ニルベルの塔

「ラナク。立って剣を構えろ」


 言われてラナクが口元をぬぐいながら立ち上がり、「タナンさんに知らせに行かないと」と呟くと、ガルは正面に伸びる水路の先の草叢くさむらを睨んだままで「ずいぶんとお気楽な考えだな」と苛立たしげに言った。


「どういう意」


「聴けッ!」とガルは一喝し、「そこで半分になっちまってる奴ぁ監視員の誰かだ。前の組みの連中なら死体は二つなきゃおかしい。一人だけ逃げおおせた? ありえねぇ」と早口で言った。


「でも、もしかしたら」


「いいか、相手はそいつの身体を切断しただけじゃねぇ。上半身を吹き飛ばしたか持ち去ったかしたようなバケモノだ。逃げられるわけがねぇ」


 ラナクは一つ身震いをしてガルと背中合わせになると、ゆっくりと刀剣を持ち上げて両手で構えた。切っ先がぶるぶると震えている。


「じゃあ、俺たち、もしかしたらここで」とラナクが言いかけたのを、ガルが「黙れッ! そういうことは考えんじゃねぇ」と背後からたしなめた。


「知ってるか? おまえが図書館にこもって本を読み漁っている間、俺は叔父から剣術の指南を受けていた。俺には戦士になるって目標があるからな。だからハッキリ言っておくぜ。俺一人ならどうにかなるかもしれねぇが、いざという時おまえにまで気を回すことはできねぇ」


「そんな! 俺は木剣だって何度か触った程度なんだ。こんな重い物を振り回すなんて、とても」


「甘えんじゃねぇよ。不測の事態に備えてこなかったおまえの落ち度だ。自分の身ぐらい自分で守れ」


 二人の会話が止み、水路を流れる水の音ばかりが強調されて辺りに響く。鳥や昆虫たちの鳴き声はない。緑に満ちた原野だけを見れば、とても血腥ちなまぐさい凶事が起こった後とは思えない。景観を損なっている異物は水路に浮かぶ監視員の遺体だけ。


 ラナクは荒い呼吸で両肩を大きく上下させながら、右手の木立が並んでいる辺りを睨みつけ、次に先ほどまで己が隠れていた左手の草叢へと顔を向けた。何もいないことを確認し、草叢の手前にある魔物の死骸へと視線を落とす。形が崩れてほぼ液状になり、一部を草の上に残して大部分が地面へ染み込みつつある。


「ラナク」


 急に名前を呼ばれたラナクが弾かれたように顔を上げ、左の肩越しに背後のガルを振り返る。次の瞬間、二人の死角からラナクの後頭部を目掛け、掌大しょうだいほどの黒い物体が飛びかかった。


「うわッ! なッ! ガルッ、ガルッ! 魔物が頭にッ!」


 すぐさま身体ごと向きを変えたガルは、上半身を折って後頭部を晒しながら慌てふためくラナクを目にするなり、刀剣を構えていた両腕を下ろして溜め息を吐いた。


「食わ、食われるッ!」


「落ち着け」


「俺も魔物に食われ」


 ガルはおもむろに左手を伸ばし、ラナクの後頭部に取りついている生き物を引き剥がすと眼前にかざした。


「なんだぁ、こいつぁ?」


 その声にラナクも動きを止めて顔を上げ、ガルの手の中で暴れている白っぽい色の小動物に目を細めた。裸の小人のような姿をし、背中からは透き通ったはねが生えている。


「……シャン、ガ?」


「あぁ?」


「こいつ、シャンガだ! でも、前に見た時とは色が」


「魔物か?」


「違う……と思うけど、わからない」


「はぁ? ハッキリしろ。どういうことだ、ラナク」


 口を開こうとしたラナクが辺りを見回し、釣られてガルも周囲の気配を窺うように頭を左右に振る。


「四年前、あの襲撃があった日、広場に集まっていた旅商人の一人がこいつを連れていたんだ」


「それで、こいつはなんなんだ」


「わからない。ただシャンガとしか」


 ガルは「そうか。ま、なんだっていいか」と呟き、「おいラナク、押さえてるからこいつの翅をむしり取れ」と言って口の片端を吊り上げた。


 すると、人語を理解したのではなく、ただならぬ雰囲気を感じ取ったのであろう、シャンガの紫色の双眸そうぼうが大きく見開かれた。


「なッ、どうしてそんなことをする必要があるんだ?」


「どうして? わかりきったことを訊くんじゃねぇ。翅が生えているんだ。飛ばれたら斬るのに狙いを定めづらいだろうが」


「なにを言っているんだ! なんでシャンガを斬ら」


「身を守るためだッ! こいつがそこの監視員をブッ殺した奴だったら、一体どうするつもりだ!」


「そんなわけ」


「ないという保証はどこにあるッ⁉︎ 見てくれだけに囚われてんじゃねぇ! なにが正しいのかは状況から総合的に判断しろッ!」


 大声に怯えているのか、シャンガはガルの手の中で小刻みに震えている。気づいたラナクが「見ろ! 怖がっているじゃないか」と指摘し、両手から刀剣を離すとガルの左手からシャンガを奪い取った。


「おい、ラナク!」とラナクと距離を取ったガルが両手で刀剣を構え、「さっさとそいつの翅を毟り取って地面へ捨てろッ!」と怒鳴った。


「嫌だと言ったら」


「知るかッ。危険だと判断したらテメェごと斬るだけだ」


 ガルは少しも躊躇ためらわずに即答し、両脇を締めて刀剣の切っ先をまっすぐシャンガの頭へと向けると、冷たい光を放つ銀灰色の瞳でラナクの顔を睨みつけた。


 膠着こうちゃく状態が続くなか、ガルを睨み返していたラナクは、彼の右手後方の繁みが揺れたのを視界の端に捉えるや否や、そこから空高く飛び上がった巨躯きょくに釣られて首を背後へと反らした。


 影全体の容姿ではなく、その襲撃者の長く鋭い鉤爪だけが、ラナクの翡翠色の瞳に強く鮮明に映り込んだ。


 宙空に浮かぶ襲撃者の黒い影が自分に向かって落下してくるのを、ラナクはどこか現実離れした気分で眺めていた。刹那、己の手元が暖かくなったと感じるが早いか、青い炎の光球がシャンガの口から放たれ、降ってくるはずだった襲撃者の身体は上空で瞬時に塵芥じんかいと化して霧散した。


「なん……だ?」


 ガルは降ってくるすすを黄金色の毛髪に浴びながら、炎を放ったシャンガと地面に落下した襲撃者の肉体の燃え残りへ交互に視線を走らせた後、まるで子供にでも言い聞かせるような調子で「ラナク、今すぐそいつの翅を毟り取って地面へ捨てろ」と、最前と同じ台詞せりふをゆっくりと吐き出して再び刀剣を構えた。


「ガル」


「見ただろッ⁉︎ そいつは危険だッ! 捨てねぇならおまえの両手ごとぶった斬ってやる」


「待てッ、違う! こいつは俺たちを助けようとしたんだッ! おまえの背後から何かが飛び出して、それで……とにかく、そのおかげで実際に助かったんだ!」


「青い炎だった」


 ぽつり、とガルの口から漏れた言葉にラナクが身を強張らせる。


「四年前の襲撃時、ゲヘンの広場で目撃されたのも青い炎だった。あれからそんな話はまるっきり聞かねぇ。それがどうだ? たまたま見つけた奇妙な生き物が口からそいつを吐き出しやがった。とても無関係とは思えねぇ」


 冷静に聴こえはするものの、ガルの声の調子には有無を言わさぬ強さと憤りがにじんでいる。


「正直」とラナクが口を開き、「俺も、こいつは四年前の青い炎と関係があるように思う」と言うと、ガルが「だったら、とっととそいつの」と呪詛の言葉でも吐き出すかのように少しずつ語調を強めながら言った。


「やめろ」


 突然どこからか降ってきた男性の低く太い声に、ラナクとガルは文字通り身を固めて息を呑んだ。


「剣を下ろせ」


 声の主を探して二人が視線を彷徨さまよわせていると、水の湧き出ている岩場の陰から、擦り切れた濃褐色の厚手の布を頭から被った、ガルよりもさらに頭一つぶん背の高い人物が現れた。


「誰だ、あんた?」


 興奮しているせいなのか、ガルは英雄の末裔という体裁も外面そとづら用の取り繕いも忘れ、地の自分で無愛想に訊ねた。


「そいつを放してやれ」


「おい! 質問に答、それ以上近づくんじゃねぇッ!」


 身体の向きを変えたガルが、構えたままの刀剣を布を被った人物へと向ける。背の高い男は意に介さず前進を続け、自分へと向けられている刀剣の切っ先に不意に指でそっと触れた。やにわに刀剣の先端が地面へと落ち、ガルが急に脱力したかのように膝から崩折れた。


「なん……だぁ、こりゃあッ⁉︎」


 ガルの発した悪態をよそに、ラナクは自分へとまっすぐ近づいてくる人物から目を離さず、布で影となっているその顔を下から覗き込んでみた。


「あんた、もしかして……ゾノフ、か?」


 背の高い人物は足を止め、ラナクの問い掛けを無視して「手に持っている奴を放せ」と地鳴りのような低い声で同じことを繰り返した。


 言われてラナクが両手を開くと、シャンガはてのひらの上で一度ぶるっと身震いし、四枚の透明な翅をピンと伸ばすなり、音一つ立てず一気に空高く飛び上がって瞬時に姿を消した。


「おまえ、なぜ俺の名を知っている」


 ラナクが「覚えてないか? 俺だよ、ラナク」と名前を告げ、「ほら……白い髪で、紅い目をした奴とよく」とまで言ったところで、ゾノフが「おまえら、ここでなにをしている」と無感情な声でさえぎった。


「俺たちは成人の儀の試練の真っ最中だッ! テメェ、なにしやがった! 剣が持ち上が」


 両脚を開いた中腰のような状態で、剣を持ち上げようと奮闘するガルがかたわらから声を上げた。


「そこの水路の死体は誰の仕業しわざだ」


「これは、その、たぶん、襲ってきた魔物、で」とラナクがしどろもどろに答え、「そいつはシャンガが……焼き、焼き殺して」と地面に散らばる魔物の焼け残った手足へと視線を落とした。


「どうして知っている」


「それは、ここで見てたし」


「どうしてシャンガという名を知っているのかと訊いている」


「おい、テメェ! 聴いてんのかッ⁉︎」と再びガルの怒鳴り声が上がる。


 ラナクは大きく吸って溜めた息をゆっくりと吐き出し、「昔、あんたのような旅商人から聞いたんだ」と告げた。


 しばらく黙っていたゾノフだったが、やがて「町へ帰って知らせろ。儀式は中止だ」とボソボソと言い、右手でガルを指差して何事かを呟くと「行け」と短く命じて水路の遺体へと近づいていった。


「おい、デカブツ! 無視してんじゃねぇよ! さっきから妙な真似ばかりしやがって」


 先ほどまで刀剣がどうのと騒いでいたガルは、いつの間にやらそれを両手で構えて持っており、正面から対峙した時のように切っ先と鋭い視線をゾノフの背中へと向けていた。


「常に勇猛であることが聡明とは限らない。相手の力量を測り、戦わずして退くことは決して恥ずべきことではない」


「あぁ? 聴こえねぇよ! 言いたいことがあるなら相手を見て言えッ!」


 ゾノフは首だけを回してガルを見ると、「まずは己を知れ」とボソリと言い、若者がなおも喰ってかかってくるであろうことを見越してか、「早く行け。より強力な魔物が寄ってくる前に」と恐ろしい助言で牽制した。


「なぁ、ゾノフ。シャンガって一体なんなんだ? 魔物じゃないんだろ? 鳥とも違うし」


 ラナクの質問に対し、「炎を吐く鳥? ふざけるなッ! そんな奴はいねぇ、魔物に決まってんだろッ!」とガルが横槍を入れた。


「あれは魔物でも鳥でもない」とゾノフが言葉を切り、「ニンフという妖精の一種だ」と言うと、身を屈めて水路に浸かった下半身だけの遺体を片手で引っ張り上げた。




 後日、水路で見つかった遺体は、他の監視員の生存からイデルのものだと判明した。酷く落ち込んでいたのは彼と懇意にしていたタナンで、遺体と対面した時こそ取り乱してはいたが、ラナクとガルにより仇が討たれていると知ると、時間を掛けて少しずつ落ち着きを取り戻していった。


 司教からの知識の下賜かしに加え、成人の儀で目撃したことの報告を兼ねた召喚を受け、ラナクはニルベルの塔の上階へと続く大広間の大階段を上っていた。塔内の薄暗さはいつ訪れても変わらない。


 塔内は地上三階までがほぼ同様の天井の高い大広間となっており、一般の人々が立ち入れるのもこの階までとなっている。ラナクが目指す謁見えっけんの間は司教の居住空間を備えた四階にある。


 それより上階への進入は、司教と五つの窪地から選出された五人の司祭たち以外厳禁であり、階上へと続く階段は頑強な門と鍵で厳重に施錠されているだけでなく、塔の総階数や最上階についての情報も一般には公開されていない。


 ラトカルトに住む一般人のニルベルの塔に関する知識といえば、原理はわからずとも町周辺の気温を適度に保ってくれているということと、町の外周を囲む動物けの物理的な壁とは別に、塔を中心とした一定の範囲内への魔物の侵入を阻む目に見えない力があるということぐらいである。


 四階へと上がってきたラナクは、微かに聴こえてくる声を頼りに扉のない弓形の戸口へ近づくと、柱の陰から顔だけを覗かせてそっと中の様子を窺った。


「よぉ、ラナク!」


 すかさず飛んできた己の名前にラナクは身を震わせ、思わず背筋をピンと伸ばして「はいッ! ここに、いらっしゃいますッ!」と声を上擦らせながら妙なことを口走った。


 すると、一瞬の沈黙が流れた後、まるで全員で示し合わせたかのように一斉に笑いが巻き起こった。


 謁見の間には正面奥の玉座に腰掛ける司教をはじめ、右手の壁際には顔を黒い布で隠した黒いキャソックを着た五人の司祭たちと、ラトカルトの誰もが知る淡い桃色の髪をしたシャンティの並び立つ姿があった。


 部屋のほぼ中央に位置する辺りには、声を掛けたことを悔やんでいるような、あるいはどこか呆れているような顔でラナクを振り返っている、床に片膝をついたガルの姿まである。


 やがて自分の失態に気づいたラナクは赤面し、「すいま、じゃなくて、失礼し……失礼いたしましたッ!」と叫んで勢いよく頭を下げた。


「そう緊張することはない。こちらへ来なさい」


 腹の内側で直接鳴っているような、低いながらも深みを感じさせる司教の澄んだ声が高い天井に反響する。


 頭をあげたラナクはぎこちない動きで謁見の間へと足を踏み出し、右側の壁沿いに立つシャンティへチラチラと視線を投げつつ、片膝をつくガルの右隣まで進むと同様に身を低くしてこうべを垂れた。


「ラナクル・ドニステル。顔を上げなさい」


 ラナクが顔を上げた視線の先には、白い祭服に身を包んで玉座に腰を下ろす司教の姿があった。頭に冠した使用感のないミトラとは対照的に、その顔には深い皺が刻まれ、口元と顎には威厳を感じさせる灰色の長い髭が蓄えられている。黒い瞳は皺の奥に埋もれてこそいるが、その隙間からは油断のならない強い光が放たれている。


「ここへ呼ばれた理由は理解しているか」


「はい。司教様より高度な知識をたまわるためと、先日の成人の儀で目撃した出来事を報告するためだと存じています」


 司教は一つうなずくと、「時に、ラナクルよ。おまえは古代言語にひいでた者だと聞いている。して、どの古代言語が扱えるのだ?」と訊ねた。


「えっと……図書館内の大部分の書物で見られるイグレス、時の塔に関する書物だけで見られるクロノス、古代技術系で使用されているモレデレイル、それから水の塔の少数部族が用いていたとされるパキャという言語を含めた四つです」


「よろしい。では、おまえのその非凡な能力を見込んで遣いを命じる」


「俺、僕がですか?」


 ラナクの問い掛けを無視し、司教が「ニルベルの塔について知っていることは?」と訊ねた。


「ラトカルト周辺の気温を調節する役割と町への動力の供給、それから魔物を僕たちの生活圏内へ寄せつけない忌避効果があることは知っています」


 司教は離れた位置からラナクを見つめ、しばらくすると「それらの機能が正常に動作しなくなりつつある」とおごそかに告げ、「原因はおそらく、四年前の襲撃による損傷のためと思われる」と続けた。


「あの、司教様。僕では塔のことは」


「ラナクル。司教様のお話を最後まで聴きなさい」と壁際に並ぶ司祭の一人から声が上がった。


「失礼……いたしました」


「ニルベルの塔と同様の役割を果たす、このような古代の建造物は各地に存在していると聞く。だが、それらをまとめて管理しているのは、祈りの塔の首都であるエレムネスにいる司祭たちである。おまえたちはそこへ向かい、異常の報告を兼ねて塔の修繕を依頼してくるのだ」


「司教様。お言葉ですが」とラナクが口を開き、「なぜ四年前の時点で修繕を頼まれなかったのですか?」と疑問の声を上げた。


 即座に司祭から「ラナクルッ!」とたしなめるような声が上がったのを、「よい」と司教が軽くなす。


「実のところ、四年前より首都のエレムネスへ毎年遣いはやっているのだ」と司教は言葉を切り、十分な間を置いてから「誰一人として帰ってこないだけでな」と言った。


「どういうことですか?」


「わからぬ。便りの一つも届かぬのでな。ひょっとすると」と司教は思案するように首をわずかに右へと傾け、すぐにラナクへと視線を戻し「道中で何事かに巻き込まれたのやもしれぬ」と感情を抑えた声で言った。


「それなら、異常の報告も修繕依頼も便りを出せば」


「確かに、それだけであるならな」


 司教はそう言って司祭たちのほうへ顔を向けた。釣られてラナクと隣のガルも顔ごと視線を右へと動かす。


「ラナクル」と司祭の一人が一歩前へと踏み出し、「シャンティ・ネローを連れてゆけ」とくぐもった声で命じた。


 口を開こうとしたラナクを司祭が先回りするように、「彼女を通してエレムネスの司祭たちに渡してもらいたいものがある」と言った。


「ちょ、ちょっと待ってください!」とラナクは慌てて声を上げ、「僕には無理です!」と困惑したように言い、司教と司祭へ交互に視線を送った。


「無理とは如何いかなる理由か」と司祭が訊ねる。


 ラナクはシャンティへちらりと視線を投げて顔を伏せ、やがて決心したかのように再び顔を上げると司祭に向けて「町の外には魔物が出ます」と緊張を帯びた声で言い、「ですが、恥ずかしながら僕には他人を守るどころか、自分すら守れる自信もなく……だから」と言葉尻を濁した。


「道中、危険がともなうのは知れたこと。案ずるな。おまえたちが無事に辿り着けるよう、護衛をつける手筈てはずはすでに整えてある」と言うと司祭は顎をわずかに上げて、「聴いた通り、それがおまえに課せられた使命だ。ガルバリオ・レイネル」と声を掛けた。


 驚いた表情でラナクが隣のガルへ顔を向ける。


「お任せください。その使命、英雄ユーハリヌス・レイネルが末裔ガルバリオ・レイネルが、しかとうけたまわりましてございます」


「そんな、あの」とラナクの上げた不服そうな声に、司祭の「なんだ?」という鋭い声が飛ぶ。


「その、僕らはまだ、子供で。ガル……ガルバリオだって僕と同じ十六だし。護衛ならタナンさんとか、もっと大人の」


「ラナクルよ。成人の儀を済ませたおまえたちは、もうすでに大人だ。年齢が十六だろうが二十六だろうが関係はない。それに、タナン・ダラには警備団員として町を守るという使命がある。おまえたちの護衛につかせるわけにはいかない」


「ですが」


「なにが不服か? おまえたちは先日の成人の儀でもお互いに信頼を持って組んでおり、試練中に襲いかかってきた魔物も協力して撃滅したと聞いている。護衛としても旅の供としても、これ以上の適任者はいないであろう」


「それは、僕やガルじゃな」


「司祭様。ご心配には及びません」とガルはラナクの言葉を遮り、「どうやら彼は少しばかり臆病風に吹かれているのと、わたくしめを過小評価し、この身を案じてくれているようです」と慇懃いんぎんな口調で言った。


「そうか。いずれにせよ、おまえたちに拒否権はない」


 司祭はピシャリとそう言うと、背後を振り返って「ネレルテ。あれを」と別な司祭に命じて何かの詰まった布の袋を受け取り、ラナクのもとへと近づいて「これを持っていきなさい」と差し出した。


 手のひらよりやや大きめの袋を受け取ろうとしたラナクは、見た目の印象よりも遙かに重量のあるそれを床へと取り落とし、広間中に響き渡る大きく派手な音を立てた。


「中の物は貨幣や通貨などと呼ばれ、主に都市部で物資を入手する際に必要となるものだ」


 ラナクは袋の中身を覗き込み、次いで顔を上げて司祭を見据え「あの」と遠慮がちに呟いた。


「まだなにかあるのか」


「それが、なんと言いますか……僕が行かなければならない理由が見当たらないというか」


「エレムネスへ着けばおのずと知れる」

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