第16話 詐欺師と少女と、小説と。(2016お題:温泉・十五夜・対価)

「あっ、見えた」

 そう言って「ねえ、ねえ」と私を揺さぶる小夜子は、湯船の中からじっと空を見上げている。

「ほら、おかあさん。お月様の横にひらひら、って」

 小さな手を言葉に合わせて振りながら、そこでようやく振り返ってみせた。

「またいたの? 神様」

「そうだよ。おかあさんには見えなかった? ながーい尻尾で、たくさん字が書いてあって、お父さんも乗ってたよ」

 小夜子は今でも「おはなしの神様」がいると信じている。そんなことを教えたのは小夜子の父親だ。彼は趣味で小説を書くアマチュアの作家だった。休みになれば部屋にこもることがほとんどで、遊びたい盛りの小夜子が外へいこうとせがんだところで、逆に話して聞かせる得意の作り話で小夜子を虜にしてしまうような人だった。

 「おはなしの神様」もそんな彼の作り話の一つに登場する。

 だからして彼がいい父親だったのかどうかは、ほとほと怪しい。おかげで小夜子もこんな具合に夢見がちな子供に育ってしまったわけだし。いや、それは私があの日を説明するため、幼い小夜子へ聞かせた作り話のせいもあるか。

「小夜子、もうあがろう。おかあさん、のぼせちゃうよ」

 そんな彼は、もういない。

 亡くなって三年目の昨日、終えた三回忌は思ったよりもさっぱりしていた。おかげでこうして気分を入れ替えに、小夜子と二人で近所の温泉へくることもできている。

「さあて、明日からまたおかあさんはがんばるぞー。小夜子も一年生、がんばれ」

 帰り道、温まった手と手をつないで、うん、とうなずく小夜子の足取りは軽い。得意の算数で百点取るよ、なんて約束してくれる。

「お月様、隠れちゃったね」

 それでも月にこだわるのは、神様の尻尾に乗った父親の姿をそこに探しているからか。でなくとも今日は十五夜だ。とびきりの真ん丸が見えないのは、やっぱり惜しい。

「どうやって雲の向こうから呼び戻そうか?」

 わたしは小夜子へ投げかける。とたん目を輝かせて「うーん」と想像を膨らませる小夜子は、彼譲りの作り話をやがて私に話し出していた。

 きっと小夜子が大きくなっても「おはなしの神様」が色褪せることはないだろう。何しろどんな物語も、タダで聞けるなんてことはない。小夜子はその対価を私へ払う。

 彼の、父親譲りのやり方で。

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