第29話

体育祭の筋肉痛と戦いながらのアルバイトは、正直堪えるものがあった。普段運動しない自分があれだけの全力疾走をしたツケが回ってきたようだ。洗った食器を低い位置にある棚にしまう際に悲鳴を上げる太腿に歯を食いしばりながら耐え、混雑時は集中力のおかげであまり気にならなかったが、集客が落ち着くとやはり気になって仕方がなかった。


「渡部さーん店長が呼んでるっす」

五十嵐が休憩室に飲み物を持ちながら入って来た。

「何かやったんすか?」

すぐに事件性を疑うあたりまだまだ五十嵐も若いな、と思いながらも内心何かしでかしたかと記憶を探る自分であった。店長は倉庫の中で難しい顔をしながら資料を見ていた。どうしたら良いか分からず立ち尽くしていると、ようやく店長が自分に気が付いた。


「悪いね休憩中に。座って座って」と言うと、油が入っている業務用の缶を椅子代わりにして向かい合った。


「渡部君に一つやってもらおうと思ってる事があるんだよね」

「ああ、何ですか?」

「構えるような事じゃないんだけどさ」

そう言うと店長は一枚の紙を渡してきた。そこには「新メニュー考案について」と表題に書かれていた。確かに季節限定の料理というのが毎回あった。ただ毎年内容はほとんど変わらず、全店統一して出されていた。しかしこれは限定ものではない新たなメニューとして加えられる料理になるようだ。


「これ、うちの店からの考案は渡部君に任せようかと思ってる」

座っていた油の缶からずり落ち棚に頭をぶつけた。

「おいおい大丈夫か?」

「か、構える話じゃないって言ってましたよね?」

痛む頭を摩りながら店長を見ると、どうやら冗談で言ってるつもりではないのが表情で分かる。

渡された紙に目を落とすと、確かにそこには考案者は誰でも可、としっかり書かれていた。とは言え店長を入れて社員は四人いる。アルバイトの方が人数がいるとは言え、これは社員がやるべきではないかと思う。


「言っとくけど、面倒だからって押し付けてるんじゃないからね」

「あ、はい。ただこれは‥流石に社員がやった方が‥」

店長は腕を組み微笑んだ。

「いや、渡部君にだから頼みたい」

自信ありげにそう言うと、自分が持っている紙を取り、ペンで何やら線を引いて自分に返してきた。

「柔軟な発想」「経験」「あったら良いな」そして「チャレンジ」という言葉に蛍光ペンが引かれていた。それらの言葉が店長が自分を選んだ理由に繋がる、という意味だろうか。


「渡部君は立派な戦力、今やキッチン仕事は全てできる。俺や他の社員の横で補助をこなして俺達の動きや癖も分かってるくらいだろ?」

確かに社員それぞれ、同じ作業でも特色があるのは分かる。経験を積んだからこそ理解できる事だ。


「アルバイトは社員よりも、なんとなくお客様に近い立場な気がする。お客様もほら、社員よりアルバイトに色々と言いやすかったりするだろ?」

クレームも含めて、という事だろう。確かに我々アルバイトの本業は学生だ。本業がこの店である社員達よりはお客様にある意味近い立場というのは納得できる。


「渡部君がお客様として、こんなハンバーグやステーキがあったらなあ、こんなメニューがあったらなあっていう案を自由に出してほしい。選ばれたら報奨もあるし、やってみない?」

返事をするのは簡単だ。しかし店の代表としての取り組みになる。万が一とんでもない結果になれば、責任は店長になる。それも承知で頼んできているのだろう。暫く沈黙していると、店長が口を開いた。


「アルバイトの子に頼む事も大きなチャレンジだけど、今の渡部君になら任せられる」

その一言が自分に向けた言葉とは思えないような感覚だった。まさか自分が社会人である店長にまでそんな言葉を言われるとは、正直困惑もそうだが嬉しさの方が遥かに上回った。答えはもう決まっていた。


「やってみます」

店長はにっこりと笑い大きく頷いた。

「他店は社員がやるみたいだから。頑張ってくれよ!」


何も言わずに倉庫を後にして、休憩室へと戻った。ジュースを飲みながら寛ぐ五十嵐を他所目に、渡された紙をじっと眺めた。蛍光ペンで引かれた言葉を頭の中に入れておく。期間は二週間と短い設定だ。焼き場に立つ機会が多い社員と補助が中心であり、アルバイトの賄いを作る時に焼き場に立つ自分とはやはり差が大きい。考えてみれば社員はプロだ。料理に対する発想力が段違いだ。このチャレンジ、難易度が高過ぎるとようやく理解した。それも学校の授業とは全く違う会社の取り組みに関わるという重要な「仕事」だ。


「渡部さん」

五十嵐が心配そうに声をかけてきた。横で難しい顔をしていれば気になってしまうだろう。五十嵐に申し訳ないと思った。


「レジの金かなんか盗っちゃったんすか?」

もう五十嵐には何も言わないと心に決めた。

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