第四話 『異世界』はどこにあるの? カイトくんがいた地球じゃないとしたら、宇宙のどこかに?


「あら、これは……でも、間に合ったようね」


 植物系モンスター・巨大魔妖花ラブレシアの上。

 何もない空間から声がした。

 一人の女性が浮いている。


「……は? でもおかしくないか、俺は転移魔法が使えるらしくて、エルフの人たちは風魔法で飛んでるわけで」


 俺の声はやけに響く。

 なんか変な感じだとあたりを見る。


 エルフのみんなと、エリカを捕らえたラブレシアは固まっていた。

 まるで、時間が止まったみたいに。


「……え? はい? なにこれどういう」


「これはこれは。ひさしいのう、『唯一の魔女』」


「あら、おひさしぶりね。まだ神成りしてなかったのかしら?」


「二千年も生きてこれではなあ、儂は届かんじゃろう」


 全員が止まったわけじゃない。

 俺は動ける。

 里長も動いている。

 あと、突然現れた色っぽい女性も。

 黒髪が揺れて、深いスリットが入った黒いドレスの裾も揺れる。

 ざっくり開いた胸元から覗くまるみも揺れる。

 昂まるけど転移魔法は発動しない。


「里に、守護する神域の近くにいてこの程度じゃ。エルフの中で届くとしたら……」


 黒い女性、『唯一の魔女』って人と話していた里長は、視線を正面に移した。

 そこにいるのは植物系モンスター・巨大魔妖花ラブレシアと、もう一人。


「むぐーっ! あっ動けるようになりました! なんですかこれ!」


「エリカじゃろうなあ。不安でしょうがないのう」


 はあ、とため息を漏らして頭を振る里長。

 ツタに捕まったエリカは、ぐにぐにともがいている。

 ラブレシアは固まったままで、ツタが絡まってるエリカは逃げられない。

 というか動ける動けないの基準がわからない。


「あらあらあら、そう、そういうこと。運命さだめはそう繋がるのね」


「そのようじゃな。魔女の登場でしか気づかぬとは、儂もまだまだじゃ」


 魔女って呼ばれた女性と里長はのんびり話している。

 さっきまでの緊迫した空気はない。


「あの、いまのうちに助けた方がいいんじゃないでしょうか。魔法が通じなかったから剣を借りて俺が」


 言いかけて、魔女さんはにんまりと微笑んだ。

 俺の動きが止まる。童貞男子高校生には刺激が強、いまそれは関係なくて。


「あら、カイトくんの力は魔法じゃなくてよ? 魔法だと決めているからうまくいかないの」


「は? でもこれは失伝した転移魔法って、待って、その前になんで俺の名前を?」


「それはまたいつか、ね。ねえカイトくん。『転移』で、世界を渡れると思う?」


 モンスターもエルフも動かない。

 魔女って人に吸い込まれたように目が離せない。

 むぐむぐ叫んでもがいてるエリカも、危険なモンスターも、ぼんやり遠くのことに思える。


「渡れるし、俺はそれで渡ってきたんだと思って、それに『異世界転移』って言葉もあるぐらいだし」


「ふふ、そうね、そんな言葉も定着わね。じゃあ……ここは、どこなのかしら?」


「え? 日本とも俺がいた世界とも違うし、だから異世界なんじゃないかと」


「その『異世界』はどこにあるの? カイトくんがいた地球じゃないとしたら、宇宙のどこかに?」


「そうじゃないかなあって、え? うん? 移動しただけ? どこかにこんな星が、ある、のか……?」


「あるのかしらねえ。あるんだとしたら、カイトくんはどうやってここに来たのかしら。あるいは、ないのだとしたら、カイトくんは、どこに来たのかしら」


 頭がクラクラする。

 夢だって疑うのはわかる、異世界ってなんだ、俺はいつ受け入れた。なんで受け入れた。

 じっと俺を見つめる魔女の瞳に吸い込まれそうで、溶けていくような??


「あっ! 左手が外れた! 外れましたよカイトさーん!」


 場違いな声にハッとする。

 頭を振る。

 巨大魔妖花ラブレシアに捕まったエリカがぶんぶん左手を振る。

 まだ右手にも両足にも体にもツタが絡まってて、溶解液で服が溶けかけてるのに、満面の笑みでうれしそうに。


「あー、うん、よかったなエリカ。でも……なんか、いまなら助けられそうな気がする」


「ほんとですか!? けっこう魔力使っちゃったのであとはカイトさんにお願いしますぅ!」


 魔女って女性に言われて気づいた。いや、気づいたんじゃなくて、なんとなく感覚で理解した。

 ここは日本から、地球から「移動」するだけで来られる場所じゃない。

 だから俺は離れた場所に「転移」したんじゃない。


 異世界。

 異なる世界。


「ふふ、覚醒の時が来たみたいね。さあ、渡来わたらいカイトくんの、能力を見せてちょうだい」


 体の中から湧き出す熱を感じる。

 掴んで、伸ばした右腕を巨大魔妖花ラブレシアに向ける。

 頭で思い描く。

 ツタに絡まれたエリカに当たらないように、モンスターの本体に向けて。

 右手に熱を込めて、叫ぶ。


「〈次元ディメンション切断カット〉!」


 体から熱が抜ける感覚がした。

 手応えがあった。


 何も見えない。

 音もしない。


 ただ、巨大魔妖花ラブレシアが両断された。

 一拍遅れて、エリカの近くを残して細切れになる。


「できた……俺の、イメージ通り……」


「ふわあ! カイトさんすごい、すごいですぅ! いたっ」


「これは、なんという」


「ふふ、面白い選択をしたものね。カイトくんの能力は『唯一の魔女』が見届けたわ」


 支えを失ったエリカが落下して、べちゃっと尻餅をつく。

 里長は呆然と呟いて、魔女は艶然と笑う。


 倒したことがきっかけになったのか、もしくは魔女さんが何かしたのか、固まっていたエルフたちが動き出した。

 目を疑ってたけど、ぶんぶん手を振るエリカを見て我に帰ったらしい。

 半裸なうえにモンスターの体液まみれになったエリカに駆け寄る。


「えへへー、またカイトさんに助けてもらったんです!」


 危ないところだったのにエリカはニコニコしてる。アホの子かな?

 でも。

 エリカも、エルフのみんなも三ヶ月もお世話になってるこの里も、助けられたことがたまらなく嬉しい。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「え!? じゃあ魔女さんに手伝ってもらえば帰れるんですか!?」


「ふふ、『魔女さん』じゃなくて、ヨウコと呼んでちょうだい、カイトくん」


「いえその呼び捨ては、じゃあヨウコさんって呼びます、でもそれより!」


「ええ、帰れるわよ。私は『案内人』だもの」


「おおおおおおお! よしよしよし!」


「そうです、帰れるなら帰った方がいいです。寂しいですけどしょうがないんです、だから私は笑ってカイトさんを見送って」


 巨大魔妖花ラブレシアを倒した俺たちは、魔女さんやエリカや里長と一緒に里に戻ってきた。

 ほかのエルフたちも戻ってきたけど、いま、里長の屋敷??大樹のウロの中??にいるのは俺たちだけだ。


 帰れる。

 日本に、母さんが待つ家に。


 喜びを噛み締めてると、俺の袖が遠慮がちにつままれた。

 エリカが変な顔をしている。

 うまく笑えない、みたいな。


「エリカも里長も、身元もわからない俺によくしてくれてありがとうございました。でも俺はやっぱり帰りたいです」


「不意の転移だったのじゃ、当然じゃろう」


「はい。大丈夫です、私だって、急にそうなったらやっぱり帰りだいじ帰ると思いまずぅ」


 ずびずび鼻声でエリカの言葉が聞き取りづらい。

 でも言ってることはわかる。


「ごめん。でも、本当に、ありがとう」


「ふわぁああああん!」


 袖どころか俺の体にしがみついてエリカが泣き出した。

 やわらか、そういうことじゃなくて。


「うふふ、若いっていいわねえ。けどカイトくん、エリカちゃんも。いつでも帰れるってわけじゃないの。帰るならすぐに動かないと」


「……わかりました。エリカ」


「はいぃ。元気で、カイトさん、エリカのこと忘れないでくださいね、私は絶対忘れませんから、ほんとに、何年経っても、何十年経っても、何百年だって、私」


「長命種の桁がすごい。俺も忘れないから。エリカのことも里長やみんなのことも、この世界のことも」


「ふぐぅうううう」


 ぐすぐす泣くエリカの頭を撫でる。

 しばらくそうしていると、魔女さん、じゃなくて、ヨウコさんが目で合図してきた。

 そっと体を離して立ち上がる。


「さあ、お別れはもういいかしら?」


「よくはないですけど……でも、切り上げないといけないんですよね?」


「ふふ、物分かりのいいコは好きよ」


 ドキッとする。

 うしろで、エリカがむーって唸るのが聞こえる。


 俺は、差し出されたヨウコさんの手を取った。


「さようなら、エリカ。ありがとう」


運命さだめが交われば、いつかまた、会うこともあるでしょう」


「えっ、ヨウコさんそれってどういう」


「はい! カイトさん、いつかまた!」


 エリカの別れの言葉を最後に。


 視界が変化した。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 この世界の始まりよりそこにあったと言われる世界樹、そのウロの中。

 一人の女の子が、グスグスと涙を流していた。

 胸を貸しているのは女の子が恋心を抱いた少年、ではない。


「わずかな間じゃったが、いなくなると寂しいものじゃのう」


「はいぃ」


「じゃがエリカよ……ちゃんと聞いておったか? 魔女はこう言った。『いつかまた、会うこともあるでしょう』」


「はいぃ。どうすれば運命さだめが交わるんでしょうかぁ」


「儂にもわからぬ。じゃが、待つだけでよいのか? エリカはそのような殊勝な子であったか?」


 年老いたエルフの言葉に、女の子は涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を上げた。


「わた、私! 研究します! カイトくんが残した転移魔法を! あの女の人が使ってた魔法を!」


「うむうむ、それでこそエルフの里でも稀代の魔法使いじゃて」


「待っててねカイトさん! 運命さだめなんて知らないんです! 私、自分でがんばって会いに行きますから! 追いかけますからぁ!」


 ふんす、と両手を握りしめる。

 ずびっと鼻水をすする。


「儂も協力しよう。この神域の中でなら、亜神とて力になれるじゃろうて」


 旅立った少年は、少女の決意を知らない。


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