第7話 親友はあれもこれも聞きたい
「エマ、それ、今日一日被ってるように! 俺のはこっちに入れておく」
「え? なんで? なんで一緒に被ってくれないの? 私のが不格好だからいやなの?」
「ば~か、男が被って可愛いものじゃないだろ?」
いや、あなたが被っているのは眼福です、とエマは思ったけれど、言うとまたうるさそうだったから納得した振りをしておいた。肩掛けバッグの中に入れてあった籠の中へ、そっと冠を入れたテオはエマの手を握り直した。
「奥の花、見に行こう。ランチ前だけどまだ大丈夫だよな? さっきあれだけ食べたし。戻ってきたらまた何か美味しいものを食べよう。今ならまだ人も少ないから貸切かもよ? 楽しみだな。エマと一緒に古のセレンティアを見る、一年に一回の特別だもんな」
エマを覗き込んでテオが言う。エマだってこの日を楽しみにしていたのだ。今年は無理だと思った途端、心が黒い雲に覆い尽くされてしまうほどに。なんだか嬉しすぎて泣きそうになってしまったエマは、必要以上に元気よく「うん」と答えた。それ以上は言うことができなかった。
その言葉と同時に目の前で花が一つポンと咲いた。相変わらず感情がダダ漏れだとテオが冷たい目で呆れるそぶりを見せた。けれどすぐに二人はくすくす笑いあう。出会った頃からずっと繰り返されてきた会話。テオの前ではいつだって、エマが気持ちを偽る必要などなかったのだ。
夢のような週末が終わり、エマはまたどんよりと重い気持ちを抱えて登校した。悩み続け、テオを避けてばかりだった日々が容赦なく戻ってきたのだ。けれど頑張るしかない。テオを守るためにも、花祭り前の決意を翻すわけにはいかないのだ。
テオはきっと驚くだろうとエマはため息を零した。花祭りではあんなにはしゃいでいた自分が、また頑なに心を閉ざして拒絶する態度を取れば、テオは深く傷つくかもしれない。自分がしていることが果たして正しいことなのかどうか、エマの心はグラグラと揺れた。気持ちは沈んでいくばかりだった。
ランチタイムを告げる鐘の音が響き、教室からどっと生徒たちが出ていくのをぼんやりと眺めた後、エマはゆっくりと立ち上がって中庭へ出た。すっかり定位置になっている、奥の花壇脇のテーブルに行くためだ。いつものように俯き加減で歩いていると、よく通る元気一杯の声が追いかけてきた。
「エマ~、エマ~!」
連呼しながら飛び込んできたのはミッシェルだ。お昼一緒に食べようって言ったでしょとウインクされれば、エマの顔にぱあっと微笑みが広がる。エマは大きく頷き、こっちよ、とミッシェルの手を引いて歩き出した。
「あら、静かでいいところね。密談するにはもってこい」
ミッシェルの思いがけない言葉にエマの頬が引きつった。密談って何? エマが胡乱げな目を向ければ、メガネの縁をくいっとあげるミッシェルがいた。その瞳はキラキラと輝き始めている。
「さあ、聞かせてもらおうじゃない、あれもこれも、ねえ、エマ?」
そこからは怒涛の斬り込みだった。前々からエマのことを知りたいと思っていたミッシェルである。得意の甘え上手を遺憾無く発揮して、まずはテオとエマの出会いから攻めてきた。そんな恥ずかしいこと言いたくない、なんて言いながらも結局エマは口を開かされることになったのだ。
エマが六歳の時に彼女の母の親友が、遠く離れた海辺の町から、二つ向こうの通りに家族で戻ってきた。綺麗な綺麗な海のような目をした男の子を連れていた。海なんて、エマはお話で読んだだけで見たことはなかったけれど、彼を見たとき、これがきっとそうなんだって思ったのだ。
キラキラとして、最初は空のようだと思ったけれど、でも何かが違った。エマはじっと彼を見つめた。その瞳を覗き込んでいると不思議なことに、その色からは知らない香りをまとう風が吹いてきて、繰り返される水音が聞こえるような、そんな気がしたのだ。
ああ、これが海なんだ、間違いない。エマは確信した。エマの憧れの海。その海の青。綺麗な青い青い瞳。それがエマとテオの出会いだ。
それからほぼ毎日のように二人は遊んだ。何かを思いつくとすぐに体が動いてしまうエマと、常に熟考型で慎重に事を進めるテオは全くの真逆だったけれど、だからだろうか、お互いにないものを補いあっているようで、一緒にいるととって安心できると二人共が感じたのだ。
エマがハチャメチャだから、こんな心配性になってしまったんだと、同じ歳のくせになんだか年寄りみたいな台詞を口にするテオにエマは肩をすくめてみせる。それは決してテオの本心じゃない。いつだってそういう風にエマをからかって遊んでいるのだ。エマにはそんなこともすぐにわかるようになったけれど、それはちっとも嫌なことではなかった。
テオは一見物静かで、天使のように綺麗な男の子だったけれど、口を開けばとんでもなかった。びっくりするほど容赦ない。辛辣で、けれどそれが癪に障るほど的を得ているのだ。小憎たらしいことこの上ない。
ところがそんな大魔王みたいな能力が発揮されるのは、エマといる時がほとんどだった。よそを向くテオは、辛口なことに変わりはなかったけれど、相手を執拗に煽って自爆するようなヘマはしないのだ。どちらかといえば、きっちりと事を運ぶ冷静さと剛胆さが突出していて、それこそ同じ歳とは思えないとエマは思ったものだ。
しかしそれもまた、そこそこ身近な人への対応であって、接点のない人には極上スマイルで当たり障りない態度を取った。黙ってにっこり微笑んでいれば、周りは絶対に何も言ってこない。テオは自分の見かけを十二分に知った上で利用しているのだ。それもまたその歳とは思えない所業。エマはこの幼馴染は本当に人間だろうかと、本気で思ったりした。
実際には、テオの態度は過去の出来事を引きずってのことだったけれど、エマはまだそれを知らずにいた。だから、必要以上に構われないために、人と距離を置こうとするテオの胸の内を、その頃のエマは正しく推し量ることはできなかったのだ。
それでもエマはエマなりにテオを理解しようとしていた。一番近くにいるからこそわかることがある。テオの表情の中に透けて見える深い寂しさのようなものに、エマは割と早くから気づいていたのだ。
いつかテオも話してくれるだろう。その時が来るまでそっとしておこう。エマはそう思い、明るく振る舞うテオだけを見つめることにした。幼心にそれを選び取ったのだ。
難しいことはさておき、どちらにしてもテオはテオな訳だし、どうあがいても、自分がテオの言いたい放題のターゲットになることは避けられない。でもそれでいいのだとエマは思った。
(テオが楽しそうにしているのならそれでいいのよ。お人形みたいなテオも面白いけど、ちょっと意地悪で、私が怒ったり泣いたりするまでああだこうだ言うテオがやっぱりテオらしいわ!)
つまるところ、いつだってエマはテオが好きだったのだ。どんなテオも大好きだった。黙っているときのテオも、ちょっと悪口を言う時のテオも、思いがけず焦ってエマのことを心配するテオも。けれどそれは絶対に口にしないと決めていた。言ったら最後、この大魔王様はエマをからかい倒すに決まっているからだ。
絶対言わないんだから! とエマが拳を握りしめる横で、テオはニヤニヤしていた。エマの気持ちなんてお見通しなのである。それはエマが素直すぎてわかりやすいからだとテオは思っていたけれど、エマのこの無邪気さもまた、テオだけのものだった。テオがエマに気を許したように、エマもまたテオにだけは誰にも見せない心の内を、自分でも気づかないうちにさらけ出していたのだ。
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