第18話
大歓声の中、後半が始まった。巧みなパスで繋いでいく多田のクラスとそれに振り回されている自分のクラス。しかしこの時、自分の中で閃くものがあった。ゲーム好きな自分にはなんとなく、本当になんとなくだが次の展開がぼんやり見えてきた気がした。そっと場所を移動して、配置についた。頭の中で数を数えて、飛び出してみた。人と人の間に入り、パスは自然と遮断された。まさかの自分によるパスカットであった。
「止めた!渡部ー!」
本田が走り出しここは何も圧が無い場面のため、何の迷いもなくパスを出した。考えてみれば決勝戦にも関わらず今大会初めての「まともなパス」である。
「戻れ!戻れ!」
慌てた多田が指示を出し自陣へと戻る。本田、前川、城島と繋がり平良が蹴り込むがゴールとはならなかった。些細なプレーだが今まで自分を見てきた彼らにとっては大絶賛となる行いであったようで、本田が背中を叩き褒めてくれた。
しかしすぐさま多田が自分をめがけドリブルを開始する。この時、これまでの自分の動きを冷静に振り返る余裕が生まれた。単に前に出ても躱されるなら、流れに任せれば良いという判断に変わった。多田から目は離さず後ろに下がるが、多田の進路からは決して外れずにいた。多田のドリブルのスピードが落ちる。すると横から笠原が合流する形になり実質二対一となった。多田が諦めたように横にパスを出す。
「あ!」
多田が驚きの声を上げた。その先には見事に流れを読んでいた本田の姿があり、そのパスを止めていた。
「くそ!」多田が焦り感情を露わにする。少し自分を睨みながらも懸命に本田を追っていた。
「お前の時間稼ぎのおかげだ」
笠原が言葉をかけてくれた。どうやら歯車の一部を担う事に成功しているようだ。嬉しさあってか、疲労に侵された足も不思議と軽くなるのを感じた。自分は今、役に立っている。それも苦手なスポーツで。今更ながら青春と喜びを感じた。
「井川を止めろ!」と前川が叫ぶも、鮮やかなドリブルで平良達が翻弄される。流石にそう何度もうまくいかず、自分もあっさりと抜かれてしまうが、笠原が懸命に粘る。すると、井川が完全に自分に背を向けて笠原と対峙している事に気付いた。コソ泥のような足取りで井川の背後に近付いた。
「井川!後ろだ!」
相手選手の声に反応した井川が振り返った時、井川の右肘が自分の側頭部に直撃した。鈍い音共に激痛が走り、そのまま床に倒れ込んだ。一瞬にして静まり返る体育館。きっとこの後は漫画のように仲間達が「渡部!」と叫びながら駆け寄り、そしてその後奇跡のような巻き返しと勝利を‥
「ファールファール!審判!」
審判を任された生徒は笛を吹き、ファールを宣告した。井川は納得いかない様子で「いや、わざとじゃあ」と少し抵抗していた。
「渡部ー起きろ」
「ああ‥はい」
どうやらここは漫画ではなく現実のようで安心した。自分に対する扱いもここまでくると心地良ささえ感じる。側頭部を触ると凹みに驚いたがこれはこめかみだと安心し、少し吹き出しそうになるも堪え、そのまま起き上がる。
目の前にはボール。味方は全員、相手のゴール前に集まっていた。
「え、いやいや‥え?」
「蹴れ」
「え?」
「蹴れ」
この時までまともにこのサッカーボールという球体を扱えていない自分に「蹴れ」などと難題を押し付けられ、額を伝う汗の感触を急にはっきりと感じるようになった。どう蹴れば良いのか、自分の利き足はどちらか、どこへ蹴れば良いのか、目の前がぐるぐる回りだす。この目眩は肘の直撃によるものではないか。もはや錯乱状態にあった。
ピッと短く吹かれた笛の音に体が反応し、思わず走り出してしまった。目の前のボールが迫り来る。いや、自分がボールに近付いている。どうにでもなれとやけくそではあるが、爪先でボールを力一杯蹴った。
「おわ!」
自分達の頭を超えるボールに前川が声を上げる。
「あ!」
相手チームの選手が声を上げた理由がこのボールの軌道にあった。思いの外、爪先で蹴ったボールの飛距離があり、味方と相手の頭上を超えていくのであった。右足の爪の辺りがじんじん痛むのを堪え、ボールの行方を追った。
コーンという音と共に、ボールはゴール上部のバーに直撃した。
「惜しいー!」
観衆が声を揃える。じんじん痛む爪先に再び目を向けた瞬間、地鳴りのような大歓声に驚いた。
「同点!平良ー!」
自分以外の味方が平良を囲み喜んでいた。そしてそのまま自分を囲み頭や背中を叩きだした。
「痛い痛いすみません‥」
「ナイスだ渡部!お前のおかげ!」
何が何だか分からずいると、本田が経緯を説明してくれた。どうやらゴール上部に当たり跳ね返ったボールを平良が押し込み同点に追いついたという事らしい。
「た、平良くんナイス‥」
「配置に着け渡部!始まるぞ!」
「あはいー」
なかなか輪に入るタイミングが難しい競技だと思いながら配置に戻った。そもそも平良のゴールを唯一見ていなかった自分に輪に入る資格は無かっただろうと自分で勝手に納得し、改めてスコアが同点だと気持ちを入れ替えた。時計を見ると残りは五分も無い事に気付く。周りも焦りが見えてきていた。歓声も更に大きくなり、次の一点が試合を決めるだろうと流石に自分でも分かる。
多田、井川を中心に見事な連携を見せて切り込んでくる。井川は自分を躱し平良も躱していく。
多田がパスを受け、そのままドリブルを続けて進む。どうしていいか分からずとりあえず自陣ゴールへ向かって走ってみた。自陣ゴールだけを見て走り、とにかく戻る事だけに集中した。
「止めろー!」
その声の方に勢い良く振り向くと、ゴールキーパーが飛び出して多田の方へ向かっていた。多田が鮮やかなタッチでゴールキーパーを躱し、そのままシュートを放った。ボールは無人のゴールへ向かった。本田が頭を抱えているのが見えたが、その直後、頭に添えた手を下ろし口を大きく開けた。その口から言葉が飛び出した。
「渡部ー!」
呼ばれた自分は訳も分からず自陣ゴールに走り込む奇行に走っていたが、その直後に後頭部に衝撃が走った。
「ぐむ!」という声を発して顔からゴールネットを揺らした。網目の跡がつくのではないかと心配になるほど、勢いよくゴールに顔から飛び込んだ。側頭部に続き後頭部とは、試合後には自分の頭は多面サイコロになっているんじゃないかと思う。
「よくやった」
ゴールキーパーのグローブのまま頭を撫でられ、優しく起こされた。そして目の前にいた多田に気付く。多田は呆然としたまま立ち尽くしていた。その先にはボールをドリブルで運ぶ味方の後ろ姿だ。多田の表情で理解できた。記憶を巻き戻せば尚更納得だ。
多田が放ったシュートはがむしゃらに走り込んでいた自分の後頭部に当たり、得点にはならなかったという訳だ。
「行け渡部!」
見守る観衆から初めて名前を呼ばれて、その声に背中をどんと押されたような気がした。城島が相手と対峙し、ボールを取られても懸命に取り返す。その表情は苦しそうだ。右側に展開して攻め上がる姿を横目にひたすら走り込む。
「上げろ!」
その声に城島は最後の力を振り絞り、ゴール前にボールを蹴り上げた。合わせようと本田が跳ぶが届かず、後ろから来た前川にも合わない。続いて来た平良も通り過ぎてしまいタイミングが合わなかった。しかし倒れ込む城島の目が自分に向けられていた事にこの時初めて気付いた。ボールはそのまま弧を描き自分の元に向かってきていた。
「え、え」
まともにボールが蹴れない自分にどうしろと。走りながらもパニックになるも、足は止めずにそのまま走る。もう少しで自分に渡るボールが丁度自分の走り込んでいる位置にぴったりな事が目測で判断できた。そのまま左足を踏み出し、続いて踏み出す予定の右足をそのまま思い切り前に振り抜いた。ボールはシューズの靴紐の辺りにぶつかった。気持ち良いほど感触が柔らかい。今までのように固体を蹴る感覚ではなく、紙風船を蹴るかのような感触だった。右から来たボールが自分の右足を経由して真っ直ぐ正面に飛んだ。ボールの縫い目がはっきりと見えるほど、我ながら綺麗な軌道だった。横に跳ぶ相手のゴールキーパーの動きがスローモーションに見えた後、そのボールは勢いそのままにゴールネットに突き刺さった。
直後に膝から崩れ落ちた多田、倒れ込んだまま床を叩くゴールキーパー、上体を屈み膝に手を付く井川、頭を抱える他の選手。全てを把握するのに時間はかからなかった。
「渡部ーお前ー!」
本田が叫び味方全員が駆け寄る。試合時間が終わりそのまま吹かれる試合終了のホイッスルが鳴り響き体育館内に大歓声が響き渡る。その様々な声を味方に押し潰されながら聞いていた。誰一人と自分を笑う声は無く、代わりに「渡部」という自分の名前が何度も耳に届いた。
「やばいレアル、超レアル、最後のバルセロナ」
高木さんが興奮しながら手を叩く。有名なチームを二つも挙げてくれてありがたいものだったが、表現としてはいかがなものかと思いつつもお礼を伝えた。
その後の閉会式では、各種目の順位が発表された。聞いてる限りでは多田のクラスと競り合っているように感じていた。配点基準は不明なのだが、順位を聞いている限りでは並んでいるような気がしていた。どちらが抜けても差は僅かなはずだ。妙な緊張感の中、校長先生が口を開いた。
そして歓喜に湧き上がったのは自分のクラスだった。両手を上げる男子、悲鳴を上げて友人と抱き合うように喜ぶ女子、体育座りで膝と膝の間に顔を埋めてにやける自分。素直に喜びたいのだが染み付いた癖、いや個性は抜けない。
「では代表者は前へお願いします」
そのまま膝に顔を埋めたまま硬直した。平良、城島、本田、誰でも良い。君達が行くべきだと膝に向かって呟いた。
「泣くなよ渡部ー!」
どっと笑いが起きる。何がどうなっているのか頭が追いつかないが、すぐにこの姿勢が悪い事に気が付き慌てて頭を起こそうとするが、それはそれで前に出る事になりかねないため、このままいるしかなくなってしまった。笑い声が伝染していく様子が耳で感じ取れる。恥ずかしさで顔が余計に上げられない状況に陥っていた。しかしいよいよ顔を上げようかと思った時、頭を誰かに鷲掴みにされた。
「泣くなよ渡部ー!」
この声は本田だ。
「泣いてないよ」と顔を上げようとしたが、予想以上に本田が頭を揺すっていたため、膝に鼻がぶつかった。鼻がひりつき、まるで山葵を食べた時のような鼻を通る痛みに涙が溢れる。
「泣いてたー!」
本田が手を叩いて笑う。
「ちがっ鼻が」
もはや弁解不可能であった。しかも結局前に出る事になり、もう何もかも諦めて流れに身を任せる事が一番であるとこの時教訓として頭に刻まれた。
「よくこの上で会いますね」
校長先生が言う通り、確かに三度目の壇上だ。
「涙を流すほど、クラスの栄光を喜べる素晴らしい代表者です」
ある意味涙が出てきそうだったが、褒められているのは事実なため、このまま受け入れる事にし、小さく頷いておいた。両手で賞状を受け取り、全校生徒の方へ振り返りすぐに頭を下げる。気を紛らすように頭を下げた秒数を声には出さずに数えて、五秒後に頭を上げた。鳴り響く拍手の音、歓喜に沸く自分のクラス。その光景を見た時、自分は不思議な気持ちになった。初めて見る光景、しかも自分が代表者として見る光景であり、自分のクラスが歓喜している特別な景色に、心のどこかで「見たかった、味わいたかった」という願望がまるで随分と前からあったかのような感覚だった。身に覚えは全く無いのだから不思議で仕方がなかった。もしかしたらこんな青春ができたら、なんて密かな想いが自分にあったという事なのだろうか。
子犬を抱くように両腕で慎重に賞状を抱えながら壇上から降りてもなお、この不思議な感情が頭を駆け巡った。
「こーちゃんおめでとう」
太一がそっと声をかけてきた。
「いや、お前もな」
太一は首を振った。ふと見ると俊哉も無表情でとりあえず拍手している、といった感じだった。前は自分もああだったんだろうなと、この時少しだけ、俊哉と太一が対極に感じた。自分も先程まで膝に顔を伏せて誤魔化していたのに、何故かそう感じてしまった。
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