それが、足枷になろうとも

淡井紗那

『それが、足枷になろうとも』


 彼女と出会って数ヶ月経った時、その日は久しぶりに雨が降っていた。二週間ぶりの雨で、普段よりも一層湿気を感じる。

 夜中眠ることができず、少し涼む為に散歩しようと思い、近所の住宅街を歩く。

 雨の強さ、粒の大きさが細く長い街灯の明かりによって目でしっかりと見ることができ、霧の様な雨は、傘を差すのが億劫おっくうだが親に怒られたくないと思い傘を開いた。

 私の家から少し離れた公園に差し掛かる頃、ふと気が付いた。公園の街灯に光が灯っている。この公園は誰かヒトがいないと光は点かない。


「誰かいるのかな」


 好奇心からだろうか? 普段の私だとこんな時は危険を感じ絶対に避けるはずなのに、足元の水溜まりに気が付かない程、引き込まれるように公園へ歩みを進める。

 普通乗用車が縦横に六台止めれるような広さの公園の中は雨によって地面がぬかるんでいる。歩いてきた所を見返すと、私の靴の跡がくっきりとできていた。


 小さな水溜りが、砂利で造られた地面に出来ている公園には、ブランコや滑り台、鉄棒が二つ。中が空洞になっている黄色の山の様なものがあった。

 その黄色い山の様な遊具の中に、私達の通う制服を身に纏った彼女の横顔を見つけた。

 彼女はいつも通り、茶色の髪をポニーテールにし、白い肌に紫のアイシャドウを入れており、体調が悪いのだろうかと心配してしまう。


 横顔からでは見えなかった顔が、私の方を向いた時に見る事が出来た。

 丸くて大きい吸い込まれそうな蒼い瞳と、少し高めの鼻はいつもと変わらず、唇は赤く潤っている。しかし、その赤は潤いを含んだ唇の色ではなかった。

 彼女の手は赤い塊を持ちながら、きょとんとして私の方を見ている。


「――」


 手に持っている赤い塊が何かわかった時には、私は悲鳴を上げていた。

しかしその悲鳴は空気を振動させることはなく、私の喉に残り続け、呼吸という生命の象徴を消し去ろうとしてくるようだった。

 足がすくみ腰が抜けてしまい、地面に着いた所から冷たさが広がっていく。

 まるで、恐怖がどんどんと私の体に、じんわりと染みついてくるみたいで寒気がする。


 彼女はそんな私を見て、悲しそうな顔をして手に持っている赤い塊を地面に落とした。

スライムが潰れた様な音が、私の鼓膜を震わせる。


「ねえ、こんな時間に何をしているの?」


 彼女の途切れてしまいそうな細い声が聞こえた私は、先程の息苦しさなんて知らなかったかの様に息を吐き、立ち上がって彼女の言った事を心の中で繰り返す。

 そんな私の返事が待つことが出来なかったのか先に彼女が問いかけてくる。


「一人でこんな所にいると危険だよ?」


 こんな所? ここは公園だ。遊ぶ所だ。たとえ夜でも雨が降っているとしてもそれは揺らぐことは無く、いつまでもそのままであり続ける事で意義をなす。

 彼女は、今にも私に襲い掛かりそうな肉食獣の如く歯を見せ、爪を立てて危険という事を理解させてくれようとしているのかは分からない。

 しかし、そう考えれるという事は意外と私は冷静なんだな。と思いながら口を開く。


「それはこっちのセリフだよ、こんな所で何をしているの?」


 彼女が何をしていたかは薄々気が付いていた。なんせ悲鳴を上げる程に理解してしまっていたのだから。けれども私はそれを信じたくなかった。

 でも少し気になっている私がいて、別の答えを淡く望んだ問いかけだった。


「人、食べてたの。こうしないと姿を維持できないから、同じ境遇だがらわかるでしょ?」


 私の願望は、彼女の言葉によって儚くも叶わぬものとなってしまった。でも、それは私が認めたくなかっただけで彼女はそんな事知らない。

 勝手に望んで、それを裏切る様に返ってきた言葉に、自分で一人で悲しんでいるだけで哀れに感じた。

 でも、驚いたり悲しんだりを表情に出す事をしたくなかった。


「人を食べないと姿を維持できなかったんだね。びっくりした」


 びっくりしたというのは事実だけど、私と違うということから来た驚きだった。


「あれ、あたしだけ?」


 しかし、彼女はきょとんとしていた。同じ境遇と思っていた私は違うかったのだから、当然と言えば当然だろうと思う。


「どうやって姿を維持しているか知らなかったし、何より私は純水を飲めば維持できるし」


 純水。そうやって聞けば簡単だろうと思うがそうとは限らない。私が元々いた世界のような純水に近しいものでないと、効果は得ることはできないと考えると少しめんどくさい。

 そんなもの、こちらの世界にあるものかと思うが、一応似たような物は見つける事が出来たから、今ここで人間として。人間の姿で生活する事が出来ている。


「お水で維持できるってらくちんだね」


 そういって、彼女は自分の横の赤い塊と赤く染まった服の様なモノをちらりと見たあと、手に持っていたものを、そこに重ねるように置いた。


「これ、どんな方法で?」


 その光景をちらりと見て私は、彼女に目を向け問いかけた。


「簡単だよ、これを使っているの」


 携帯の画面をチラつかせる。ピンクの背景に女性の写真が沢山写っている。どうやら出会い系のアプリケーションのようだ。


「これを使うとね、簡単に人が食べれるようになったんだよ」


 そういいながら携帯をしまう彼女を見て、少し悲しいに気持ちになった。


「安心して? あたしは罪のある人しか食べないの。それがあたしの――」


 顔に出てしまっていただろうか。私の悲しみを取り除く様に彼女は言葉を付け足す。

 しかし言葉に詰まっていた。『それがあたしの――』なんなんだろうか。少し俯きながら言う彼女の気持ちとその続きが気になって仕方がなかった。

 それは、この世界の成り立ち。雨がどうして冷たいのか。そんな事なんてどうでもよかった。彼女が罪のある人しか食べない理由。ただそれを知る為だけに生きているみたいだ。


 だから私は、何も言わずにずっと彼女を見つめている。それは圧をかけているかもしれないけど、彼女の言葉を遮らない為に、そして聞き逃さない為に。

 少しの沈黙の間、公園の砂利と私達のいる山の様な遊具に降る雨の音が、不規則に耳に聞こえていた。

 やがて、彼女がゆっくりと口を開いて話し始める。


「あたしがね、ここにきて最初に食べた人は子供だった。それも家族からとても愛されている子だったの。今更取り返しのつかない事をしたなって思う」


 彼女は悲しそうに、でも悟られまいとしているのか微笑みながら話した。


「うん」


 そう相槌を打つしかなかった。余計な事を言うと、彼女の中に掲げたモノに触れてしまい事が怖くて、とてもじゃないけど下手なことは言えなかった。

 彼女は涙を目に溜めながら、私の反応を見て話を続ける。

「ある日、いろんな所に貼り出されているその子の写真を見たの。家族が黄色い帽子を持って詳細を聞き込みしているのも見た」


 目から溢れ出した涙と同時に彼女は『ごめんね』と弱く呟いた。

 一体、誰に謝っているかは、全く分からなかった。だからと言って誰に謝っているか聞くのなんて、今は御法度だろう。

 何も言わずに見つめている私を見て、彼女は咳を一つして話を続ける。


「だからと言って、罪のある人を食べていいっていう事にはならないと思うけど、食べちゃうならせめてものってね……」


 顔を上げる彼女の頬に涙が伝っていき、赤く乾いた所を通り活気を与える。そんな光景に見惚れてしまっている私がいた。

 しかし、『食べちゃうなら』という言葉で不意に我に返った私は、ある事が気になり彼女に向かって尋ねた。


「この人はどんな事をしたの?」


 どんな事言うより、どんな罪を犯したのか。と言った方が良かっただろうか? 少し間違えたなかな? と思いつつ彼女の返事を待った。

 私の気遣いなどなくても分かる。といったように、怪しい笑みを浮かべる。


「今は人って言っていいのか分かんないけどね」


 涙を流しながらケタケタと楽しそうに笑う様子を見て、唖然とする私に構う事なく彼女は話を続ける。


「この人は、あたし達みたいな子供を狙ってたの。性的暴行を加えて、しまいには殺した」


 少しだけ聞いたことがあった。といっても、私はニュース見ていて耳に入った程度のもので、年齢やどんな人物なのかは詳しくは知らなかった。

 私は、持ってきた硬水の入ったペットボトルのキャップを開け、喉に半分程流し込む。

 相変わらず喉に引っかかる感覚があり、美味しいとは言えない。


「そんな行為を繰り返していたこの人を誘い出すのは簡単だったよ。少し露出した服装の、写真を送りつけるだけで来てくれた。こんな罠に掛かっちゃうなんて不幸な人だよね」


 やれやれという仕草をして溜め息ついた彼女は、コホンッと一つ咳をして私の顔を真剣な表情で見据えてゆっくりと話し始める。

 いつの間にか涙は止まっていたが、彼女の目は赤くなっていた。


「だから食べてやった。これがあたしの罪滅ぼしに少しでもなると思って。もうこれ以上、被害に遭う子を出さない為に」


 このような答えが返って来るのは、分かっていた。興味本位できいた事に後悔しているわけではないが、少し聞かなかった方が良かったのかと思ってしまう。


「でも、食べてしまった子はかえってこないし、親の悲しみも消えない」


 再びペットボトルの水を流し込む。我ながら意地の悪い事を言ってしまったと思う。

 しかし、彼女がどう言おうと私は『事実』という一言で片付いてしまう程大変なことをしてしまった。無論彼女はそんな事は既に理解しているだろう。


「うん、それはね、勿論わかっているよ」


 彼女は真剣な表情で首を縦に振った。


「知ってた」


 私は頷き返した。


「うん」


 そこで会話は止まる。


「……」「……」


 遊具の中から外をちらりと見る。どうやら雨は止んでいるらしい。

 とその時、


「意外とね美味しいんだよ。食べてみる?」


 彼女は置いていた塊を拾い上げ私に差し出してくる。

 すごく鼻を塞ぎたくなるような臭いがした。


「いや、大丈夫。お腹一杯だから」


 お腹一杯なんて勿論嘘だ。しかし硬水を飲んで満腹感は少しある。

 そう? と言って彼女は塊にかじりついた。


「うん、やっぱしこれだ……」


 そう言って恍惚な表情を浮かべる。白い歯までもが赤く染まっており一層白い肌が魅力的に見えた。

 はっとした彼女はそういえばと言って続ける。


「そのお水は美味しいの?」


 私が持つペットボトルを見ながら問いかけてきた。

 その質問に、私は腕を組みながら考える。


「私は思うんだ、お水の美味さっていかに飲みやすいかにかかっているなって」


「そうなのかなー?」


 彼女は、頬に手を当て首を傾げる。

 なるほど、こういう所があざとい。天使の様だと言われても、誰もが疑いを持たないだろう。でも私だけが彼女の秘密を知っている。

 彼女だけが私の秘密を知っている。誰一人として彼女の秘密を知らない。

 そう考えると少し、口元が緩んでしまう。


「ねえ、一口頂戴?」


「え、あ、飲みかけだけどいいの?」


 恐ろしく動揺してしまっていた。


「いいよ!」


 彼女の、威勢の良いでもこんな夜中だとうるさく感じるその言葉に少し恥ずかしくなりながらペットボトルを手渡した。


「ありがとう! いただきます!」


 笑顔でそう言って、豪快な音をならして彼女はペットボトルの水を飲んだ。


「おいしいね」


「そう。ならいいんだけど……」


 まさか、おいしいと言われるとは思ってなかったので正直びっくりしている。

 しかしあることに気が付いた。


「あ、それ食べた後だ……よね……」


 彼女が食べた後だったことをすっかり忘れていた。


「あ、全部飲んだ方がいいかな……?」


申し訳なさそうな顔をするのを見ると、罪悪感のようなものを感じた。


「ううん、大丈夫」


 そんな彼女から笑いながらペットボトルを受け取る。


「美味しかった、また飲みたいな」


「いいよ、たかが水だけど……」


 周りから見たら。という意味での言葉で私はそんなことは思ってはいなかった。彼女からしたらというのもあったからだろうか。


「生きる為? 姿を維持する為? に必要なんだし、たかがなんて言ったらいけないよ。そのお水がもう飲めなくなってしまうかもしれないからね」


「そうだね、ごめん」


 彼女の言ったことに驚きながら謝罪を返した。

 確かにそうか、今生きていられるだけでとても嬉しい事と思うべきで、もしも生きていなかったら、彼女とこうやって言葉を交わす事なかった。


「天使ってねみんなが思っている程いいものじゃないくて、生きるために必死なんだよ」


「へえ、ほのぼのしてると思ってた」


 真面目な表情に彼女に対する返事としては不適切だろうと、今思うが聞いてすぐの反応としては驚きが多かったからだ。

 生きるために必死。それは目の前の彼女の姿を見ることで深く実感できた。


「あと実は凄く見た目がグロテスク」


 グロテスク。そう聞いて想像するのはゾンビや似たような類のものである。考えただけで背筋がぞわっとする。


「そうなんだ、でも意外な事が知れた」


 意外な事を知る事が出来たとしても、嬉しくは思わないだろうけどそれは彼女だからかもしれない。

 彼女は私を覗き込んで、問いかけてくる。

「こんなあたしでも友達でいてくれる?」


 そんなの当り前だ、秘密を知った中なのだから。


「もちろん」


「やった」


 拳を『ギュッ』とし歯をみせて笑う時に見える白い歯が、優しい彼女が本当に天使であると物語っているのだろうか。


「取り敢えずそれを何とかしてほしい。あと出来れば私に向けないでもほしい……」


 そろそろ異臭がしてきた。こんな所を見られたら一大事だろう。


「うん、わかった」


「ありがとう」


 そう言って食べ始める彼女を背中で感じる中で考えに浸る。

 生きるために必要な事、どんな生き物でも必死に生きている。そんな彼女の穢れていて、浄化しようのない綺麗な執念は私の心にずっと残り続けるだろう。

 私と彼女が友達でいる限り、生き続ける限り。

それはとても脆く今にも崩れてしまいそうだが、決して崩れず美しく真っ直ぐに伸びる執念のように。

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