第2話

冬休み後半は早速、おみくじが仕事をしてくれた。愛用の自転車が盗難にあった。現場はゲームセンターだった。クレーンゲームでお年玉をやや消化して、景品を持ち意気揚々と店を出て愕然とした。

意味もなくまた店に入りすぐに店を出る、というやり直しをしてもやはりそこに自転車は無かった。更に防犯カメラにも移らない死角に停められた自転車が餌食となった。そもそもその店の防犯カメラの視野の狭さやいかに、と責めたいところだがこれには諦めるしか方法がなく、一応警察を入れてはみたが若いお巡りさんは「新年早々についてないねー」と、おみくじの結果の答え合わせをしてくれた。


「ついてない」がたまたまであれば良いが、あと残りの今年の日々がずっと「ついてない」では困る。なんといってもまだ一月なのだから。移動手段を手始めに失くすとはこの先が楽しみでならない。神はどんな不幸を用意しているのだろうか。

盗まれた自転車に轢かれるようなとんでもない展開も予想しておいた方が正解かもしれない。


徒歩で三十分ほどの距離に自宅があるので、まあ三十分くらいならと無理矢理前向きになったまでは良かったのだが、真冬の寒さに吐く息が白く虚しく消えていった。

なるべく近い道を通って自宅へ向かいたいため、知ってる限りの裏道を駆使して進んでいく途中、まるで用意されていたかのような、でもなかなか見れない直面しない出来事が起きていた。


「離してぇ!」

数十メートル先でそう叫ぶ中年の女性が必死に両手で守っているのはブランド物のバッグだ。老若男女に人気があり、さすがにブランドに疎い自分ですら知っている世界的なブランドだ。

そんな高級なバッグをまるでラグビーの試合のように奪いにかかる男性はニット帽にマスク、極め付けにサングラスの完全に初見でどちらがどちらのバッグを奪おうとしているかはっきり理解できる見た目をしていた。

体格も良く女性が半分引きずられるようになっていて、時間の問題であった。


すぐさま逃げ出したくなった。できれば見なかった事にしたい。もちろんそんな事はしたくない。果敢に助けに向かい、犯人を撃退して女性を助ける。撃退できなくても犯人を諦めさせる事もできるかもしれない。でも自分には絶対にできない自信があった。この全身の震えは寒さではなく恐怖からだ。全身で立ち向かうという手段を気持ちが潰しにかかっているようだ。

それでも立ち去らないのは「人として」という多少なりのプライドだからだ。ただ身体が硬直しているのが実際の理由でもある。


どうする?どうする?ひたすら頭の中にはそれだけが駆け回っている。その前に何ができる?

ますます複雑にかつシンプルに、頭の中でどうする?何ができる?が入り乱れていた。


警察を呼ぼうとポケットのスマートフォンを掴むが、その間に逃げられたら?最悪な事が起きたら?ともう一人の自分の声が頭の中で問いかけてくる。頭の中で飛び交う言葉の中に一つ抜けて聞こえた言葉があった。もう一度その言葉を探す。


どうする?何ができる?怖い!警察を呼ぶ?間に合う?踏み出す!スマートフォンを手に!逃げて誰か呼ぶ?


あのおみくじが無ければまず浮かばなかった言葉が頭の中にあった。


「踏み出す!」

その言葉が頭の中から口を経由して外に出てしまった。

それと同時に女性とバッグを奪おうとしている男の動きが止まりこちらを見ていた。当然の結果だ。


少し希望を見つけたような顔を見せる女性と、一瞬歪んだが俺の外見を見て怯む必要なしと判断したように眉間にしわを寄せる男。正直、怯む必要は無いが眉間にしわを寄せるのは勘弁してほしかった。身体がますます強張ってしまったからだ。


「おい何だガキ!消えろ!」

消えたいですよ!と返したかった。完全にどうして良いかわからず身体は震えて口の中は渇いていた。男が前のめりになったところで咄嗟にポケットの中のスマートフォンを取り出してダイヤルの画面を開いた。スムーズに操作できた事にかなり驚いたが余計に男を刺激したため、緊張感は高まった。


「け、警察を呼ぶ、呼びまあす!」

敬語に言い換えたのは無意識に男を少しでも気分良くさせようという何の意味も無いただの弱さだ。しかしこれには男も少しばかり効いているように見えた。


「やってみろ!」

「うぇ?いや、いや」

これまたスムーズにダイヤルが百十番へと入力される。まるで誰かが操ってくれているように指が番号を入力した。たった三桁なのだが。


「おら!」と大きな声で男は女性からバッグを奪い、あろう事か俺に向かって走ってきた。女性は倒れている。俺は一瞬で横に飛び道を譲る形になった。男は少し笑いながら腰が引けている俺が作り出した逃走経路を走る。

やがて自分の目の前を通過する時、また真っ白な自分の頭の中に一つの言葉が浮かんだ。ぎゅっと目を瞑り、震えている足に力を入れて、砕けた腰をそのままに低い姿勢を保ち、頭に浮かんだ言葉をそのまま叫んだ。


「踏み出す!」


両腕を交差して、まるで特撮ヒーローの技のように自分の前を男が通過するタイミングで思いきり男に横から体当たりをした。鈍い音と共に、男が看板に突っ込みながら倒れ込む音が自分の耳に届いた。

完全に意表を突いた一撃になった。

とりあえず落ちたカバンを掴み、そのまま四足歩行で犬のように女性の元に向かった。


「てめー!」

四足歩行で走る自分の後ろで怒り狂った男の大声に急いで振り返り、奇跡的に先ほどの反動でスマートフォンの画面にある発信ボタンに指が触れたようで、警察に電話がかかっている事に気付いた。手元のスマートフォンから「どうしましたか!」という声が聞こえていた。


「もしもし!来てください!ひったくり!犯人います!」と焦りながらも意味はわかるような伝え方をしたところで、男は「くそ!」と叫びながら逃げて行った。できれば恨みを持たず自分の事は忘れてほしいと祈った。


警察とのやり取りは女性に変わってもらい、その間に今起きた事、自分がやった事が現実なのかと冷静に振り返った後、警察と話し終えた女性に御礼を言われた。一度は逃げようとした身で、逆に申し訳ないと思いつつ、こんな感謝された事はあったか、と思い記憶を探るが全く出てこなかった。


「本当にありがとうね。大事な物が入ってるのよ。これから警察も来るから。」

もしかしたら自転車が盗まれた時に対処してくれたお巡りさんが来るかもと思うと今すぐ立ち去りたくなった。また君か、と思われるのが気がひけるのと、恐怖から解き放たれてもう家に帰りたいという気持ちがあった。


「あの、僕、帰ります!」

「え、いや御礼もちゃんとしてないし、警察の人来るから‥」

「いや!すみません帰ります!大したことしてないですから」


女性は首を横に振り、両手で自分に握手を求めてきた。自分は「ああ‥」と困惑しながらも握手に応じた。


「あなた勇気ある人よ。本当にありがとうね。高校生?お名前は?」

「え、わ、渡部です‥」と言うと女性はにっこりと笑い、握手している手を縦に振った。


「ありがとう渡部くん。」

自分は焦点が定まらないほど照れてしまった。目は泳ぎに泳いだ。不慣れな事が短時間でどれだけ続いたことか。困惑とはまさに今の状況だ。


結局自分は警察が来る前にその場を後にした。もちろん帰り道はあの男が報復しに来ないか、仲間を引き連れて自分を探すんじゃないかと、びくびくしながら自宅に着き、自転車が盗まれた事はすぐに親には言わず、二階の自分の部屋で本当に一瞬で眠りについた。

自分の冬休み史上、最も思い出深くなるであろう日になった。

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