フォア・ラブ・ボール
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フォア・ラブ・ボール
***
「葉月(はづき)、おっはよー!」
「あぁ、咲香(さきか)。おはようさん」
幼稚園から続く長い付き合いの幼なじみであり、一番の親友でもある百田(ももた)咲香。彼女の元気一杯の挨拶を聞くことから、今日も私の一日がスタートする。
咲香のハイテンション且つハイトーンな声が、低血圧の私にとって厳しく感じる時がないわけでもない。だけど、咲香の屈託のない笑みと元気な声を聞かずに始める日々もまた想像できそうにない。
長い付き合いの中で自然と大きな存在になっていたからこそ、咲香に会えば自然と笑みが浮かんでくるし、私も幸せな気持ちになってくる。小麦色の肌に揺れるサラサラの黒髪ポニーテールの動きと咲香の声色がシンクロした瞬間、今日も私たちの日常がスタートしていく。
「葉月は英語の宿題プリント、全部解けた?」
「まさか! そんなわけないしー!」
「葉月も解けなかったの!? じゃあ、私が出来なかったことを特別心配する必要もなさそうだねえ」
咲香が述べてる通り、私と咲香は似たり寄ったりの勉強のレベル。
私が解けないものは咲香も解けない。咲香が解けないものは私も解けない。
ずっと仲良く一緒にいたから似てしまったのか、似ているからこそずっと仲良くやって来れたのかは分からない。だが、とにかく私たちは勉強に躓くパターンも苦しむ傾向も、驚くほど似通っている節があった。
とはいえ、似通っているのは勉強のみ。
勉強以外のことについて、私たちは本当に別々の道で各々エンジョイしまくっている。だからこそ、咲香にツッコミを入れたくもなるわけで……。
「いやいやいや、咲香サン。アナタ、私を基準に考えたらダメでしょ? 帰宅部の私とは違って、部活動禁止のペナルティもらったら最後、めちゃくちゃ周りに迷惑が掛かるんだから!!」
「むー……。確かに、県大会が始まった今の時期にマネが来ないとか最悪過ぎか」
「いや、ぶっちゃけ最悪通り越して、最低だよ最低……」
「葉月、なかなか言うねえ」
咲香は中学校時代はソフトボール部のエースを務めていた。そして、高校入学を機に野球部のマネジャーに転身した経歴を持っている。そのため元々選手として活躍していた咲香の腕は桁違い。野球部史上最強の敏腕マネジャーとして次々と伝説を作り続け、絶大なる権力を握るに至る。そんな咲香が、帰宅部の私と同じ感覚でのんびりと試験勉強に挑むわけにはいかないだろう。
偏差値がずば抜けて高い優秀な学校ではないが、勉強面で不都合が生じると部活動禁止というペナルティが待っている。だから、敏腕マネジャーである咲香には人一倍注意を払って欲しいものである。そもそもペナルティの発動基準は欠点を取る、課題の不提出や手抜き提出、授業の居眠りと相場がだいたい決まっている。だからこそ、避けるべきポイントが分かりきっていることくらい、キチンと手を抜かずに全力で回避して欲しいと老婆心ながら願ってしまうわけで……。
「まぁ、咲香にしか言わないけどねえ」
「何、それ。私、選ばれた勇者なの?」
「もうそれでいいわ、それで」
本気で咲香の心配もするし、本気で咲香の応援もする。それほど、咲香の生き方を尊重したいと考えているし、咲香が打ち込んでいること(野球)を心置きなくエンジョイして欲しいとも願っている。だからこそ、口うるさいような内容を敢えて言うことさえ辞さないわけで……。
咲香が大事だから。そして、大切だから。
その思いが、咲香に対する全ての原動力になっていた。
「ふふふ、相変わらず葉月は良い子だよねえ」
「それはないー」
にこやかな笑みを浮かべて誉め殺しに転じる咲香に苦笑いで否定することしか出来ずに、言葉を探していた矢先、不意に咲香が一際大きな声を上げた。
「芹沢(せりざわ)っ!」
「あぁ、百田か」
咲香の声を受けて、爽やかに返答する芹沢こと芹沢勇(ゆう)くん。芹沢くんは咲香と同じ野球部のキャプテンであり、咲香の好きな人でもある。と言いつつ、実のところ、咲香から芹沢くんに対する気持ちを直接聞いたことは一度もない。だけど、咲香のまなざしが他の人に向けるものと明らかに違うのを目の当たりにして、それ以外の予想がたてられるはずもないだろう。
元気はつらつな咲香と爽やかスポーツマンの芹沢くんは、割と遠くからでも目を引く美しさを持つ者同士でもあり、息の合った二人の会話は学校中で憧れの的となっている。尤も、咲香自身が創部以来初となる美人敏腕マネージャー、芹沢くんは歴代屈指の絶対的信頼を集めるキャプテンとあって、二人の息が合っていない方が問題とも言えるだろう。
そんな二人の仲について、咲香の親友だからと言って、第三者の私が口を挟む資格がないことも理解している。咲香にとって、芹沢くんが大切な仲間である前提があることも理解しているし、咲香にとっては頼れる相手であることも分かっている。
だけど、それらを踏まえた上でも、やはり私は……芹沢くんがどうしても苦手だった。
「…………っ」
何で、お前がいるわけ? といった視線で見つめられても、居た堪れないという感想以外に何も持てない。私が急に用事があったと誤魔化したところで、同じクラスの咲香にバレるのは必至。
目的地が同じ学校である以上、逃げ場もなければ、隠れ場もない。かと言って、咲香の楽しみを邪魔するつもりも、咲香の領域にまで口出すつもりも一切ない。何となく八方塞がりな気持ちでいっぱいになりつつ、無理やり声を絞り出す。
「芹沢くん、おはよう」
「……ん」
「…………!」
相変わらずそっけないを通り越した、ぞんざいな対応にイラつきながら、ムカつく気持ちを無理やり抑え込む。
芹沢くんが私のことを快く思えないことについては、残念だが仕方がない。人には皆、自由意志というものがある。好きも嫌いも本人の思い一つ。咲香と親友とは言え、咲香と私は別人格。咲香は好いても私は嫌いとジャッジをしても、実に人間らしい感情として評価せざるを得ないだろう。しかし、第三者(咲香)の前で不機嫌オーラをバンバンに出す行為は、流石に大人気なさ過ぎるのではないだろうか。とはいえ、芹沢くんが私を嫌っていることを把握している癖に、義理と建前で意固地になって挨拶をしてくる私に言われたくもないだろう。
それでも、私が引き金となり場の空気を悪くすることは本意ではない。こと大好きな幼なじみの咲香と芹沢くんが一緒にいる場面では尚のこと……。だからこそ、ここは私が大人な対応をするしか道はなかった。
「ところで、芹沢。一回戦のことなんだけど」
「あぁ、何か問題あったか?」
「ううん。問題はないんだけど、確認しておいた方がいいと思ってることがあって……」
私が地団駄を踏みつつ、芹沢くんへの文句をのみ込んでいるなんて、咲香は露ほども思わないだろう。でも、別にそれでいいと思っている。
……少なくとも、私に遠慮して欲しい気持ちは微塵も持ち合わせていないのだから。
***
「……あっ」
「……」
放課後。
一人、ゆっくりと図書館に向かっている最中、トレーニングを終えて汗だくで移動中の芹沢くんとバッタリ出会った。
目が合った瞬間、思わず声が出てしまったわけなのだが、嫌悪感を抱いている相手を前にして微妙な態度に苛立つ反応を示すのも、ある種セオリー通りと言えるだろう。
確かに、結果として無思慮な声を出してしまったことは無神経だったとは思う。だが、キチンと空気を読んで即刻立ち去るつもりだからこそ、芹沢くんも少しだけ目を瞑っていて欲しい。
そんなことを思いつつ、更に歩くスピードを上げていく。
芹沢くんの傍を横切る瞬間、会釈だけして足早に通り過ぎることに専念する。だが、一心不乱に突き進んでいる最中、芹沢くんは思いも寄らぬ行動を私に対して取ってくる。
「…………おい」
「へ?」
芹沢くんから不意に呼び止められ、ギョッとしつつ声がする方へ振り向いてみる。しかし、呼び掛けた張本人は真っ直ぐに視線を固定したまま、私を一切見ようともしない。相変わらず不遜な態度を貫く芹沢くんの、ある意味で筋が通った態度に感心しつつ、今度はこちらから声を掛けてみる。
別に牽制なんてしなくても、私は身の程弁えた行動をキチンと取るつもりでいるのになあ……。
「あー……、別に咲香と仲良くしてるからって、私とまで無理に仲良くしようとか思わなくていいから」
「へ?」
先ほど芹沢くんに呼び止められ、ギョッとして返した言葉と同じ響きをしたフレーズを今度は芹沢くんが発している。
気が合わないはずなのに、妙なところで息が合うものだと感心しつつ、お互いの共通点を思い起こして合点がいく。私は咲香の『親友』であり、芹沢くんは咲香の『好きな人』。奇しくもお互い咲香の『特別枠』に入っている。ならば、咲香の特別枠に入っている者同士、思いも寄らないところで息が合ったとして、何ら不思議なことはないのかもしれない。そんなことをぼんやりと考えつつ、芹沢くんに安心させたい一心で声を掛けてみる。
「確かに、私は咲香の親友だけど、咲香と私は別人格だし。私とも咲香と同等の関係を無理に築こうとか思わなくていいし、芹沢くんが咲香を大切にしてくれてるなら、私が文句言うことは一切ないし」
「……」
「だから、私も身の程弁えて、芹沢くんと友だちごっこするつもりもないから安心して」
爽やかな雰囲気を纏い、野球部の絶対的信頼を持つ芹沢くんが多くの女子たちに囲まれて、対応にウンザリしていることは知っていた。だからこそ、咲香の友だちだからとお近づきになりたい打算はないことを伝えて、不要な敵対心と臨戦態勢を解除すべく、こちらの意思を伝えてみることにした。
芹沢くんに話し掛ける女子たちが起こす足の引っ張り合いは、醜いほど痛々しすぎて、ドン引きするものがある。ちなみに、現時点で芹沢くんに一番近いポジションにいるのは咲香だが、吊るし上げ候補として一度も名前が挙がったことはないらしい。その理由が、名実ともに野球の知識も実力もあり、人一倍シャキシャキと働くため、同性からの尊敬と熱い支持を集めているからと聞いて、咲香の凄さを改めて感じたのは鮮明に記憶している。
何はともあれ、そんな咲香の親友だから私自身も同じ評価を世間様はしてくれるなんて、甘っちょろい考えなんてしていない。何度も言うが咲香は咲香。私は私。私は咲香の親友だが、咲香と私は別人格だからこそ、不可侵領域が存在すると考えている。
「っだよ。何だよ、それ……」
「芹沢くん?」
私の主張を黙って聞いていた芹沢くんがようやく発した言葉には激しい怒りが満ちている。芹沢くんの発した言葉が、色も温度もない響きをしているように聞こえてきて、ただただゾッとしてしまう。
「お前、何一つ見てくれていないんだな」
だけど、続く芹沢くんの言葉を聞くと思わず怯んでしまうものがある。先ほどの発言の流れから想像できないほど、哀しみの色が滲み出た響きをしていたからこそ当惑してしまっていた。
『哀しみの色が滲み出』てくるには、隠そうとしていた事実と隠しきれないほどの哀しみを感じた事実が共存しなければならないはずだ。だが芹沢くんが私に対して、どちらの感情も抱いているとは思えなかったからこそ、動揺した。というか、目の前で繰り広げられる会話の流れが俄かに信じられなかった。
「……」
芹沢くんが、私の瞳を射抜くが如く見つめてくる。言い知れぬ威圧感と恐怖感を覚える鋭いまなざしに息をのむ。
だけど、逸らすことが出来なかったのは怯える気持ち以上に、微かとはいえ切なさが混じっていることが気になったから。そして視線を逸らしたら最後、それら疑問全てが闇に葬られる気がしたからこそ、下手に身動きが取れなかった。
「もう分かんないなら、いいや」
「へ?」
「とっとと何処かに行けよ……。お前なんか、二度と見たくない」
いつもと違う雰囲気の芹沢くんを目の当たりにして、咄嗟の判断に迷いが生じてしまった。思えば、そこから私のチョイスは失敗していた。普段と違う雰囲気にのまれて狼狽するなんて、愚の骨頂。……今なら自分自身にツッコミを入れる余裕もあるけれど、その時は『今』を切り抜けることだけで手いっぱいだった。
「言われずとも叶えるつもりだから、安心して」
「…………」
「私は邪魔なんてしないから。咲香と甲子園だけを見据えて、がんばってね」
本当は余計なお世話だと知っている。私に言われても腹が立つだけだって分かっている。
それでも、咲香だけは信じて欲しかった。選手を辞めてまで甲子園を夢見てがんばっている咲香だけは、咲香だけは絶対に裏切って欲しくなかった。だからこそ、私のことを拒絶していると認識していた中でも応援したかった。一度だけしか言わないけど、二度と言う機会さえないと思うけど、素直に応援したい気持ちを伝えたかった。
口に出した後は早かった。
立つ鳥跡を濁さず。まるで、私と出会った痕跡すべてを消すかの如く、振り向くことなく歩き続ける。
「……っ!! …………河合(かわい)っ!」
本当は、芹沢くんが私の名前を悲痛な声で呟いていたことも気付いていた。
『お前なんか、二度と見たくない』と言った芹沢くんの真意が言外に含まれていたことにも気付いていたし、芹沢くんの言えなかった気持ちの重要性も解っていた。だけど、真実を解き明かそうとすれば、私が一番望んでいない未来に繋がるリスクがあると気付いたからこそ、逃げの一手をゴリ押し続けた。
野球の試合ならば、例えストライクを打ち返す機会を逃した結果だとしても、フォアボールで出塁した選手を断罪する人はいないだろう。だけど、ベストではないとしても、次へチャンスを繋げるベターな結果を残した選手のように、本当に幸せなチョイスを選べたのか、すぐには分かりそうにない。
だけど、ベストではなくても、ベターなチョイスであると信じていたからこそ、芹沢くんの発言を黙殺することに意固地になっていた私がいた。
***
ベンチのメンバーもスタンドの観客も、皆が固唾をのんで見守る県大会の決勝戦。九回裏。芹沢くんが高く打ち上がったフライをしっかりとキャッチし、甲子園の切符を掛けた試合に決着がつく。
創部以来初となる美人敏腕マネージャー・咲香と歴代屈指の絶対的信頼を集めるキャプテン・芹沢くんのコンビがいて初めて成し遂げられた創部以来初となる甲子園出場決定に我が校関係者はお祭り騒ぎになっている。
あの日、芹沢くんの言えなかった気持ちの全容に気付いた上で斬り捨てた事実は、ずっと私の心のしこりとなって残っていた。だが、結果として私が一番望んでいた未来が形となったことで、素直に気持ちを割り切ることが出来るだろう。
私は何度あの瞬間をやり直したとしても、咲香が夢見た甲子園出場に向けて波風を立てないための方法を……あの時と同じチョイスをするだろう。それが巡り巡って、咲香のみならず芹沢くんにとっても夢の実現に向けて重要な選択になると気付いているからこそ、私は芹沢くんの発言を回避する行動を全力で取ることだろう。
「……本当、損な役回りね」
私が守りたかったものは守りきれただろうか。キチンと守りきれてたらうれしいな。そんなことを思いつつ、嬉し涙に濡れる笑顔の咲香と甲子園出場を決めて安堵した表情をしている芹沢くんの様子を飽きることなく遠巻きに眺め続けていた。
【Fin.】
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