轍棺背負い1つ目男の終着駅

イトヲヨヲキ

プロローグ

始発駅

「哲だよね? 久しぶり!」


 傷だらけで草の上に寝転ぶおれの顔をのぞき込んで、少女がおれの名前を呼ぶ。

 予想もしなかった出会いに、思わずぽかりと間抜けに口が開いた。

 そんなおれの様子が可笑しかったのか、二つに結ばれた白に近い金髪を揺らして、少女はくすくすと笑う。その髪の色も、声も、何もかもが懐かしかった。


 「……あぐねす。」


 お返しとばかりに、随分と久しぶりに出会う少女の名前を呼んだ。それが嬉しかったのか、あぐねすは目を細めた。

 あぐねすは、おれがここに住んでいた頃、毎日のように一緒に遊んだ仲だった。幼なじみ、というやつだろうか。


 「今まで何処にいたの?」


 「遠いところ。」


 ふーん、とおれの返答にはまるで興味がないように、あぐねすは相づちを打った。


 「なんで?」


 「親父が悪いことしたから。」


 「そういえばそうだったねー。哲のお父さん、なんだっけ? シューキョー? の人だったんだっけ?」


 「そう……で、沢山人に迷惑かけたから息子のおれも悪い奴になってるワケ。」


 おれの親父は名前を出すのも憚られるほどの大悪党だ。おれの親父が神を騙ったせいで大勢の人が酷い目にあって、命を落とした人も沢山いた。ただのサラリーマンだった親父が、都会へ単身赴任中にカルト宗教の親玉になっていた、なんて想像する人間がいるだろうか。うまく隠れていたのか、結局親父が逮捕されるまで誰も主犯が親父だなんてわからなかった。そのことがなければ、まだ母親も生きていて、普通の生活を送っていただろう。


 「なんでー? 哲悪いことしてないよね?」


 本当にわからない、という様子で首を傾げるあぐねすは昔から変わっていない。それを見ていると、おれも昔から変わっていないような気分になってしまう。そんなことはないのだ。あれから長い時間が経っているのだから。おれの声が低くなったように、お互いに成長しているに決まってるのだ。


 「世間はそうもいかねぇんだと、悪い奴の息子だからおんなじようなことするんじゃないかって心配なんだ。」


 親の因果回って子に報う、とか言ったか。親父の件があってからおれの居場所は何処にもなくなった。ここに住めなくなったのもそれが原因だし、母親が自殺してから、引き取られた施設で虐められ過ぎたせいか、左目は全く見えなくなった。

 そんな生活をしていたから、今日だって本気で死ぬかと思って施設から逃げてきて、どうせ何処にも行けないからと一日中、日付が変わっても歩き続けて、ここまでやってきたのだった。


 「えー、じゃあ哲も悪いことしちゃうってこと? 例えば今私を殺しちゃうとか。」


 まさかねー、と笑うあぐねすの顔を見ながら、草むらから体を起こした。おれの背中で潰れた草の匂いが広がる。


 「しねぇよ。」


 「だよね。哲は昔っから優しいから、悪いことなんてしないでしょ。」


 自分が愛想が悪い人間だという自覚があったので、おれが優しいと思われていたのは意外だった。それに、自分に対して肯定的な言葉が聞けたのは随分と久しぶりな気がして、気恥ずかしさがこみ上げた。


 「おまえ、なんでこんな夜にふらふら1人で歩いてんだ。」


 「ほら、やっぱり優しい。」


 照れ隠しのようなおれの質問に、あぐねすは満足げに笑った。少しだけ、からかわれているような気がした。


 「星が綺麗だったから見たかったんだよね。お家からだとこんな綺麗には見えないもん。」


 そういって空を見上げたあぐねすの視線と同じように、おれも空を見た。人より半分狭い視界の中で空に浮かぶ夏の星は、小ぶりだが一つ一つが集まってまるで大きな星を形づくっているようにも見えた。金平糖みたいだな、と思ったと同時に、もしおれがあの星の中に入ったって、星の集団からはきっと弾かれてしまうのだろうという考えが頭を過ぎる。星は綺麗だが、それは見た目だけで、おれとあぐねすが生きている世界に生きる人間と変わらない。中身は冷たい無機物が詰まっているだけなのだ。星が実際はただの石ころや塵なんかであるのと同じように。

 さっきまで仰向けで寝転んでいたおれの方が、きっとあぐねすよりもずっと空を見ていたはずなのに、空模様なんか全く気にしていなかった。それとも、そんな余裕もない程に追い詰められていたのか。


 「帰ろっか。」


 星を見るのにも飽きたのか、あぐねすはくるりと踵を返して歩き出した。その言い方は、まるで昔、遊び疲れて家に帰ろうと別れる前のようで、おれも思わずついて行こうとして立ち上がった。だが、もう昔とは違うのだから、おれに帰る場所はない。


 「帰らないの?」


 立ち止まったままのおれに気づいて、あぐねすが立ち止まり、振り返っておれの顔を見た。

 がた、ごとと電車の走る音が何処が遠くで聞こえたような気がした。近くに線路は見当たらないし、日付も変わっていたから、こんな時間に走る電車が、少し買い物に行くのにも1時間ぐらいかかるような田舎にあるだろうか。


 「……帰るところないだろ。」


 「じゃあ、私と一緒に来ればいいじゃない。」


 それはできない、と言いかけてやめた。おれなんかがいるとあぐねすも面倒なことに巻き込まれるかもしれない、という考えも浮かんだ。あぐねすは何でもない、という風に言ったが、おれの様な一生後ろ指を指されて生きるような人間といること自体、難しいだろう。それでもおれは、自分勝手にもあぐねすと一緒にいたいと思ってしまったのだから。


 「……そうだな。」


 「ほらー、もう遅いんだから。早く帰るよ。」


 これはわがままだ、ということもわかっていた。けれど、どうせおれには行く場所もなければ、居場所もないのだ。それなら、あぐねすがいる場所がよかった。

 再び歩き出したあぐねすの背中で、天の川のような髪がふわりと揺れた。生まれつき色素が薄い、と本人は気にしていたが、おれはあぐねすの髪の色はとても綺麗だと思っていた。今日の星空よりも、ずっと好きだ。

 髪を染めるならあんな綺麗な色がいいな、と思いながら、持ち主のようにつかみ所のない様子で揺れる髪を追いかけた。


 

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