第20話
夏のレストランの厨房は恐ろしい。日中はもちろん汗が止まらないのは当たり前で、陽が落ちた後は多少変わるか、といえばそうでもなく体感温度は日中と同じように思える。特にこのお店のように提供する料理がハンバーグやステーキが中心でお皿よりも鉄板を使うお店だと尚更だ。
「かき氷食いてー」と十分に一回は同じ事を言う高校生アルバイトの西川に、流石の店長もいつものように「西川君うるさーい」と注意しないのはこの暑さを理解しているからだろう。焼き場に立つ店長自身も汗をかきながら仕事に励んでいた。
「お疲れ様ですー」と仕事終わりに冷たいオレンジジュースを休憩室に持ってきてくれた金井さんにお礼を伝えると、話題は昨日から入った夏休みの話になった。金井さんは海、プール、花火、祭と予定がびっしり入っており、予定がない日はアルバイトを入れて上手く資金繰りをしていくとの事だった。この後、俊哉の家に上がり込み、先に行ってる太一含め三人でゲーム三昧な自分とは大違いな過ごし方だ。
俊哉の家に行く前に馴染みの銭湯でしっかりと汗、汚れを流してコインランドリーでアルバイトのユニフォームを洗濯、コンビニでサラダパスタとお菓子、飲み物を購入して俊哉の家へ向かった。
「来たな!」と俊哉に出迎えられ二階へ上がると「お疲れ様ー」と太一が緩いいつもの調子で迎えてくれた。自分達が今のめり込んでいるサバイバルゲームから始まり、昨年の反省を生かし同じゲームのみをやるのでなく、三つのソフトを順繰りプレイする事で飽きが来るのを回避するやり方にした。気付けば夜中の三時近くになっており、太一の「眠いー」の一言で初日が終わった。
「明日は‥いや、今日か。花火行くんだろ?」
「行こー」
「そっか今日か」
俊哉の家から自転車で五分の場所で打ち上げられる花火大会が今日開催される。天気も良い予報であり例年通り賑わうであろう。いつも河川沿いのサイクリングロードで眺めるのがお決まりだった。口数少なくほとんど同時に眠りにつき、次に目を覚ました頃には昼の十二時を軽く回っていた。外の日が眩しく、暑がりな自分と俊也は声を揃えて「今日は中止だな」と呟いた。
結局、夕方までゲームで白熱の戦いを繰り広げ、オンラインによる全国の同じくのめり込んだプレイヤー達と楽しさを共有した後、支度をして俊哉の家を出た。予め用意しておいて保冷バッグに凍らせた飲み物を詰め込み、片手にはうちわを持ちながら向かう。
会場に到着すると既に場所取りをしていた人達を含め、隙間を探す方が大変なほどの混雑具合であった。
「ひえー帰ろ」
俊哉が方向転換すると太一が自転車の籠を掴みそれを阻止した。
「まあまあ、下に降りないんだからさ」
渋々ながら俊哉が自転車を降りて座り込む。打ち上げまでは一時間半近く時間があるため、とりあえず屋台を回ろうという話になった。
「くじ引こうぜ!」
俊哉が指差す先には、小学生が群がる景品くじの屋台があった。あの中に高校生が飛び込むのもなかなか勇気がいる。
「当たらんでしょーよ」
「馬鹿だなやる前から。ゲーム機当ててやるわ」
どんな確率で当たりが引けるのか不明だが、目玉景品が当たった所を見た事が無い。ただ好奇心が異様にくすぐられる点は正直納得がいく魔性の屋台だ。
「お!ってエアガンじゃん!」
「すげー」と歓声を上げる小学生達。その反応からして良い景品を引けていないのだろうと彼等の手元を見ると、案の定パズルなど細々した景品ばかり手にしていた。
「お前らも引けって」
言われるがままにお金を払い、内心期待しながらも引いてみたが、結果として国民的キャラクターの形をした防犯ブザーの景品を手に入れた。
「はは!お前使い道ないだろ!鳴らされる側だろ!」
「お前が言うな隠れ変態が」
ちなみに太一はヨーヨーだった。練習すれば色々な技ができる暇潰しに最適な優れものだ。防犯ブザーよりは使用頻度が高い景品である事に間違いは無い。
「自転車心配だな!どうする?」サイクリングロードの脇に寄せてある自転車の盗難が心配になり、食べ物の買い出しは列に並ぶ必要があるため、戻るには確かに時間がかかる。その結果、じゃんけんで負けた方が買い出しをするという結論に至った。三度のあいこが続いた後、パーを出した自分が敗者となり、買い出し係を担う事になった。
「唐揚げはあれな!タルタルが付くとこの」
「おいかなり向こうじゃんか!」
「それがお前の役目さ」
太一も手を振り、従わざるを得なくなり渋々与えられた買い出しリストを頭に入れて屋台に向かった。焼きそば、お好み焼き、最後に唐揚げという流れで回る事にした。
「あ、袋ください」
焼きそばとお好み焼きを袋に重ねて入れる事で、少しでも楽をする事にした。タルタル付きの唐揚げは、中心の広場より離れた位置で屋台を出していた。少しだけだが近道があった。一度サイクリングロードに上がり、人気が少なくなる通りに向かって下りる。その先にある公園を突っ切るとその屋台に繋がる道に混雑を回避しながら辿り着く事ができるのだった。サイクリングロードを下り公園に向かって進むと、後ろから足音が聞こえた。感覚が短い様子から走っている足音だろう。
一人の女性が後ろから走って来て自分を追い抜いて行った。その数秒後に今度は男性が追い抜いて行く。痴話喧嘩で彼女を追いかける彼氏といった様子だろうと思い、いつか自分もと想いを馳せていると、公園から先程の男女の声が聞こえた。
「離してよ!」
お決まりの台詞が聞こえ、さあ彼氏がどう説得するかと思いきや、様子がおかしい事に気付き、思わず近くの木に身を隠して様子を伺った。
「嫌だって言ってんじゃん!彼氏いるし!」
女性は必死に抵抗していた。
「嘘つけ一人じゃーん。しかも俺の事突き飛ばして転んだし痛いんだけど」
「そんなんしつこいから‥」
どうやら痴話喧嘩ではなくナンパのようだ。しかも危険な香りがするような展開だった。辺りを見渡すが警備員もおらず、人も離れた位置で歩いている人がちらほらいる程度だ。この場には他にあてになる助けはいない。
「転ばして携帯の画面までヒビ入ったしこれは駄目でしょー」
「だから‥」
男が女性の肩に手を回し、いよいよ危うくなった所で満を辞して飛び出した。
「あの!えっと‥彼氏です!」
男も女性もきょとんとした顔でこちらを見た。
「誰の?」
「あー‥彼女の」
「嘘だろ?」
「いや‥やめましょう!」
よく見ると髪は染めていて少し迫力がある男の姿にたじろいだ。距離はあるが向かって来られたら非常に困る。
「何?邪魔すんなよこら」
「邪魔ではなくて‥」
「あ?何だよ?」
少し考えてから相応しい言葉を思いついた。
「阻止!阻止です」
男は少し溜息をついた後、女性から手を離した。諦めてくれたと思ったがやはりそんな簡単な話は無い。
「てめー何なんだよ」
やはり近づいて来た。咄嗟に構えると男は立ち止まり不気味な笑みを浮かべる。
「お、やんの?やんのか?」
来ないでくださいのポーズのはずが、いつの間にか拳法使いのようなポーズになっている事に気付いた。無意識に逆撫してしまう自分に腹が立って仕方ない。
「いやいや、やめましょう」
「おめーがやる気なんだろうが!」と言いながら詰め寄ってくる。手には焼きそばとお好み焼きがある。これを投げつけて隙を見て逃げようか?いやあの女性が助からない。ふとポケットの膨らみを思い出し、そこに手を入れた。なんと偶然かこんな所に防犯ブザーが。この瞬間、自分は祭の屋台で一番景品くじが好きだと言えるようになっていた。
ピピピピピピ
とかなりの音量で鳴り響く。男は驚き跳び上がった。
「な、なんだよそりゃ!止めろや!」
「いや‥止まらん!」
男は辺りを見渡し焦り始めた。
「あーくそ!分かった分かった諦めるから止めろ!」
そう言うと男は走り出し「馬鹿野郎!」と怒鳴りながらどこかへ逃げ出すように消えていった。
「はあ‥奇跡だろ‥」
思わずその場でしゃがみ込む。右手に握った防犯ブザーに感謝を込めて摩った。
「ありがとう!」
顔を上げると先程絡まれていた女性が立っていた。よく見ると歳が近いように見える。同じ高校生のようだ。少し濃いめの化粧を施していて、確かに先程の男みたいな人が好みそうな美人だった。
「ああ、いやあ‥てか離れないとまた戻って来たら危ないですよ」
「確かに!あいつしつこい!タイプじゃないし有り得ない」
少し気が強い方のようで、怖がる素振りはもう全く見せていなかった。
「君、学校は?高校生‥だよね?名前は?」
「えと‥渡部光輝です。桜北第一高校‥」
「あーオウホクね!友達いるし!あ、やばい!待ち合わせが‥」
そう言うとスマートフォンを取り出し時間を確認して焦った表情を浮かべた。
「あ、行ってください。」
「ありがとう!恩人だよ!本当にありがとう!」
深々と頭を下げた後、小走りで彼女は走って行った。自分も小走りで屋台へ向かい、先程の男がいないか周りを良く確認し、唐揚げを買って二人の元へ向かった。予想以上に屋台は並んでおり、ようやく買えた後、急いで走ってはみたが間に合わず途中花火が上がりだしたのを横目で確認した。
川に映る花火もまた綺麗で、先程の女性も今頃待ち合わせをしていた誰かときっと見ているだろうと思いつつ、二人の元へと急いで向かった。
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