第52話「番外編その3『リタの願いと「奴隷召喚(サモニング・スレイブ)」(後編)」

「あのね……セシルちゃん。ラフィリアも、聞いて」


 リタは、すーは、すーはって深呼吸。


 恥ずかしくって、心臓が止まりそう。


 それでもできるだけ落ち着いた声でリタは、セシルとラフィリアに向かって告げる。


「同じ家にいるのに、ナギがわざわざ『奴隷召喚サモニングスレイブ』なんか使うわけないじゃない」


「そうとは限りませんよ、リタさん」


 でも、セシルは納得してくれない。


 肩を揺らして、足踏みして、今にもナギのところへ走り出しそう。もしもナギが呼んでたら──って、気が気じゃないんだろうなぁ。


 すっごくよくわかる。だってさっきまでの自分だもん。


「緊急の用事とか、もしかしたらスキルの実験とか、そういう可能性だってあるじゃないですか」


「緊急の用事だったら声で呼ぶでしょ。スキルの実験だったら、ナギのことだから前もって言ってくれるわよ」


「でも、だったらどうして、こんなにナギさまのことばっかり考えちゃうんですか?」


 セシルは不思議そうに首をかしげた。無邪気な顔。


「服を見ればナギさまが似合うって言ってくれるかどうか気になります。指輪を見れば、ナギさまとおそろいだといいなあ、って思っちゃいます。朝の残りのハムを見れば、ナギさまがデンガラドンイノシシの肉がお好きで──」


「──────っ!」


 リタの顔が真っ赤になった。なにそのさっき誰かさんの頭の中をぐるぐる回ってたようなセリフ。恥ずかしい……こんな恥ずかしいこと考えてたの私!?


 今すぐ頭を抱えてごろごろ転がりたい。


 セシルの症状の原因が、リタにはわかる。すっごくわかる。だけど恥ずかしくて口に出せない。


 ラフィリアはエルフ耳をぴくぴくさせて、リタとセシルのやりとりを見てる。奴隷の後輩のラフィリアの前では、ちょっとだけかっこつけたい。それにふたりがいつまでも『奴隷召喚』のことを気にしてるのも大変だし。


「セ、セシルちゃんもラフィリアも、ナギの話を聞いてなかったの? 『奴隷召喚サモニング・スレイブLV1』の効果をちゃんと教えてくれたでしょ?






奴隷召喚サモニング・スレイブLV1』



 任意の奴隷どれい1人を、主人のところに呼び寄せることができる。


 召喚された奴隷は主人の座標を正確に把握し、「どんな状況であっても」いちもくさんに主人のところにやってくる。そのため、使い方には注意が必要。


 なお、召喚された奴隷は、しばらく主人の側を離れることができない。


 使用回数は1日1回まで。






 ──って。呼び出せる奴隷は1人なの! セシルちゃんとラフィリアが同時に反応するなんてことはありえないのっ! わかったっ!?」


「──はっ!」「そ、そうですぅ!」


 リタの言葉に、セシルとラフィリアが目を見開く。


 よかった……なんとかごまかせたみたい。


「まったく、セシルちゃんもラフィリアも、先走りすぎなんだから」


 リタはおっきな胸を張って、はぁ、とため息をついた。


「ごめんなさい」「反省するですぅ」


「そ、外にいる奴隷だったらそういう勘違いするかもしれないけどねっ。同じ家にいるひとをナギがスキルで呼びつけたりしないから。そ、外にいる奴隷ならそういう勘違いをしても仕方ないかもしれないけどねっ。外にいる奴隷ならねっ」


「なんで繰り返すんですか?」


「えっと、そのあの…………そうだ! ア、アイネはどう思う? ねぇ、アイネ!」


「アイネさんならさっきお洗濯の準備に行きましたよ?」


「ひどいよアイネっ!」


 そういえばいつの間にか背中が軽くなってた。


 不思議そうに見つめるふたりの奴隷仲間の視線に、リタの額に汗が伝う。


「でも、さすがリタさんです。ナギさまのことをよくわかってます」


「ま、まぁね」


「わたし、恥ずかしいです。先走ってナギさまのところへ突進しちゃうところでした。リタさんがいなかったら大変なことになるところでした」


「気にすることないんじゃないかな、うん」


「えへへ、リタさんのそういう優しいところ、わたしは大好きです」


 ──わぅううううううう…………。


 まっすぐ過ぎるセシルの視線に、リタは思わず土下座しそうになる。


 なんであんな見栄はっちゃったんだろう。一緒にナギの部屋に突進すればよかったよぅ……。


 金色の尻尾を、くにゃん、と垂らして、リタは2階をあおぎ見る。


 ラフィリアもさっきから階段下で、お座りポーズのまま。


 セシルはそんなふたりを見比べながら、


「じゃあ、リタさん。ナギさまに『奴隷召喚LV1』を使っていただけるようにお願いしてくれませんか?」


 リタに向かって、ぺこり、と頭を下げた。


「このままだと、みなさん落ち着かないです。一度ナギさまにスキルを使っていただいて『召喚ってこういうものなんだ』ってわかっておいた方がいいと思うんです。そうすれば、本当に召喚されてるのか、ナギさまのことが好きだから気になってるだけなのか、わかりますから」


 なるほど。


 リタはうなずいた。さすがセシルちゃん。ナギの『魂約者』


 確かにそうだ。このままだとリタも「呼ばれたのかなー。呼ばれてないのかなー」って落ち着かないし、さっきから無意識に尻尾を振りぱなしだし。


 このままもやもやしてるのも、落ち着かない。


 ここは一回ナギにしてもらって、すっきりした方がいいのかも。


「でも、なんで私なの?」


「それはリタさんが、一番ナギさまのお役に立っているからです!」


 びしり


 セシルの可愛らしい手が、リタの胸元を指さした。


 その後ろではラフィリアが、わんこのポーズのままうなずいてる。


「リタさんは接近戦のプロです。つねにナギさまの側にあり、お守りしつづけてます。その戦闘力があるから、ナギさまだって安心してお仕事ができるんです!」


「あたしも助けていただきました! 黒い鎧を一蹴したあの勇姿は目に焼きついているです!」


「それだけじゃないですよ! 黒い翼の偽魔族だってあっという間に叩きのめしてましたから!」


「すごいのです! まさに『金色の獣は闇を裂き、その拳は悪を討つ。瞳は正しき意志に燃え、姿はまさに美の結晶。女神のごとき白磁の腕にいだきしは、主人への愛と忠誠の魂。ああ、美しき獣リタ=メルフェウス。汝の心を射止めたあるじの幸運を我は祝福せん』──ですぅ!」


「わかったから、ナギのところ行ってくるからーっ」


 リタは顔を頭をかかえてうずくまる。


 精神攻撃だった。


 クリティカルだった。


 拍手してるセシルと、おっきな胸を張ってるラフィリアを見るのが痛かった。だって、ふたりとも完全に本気でほめてるんだもん。


「あーもーっ! 行ってくるから! ふたりともここで待ってなさい」


「はーい」「わかったのです」


 考えてみればナギはこれからイリス=ハフェウメアを訪ねることになってるわけで、そろそろ準備をした方がいい。ナギのことだから忘れてるとは思えないけど、疲れて寝てる可能性はある。それなら『気配察知』スキルを持ってるリタが様子を見にいくのが一番だ。ドア越しにでも、ナギが起きてるかどうかくらいは確認できる。


 獣人特有のしなやかな動きで足音を消して、リタは階段を上っていく。


 ナギの部屋は2階の一番奥で、一番日当たりのいい部屋。


 リタは聞き耳を立てながら進んでいく。ナギの声も、物音も聞こえない。


 一歩進むたびに、なんだか不安になっていく。ナギってば、具合でも悪いのかな。長旅で体調を崩したのかな──って。


 リタのご主人様は働き者だ。昨日だって、昼間はエルダースライム対策にかかりっきりで、夜はラフィリアを救うために遅くまで『再構築』──って考えたところで、顔が赤くなる。ナギのそういうの、順番ってあるのかな。自分はしてもらったばっかりだから、ずっと先かな。それまでナギと『魂約エンゲージ』できないのかな……。


 そんなことを考えながら、リタは一番奥の部屋の前で立ち止まる。


 物音はしない。なにしてるのかな。寝てるのかな。


 ご主人様には悪いけど、みんな心配してるから……そう言い訳して、リタは『気配察知』スキルを発動。


 そしてやっと、部屋の中で起こってることに気がついた。


「……ナギ、寝てるの?」


 リタはそっと、ドアをノックした。


 返事はない。


 もうすぐイリスの家に行く時間。『あぽいんとめんと?』は取ったらしいから、遅刻させるわけにはいかない。


 もう一回、ちょっと強めにノック。やっぱり返事はない。


 けど……代わりにドアが開いていく。え、なんで? ナギってば、ドアをちゃんと閉めてなかったの!?


 部屋の中から潮風が流れ出てくる。


 どうしようどうしよう──って、見つめるリタの前で、ドアは勝手に開いていく。


 部屋の中が見えた。窓際で、カーテンが揺れてる。リタのご主人様がいるのは、その横、ベッドの上。手足を伸ばして、横になってる──眠ってる。


「ナギ……ご主人様……そろそろ起きないと」


 リタは、自分でも聞こえないくらいの声でささやいた。


 だって、ナギってば、気持ちよさそうに寝てるんだもん。


 着替えの途中だったのかな。上半身は下着姿で、ズボンだけきっちり穿いている。大の字になってるから、右腕がベッドからはみ出してる。安らかな寝息。やっぱり、疲れてるのかな。


「……ご主人様…………私を『奴隷召喚』で……呼びましたか……?」


 つぶやいて、リタはゆっくりと部屋の中に入っていく。


 ナギの唇が動いたように見えたから。


 ご主人様の返事を、聞き逃すわけにはいかないから。


 早くなる鼓動と、呼吸を抑えながらベッドの側まで進んで、ナギの横でひざまずく。


 耳をすます。ナギの寝息が聞こえる。


 呼吸をする。ナギのにおいを感じる。


 目をこらすと、すぐそこにはご主人様の寝顔。息が触れ合うくらいの距離。


 ぱたぱた


 カーテンが揺れてる。


 ぱたぱた


 リタの尻尾が、揺れてる。


 どうしよう。動けない。


 ナギの隣に座ったまま、リタは魅入られたみたいに身動きできない。


「……ずるいなぁ、ナギってば」


『奴隷召喚LV1』を使っても使わなくても、なんにも変わらない。リタはいつの間にか、ナギの隣に来てしまう。


 すぐそばにある、ご主人様の横顔。


 リタの一番大切な人が、自分の隣で安らいでくれている、温かさ。


 それが胸の深いところまでしみこんで、リタは泣きたいくらいうれしくなる。


 どうしよう。どうしたらいいんだろう。この気持ち。


 なにかしないと破裂しそう。


 どうしよう……どうしよう……どうしたら、いいのかな。


「……ご主人様」


 気がつくと、リタはナギの右手を、両手で捧げ持っていた。


 ほら、右腕だけ、ベッドからはみ出てるし。


 このままにしておいて、しびれて、起きた時に剣が持てなかったら大変でしょ?


 それに……アイネにも、練習しておくように言われたから──




 ──『魂約エンゲージ』を。




 だから──


 ふわり


 リタはナギの右手を、自分の胸に押し当てた。


 とくん、と、深いところで音がする。優しい熱が、リタの胸を満たしていく。スキルを『再構築』してもらう時とはちょっと違う。当たり前な感じ。とっても自然。ナギと当たり前みたいに繋がってて、当たり前みたいに、リタのそばにナギがいる。


 もちろん……気持ちいいんだけど……それはそれ。


「ごめんなさい、ご主人様。おしおきは受けますから、ちょっとだけ練習させてください──」


 誓いの言葉なんか、考えなくていい。


 そんなもの、心の深いところから勝手に出てくるんだから。


「リタ=メルフェウスは誓います。ソウマ=ナギと永遠不滅の絆を結ぶことを。生ある限り、共に生き──その生命が尽きたあとも、とこしえに。次の生でも、その次の生でも」


 聞こえてるかな──聞こえてないよね?


 ご主人様。


 中途半端な獣人の私に、大事な居場所をくれたひと。


「常に寄り添い、この人を守ることを誓います。そして許されるなら、神さま──魂の伴侶として、この人のとなりにいさせてください──『魂約エンゲージ』…………」


 言葉を切って、リタは自分の胸を見つめた。


 …………なんにも起きない。


 はぁ。


 よかった。


 だってナギは寝てるもん。こういうのって、一人でやっても駄目なんだもん。私だけじゃなくて、ナギの誓いの言葉も聞きたいんだもん。私だけこんなにどきどきしてるなんて、不公平だもん!


「……よし、練習おわり」


 リタは、そっと、ナギの手をベッドに戻した。


 お日様はまだちょっと低い位置。イリス=ハフェウメアを訪ねるには、まだ少しだけ時間があるはず。


 もうちょっとしたら、みんなでナギを起こしに来よう。


 そしてできれば『奴隷召喚LV1』を使ってもらおう。やっぱり召喚される感覚も、ちゃんと覚えておきたいから。もしかしたら、もっと深くナギと繋がれるかもしれないし。


 そう思って、リタは立ち上がる。


 このまま部屋を出て、階段を下りて──そしたら、セシルとラフィリアに「ご主人様は寝てる」って教えて、それからみんなでアイネの洗濯の手伝いをしよう。今日はいい天気だから、洗濯物もきれいに乾くはず。できれば、お日様が真上にくる前に。


 最後にもう一度、リタはナギの寝顔を見て、微笑んだ。


「……おやすみなさい、ご主人様」


 そうして部屋を出ようとして、リタは──





 そのすぐれた嗅覚によって、床に落ちていたナギの下着(上)に、気づいてしまった。





「────っ!」


 リタの身体が硬直した。


 床の上に、広がった状態で落ちている、ナギの下着。かたちはナギが、脱いだまま。


 ナギの胸板とか、腕のかたちとか、想像できるほどにはとどめている。そして、なによりもリタを誘惑するのは、確かに感じるナギのにおい。


 もちろん、さっきまでだって感じてた。でも、これは違う。


 持ち運び可能だ・・・・・・・


 ご主人さまのにおいと、いつでも一緒にいられる。なんて素敵──


「──って、なに考えてるの!? だめだめだめだめだめっ。だめっ!」


 と口走った瞬間、リタは目を見開いた。


 どうしてすでに、ナギの下着(上)を抱きしめているんだろう。


 ──気づかなかった。


 いつ拾ったの? 電光石火の運動能力を、こんなとこで発揮してどうするの!?


 でも、だめ。だめだめだめ。


 今すぐこれは手放さないと。奴隷がご主人様の下着を持ち逃げするなんて──ううん。ずっとじゃない。ちゃんと返すもん──。いやいやそれでもだめ。ナギに嫌われたらどうするの!?


「…………うん、そうだよね」


 危ないところだった。


 リタは、はぁ、とため息をついた。


 理性が勝った。正義は勝った。


 大丈夫ですご主人様。リタ=メルフェウスは正しい奴隷です。この下着はすぐにお返し──


 ……………………。


 …………。


 ……でも…………ちょっとだけならいいかな。


 一回だけ。


 ほんの一回、偶然、ナギのシャツの近くで呼吸するだけ。


 今日はまだ、ナギとあんまり話してないから。せめてナギの気配だけでも、すぐそばで感じたいから。


「────すぅ」


 リタはそのまま、深く息を吸い込んだ。


 切ないくらい愛おしい気配が、リタの中に入ってくる。


 まるで、ぎゅ、と、ナギに抱きしめられてるみたい……。


 ……もういっかい。


 もういっかい……んー、も、もういっかいだけ……最後、これがさいごだから……次が最後。だめになっちゃうから……ほんとにこれが最後のさいごで…………。


「………………ナギ。ごしゅじんさま……ナギぃ……」


「……リタ?」


 あ、ナギの声だ。


 反射的にリタは振り返る。耳はぴくぴく、尻尾ぱたぱた。


 スライディングするみたいに、ベッドに腰掛けたナギの足下へ。





 その腕にナギの下着を抱きしめたまま。





「…………あれ?」


「どうして僕の部屋にいるのか……は、いいとして、どうして僕のシャツを抱きしめているのかな、リタ?」


 ナギの、困ったような顔。


 助けを求めるようにリタは右を見て、左を見て、下を見て、すーは、って深呼吸してから顔を上げ──それから、


「聞いてください、ご主人さま」






 それから、なんと言ってごまかしたのか──


 それから、何回「大好き」って言ったのか──


 結局はごまかしきれなくて、ちょっとだけ叱られて、でも最後には頭をなでられて、






「そういえば温泉街にいたとき、イルガファに着いたらおしおきするって言ったよね」


「わぅうっ!?」






 ご主人さまから「おしおき」の内容を聞かされて、しゅんとなって、


 でもやっぱり、今日もナギと一緒だから──






「そういえば、私もみんなも、ナギにお願いがあるんだった」


「お願い?」


「そう。あのね『奴隷召喚LV1』の効果なんだけど──」






 海沿いの町で、潮のかおりに包まれながら──


 遠くに、奴隷仲間の声を聞きながら──


 そして、大好きなご主人様ナギのそばで、なにげない言葉を交わしながら──






 そんな当たり前の時間に、リタは不思議なくらい満足だったりするのだった。








【番外編】リタの願いと『奴隷召喚サモニング・スレイブ』おしまい

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