マモノと呼ばれし彼女へと

蛸キウイ

第1話

 それは、絶好の青春ロケーションだった。

 夕焼けに染まった教室。いるのは俺と目の前の彼女のみ。大きく、黒い瞳を潤ませた彼女は頬を火照らせ、視線を彷徨わせながら、長く真っ直ぐに伸びた黒髪をくるくると指に絡ませている。

 表情こそあまり変化がなく冷静なように見えるが、その仕草からは緊張していることがありありとうかがえる。

 まさに、フィクションの中にしか存在しないと思っていた告白パターンだった。

 ふと、彼女の指が動きを止める。

 彼女は首を大きく左右に振ると、ふっと息を吐く。

「よし……」

 小さくそう呟き、決意を込めた瞳でこちらを真っ直ぐに見つめる。

 彼女の口が薄く開き、言葉が溢れる。

 

「先輩。世界一好きです。一生一緒にいて欲しいです。でも、私のことは好きにならないでください」

 あまりにも矛盾したその言葉が、彼女の告白だった。



 学校が終わり家に帰ると、部屋には既に彼女がいた。合鍵を渡したりはしていないはずなのだが、まぁ、いつものことだった。

「先輩、今日も私のこと好きじゃありませんか?」

 リビングに入ってきた俺を見ると、開口一番、そんなことを聞いてくる。

「あー、普通」

「はい、ありがとうございます。私は今日も大好きですよ。そのままずっと惚れないでくださいね」

 この問いかけも告白もいつものことだったので、特に驚きもなく答えを返す。

 どう考えても不自然な会話だった。

 しかし、俺たちの間ではこれが『いつも通り』だった。


「あ、しまった」

 制服から部屋着に着替え、なにをしようかと考えていた時だった。

「どうしました?」

「夕飯の買い物忘れてた。16時半から醤油が特売だったのに」

 今の時刻は16時。ここから特売をやっているスーパーまでが大体5kmほど。徒歩で間に合わせるのは、少し厳しい。自転車を使えば間に合うかもしれないが……

「貸す約束しちゃってるんだよなぁ」

 朝、妹が友達と遊びに行くのに使いたいと言うので何も考えずにOKしてしまった。

 妹はまだ帰ってきていないので、自転車自体は家にある。事情を話せば待っていてくれるだろうが、一度約束した手前、それはしたくなかった。

「私、買ってきましょうか?」

 悩んでいる俺を見かねて、彼女がそう尋ねてくる。

「頼んでもいいか?」

 彼女に頼むのも気が引けたが、明日の朝食が味無しになるよりはマシだろう。

「ええ、任せてください」

 そう言うと、彼女はそうするのが当たり前かのように、自然に窓から身を投げ出した。

 重力に従い、体は当然落下していく。うちはマンションの5階にある。落ちれば当然無傷ではすまないだろう高さ。

 しかし、彼女は空中で体勢を整えると、まるで猫のように、すたっ、と音もなく着地した。

軽く状態を確かめた彼女は、俺が見ているのを確認してこちらに小さく手を振ると、風を切るような速度で走り出した。恐らく時速は60km前後。あ、車抜いた。

 彼女が走る様を見つめていた俺は、その姿が見えなくなってようやく、目線を外した。


 ――マモノ。それこそが、彼女の特別性を表す称号であり、彼女が俺に好かれまいとする理由だった。


 人には、明確な限界が存在する。

 どれだけ努力を重ねたとしても、生来の才能があったとしても、人は鳥のように飛ぶことも、獣の速度で走ることも出来ない。機械を、科学を、文明を使えば、鳥以上に速く空を駆けることは出来るだろう。獣より速く移動することは容易だろう。しかし、人の身1つでそれに至ることは決してない。

 だが。その常識を、限界を、悠々と超えていく者がいる。『人の枠』から外れた者がいる。

 決して無敵ではない。最強などとは程遠い。例えば銃で撃たれれば、あっさりと命を落とす程度でしかない。だがそれでも、明らかに人類の『域』にはいない。

 そういう者達を総称して、『マモノ』と呼ぶ。

 彼女も、その1人だった。


 20分ほど経って。妹が無事自転車に乗って出かけてすぐ、彼女が帰ってきた。

「ただいま戻りました」

 帰りも走ってきたのだと思うが、汗1つかかず、息すら乱れていなかった。

 彼女は両手いっぱいに持ったレジ袋をキッチンに置くと、中のものを次々としまっていく。

 というか、

「なんかめっちゃ買ってきてないか?」

 明らかに特売の醤油だけではなかった。

「ああ、はい。ついでに色々と買い足しておこうかと思って。3店舗ほど回っていたら遅くなってしまいました」

 5km離れたスーパーを往復するだけではなく、他の店にも行ってきていたらしい。移動は100歩譲って無視したとしても買い物だけで時間オーバーしそうだった。

「なるべく効率良く回れるように頑張りました」

 ふん、と息を吐き、こころなしか得意げな表情をしていた。

 頑張るだけでなんとかなるようなものでもないだろうが、彼女に常識を語っても仕方がない。常識の範囲外にいるからこそ、彼女は『マモノ』なのだ。だからナチュラルに心を読まれてもツッコミはしない。

「にしても、こんなに何を買ってきたんだ?」

 整理を手伝いながら、冷蔵庫にてきぱきと食品を詰めていた彼女に問いかける。

「ええと、まず今しまってる食品系が半分くらいですね。なくなりかけの調味料が結構あったので」

「あー、そういえば味噌とかもうほぼなかったな。というか、冷蔵庫の事情まで把握してるのか」

「もちろんです。先輩のことなら何でも把握していますよ。昼のおかずも夜のオカズも献立表にしてまとめています」

「はぁ」

 こいつなら本当にありそうなのが少し怖かった。

「昨日は人妻不倫系でしたね。なるべく私がタイプにならないような性癖を育成した甲斐がありました」

「その話続けるか?」

 俺は続けたくない。

 話題を変えるため、レジ袋の中を漁ってみると、妙なものを見つけた。

「ん? なんだこれ……『デスダンス』?」

 入っていたのは、真っ赤な瓶だった。パッケージには、これみよがしな死神マークと『キケン』という赤文字。裏には小さく『先に救急車を呼んでおくことをオススメします』とある。

 どう考えてもまともな食品ではなかった。というか殺戮兵器だった。

「はい。知りません? すごく辛いらしいんですけど。なんでも、一舐めするだけでもだえ苦しみ、激痛にのたうち回ることになるとか。その姿がまるで舞踏の様に見えたことから付いた名が『デスダンス』なんだそうです」

 怖すぎる。この食品もだがなによりそれを買ってくる感性が。

「なんで買ってきた?」

 嫌がらせだろうか。

「辛いのはお嫌いかな、と」

「得意ではない」

 嫌がらせだった。

 よく見ると、レジ袋の中はそのほとんどがまともには食べられないような食品だった。

 激臭がしそうなシュールな感じの魚の缶詰に謎の角が刺さった肉、冒涜的な感じで蠢く海産品もあった。

 最後のは見なかったことにしよう。こんなところで正気を失いたくはない。

「こんなことわざわざしなくても惚れないって何度言えば分かるんだ……」

 思わず、大きく嘆息してしまう。

 彼女には1つ、悪癖があった。それが『俺に嫌われようとする』こと。

 あの日、告白をされたときから一貫して、彼女は俺に『好きになるな』と言い続けている。

 あちらから告白してきて、今でも好きだというアピールはしてくるくせに何故嫌われようとするのか。

 理由は単純だ。彼女が『マモノ』であるから。


 マモノには、『マモノ三原則』と呼ばれるルールがある。

 1つ、マモノは、集めてはならない。群れれば何を起こすか分からないから。

 2つ、マモノは、迫害してはならない。孤独は必ず、反発を生むから。

 そして3つ。――マモノは、愛されてはならない。愛は憧憬に変わり、やがて崇拝へと至るから。

 この3つの原則が、人類が人ならざるヒトと関わるために作り出した防御策ルール

 同類と交わることは許されず、しかし孤独に生きることも出来ない。それなのに、誰からも決して愛されない。それが、マモノという『種族』に課せられた生き方だった。


 だから彼女は、俺に決して好きになることを求めない。むしろ、積極的に嫌われようとすらしている。

「というか、お前が好きになるのはセーフなのか?」

 今まであまりにも自然に好き好き言ってくるから気にしたことがなかったが、良いのだろうか。

「大丈夫です。三原則は、私たちマモノ側には何の制約もないですから」

 彼女はこともなげに言った。

「マモノは、愛されてはいけません。――でも、マモノが愛しちゃいけないとは、どこにも書いていないんですから」

 なるほど。詭弁のようにも聞こえるが、マモノ三原則は人がマモノと関わるために作られた、人の法だ。それならば、マモノの行動に制限がかかるわけではないというのも頷ける。

「あれ、それならマモノ同士ならなにやっても良いって事じゃないのか?」

「ああ、はい。そんな感じだったりもするみたいですね。マモノ同士の合コンとか、実は結構開かれてたりするらしいですよ」

 思った以上に楽しそうな人生を送っているらしい。しかし、それならば、

「お前もマモノと恋愛すれば良いじゃないか」

「先輩がマモノになってくれるんですか?」

「ならんしなれん。俺以外と恋愛すれば良いだろう」

「……先輩、それは乙女心を傷つける発言ですよ」

「……すまん」

 どうあっても、俺以外と恋愛するつもりはないらしい。いや、俺とも恋愛は出来ないわけだが。

「しかし、何度も聞くが、なんで俺なんだ? なんの光るところもない人間だと自負しているんだが」

「だから、何度も言っているように、それで良いんです。先輩の『当たり前』なところが私は好きなんですから」

 あの日、夕暮れの教室で告白された時から繰り返してきた問答だった。

 俺は、自分が特筆するべきところのない人間だと知っている。

 マモノはおろか、人の枠の中でさえも凡の凡。才能なく、熱意なく、それが故に努力もしない。

 ただ、人より少しだけ、『決まりごと』を守るタイプであるというだけで、それ以外にはなんの個性もない。

「先輩は今のままで良いんですよ。役に立つものなんて大抵碌なものじゃありません。才能のせいで人間じゃないって烙印を押された私が言うのだから、間違いないです」

 俺の心中を察したかのように、彼女はそう優しい声音で言う。

 自虐のようにも聞こえるその言葉は、しかし本心からそう思っているのだろうと感じさせる力があった。

 

 

「それじゃあ先輩。今日はもう帰りますね」

 夕食を食べ終えると、彼女はそう言って立ち上がった。

「ああ、気をつけて」

「何にですか?」

「車」

 マモノといえど、車に轢かれれば痛いし怪我もする。なにより、事故処理が面倒だ。

 その意図を汲み取り、彼女は薄く微笑んだ。

「そうですね。面倒は嫌です。……それでは」

 がらり、と窓を開けると、さっき買い物に行ったときと同じように、彼女はそこから飛び出した。 

「なんで入る時は玄関からなのに出ていく時は窓なんだろうなぁ……」

 一方通行なのだろうか。

 疑問を口に出すが、当然その返事は返ってこない。

 

 少しずつ離れて行く彼女を見つめていた。

 さっきとは違い、歩いている彼女の姿は中々消えていかない。

 しかし、確実に、段々と小さくなっていく。

「マモノ、か」

 ぽつりと呟く。

 歩いている姿は、普通の、どこにでもいる美少女にしか見えない。美少女はどこにでもはいないが。

 だが、彼女は間違いなく、『人から外れた』生き物なのだ。だからこそ彼女は、こんな歪な形でしか俺と関わろうとしない。

 人に愛されることの許されないヒトは、誰よりも真っ直ぐに愛を伝え、誰よりも真摯に『愛するな』と訴えてくる。

 愛されてはならないと知っていて、思い人に嫌われようと行動しながら自分の愛を伝えるのは、一体どれほどの苦痛を伴うのだろう。

 

 ……だから、俺は応えなければならないのだろう。

 それがたとえ、禁じられたものだとしても。

 マモノと呼ばれる彼女に、それでも思いを伝えなくてはならないのだろう。

 







 携帯がバイブ音を鳴らした。見ると、彼女からの連絡だった。

 そこに書かれていたのは、短く、しかし決定的に台無しな一言。

『そういえば、三原則の話ですけど。あれ、人の方でもあまり守られていないそうですよ。若者の自転車マナーと似たような感じだとか』

 

 ――これは、禁じられた恋だった。具体的には、自転車の歩道通行くらい。

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