがやきはじめます。
こうして新しい星が生まれるのです。
星の形や色は編む人によってちがいます。
雲の上にはたくさんの星編みの娘たちが住んでいて、
みんなが想いを込めて星を作れば作るほど、
空はかがやきで満たされるのです。
ただ、かがやく星たちはしばらくすると流れ星になって消えてしまいます。
だから娘たちは毎日毎日、心込めて星を編むのです。
これからの季節は星がたくさん必要になるので、
娘は一生懸命仕事をしていました。
しかし、ある日草を刈っている時に
レース針がなくなっていることに気がつきました。
どんなに探しても見つからず、
娘は悲しくなって泣いていたのです。
若者は感動して言いました。
「ああ、なんてすてきな仕事だろう。
そうやって星を作ってくれているから、
夜空を見上げると幸せな気持ちになるんですね。
私たちはみんな星が大好きなんです。
あなたの針を届けることが出来て本当によかった」
自分の作った星は町の人たちに愛されているのだと聞いて
娘はとてもうれしくなりました。
そして大事なレース針を届けてくれた若者にお礼がしたいと思いました。
娘は若者のために星を編んで
それをいつも見てもらえるようにこの大きな木に飾ろうと考えました。
しかし、木に飾る星を編んだことはないので
一体どんな風になるのかまったくわかりません。
ただ、夜空の星のように消えてしまわない何かになってほしいと思いました。
「星を編んだらこの木にお願いして、力をかしてもらおうと思います」
「それはいいですね。きっとすてきな何かになるでしょう。
私は毎日この木を見に来るので楽しみです。ありがとう」
「明日の朝、太陽がのぼったら木を見ていてください」
「わかりました。ああ、星を見ても木を見ても
いつもあなたのことを思い出せますね。
そして教会でも。
あなたはまるでステングラスの天使のようなのです。
あなたに会えて嬉しかった。さようなら」
若者を見送った娘は家に急いで戻り、
白くて細い糸をていねいに編んでいきました。
登って来てくれた勇気ある若者と、
若者をみちびいてくれた大きな木と、
そして星を愛してくれる町の人たちのために、
娘は心をこめて編み続けました。
雲の上の世界がばら色にそまる頃、
娘は新しい星を編み上げました。
娘は出来上がったばかりの星を雲の上に伸びて来ていた枝に飾りました。
どうぞこの星をみんなに喜んでもらえるものにかえてください。
枝にそっとふれながらそうお願いしました。
それに答えるかのように星は大きく一度光り、
木の中に広がりとけていきました。
一方、若者は暗い空をおりていきました。
何も見えなくてこわいはずなのに、
ちっともそうではありませんでした。
時々きらめく星を見ながら休みました。
その美しさが若者の心をあたたかくします。
天使の姿がなぜあんなにも美しいと感じるのか
若者はわかったような気がしました。
やがて木に守られるようにおりて来た若者は
東の空に優しい光を感じました。
長い夜が空けて朝になったのです。
若者は木を見上げました。
その時、きらりと頂上が光りました。
そして次の瞬間、枝という枝につぼみが生まれたのです。
おどろく若者の目の前でつぼみが次々と開いていきます。
なんということでしょう。
娘の編んだ星は花になったのです。
それは娘の瞳のようなあざやかな赤紫色でした。
娘の想いが伝わって来るようだと若者は思いました。
天使とは自分たちとは違う何かではなくて、
想い想われる愛の形をあらわしたものなのだと若者は感じました。
甘い香りが広場中に広がっていきます。
無数の花におおわれ、
朝日に照らされた木はまるでかがやく宝石のようです。
その姿は町のどこからも見えました。
ぞくぞくと町の人たちが広場に集まってきました。
どの人の顔も、初めて見る大きな木の花の美しさに感動してかがやいていました。
木の下で花に包まれるように立っている若者を見つけたおばあさんがたずねました。
「どうやらこの大きな木の上には天使の国があるようだね。
おまえさんは天使に何かお願いごとでもしたのかい?」
「いいえ。ぼくはただ、落とし物を届けに行っただけです」
そう答えて若者は夕べの出来事を話して聞かせました。
町の人たちは若者の優しさと勇気をほめたたえました。
そして、天使がこの町におくってくれた美しい花や空を
しっかり守っていこうと口々に誓い合いました。
やがて美しい花の種から育てられた苗たちが、
広場のあちこちに植えられ大きくなっていきました。
どの木にも美しい赤紫色の花が咲きましたが、
一番奥の大きな木はそのどの木よりも美しい花を咲かせ続けました。
花の季節になると、町の誰もがこの木の下で
美しい色と甘い香りに満たされた時間を楽しみました。
ここへ来るとみんな幸せな気持ちになるのです。
いつの頃からか、花の咲く季節にこの大きな木の下に立つと、
探し物が届く、想いが通じる、そう言われるようになりました。
そして、そんな大きな木のことを、
町の人たちは愛を込めて「古のセレンティア」と呼び、
大切に大切に守っていきました。
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