エピローグ
珍しく、普段じゃあまだぐぅすか寝ているような時間に、起きた。なんとなしに、ベランダに向かう。
そういえば、あの芽を出さない種はどうなったのだろうか。きっと、彼女のことだから約束通り、水やりはしてくれただろうと信じている。
結果はどうあれ、何かが芽吹いたのなら、水をあげていた一員としてどんな植物になるか見てみたかったなぁ。
星野先生か橘恵美に確かめればどんなふうになったかはわかるんだろうけど、実際にこの目で確かめることはさすがにもうできないだろう。
ベランダに出て、公園へと目を向ける。なるほど、こんな風に見えて……
――見慣れていたはずの公園の景色に、僕は息を飲んだ。
……昨日は暗くてわからなかった。そして、今まで気にも留めなかった公園の一角。
そこには、溢れんばかりに、綺麗な白い花が咲いていた。そして、その花に向かってジョウロを傾けている高校生が一人。
水やりをするその姿が、あのランドセルを背負った、気の強いしっかり者の少女と重なって見えた。
僕は急いで外に出た。
「ねえ、それなんて名前の花なの?」
大急ぎで階段をかっ飛ばして、公園まで走ってきた僕は息を弾ませて、橘恵美の後ろからそう尋ねた。冬の冷たい空気が肺に取り込まれて、破裂しそうだ。
「わぁ! びっくりしたなぁもうっ。って仁君か。君って走り込みとかするタイプだったの?」
彼女はまるで漫画みたいにビクッと飛び跳ねた。
「いや、そこのアパートに住んでてね。ベランダから橘さんが見えたもんだから、何してんだろうと思って」
「まぁ、見ての通りの水やりかな? で、花の名前だったっけ。ノースポールって言うんだって」
彼女が水やりをしているということは、きっと間違い無いのだろう。……そうか。花だったのか。
「でもさすがに増殖しすぎじゃないか。ほら、ここ一応公共の場だし、勝手にこんなに育てて大丈夫なのか」
ささやかというのは憚られるぐらいに、白い花は公園の一角を侵食していたのを見て、僕がそう尋ねると、彼女はにやりと笑った。……なぜか変顔をして。
「んー? ほら、私はただ地面を濡らす遊びをしてるだけだからさ。たまたまそこにお花が生えてたってだけだよ」
「ぶふっ」
そのあんまりな変顔に、僕は思わず吹き出した
「えっ今なんで笑ったの!?」
きっと、彼女の想像の中では、彼女はたいそう悪そうな顔をしているつもりに違いない。
だが明らかに向いてないんだろう。にらめっこしているとしか思えない顔だ。
「あー、ちょっと思い出し笑いだよ」
もちろん嘘である。嘘を吐くのは心苦しいが、本当のことを言ったら、もうあの変顔は見られなくなるだろうから仕方ない。
「おまえなんか今日はやくね」
「ほんとだ。いつも時間ぎりぎりなのに」
教室内の僕を発見するなり「おはよう」も言わずに珍獣でも見たかのような反応をしてきたのは、加藤菜々子と加賀恵のなんちゃってヤンキーコンビだった。
こいつらのヤンキー要素はもはや髪の色だけと言っても過言ではない。僕はぼーっと加藤奈々子のプリン頭を眺めた。
しかし金髪といえば、一番はじめに8年前の星野先生を見たときは一瞬、加藤菜々子と勘違いしたな。
こいつも高校デビューか、中学デビューだったりするんだろうか。
「君らっていつから髪染めはじめたの?」
「え?もしかして自分も染めようとか思っちゃった?やめたほうが良いよ。顔が地味すぎると髪と顔が分離すると思うから」
加賀恵はなんのためらいも申し訳なさも感じさせないテンションで僕の顔面をディスった。今すぐ僕に謝罪しろ。むしろ僕を産んだ両親に謝罪しろ。
「いや、将来ハゲそうだから未来永劫髪は染めないよ」
若いうちからハゲてしまえ。
「まー私はハゲないけどさ。染めたのいつかなー。あ、そーだ。中学上がりたてくらいだ。入学式で金髪で目立ってるのが一人居てさ。私も染めよーって。その目立ってたのが菜々子なわけだけど。そういえば奈々子っていつから染てんの?」
「私はあれだよ。小学2年生の時にだな。おばあちゃんに髪染め買ってきてもらって染めたんだよ」
「あんた小2で染めてたの!? マジやっば」
加賀恵は爆笑である。が、感想としては僕も似たようなもんだ。小2で髪染めるとか、マジやっば。
「そのさ。私、昔この近くの公園で高校生に絡まれたことあってさ。その時私を助けてくれたカッケーお姉さんが居てさ。それに憧れてまぁ、そのな?」
へへ、と加藤菜々子はなぜか照れた様子で頬をかいた。
その時、僕の脳裏に小学生ズの一人が浮かんだ。そういえば過剰なまでに8年前の星野先生に憧れていたあの内気な少女の名前は聴いていなかったな……。
近所の公園でちょうど8年前によく似た状況を僕はよく知っていた。 そういえば髪の色について聴いてたなぁ、あの子。
つまり、こいつがあの内気な女の子なのか……?
いやいや性格が違いすぎる。さすがに8年経ったとはいえこんなに人の性格が変わるわけが……
「それがなんとさ。そのお姉さんなんだけど、何を隠そううちのクラスの担「奈々子さん? 古典のテストのことで話があるからちょっとこっちに来てもらえる!?」
まるで彼氏ののろけ話をするかのようにデレデレしだした加藤菜々子の話を遮るように、星野先生の上擦った声が割り込んだ。
そういえば昨日も8年前の彼女の性格やらについて触れようとしたら、星野先生に教育されそうになったなと思い出した。
星野先生……金髪時代は黒歴史になっちゃったか。
結局、加藤菜々子はホームルームが始まるまで教室に帰ってくることはなかった。
……8年前からあの小学生達と、不器用だけど優しい中学生の付き合いは続いたのだろう。
少なくともさっきのやり取りをみるに、関係は良好なようだった。
それが、僕が水やりを頼んだことが一役買ったかはわからないが、僕が過去でしてきたことは確かに未来に繋がっていた。
大した影響じゃあなかったのかもしれないし、それが良かったのか悪かったのかは分からない。でも………
――願わくば、僕の与えた影響が彼女達にとって幸福なものでありますように。僕はそう祈った。
それからしばらくして、約束どおり、8年越しに小学生達に借りたお金を返そうと、僕はみんなの下駄箱にお金入りの封筒を仕込んだ。
それを加藤菜々子がラブレターと勘違いして、加賀恵に死ぬほど馬鹿にされてブチギレることになるのはまた別の話だ。
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