第一話 じゃあ、この『自分が特別じゃない世界』じゃなくて、異世界に行ってみる気はない?


「はい、一名さまご案内でーす」


 やる気のない男の声を先頭に、男子高校生が店内に入っていく。

 きょろきょろと首を振ってメガネを光らせる。


「もうカイトくん、それじゃダメだよ! いらっしゃいませ!」


 続けて登場した女性に、男子高校生は目を奪われた。

 キラキラと光を反射する銀髪。

 ペコリと下げた頭を上げると、澄んだ青い瞳が男子高校生を見つめた。にこやかに微笑まれる。

 男子高校生は入り口で固まった。

 女の子と付き合った経験がない男子高校生は、外国人の美少女と余裕で言葉を交わすコミュニケーションスキルはなかったらしい。


「さて、この『異世界無料案内所』の紹介だったな」


「ほらカイトくん、まずは座ってもらうんです! こちらへどうぞ!」


 気だるげな男をたしなめて、女の子が男子高校生を案内する。


 入り口を抜けた先、”異世界”無料案内所の中は狭い。

 店内は幅3メートルほどで、奥まで細長い空間だ。

 左右の壁にはなにやらベタベタと貼ってある。

 まるで物件情報が並ぶ不動産屋や、某ジャンルの無料案内所のようだ。


 外国人美少女の案内に抵抗できるはずもなく、男子高校生はずるずると奥に向かう。

 無料案内所の奥にはカウンターデスクと、その前にパイプイスが置かれていた。


「じゃあ私はお茶を準備してきます!」


 エリカはバタバタとカウンターの後ろにまわっていった。

 一人の女性が座る、カウンターの裏に。


「あら、ずいぶん若いコね。いらっしゃい」


「えっ……うわ……」


 カウンターの女性を見て、男子高校生がまた固まった。外国人美少女を見た時とは違う意味で。


 吸い込まれるような漆黒の瞳、無造作に垂らされた長い黒髪。

 やけに艶っぽく腕を持ち上げて、不思議な香りのするパイプをくゆらせる。


 オトナの女性だから男子高校生が固まった、わけではない。

 垂れた黒髪は谷間に吸い込まれている。

 男子高校生の視線も谷間に吸い込まれる。

 カウンターに座る女性は、やたら露出が多い黒いドレスを着ていた。

 思春期真っ盛りの男子高校生が固まるのも当然だろう。童貞だし。


「ヨウコさん、そういう格好やめた方がいいんじゃないですかね。痴女かと思われますよ」


「あら、カイトはこういうのキライかしら? そこのキミは好きよね?」


「えっ、いえその、あの」


「痴女かと思われるっていうか痴女だったわ。無視していいぞ少年」


「あらひどいわねえ。痴女じゃなくて魔女なのに」


「はいはい間女ね間女。浮気相手って意味のヤツね」


「まあひどい。じゃあそこのキミ、お姉さんとウワキする?」


「えっ、その」


「お待たせしました! お茶ですぅ……?」


 艶然と微笑むヨウコ、首を振るカイト、動揺する男子高校生。

 お茶を手に戻ってきた女の子は戸惑っている。


「はあ。ヨウコさんのことはいいとして。じゃあ少年には最初から説明しようか」


「ふふ、カイト、説明は必要ないわ。このコは『無料案内所』を入ってきたんだもの。『道に迷ってる』のよね?」


「いえ、考えごとしてたらいつの間にか路地で。でも場所はわかるから道に迷ったわけじゃ」


「そう。人生という道に迷い、ここを訪れたのね」


「は? いえあのボクは」


 にこりと笑うヨウコ。否定する男子高校生はスルーだ。


「ふふ、そう焦らなくていいのよ。お茶でも飲んで落ち着くといいわ」


「えっと……」


「今日のお茶はオレンジフラワーやカモミールが入ったハーブティーです! リラックスできますよ!」


「はあ、じゃあいただきます。あ、おいしい」


 やたら露出しまくったオトナの女性と外国人美少女の薦めに、男子高校生はよくわからないままお茶を口にする。

 背後で天を仰いだカイトには気付かない。もっとも、カイトが仰いだのは空ではなく天井だが。屋内なので。


「それで、キミは何に迷っているのかしら?」


「え? 道に迷っただけで……いえ、なんだかこのままがんばっても報われない気がして。大学に行っても社会人になってもきっと……え? あれ?」


 男子高校生は、自分が口にした言葉に戸惑っていた。

 ぼんやりしてたのはたしかに考えごとを、それもウダウダと悩んでいたせいだが、初対面の女性に明かす気はなかった。


「ふふ、気にしなくていいのよ? ほらほら、悩みもモヤモヤもすべてぶちまけてスッキリしちゃいなさい?」


 カウンターに座る女性はサラリと黒髪を揺らし、男子高校生に艶然と微笑みかける。

 男子高校生が顔を赤くして視線を落とすと、白く豊かで柔らかそうな双丘と谷間が目に入る。動揺して視線を逸らすと、今度は外国人美少女の笑顔が待ち構えていた。落ち着かない。落ち着くわけがない。


「やっぱり魔女じゃなくて痴女でしょ。ほら気を確かに持て少年」


「ふふ、若いオトコノコだもの、仕方ないわよねえ? それで、どうして報われない気がしたのかしら?」


「えっ?……それが、今日は模試の結果が返ってきたんですけど、すごくがんばったのにC判定で、それも弟ならあっさり合格できるようなランクの大学で……あれ、なんで俺こんなことを」


「そう、弟と比べられて、しかも弟の方が成績がいいのね。それがイヤなのかしら?」


「比べられるのがイヤっていうより……凡人が努力したところで、努力する天才には敵わないんだなあって」


「それは一つの真理かもしれないわね。少なくとも、


「アイツに限らず、きっとこの先もそうなんだろうなって。勉強も運動も仕事もそれなりで、努力しても天才には勝てなくて、なんというか……」


「『自分が特別じゃないことに気がついた』のかしら?」


「あっはい、そうかもしれません。俺は普通で、きっとこの先にはありきたりな人生が待ってるって」


「なるほど高二病か」


「ちょっとカイトくん! 失礼だよ!」


「だってほらありがちな悩みだし。それに普通って充分いいことだし」


「それはそうだけど! でも男子高校生くんだって悩んでるんだから!」


「あら、エリカちゃんもさりげなく失礼よ? ほんとは、特別じゃない人間なんていないのにねえ」


「そう言われてもですね」


 男子高校生はヨウコの言葉に納得できないらしい。

 耳に心地良いキレイゴトを言ってると思ったのだろう。

 そんな男子高校生を見て、魔女と呼ばれるヨウコは微笑んだ。


「じゃあ、この『自分が特別じゃない世界』じゃなくて、異世界に行ってみる気はない?」


「……は? 異世界?」


「ほらカイト、いつものお願い」


「はいはいわかりましたよ」


 魔女のフリに、スーツ姿のカイトは肩を落とした。

 はあ、と大きくため息を吐き、うつむく。

 意を決したように顔を上げる。


「『異世界無料案内所』にようこそ少年! 今日はいい世界入ってるよ! 異世界だけにね!」


 むりやり明るく言ってる感満載の声が、狭い無料案内所に虚しく響いた。


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