第123話「名前を持たない姫君は、自分を『女の子』にして欲しかった」
「わたくしは自分の名前を知らない。父がくれた名前があったそうですけど、母は一度もその名前で呼ばなかったから」
カトラスさんの顔をした少女は、床に座ったまま、僕を見つめていた。
全裸で。
「話の前に、服を着てくれないかな」
僕がそう言うと、彼女は自分の身体のかたちを確かめるように、腕を上げて、胸を見て、それから僕に視線を移して、ゆっくりと首を横に振り──
「無理」
「なんで!?」
「わたくしは、カトラスが『女の子』を強く意識したときに現れる人格ですもの。男の子の服を着たら、心の底に隠れちゃうの」
……そんな「なにゆってるのこの人」って顔されても。
まぁ、本人が気にしてないなら、いいか。
正座してるからいろいろな部分が隠れてるし、胸はほとんどないし、魔剣状態のレギィが僕の後ろで『ひゃっほー』って揺れてるし──。
「いや、やっぱり落ち着かないから」
「しょうがないですわね」
カトラスさんの顔をした少女は立ち上がり、ベッドの上に置いてあった布を、胸と腰に巻き付けた。
すっごい適当だった。
「これでいいでしょう? では、話を聞いてください」
「……わかったよ」
僕たちは宿の床に正座して向かい合う。
彼女の見た目はカトラスさんと変わらない。ただ、目つきが少し鋭い。
「まずは話を聞いていただく報酬として──これを差し上げます」
少女は僕に、手のひらに乗せたものを差し出した。
2枚の『王家のコイン』(片方はレプリカ)だった。
「いらねぇよ!」
「闇市で売れば、数千アルシャになると思いますけど」
「リスクが大きすぎる。王家に知られたら
「ならば、忠誠を」
すぅ、と、カトラスさんの顔をした少女は、僕の前に膝をついた。
「この『名もなき王家の者』は、あなたのために一度だけすべてを捧げることを『契約』いたしましょう」
少女はすがるような目で、僕を見てる。
そこまで信頼されるようなこと、した覚えないんだけどな。
「……とりあえずはお礼とかいいから。話を聞くだからさ」
「ありがとうございます。あるじどの」
少女は床に座り直し、ついでにお腹までずり落ちた布を直して、僕を見た。
「お話しするのは、わたくしの生い立ちと、王家のこと」
そして、彼女は話し始めた。
「うっかり夢を見てしまった母と、それに振り回された子どもの話です──」
わたくしのことはを知るのは、騎士の父と母、それと王様と少数の側近だけ。
騎士だった父は一度だけ会いに来て、わたくしに名前と『王家のコイン』を授けて立ち去りました。
……ええ、もちろん本当の父ではありません。
わたくしの父は国王リカルド=リーグナダル。王都にいる方です。
母はそのことを詳しくは語らなかった。
語ったのは、母が陛下に一度だけ
そのせいでお仕えしていた方に嫉妬されて、いやがらせを受けたこと。
国王がやっかい払いをするために、若い騎士に母を譲り渡したこと。若い騎士は命令を拒めず、だけど婚約者がいる身だったので母を妻にするわけにもいかず……結局、西の村に家を与えて放り出したこと。
母は、自分が国王の妻になれると思っていたようですね。
一度でも愛されたのだから、側室の一人ぐらいにはなれるんじゃないかな、って。
まー。王都に出てきたばっかりの田舎娘が考えそうなことですね。
常識的に考えればわかるでしょう?
権力と陰謀でぐちゃぐちゃの王家で、そんなことあるわけないって。
だけど、願いが叶わなかったことで母は精神のバランスを崩し、おかしなことを考えるようになりました。
それがカトラスを騎士にすること。
騎士にして、貴族に仕えさせて、出世させる。
そして自分に楽な生活をさせてもらう。母はカトラスに、そう言い続けてきたのです。
え? 無理がある? いずれ女の子だってばれる?
そうですね。ばれるでしょうし、『王家のコイン』のことも知られるでしょう。
そうしたらどうなると思いますか?
……貴族は、カトラスを利用しようと考えるはず?
はい。正解です。
なんたって、誰にも知られていなかった国王の娘です。利用価値はいくらでもあります。
貴族をうしろだてにすれば、王家もカトラスの存在を認めざるを得なくなります。
そして、母は国王の子どもを立派に育てた女性として、皆に褒め称えられるでしょう……。それが母の願い──
まったく。脳みそお花畑な田舎娘の考えそうなことですねっ!
はい。あるじどのの言う通り、そんな上手く行くわけがないじゃないですか。暗殺されるか、幽閉されるか、外交の道具に使われるか、それくらいでしょう。
え? 万が一成功したとして、カトラスさんの自由意志は、ですか?
……あるじどのって、いい人ですね。
でも、わかっていませんね。一人娘を『りっぱなおとこのこ』として育てるようなぶっこわれた女性が、我が子の立場なんて考えるわけがないじゃないですか。ほんっと、あるじどのは甘いですよ? そんなことじゃ、王家と対等にわたりあえませんよ?
……わたりあうつもりはない、ですか。そうですか。
あるじどのなら、カトラスの幸せを考えた上で利用してくれると思ったんですけど。
ちぇっ。
え? なんですか、あるじどの。
そもそも、どうしてカトラスは、自分が女の子だって気づかないのか、ですか?
ひとつは、カトラスが男の子と女の子の違いを、全く知らないからです。
ちなみに騎士のスキルは、村にいた目の不自由な老騎士に教わりました。カトラスが関わった相手って、母親とその老人くらいです。
友達?
なーにをおっしゃいますかあるじどの。いるわけないでしょう?
母は村の子どもたちを見かけるたび、小声で「お前は騎士になるのです。
え? そんな教育方針なのに、カトラスはすごく良い子に育ってる?
でしょう!?
そうですよね! カトラス、すごい良い子ですよね!?
素直で可愛く、正義感にあふれた、わたくしの自慢の自分です……って、言葉がおかしいですね。
話を戻します。
この「カトラス」という名前は母がつけたもの。最初にいた村からは引っ越して、つてをたどって別の村に移り住んでいます。騎士の父は、探しに来ませんでした。興味がなかったみたいですね。
騎士の父が今のカトラスを見ても、自分が捨てた娘だとは気づかないでしょうね。
ハイスペック・スリ軍団が『王家のコイン』を持つ少女を捜していた理由、ですか?
……おそらく、なにかの理由で、騎士の父が娘のことを思い出したのじゃないでしょうか。
だから、所在を確かめるために村に行った。
けれど、そこに母もカトラスもいなかった。近くの町や村で『王家のコイン』を持つ者を探していたのでしょう。
わたくし?
わたくしは、カトラスが『自分が女の子』だと気づかないようにするためのもの。
カトラスが……自分が女の子だって気づきそうになると、わたくしが現れてフォローします。だから「お前は女の子だよ」と言っても、カトラスには届かないのです。わたくしが、出てきちゃうから。
その間のカトラスの記憶は、適当にごまかされてるみたいですよ?
……いえいえ、別にわたくしはそれを苦労だとか、不幸だとか思ってはいません。
カトラスのことは、大好きですから。
いい子ですよねー。素直で、前向きで。
ぜひともいいあるじをみつけて欲しいですね。優しくて、親切で、でも不器用で、いつの間にか信頼してしまう。そんなあるじを──優しくて、親切で──え? どうして2度言うのかって? 大事なことだからですよ。いえいえ、心当たりがなければ別にいいのですけどねー。べーつーにー。
というわけで、カトラスは王家の、失われた姫君でしたー。ぱちぱちぱち。
話はここでおしまいです。
ご
想像以上に、重かった。
というか、カトラスさんの母親のぶっこわれ具合が半端なかった。
その人……自分の子どもを使って、王家に八つ当たりしようとしてるんじゃないか……?
「カトラスさんの正体はわかった」
「はい」
「それで、これからどうするんだ?」
「どうもしませんよ」
少女は首を横に振った。
「カトラスは母の『騎士に就職して、私に楽をさせて』という言葉に、今もとらわれています。このまま王都に行って、騎士を目指して……たぶん、落ちたら村に戻って、受かるまで毎年受験を続けるでしょうね」
「受かったら?」
「騎士になり、正体がばれて、政治の道具にされるでしょう。まぁ、カトラスに姫がつとまるとは思えませんけどね」
だよね。
ずっと『りっぱなおとこのこ』として育てられてきたんだから。
「それを防ぐには、カトラスに騎士を諦めさせるしかありません。正体がばれないうちに、このまま名前を変え、姿も変えて、ひっそりと隠れて暮らすしか」
「でも、カトラスさんはそれを受け入れない?」
「騎士になるという生き方しか教えられていませんから」
今のところ、カトラス=ミュートランのことは王家もスリ軍団も知らない。
名前も住む場所も変えてるなら、今まで放置してた王家がカトラスさんを見つけだすのは難しい。
けど、カトラスさんがこのまま騎士になるなら話は別だ。
騎士として貴族に仕えはじめたら、女の子だってことはいつかばれる。
しかもカトラスさん不注意だから『王家のコイン』だって見つかる可能性が高い。
で、貴族に仕えている状態で出自がばれたら──政治の道具にされる。するだろうな……あの人たち、利用できるものは竜だろうが聖女の遺産だろうが、なんでも欲しがるし。
「カトラスさんは騎士になりたいだけ、だよね」
「そうですね。あの性格ですから、本気で正義のために戦うつもりでいます」
「で、君はそれを止めたい」
「いえいえ」
「は?」
「別にカトラス自身が選んだ道なら、わたくしは別に文句はありませんよ?」
「そうなの?」
「カトラス自身が選んだ道なら、です」
少女は寂しそうに目を伏せた。
「カトラスがちゃんと、自分が女の子だってことを知って、王家の人間だってことも自覚して、その上で騎士の道を選ぶなら、わたくしはなにも文句は言いません」
「だけど、今のカトラスさんは、なにも知らない」
「ええ、あの子は死んだ母の指示のままに動いているだけです。他の生き方があるなんて想像もしてない。大きくなったら就職、騎士、そして生涯主君に仕える。その生き方しか知らないんです」
「……不器用すぎるよな」
「そう思いますよね? そこで、あるじどのにお願いがあります」
少女はきっ、と、僕を見つめた。
「聞いていただけますか」
「いいよ」
カトラスさんの境遇には同情する。
生まれたときに、父親から捨てられて、母親には本当の自分がわからないように育てられて、今も、自分が誰なのかを知らない。
カトラスさんがこれから進もうとしてる道はかなりやばい。というか、はっきり言って地雷原だ。その前に自分の正体とか適性に気づいて、進路を考え直すのはいいと思う。
それを勧めてるのは別人格だけど、カトラスさん本人なんだから。
「じゃあ、言ってみて」
僕が言うと、少女はすぅ、と息を吸い込んで──
真っ赤な顔で、まっすぐにこっちを見て、宣言した。
「カトラスを女にしてあげてください!」
『よしきた!』
「さすがあるじどの! 話が早い! でも……なんだか声が裏返っていませんでしたか? それに、どうして背中の剣を窓から捨てようとしているのですか?」
「いまきこえたのはげんちょうです」
「
「僕の方も、後ろで暴れてる剣がうるさくて、よく聞こえなかった」
僕は暴れる魔剣を膝の上に押しつけて、座り直した。
「もう一度お願い」
「カトラスを、
今度は省略せずに、少女は言った。
そういうことか。
「カトラスさんに自分の正体を自覚させる、ってこと?」
「はい。自分の正体に気づけば、本当に騎士になるのがいいのか、それとも別の道を選べばいいのか、自分で選べるようになるはずです」
「どうして僕に?」
「それはあるじどのが、はじめてカトラスが隙を見せた相手だからです」
少女は言った。
「今までカトラスは身体を清めているとき、人を近づけたりすることはなかった。そういうことはしてはいけないと、母がきつく言い聞かせていたから。
でも、カトラスはあなたを部屋に入れた。あなたを信頼していい方だと思ってるのです。わたくしはカトラスの判断を信じたい。だから、あなたにお願いしたいのです」
「具体的には?」
「カトラスに、女の子の楽しさを教えてあげてください」
「かわいい服を着せたり、一緒に歩いたり、遊びに行ったり?」
「そんな感じです。ただし」
少女は真剣な顔で、僕を見た。
「わたくしが、出てこない程度に」
「すっごい難しいな」
「女の子として扱われることで、カトラスは正体に気づくかもしれない。わたくしがカトラスの分身であるように、カトラスもわたくしの分身です。好みは同じ。かわいいものや、おいしいもの──気に入った方と一緒に歩くことを望んでいるはずなのです」
ただし、期限は半日。
午後になったら、カトラスさんはキャラバンと一緒に、次の町に向かって出発する。
自分の正体を知らないまま、騎士になるために。
「難しいクエストだというのはわかっています。だから、報酬はわたくしの中にある、このスキルを使う権利で」
少女は自分の胸に手を当て、自分のスキルについて語り始めた。
『
最も古い時代に作られたアーティファクトを扱うことができる。
また、そこに刻まれた文字を読み取ることも可能。
王家や高位の貴族の血を引く者に、ときどき発現するスキル。
「これを自由に扱う権利を差し上げます。カトラスはこのスキルを認識できないので、わたくしがいるとき限定になりますけれど……好きにお使い下さい」
「その報酬は保留で」
「どうして?」
「今のところ使い道ないし……報酬が釣り合わない」
クエストはカトラスさんと歩いて、遊ぶだけだ。
もちろん、『神代器物適性』には興味がある。王家と高位の貴族限定スキルなら、別世界への門を開くのにも使えるかもしれない。けど、今のところは必要ないし、そんなアーティファクトのあてもないからね。
「報酬は……そうだな。命名権でいいよ」
「命名権?」
元の世界だとよくあるよね。
スタジアムとか、建物とかに名前をつける権利。
「僕が、あなたを好きな名前で呼ぶ権利。名前がないのは不便だろ」
「……あるじどのは、不思議なことを考えるんですね」
「カトラスさんの母親は、あなたをなんて呼んでた?」
「母は少女のわたくしを嫌い、基本的にはいないものと扱っていました。だから、呼ぶときは『
カトラスさんの母さんは殴ってもいいと思う。
「わかった。いい名前を考えとく」
「はい、あるじどの。カトラスのことを、よろしくお願いいたしますね……」
それから彼女は服を着て、目を閉じて、開いて、まばたきをして──
「あれ? あるじどの。いつの間に?」
カトラスさんに、戻ってた。
よく見ると、瞳の色が微妙に違う。さっきの少女は赤紫だったけど、カトラスさんの瞳は深い青だ。ほんとに、間近で見ないとわからないくらいの違いだけど。
魔法の世界だからね。人格が変わると、目の色も微妙に変化するのか。
「いや、失礼したであります!」
カトラスさんは僕に向かって、深々と頭を下げた。
「旅の疲れからか、うとうとしてしまったようであります。それと……ボクはいつの間に服を着たのでありますか? ああ、あるじどのが着替えさせてくださったのですな?」
なるほど。
カトラスさんの記憶は、こうしてフォローされてるのか。
僕はカトラスさんに服を着せて、その間、カトラスさんは旅の疲れで眠っていたことになってるらしい。
「ところで、僕はカトラスさんにお願いがあるんだけど」
「はい、なんなりとおっしゃってくださいであります!」
カトラスさんは、ぽこん、と胸をたたいた。
「あるじどのには助けられたご恩があります。また、こうして『受験票』を届けていただきました。ボクにできることであればなんでもするのであります!」
「明日、半日、僕につきあってくれないかな」
僕は言った。
「次の町までは半日あれば着けるだろ? ちょっと町を案内してあげたいんだ。この町の観光名所とかあるし。カトラスさんにも、見せたいものもあるし」
「それはよいのでありますが。あるじどのの予定はいいのでありますか?」
「別にそれくらいは大丈夫。うんうん」
「よろこんでおつきあいするでありますよ!」
カトラスさんはちっちゃな拳を、天井に向かって突き上げた。
「あるじどののお誘いをお断りするなどありえないのであります。ちょうど、約束したキャラバンが午後出発でありますからな!」
「よかった」
「それはこっちのセリフであります。ボクはあるじどのと出会えて、本当によかったのです。もしも騎士になれなかったとしても、この出会いだけで満足でありますよ」
「そっか。それなら……」
「もちろん、騎士になるのを諦めるつもりはないのでありますが!」
ですよねー。
カトラスさんの『騎士志願』が母親に植え付けられたものだとしても、正義のために戦いたいって気持ちは、カトラスさんのものだ。それを止めることはできない。
「それにしても……あるじどのには見苦しい姿をお見せしました。着替えさせていただくなと、いまさら恥ずかしくなってきたでありますよ」
「別にいいよ。それは」
「でも、あるじどのでよかったであります。もしも女性を部屋に入れていたら、大変なことになるところでありました」
「大変なこと?」
「はい。母が言ったのであります。『カトラスよ、お前は初めて裸を見せた異性のあるじに、身も心も捧げてお仕えするのですよ』と。
でも、あるじどのなら男の子同士ですから問題はないですな!」
……おい。
カトラスさんのお母さん。あんたは子どもになにを命じてるんだ。
「もちろん、ボクは母の命に従うつもりで──あれ? あるじどの、もうお帰りですか? はい。明日は楽しみにしております。いや、どきどきして眠れそうにないでありますな。
おやすみなさい、ボクのあるじどの」
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