わたしの大事なペンギンの話

@azuma123

第1話

 小学四年生の時から一緒に寝ているペンギンのぬいぐるみがボロボロになってしまった。よかれと思って水洗いをしたのがまずかった。いや、水洗いをした、まではよかったのだがそれから大阪は雨続きである。全く乾かないペンギンのぬいぐるみがカビてしまってはまずいと思い、近所のコインランドリーに持っていき乾燥機にかけたのだ。ペンギンのぬいぐるみは断末魔の叫びを発しながら内臓を吐き散らかし、十分後に停止した。わたしが乾燥機のドアを開けた時には、見るも無残な姿になっていた。べろんべろんになってしまった皮から内臓を飛び出させ、くちばしと右腕はもげている。ただ、まだ生きているようでフウフウと虫の息をしていた。家に帰って針と糸で修繕してやればなんとかなるかなあと、急ぎ、帰宅することにする。わたしにとっての大切なものである。助けてやりたかった。

 コインランドリーから自宅アパートまでは近く、急げば数分とかからない。わたしのアパートはおんぼろで、エレベーターがない。部屋は四階にあるため階段を上る必要がある。ペンギンのほつれがひどくならないよう大事にかかえて階段を駆け上がる。すると、二階に住んでいる田中が顔を出した。「どうしました、そんなに急いで」

 田中は顔中ニキビだらけの中年男性である。ずいぶん前からこのアパートに住んでいる。階下からバタバタとせわしない足音が聞こえたため、なにごとだと顔を出したところわたしとかち合ったというわけだ。いい歳こいてこんなボロアパートに住んでいる人間だ。まっとうなものであるわけがなく、田中は空気が読めないらしい。顔のニキビをつぶし中から白い膿を出しながら、「なにごとなんです」と聞いてくる。わたしは脇にかかえたペンギンを見せ、「これが死にかけてるんです」と過度に慌てた様子で答えた。田中ははあ、というような顔をして、「ぬいぐるみじゃないですか。急ぐ必要なんてないでしょう」と言った。

実際わたしは急いでいるのだ。余計なお世話だと気分を害したため、その言葉は無視しして階段を上がることにした。わたしが去ろうとしていることを察した田中は、「ちょっと待って」とわたしを呼び止め、「自宅でそれを修繕されるんですよね。じゃあ、これもついでにお願いできますか。かなり痛んじゃって。古いものなのですが」一度部屋に引っ込んだ田中が玄関先に引っ張り出してきたのは、血まみれの老婆であった。

 わたしは田中から預かった老婆とペンギンを抱えて階段を上り始めた。かなり重いためスピードが格段に下がってしまった。わたしのペンギンは今にも消えてしまいそうな息をついている。このままじゃ死んでしまう、まずい、まずいぞ。そう思い息も整えずズルズルと階段を上がっていたところ気が付けば三階フロアーにたどり着いていたようで、玄関先に置いてある鉢植えに水をやっている女と目が合った。女はわたしに会釈をし、わたしも女に会釈を返した。

一度立ち止まってしまった足はフラフラで、わたしはその場にへたばってしまった。ペンギンだけならまだしも、老婆は重過ぎる。すぐにでもペンギンを修繕する必要があるのに、立ち上がる体力がない。そろそろ歳なのかもしれんなと寂しくなりうつむいているわたしの目の前に影が落ちた。なんだろうと顔を上げると、先ほどの女が目の前に立っている。「そうとうお疲れのようですね」女はわたしに言った。

 わたしは女の部屋で紅茶をごちそうになっていた。先ほどクッキーを焼いたところだというので、呼ばれてしまった。わたしは甘いものが好きだし、女だって好きだ。この女はなかなかいい器量をしているし、誘ってきたのは女のほうだ。まだまだ捨てたもんじゃあないなと笑ってしまいそうになる口元を隠すように紅茶を飲む。わたしが紅茶をすすっていると、女はわたしの運んできた血まみれの老婆を椅子に座らせ、「さあ、クッキーよ。たべてちょうだい、おいしいはずよ」とやりだした。老婆は死んでいるのか生きているのか、ぐったりと言葉を発さずじっと下を見ている。「さあ、」そんな老婆の状態にかかわらず、女は老婆の顔を無理やり上げ、うっすら開いている口にクッキーを詰め込んでいる。見かねてわたしは咎めてしまった。「だめだよ。そのおばあさん、かなり痛んでいるから。今、クッキーは食べられないんだ」

すると、女はおどろいた顔で「そりゃあ、人形は人間の食べ物なんて食べないわ」と言った。

 クッキーと紅茶をごちそうになって女の部屋を出る。老婆を連れだそうとしたところ、「まだ女子会の途中だから、あとで」と老婆の手をつかんで離してくれなかったため、わたしのペンギンだけを連れて部屋を後にした。ペンギンはもうほとんど息をしていない。女にうつつを抜かしすぎた、頼む、間に合ってくれ。わたしは再度ペンギンをかかえて階段を上がる。もう疲れはとれており、自宅の前に到着するのに時間はかからなかった。ズボンのポケットから鍵を出しドアノブに刺して半回転させると、「痛い!」と叫び声。なんだと驚きドアノブを見やると、ドアノブが尻になっている。わたしはドアノブの肛門に鍵を突っ込み捻っていたのである。ドアノブの尻は不服そうに「ひどいじゃないですか。毎日毎日私の肛門をかきまわして。本日ばかりは言わしてもらいますけどね、ドアノブの尻にそんなもの突っ込んで喜んでいるの、あなたくらいですよ」

可愛い女の尻ならいざしらず、わたしだってドアノブの肛門に鍵などつっこみたいわけではない。わたしのペンギンが死にかけているのに、さっきからなんなんだ。どいつもこいつも、わたしはペンギンを助けたいだけだ。小学四年生の時からずっと隣で寝ていた愛しいペンギンなのだ。邪魔をするな。堪忍袋の緒が切れたわたしはドアノブの尻に思い切り鍵をつっこみこねくり回してやった。ドアノブはギャアと叫んで動かなくなり、動かなくなったと思ったら、玄関のドアがひとりでにガチャリと開いた。

 わたしは裁縫箱から針と糸を取り出し、ペンギンに突き立てた。先ほどまでぐったりしていたペンギンは突然「痛い!」と叫んで跳ね起きた。針を刺したところからは線状に血が噴き出している。「痛いのは我慢してよ。修繕しないと、死んじゃうから」

ペンギンは修繕中、何度も「もう殺してくれ、殺してくれ」とわたしに懇願した。わたしは痛みに暴れまわるペンギンを押さえつけて何度も針を通した。わたしの愛するペンギンである、死なせるわけにはいかないのだ。

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