第19話「勇者が来たので奴隷と一緒にやっつけることにした」

「いやがったな『庶民ギルド』の残りカスが」


 僕のことらしい。


 タナカ=コーガが僕を見た。


 背中にかついでいるのは、両刃の大剣。鎧も宝石がちりばめられた高価たかそうなものだ。


 でも見覚えないな。こいつ。


 名前からして、てっきり僕と同じ来訪者だって思ってたんだけど。


「『庶民ギルド』の冒険者は全員身動きとれねぇようにしろって命令されてるんでな。悪いけど、手足ぐらいは折らせてもらうぜ」


「黒髪だし、目も黒いし、どう見ても──なんだけど」


「ああん?」


 コーガがこっちを見た。


 目が合ったけど「あ、お前は」ってこともないみたいだ。


 僕の方も、やっぱりこいつに見覚えはない。


「えっと、国王に選ばれた、勇者?」


「ああ、そうさ。お前を再起不能にする奴だ。覚えておけ」


「もしかして世界を救うと『契約』した?」


「よく知ってるな! そうさ。俺は──から来た──だ!」


 口は動いてる。


 でも、言葉が途中で、ぶつん、と途切れてる。間に入る言葉はたぶん『異世界』と『来訪者』


 やっぱりそうだ。こいつは僕と同じ来訪者だ。


 でも見覚えはない……ってことは。


 もしかしてこいつは、僕たちとは別に召喚された『来訪者』なのか?


「そうか。王様に選ばれて『契約』しちゃったのかー」


「ああ。だがな、貴族の方が俺を認めたのさ。俺の能力なら世界を救うよりも、自分の下で働いてもらう方がふさわしい、ってさ!」


 ぐい、と、親指を立てるコーガ。


 こいつは王様から貴族に売り渡されたらしい。


「その貴族からもらったのがこの鎧と剣さ。ふたつ合わせて数十万アルシャはするらしいぜ」


「……そうなんだ」


 鎧の、首をカバーする部分。よく見ると首輪のかたちをしてる。


 そこだけ独立したチョーカーになってるみたいだ。


「俺は命をかけて、この鎧と剣に見合う働きをするって、きっちり『契約』したのさ!」


「うん……すごいね」


 なんだか、悲しくなってきた。


 なんだこの多重契約。なんで誰も止めなかった。


 つまりこいつ……タナカ=コーガは、王様に魔王を倒すって『契約』して、この世界から離れられなくなった。


 そして、その流れで別の貴族に身売りされた。


 貴族から装備をもらって、それに見合う働きをするって『契約』した。


『来訪者』『異世界』って言葉が出ないのは、『命令』されて、言葉を出せなくなってるからか。


 まぁ、そうだよなぁ。


 別世界からチートキャラ呼び出して戦わせてるなんて、あんまりいい話じゃないし。


「……がんばって生きてください。タナカさん」


「お、おぅ?」


「遠くで幸せになってくれることを願ってる。じゃあな……」


「ああ、それじゃ……って違う!」


 思わず立ち去りかけたコーガが、剣を床にずん、と突き立てる。


 ちぇ。


「ダンジョンでは勇者として戦い足りなかったのさ。『庶民ギルド』の奴らがあっさり逃げちまったからな」


 コーガが剣を振り上げた。


「ってことで、ここにいたのが運が悪いと思え! 死なない程度に死ねよ!」


「なぁくんに手を出さないで!」


 いきなりだった。


 アイネさんがティーセットを放り出し、僕とタナカの間に立ちはだかった。


「アイネさん! 記憶がないのになにやって──」


「なぁくんを傷つけさせたりしない! 『虹色防御壁LV6』!」


 次の瞬間、部屋を七色の防御壁が横断した。


「全属性防御魔法かよ。すげえな。だけど、こっちには魔法抵抗があんだよ!」


 でも、タナカはガントレットに包まれた手を伸ばし、


 アイネさんの作り上げた防御壁を、ぐにゃり、と、引き裂いた。


「どけ。記憶を無くした残りカス!」


 止める暇もなかった。


 タナカがアイネさんを突き飛ばした。アイネさんはそのままテーブルに叩き付けられて──崩れ落ちる。


「やめなさいタナカ! これ以上の乱暴は──!」


 飛び出したレティシアのレイピアが、折れた。


 速すぎる──こいつ、加速系のチートスキル持ちか?


「お前にはなんか親近感あるけどな! でも、ついでに消えろ!」


 タナカ=コーガがこっちを見た。


 ──来る。


「『超越感覚LV1』!」


 僕はスキルを起動した。




 世界がブラックアウトした。







 光も。


 音も。


 匂いも。


 味覚も。


 皮膚感覚も。


 全部消えた。


 気持ち悪い。


 使いたくない。


 ハイリスク。


 ハイリターン。


 じゃなかったら、誰が。


 こんなの。


 使う。


 頭が、かゆい。


 僕は首を左右に振る。


 腕を振り上げる。


 気持ち悪い。


 ふらつく。


 膝をつく。


 地面の感覚もないのに。


 身体が、ゆれる。


 まわってる。


 たぶん。


 腕を振る。


 そのまま、倒れる。


 だめだ、これ。


 吐く。


 限界。


 スキルを。


 オフに。


 う。


 が。


 き。


 だ。


 め。


 これ。


 ──────────っ!







「──は! はぁ。あ。あ」


 きもちわるい。吐きそう。


 視界がぐるぐる回ってる。


 僕は休憩室の床に座り込んでる。


 何秒経った──? たぶん、三十秒。


 最初にテストした時はそうだった。


「タナカ──は!?」


 いた。


 階段の近くにいたあいつは、僕の後ろにある壁の下で倒れてる。


 よし、成功した。


「あ、あなたは……!?」


 レティシアがアイネさんを抱き起こしながら、僕を見てた。


「あなたは駆け出し冒険者じゃなかったんですの!? タナカの連撃を紙一重でかわして、奴の腕を掴んで吹っ飛ばすなんて!?」


「あー、僕はそういうことしたのかー」


 首を傾けたときに剣をかわして、


 腕を振り上げたときに、タナカの腕に触れて、


 身体がぐるん、と回転したときに、あいつの突進力を利用して投げ飛ばした。


 どうも、そういうことらしい。


 あー、くそ。気持ち悪い。


 身体動かないし。なんだこのハイリスク・ハイリターンなスキル。




『超越感覚LV1』は五感を遮断することで、第六感を研ぎ澄ます。


 その間、身体は危機に反応して勝手に動く。


 使えるのは一日一回。稼働時間は三十秒。


 だけど、身体に負担がかかるせいで、使用後3分は動けなくなるっておまけつきだ。


 セシルとリタには、自分たちが側にいない時は絶対に使っちゃ駄目って言われてたのに。




「取引しませんか、レティシア」


「取引?」


「これから僕たち・・・はあなたに能力を見せる。そのことを内緒にしてくれたら、アイネさんを助けるのに協力してもいいです」


「……え?」


「『契約』は僕たちが『鋼のガーゴイル』を倒せるかどうか、実験してからですけど」


「な、なにを言ってますの!? 目の前にタナカがいますのよ?」


「あー」


 こいつかー。


 異世界からやってきたチートキャラ (推定)か。


 強いけど、なんかどうにかなりそうな気がするんだよなぁ。


「スキル起動──『高速分析LV1』!」


 僕の視界に数個のウィンドウが開く。


『レティシア=ミルフェ』『アイネ=クルネット』『タナカ=コーガ』そのほか。


 戦ったせいかタナカのステータスがほんの少しだけど、わかるようになってる。



『タナカ=コーガ


 職業:剣士。


 武器:はがねの大剣グレートソード


 防具:祝福された鎧(魔法減衰効果あり)』


 さすがにスキルまではわからないか。



「……てめぇ」


 タナカが頭を振って起き上がる。


 右腕が変な方向に曲がってる。


 さっすがチートキャラ。


 攻撃の勢いを利用してぶんなげると、本人の腕を破壊するほどの突進力なのか。すごいなー。


「なにをしやがった。勇者の俺に! この世界のキャラが俺に勝てるわけねぇんだ!」


「たいしたものですね勇者さま。僕の一撃を受けて起き上がるとは」


「馬鹿にしてるのか」


「勇者さまはこの世界が好きですか?」


「……ああん?」


「この世界に不満はないですか?」


「ねぇよ。俺はこの世界に来て、はじめて正当に評価されたんだ。俺が前にいた──じゃ、俺を認めない奴らばっかりだったからな。満足してるさ」


「僕はひとつ、不満があったんだ」


「……なんなんだお前は」


「ほら、この世界ってドライヤーがないだろ?」


「……はぁ!?」


 タナカの目が点になる。


 奴の、大剣をつかみかけた手が、止まる。


「僕の仲間は髪の長い女の子ばっかりだから、洗った後で乾かすのに時間がかかるんだ。ふたりで桶にお湯をもらってきて、部屋で洗いっこしてるんだけどさ。いや、もちろん服は着てるよ? じゃないと僕が部屋の外に出なきゃいけないし。それに着衣で髪だけ洗うってのも萌えるシチュエーションだと思わないか?」


「……お前……まさか」


「でも、ドライヤーがないから、ふたりとも髪を乾かすのに時間かかるのが困るんだよなー。もっと簡単にならないかなー、って思ってたんだよ」


「お前は俺と同じ──、違うのか?」


「あ、そういうのはどうでもいいんだ。僕は今、仲間の洗い髪の魅力について話してるんだよ。ちゃんと聞けよ」


「…………いや、なに言ってんだよ」


「だからさ、髪を乾かすのって大変だなーって思ったんだ。でも最近ちょっと変わってさ。湿ってる髪を結ってる姿にも結構ときめくようになったんだよ。首筋とかうなじとか、よく見えるし。褐色の肌も白い肌も、どっちもいいよね」


「お前本当になんなんだ。俺と同じ──なのか? 本当に」


「お前こそちゃんと話聞けよ。この世界で勇者になることなんかより、セシルとリタの隠れた魅力の方がずーっと重要だろ?」


「……いいや、もう死ねよ、お前」


「わかんないかなぁ。こういう萌え要素」


 いいと思うんだけどなぁ。結った髪って。


 ぱっと見には獣耳みたいで。編めば尻尾みたいにも見えるし。


 ほら。


 たとえば今、窓ごしに見える姿とか。


 街路樹の枝に猫みたいな格好で立ってて、今まさにジャンプしようとしてる。


 獣耳はぴん、と立ってて、尻尾は膨らんでる。結った髪がもうひとつの耳みたいだ。


 うん。


 間に合った。時間稼ぎ成功・・・・・・


 リタなら気づくよな。ギルドの空気がおかしいことくらい。


 人の気配ないし。


 タナカは殺気を振りまいてるし。


 リタは『気配察知』持ってるんだからさ。


「よく来た、我が奴隷、リタ=メルフェウスよ。では、われが所属するギルドの少女を傷つけた敵を討て!」


「心得ましたご主人様っ!」


 格子窓を破って、金髪の獣が飛び込んでくる。


『神聖力』を集中させた両足が、タナカ=コーガの背中を撃った。


「──ちぃっ!」


 振り向きざまに薙いだタナカの大剣は、空を斬った。


「なっ!?」


 リタはタナカの動きがわかってたように身を屈め、肘で奴の手首を撃った。


「……よくも私のご主人様マスターに刃を向けたな」


 ぞくん、とするほど、殺気に満ちた瞳。


 リタの拳が、大剣を撃つ。


 衝撃。


 タナカが大剣を取り落としそうになる。


「ただじゃ殺さない。身体中の骨を砕いて、自分がなにをやったのか後悔させてやるから!」


「リタ! そいつの能力は『加速』だ!」


 僕の『高速分析』のウィンドウにコーガの能力が表示される。


 交戦を続ければ続けるほど、相手の能力を解析できるらしい。


 主従契約のせいで、リタの戦闘情報が僕にも伝わってくる、ってことか。


「そいつは倍速で攻撃してくる! 右腕はさっき潰しといた! そっちが死角だ。あと、鎧が硬いから露出してるところを狙って!」


 タナカの『固有スキル』は『倍速』


 身長と同じくらいのサイズの大剣を、通常の二倍、三倍の速度で振ってくる。


 要は、1ターンに2回攻撃できるようなものだ。


「わかった! 危ないからナギはさがってて!」


「了解!」


 僕はアイネさんとレティシアを連れて、階段までさがる。


 その間も『高速分析』は止めない。


 コーガのスキル、ステータスを丸裸にしていく。


「そいつは魔法が使えない! 戦士系だ! あと、素早さが高くて知力が低い! ぶっちゃけ頭は悪い! あと、挑発にも弱いと思う!」


「ありがと! あと、遅れてごめんね!」


「大丈夫! 計算してた! それにリタたちがお風呂にかける時間は分刻みで覚えてるから!」


「それってえっちくないっ!?」


「奴隷の生態を理解するのも主人の勤めだから!」


「もっとえっちくなってる気がするんだけど!?」


「じゃあこれからは気にしないようにする!」


「それはやだっ!」


 リタは、しゅる、と身をひるがえし、大剣を避けて回し蹴り。


 タナカの頭部を狙う──奴の籠手がリタの蹴りを防ぐ。


 リタは獣のように宙返りして、僕をかばうように着地。


「ナギにいろんなこと知られるのは恥ずかしいけど、気にしてくれないのはもっとやだ! あれ? じゃあ私どうしたらいいの!?」


「わかった。帰ったら話し合おう」


「不公平なのはだめ! セシルちゃんも一緒だからね!」


「ごちゃごちゃうるせえってんだよっ!」


 がいん、と、タナカが大剣で壁を叩いた。


「いちゃいちゃすんじゃねえ! なんなんだてめぇは! そいつの仲間か!?」


「私の大事な人を殺そうとした奴と話す口はないわ」


「てめえもだ! 女に守られやがって! さっきからぐちゃぐちゃと! 戦えねぇなら黙ってろってんだよ!」


「あー、ごめん。それは無理なんだ」


 僕は一歩、左に動いた。




「だって静かにしてたら、セシルが魔法を詠唱しながら近づいてきてるのがバレるじゃないか」




「『其は我が怒り。其は我が血潮の現れ。其は熱を宿した数多の刃──』」


『高速分析』は、近くにいる相手の状態をリアルタイムで観測できる。


「『怒りは正当なる報復を与え、我が敵の終焉までその拳は止むことはない。一切の妥協はなく。一切の慈悲もない。ただ滅せよ。滅せよ。滅せよ。すべてを灼き尽くし、末期の刃を撃ち放て──』」


 だから、気づいてた。


 セシルが『古代語魔法』を詠唱しながら、階段を登ってきてることくらい。


 湯上がりのセシルは、はふー、はふー、って荒い息をついてる。


 銀色の髪を三つ編みにしてる。


 かわいい。


 けど、怖いくらいの殺気を放ってる。


 絶対この敵は殺すって、真っ赤な目をつり上げてる。


「『火炎の精霊よ百万の息吹で我が敵を滅せよ』──『炎の矢フレイムアロー』!」


 セシルの『古代語魔法 炎の矢』が完成した。


 小さな身体の背後に円形の魔法陣が生まれる。


 そこから炎の矢が数本、飛び出した。


 炎の矢は正確にホーミングして、タナカに着弾する。


 小さな火の粉が散った。


「レベル1の火炎魔法がどうした!?」


 顔をガントレットでかばったタナカが、にやりと笑う。


「俺様の鎧には魔法減衰効果があんだよ! 炎の矢なんざ蚊に刺されたくらいにしか感じねぇよ!」


「そうですか」


 ずどどどどどどどどどっ!


 セシルの背後の魔法陣が連射する『炎の矢』が、ふたたびタナカに着弾する。


「だから! 効かねえって言って──」


 ずどどどどどどどどどがががががががっ!


『炎の矢』は止まらない。


 弧を描き、包囲するような軌道でひたすらタナカに向かって連射し続ける。


 4発──8発──16発。同時発射する矢の数が秒刻みに増えていく。


「無駄──蚊にさされた程度──無駄──」


 ずどどどどどどどどががががががががががががががががががががががが!


「この鎧は──魔法を六割──減衰──」


 ずどどどどどどどどどがががががががっががっがががががががががががががががが!


「おい──これ──いつまで────」


 ずどどどどどどがががっがががががががががががががががががががががっがががががががっがががががががががががががががががががががっがががががががっがががががががががががががが!


「やめ──おい──これ────地味に痛──動けねぇ──」


 ずどどどどどどがががががががっがががががががっがががががががががががががががががががががっがががががががっがががががががががががががががががががががっがどががががががっががががががががががっがががががががっがががががががががががががががががががががっがががががががっがががずどどどどどどがががががががががががががどどどがががががっがががががががっががががががががががっがががががががっがががががががががががががががががががががっがががががががっがががががががががががががが!!


「やめてやめてやめてやめて! いたいいたいたいいたい! やめて──死んじゃう────!」


「はふー、はふー、うがー!」


「セシルストップ! もういい!」


 セシル、真っ赤な顔してる。


 魔力使いすぎの兆候だ。


『古代語魔法 炎の矢』の効果は、連射特性。


 しかも魔力が尽きるまで撃ち続けられるってことか。


「……ナギさまを傷つけました。ナギさまを殺そうとしました。この人はナギさまを殺そうと──っ!」


「傷ついてないから! ほら。僕は無事。傷ひとつない」


「……ほんとう、ですか」


「ほんとほんと。ほら、元気」


「あとですみずみまで確かめさせてくれますか?」


「わかったからストップ! このままだとセシルがぶっ倒れるから!」


「……わかり、ました」


 ゆらり、と、セシルの身体が倒れかける。


 炎の矢の奔流が止まる。


 セシルはふらふらと僕の前まで来て、くたん、と膝をついた。


「わたしの知らないところで、ナギさまが、傷つくのは、やです」


「……だいじょぶ、どうしてもって時は逃げるからさ」


「うー。ふー。うがー……」


「どうどう」


「はふ……すぅー……」


 僕の腕の中で、セシルはまた、眠ってしまった。


 うーん。


 やっぱり、いろいろと考えなきゃいけないな。


 お風呂や着替えで別行動とるたびに、ふたりが心配して焦って慌てて済ませて……ってのも大変だし。


 どこかお風呂のついたアパート……じゃなくて宿舎とか、安い借家とかあればいいんだけど。


「ねぇ、ナギ。こいつどうする?」


 振り返るとリタが、倒れたタナカを見下ろしてた。


「…………こわいこわいこわいちっちゃいここわいこわいちっちゃいのにつよいこわいこわいこわいこわい…………」


 タナカはなんかぶつぶつ呟いてる。


 あちこち火傷して、髪は半分くらいが焼け焦げて、煙を上げてる。


『祝福された鎧』は魔法減衰効果を持つ。


『炎の矢』なんて、蚊にさされたくらいしか感じないらしい。


 だけど、大量の蚊にたかられて刺され続けたら人間は死ぬんだ。


 まさか身動きとれなくなるくらいに『炎の矢』の乱打を食らうとは思ってなかったんだろうな。


 合掌。


「こいつ、とどめさしていい? いいよね?」


 リタが倒れたタナカの上で、脚を振り上げた。


 今にも頭を踏み砕ける体勢だった。


「足が汚れるからやめとこうよ。お風呂入ったばっかりなんだし」


「はぁい。ご主人様」


「タナカ=コーガの雇い主は伯爵、だったっけ」


 僕は呆然とこっちを見てるレティシアに視線を向けた。


「え、ええ」


 レティシアは少し呼吸を整えてから、言った。


「あの方がこいつに『庶民ギルド』を痛めつけろって命令してたんですわ」


「じゃあ、僕らがこいつを痛めつけたことがばれたらどうなる?」


「……どうにもならないと思いますわ」


 レティシアは疲れたみたいに首を横に振った。


「こいつはアイネを幽閉してるならず者たちと同じ、裏でやとってる人間です。そいつが返り討ちにあったからって、貴族側が文句を言うわけにもいかないでしょうね」


 そこはちょっと同意できない。


 裏で動いてる人間なら、裏でこっちに仕返ししてくることだってある。


 結局、僕たちはメテカルを出るしかないわけだ。


「……しょうがないなぁ」


 よっと、と、僕はセシルの身体をリタに預けた。


 ふたりとも、汗ぐっしょりだ。せっかくお風呂に入ったのに。


 いいにおいするけど。


 そして倒れたままのアイネさんを椅子に座らせる。


 気を失ってる──いや、眠ってるみたいだ。


「ひとつ、相談があるんだ、レティシア」


「なんでしょう」


「僕はアイネさんに借りがある。ひとつは内緒でクエストを紹介してもらったこと、ひとつはスキルをもらったこと」


「だから?」


「助けたい。だけど『鋼のガーゴイル』と戦うなら、こっちも命がけになる。だから、代わりに聞いて欲しいお願いがあるんだ」


「助けは……願ってもないことですわ」


 レティシアは転がってるタナカを見た。


 僕たちの実力──というか、セシルとリタの実力はあれでわかるはず。


「それで、お願いとはなんですの?」


「僕たちはいい加減、安定した住処が欲しいんだ。安く長期間借りられる家を紹介してもらえないかな。できれば部屋がみっつ以上あって、お風呂がついてるところがいいんだけど」


「港町イルガファに、わたくしの別荘がありますわ」


 少し考えてから、レティシアは言った。


「死んだお母様から受け継いだもので、所有権はわたくしにあります。父もその屋敷のことは知りません。よろしければ、あなたたちにお貸しします」


「家賃は?」


「大事に使ってくれるのなら、いいです」


「ありがと。助かる」


 これで住処がゲットできる。さすがにいつまでも流浪生活ってわけにはいかないし。


 元の世界でも落ち着いて住める場所なんかなかったけど。


「次に『祝福された鎧』を裏でさばけるルートとか知らない?」


「『祝福された鎧』?」


「こいつの」


 僕はタナカ=コーガを指さした。


 足で。


「ほっとくとこいつはまだ同じことしそうだし、武装解除しといた方がいいだろ? でも、装備品捨てるのはもったいないし、手数料含めてレティシアと半々でいいからさ、売って現金化できないかな?」


「……まぁ、ないこともないですわ」


「任せていい?」


「ええ。ただ、わたくしの分はいりませんわ。半分は、アイネに」


 レティシアは椅子にもたれて眠るアイネさんを見た。


「あの子、最後まで『庶民ギルド』のメンバーのことを気にしてましたの。みんながこの町を出て、新しい生活を始めるための資金をあげたい、って。手数料はそれに使いますわ」


「……手数料、七割でいいや」


「優しいんですのね」


「借りを作りたくないだけだよ。一応、僕も『庶民ギルド』のメンバーなんだから」


 どうせ『祝福された鎧』なんて、ルートのない僕たちには危なくて売れないからな。


「最後に、依頼を正式に受けるのは、明日の昼頃まで待って欲しい」


「アイネの記憶は──時間がたつと蒸発しますの……」


 悔しそうに、レティシアは言った。


「副司教が使ったのはそういうアイテムだそうですわ。タイムリミットは3日。それまでに取り戻せなければ、アイネの記憶は完全に消えてしまいますの」


「間に合わせる。その前に今回のクエストがクリアできるかどうか、僕と仲間のスキルをチェックしておかなきゃいけない。そっちだって、わざわざ塔まで案内したのに、『鋼のガーゴイル』を倒すのはやっぱり無理でしたー、じゃ困るだろ?」


「それは確かに」


「こっちも仲間に犠牲を出すわけにはいかない。明日の昼になったら正式に『契約』する」


「……あなたたちは何者ですの?」


 レティシアは言った。


「ただの低レベル冒険者ではないですわよね?」


「僕たちは『無為自然にして天下に遊ぶ』ものだよ」


 僕は言った。


「レベルは低くてたいしたことできない。だけど、パズルのピースがかみ合ったときだけ、他のひとにはできないことができたりする。それだけ」


「……意味がわかりませんわ」


 大丈夫、僕だってよくわかってないから。


 さて、と、宿に戻ってセシルを休ませて、それからふたりにこれからのことを話さないと。


 それじゃ、よろしくお願いします、雇用主さま。


 ──って、手を振って、僕たちはがらんとした『庶民ギルド』の建物を出た。



──────────────────


「超越感覚LV1」


 五感を遮断することにより、第六感を覚醒させる。

 稼働時間は30秒。

 その間に攻撃を受けると自動的に反撃する。

 またその間に攻撃のチャンスがあった場合は、自動的に他のスキルを発動することで最高のタイミングで攻撃することができる。

 ただし、身体と精神に負担がかかるため、使用できるのは1日1回。

 また、自分がどう動くかわからないので不安。

 スキル発動時の攻撃・反撃に仲間を巻き込むことがあるので、使用する時はまわりに一声かけてからにしましょう。


「古代語魔法 炎の矢LV1」

 自分の後ろに魔法陣を発生させ、そこから炎の矢を気が済むまで連射する。

 レベル1なので威力はたいしたことないけれど、脅威なのはその連射力。

 格闘ゲームに例えるなら、体力を1ドットずつ削り続ける飛び道具。それがタイムオーバーになるまで飛んでくる。うっかりガードしてしまうと詰む可能性があるので、相手がこれを撃ってきたらひたすら避けるか、詠唱に気づいた瞬間遠くへ逃げましょう。

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