「おっぱいを揉ませてください」

シン・ミカ

おっぱいを揉ませてください

 僕の名前は飯田和也いいだかずや。今年の春、19歳になったところだ。ヤンデレキャラクター好きな2次元大好きオタクで、中学生の頃からやっているオンラインゲームで高校生活のほとんどを過ごした。

 つまりは引きこもりである。せめて大学ぐらいは卒業したほうがいいと思った僕は滑り込みで3流大学への合格を果たし、晴れて春から大学生の称号を手に入れた。

 どこにでもいそうな冴えない引きこもりで陰キャラの僕だけど、ある野望を密かに抱いていた。

 それは――。


 女の子のおっぱいを揉むことである。それも3次元のだ。


 2次元キャラクターは完璧な可愛さ、完璧な性格、そして完璧なスタイル――どこをどう取っても3次元なんかが勝てるはずないのだが、欠点があることを誰もが知っている。それは触れられないということだ。

 その欠点をどうにか補おうと枕元で妄想にふけってみたこともあったが、やはり経験したことのない僕にとっては難易度が高いものだった。

 そんな報われない努力を重ねているうちに、いつしか「本物をさわればいいのだ」と思うようになっていったわけだけど、異性とほとんど会話をした事のない僕がそんな願いを抱いたとしても叶うわけもなく――先程の言葉通り密かに抱いているだけなのだ。


 ――だがそんな僕に転機は訪れた。

 大学は地元から遠い場所にあり、一人暮らしをするべく僕は家を出たのだが、金銭的に足りなくなってしまった。親からの仕送りは家賃分ぐらいしか振り込まれず、オンラインゲームに課金もできなければ、食費すらままならない。

 このままでは餓死すると感じた僕はバイトを始めることにしたのだ。業種はコンビニ。初めてのバイトなら楽そうだから、という安直な理由で選んだのだが――そこで運命の出会いを果たしたのだ。



「よろしくなっ」



 気さくな挨拶を交わしてきた彼女の名前は相良美希さがらみき。僕の1つ上の先輩だ。明るくした髪を肩まで伸ばしていて、僕が好むタイプとは正反対なヤンキーのような印象を受ける。


 それだけなら彼女に興味を持たなかっただろう。だが、彼女の胸元には――育ちすぎたメロンが2つぶら下がっていたのだ。

 心の中が激動に満ち溢れる。高校時代でもお目にかかったことがないほどの大きさに、形――それは服という布切れで包み込まれても尚、わかるぐらいであった。



「……」



 そんな僕の様子をいぶかしげに睨む相良さがらさん。

 男とは不思議なもので、見ようとするつもりがなくても、ついつい視線が寄ってしまうものなのだ。

 どうやらその欲望に塗れた視線を悟られてしまったらしい。宝物を目の前にして視線を逸らすなんて僕には出来なかった。



「えっと……その……」



 だけど気まずい事には変わらない――何か言わなければ。

 焦った僕は口を大きく開き――。



「おっぱいを揉ませてください!」



 密かに抱いていた欲望を叫び散らした。



「はっ?」



 バイト生活の――否、人生の終わる音が聞こえたような気がした。僕は何を言っているのだろうと。言い終えてから気づいたのだ。

 あぁ――死にたい。いっそ殺してくれ。先程よりも鋭い眼力を感じる。



「まままま、間違いました! ごめんなさい!」



 僕は頭を床にしずめる勢いで渾身の土下座を披露した。頭に伝わる冷たい感覚が相まってズキズキと脈打つ。というか頭がクラクラしてきた。



「おいっ、今凄い音鳴ったけど大丈夫か?」


「本当にすみませんでした!」



 声を大にして謝罪を告げる僕。誰がなんと言おうと情けない姿を晒していた。



「ちょっ、こんな所で止めろ。頭を上げ――」


「本当に――」


「わかった! わかったから。聞かなかったことにしてあげるから! 頭を上げてくれる?」



 すみませんでした。と言う前に相良さんの怒鳴りにも似た咆哮が止めに入ってくれた。



「ありがとうございます」


「もういいから……仕事に取り掛かるぞ……」



 これが僕と相良さんとのファーストコンタクトだった。

 僕はその日から、どうすればあの豊満な2つのメロンに触れることが出来るのかと、大好きなオンラインゲームをぜすに2日間もベッドの上で考えこんだ。女の子への耐性がゼロの頭脳がどんなに考えてもいい案なんて浮かぶわけもなく、諦め半分の気持ちでゲームをするためにパソコンへ向かった。



「ん?」



 いつものようにゲームの攻略サイトを開くと左側のスペースに黒と赤色の文字で書かれた不気味な書籍の広告が目が止まった。


【異性を操る術~年齢イコール彼女(彼氏)いない歴の君が10日でモテモテになった手法~】


 胡散臭い――とても胡散臭いラノベのタイトルのような書籍であった。



「くだらない……実にくだらない」



 僕はそんな独り言を呟きながら、広告をクリック――その書籍をカートに入れる。ものの10秒で購入ボタンを押したのだった。

 すると即座に受付完了のメールが届いた。



「なになに、ご購入ありがとうございます。商品につきましては既に発送させて頂きました。到着予定は――今日の夕方!?」



 こうして僕は胡散臭い本で異性を操る術を学ぶ事となった。

 だけど読んでみると胡散臭い言い回しとは裏腹に、心理学者達の根拠に基づいた異性を操っていく方法というもので、異性との接し方がわからない僕には物凄く参考になった。


 2日の学習を終え、僕は読んだすべての内容を頭のノートに記憶した。



「ファーストコンタクトを迎えたあの日、僕は死んだんだ。だけど死んだのは今までの自分だった。明日からは飯田和也・ネオとして生まれ変わるのだ」



 そして3日目の早番――飯田和也・ネオとなった僕は相良さんのおっぱいを揉むためにコンビニへ出陣――改め、出勤したのだった。





 出勤して間もなく相良さんはやってきた。

 コンビニの制服しか見たことなかったけど、私服姿は意外と可愛い印象。土下座という衝撃的な初対面だったので声を掛けにくかったが、そんなどもる気持ちを跳ね除けて、勇気を出して挨拶をした。



「さ、相良さん。おはようございます」



 ここで早速、本から学んだ小技を実行した。

 【ネームコーリング】というもので、相手の呼称を敢えて会話に入れることによって好感度が上がるらしい。

 そもそもなんであんな冷たい眼差しを放たれたのか、それは好感度が足りなかったからなのだ。つまりは好感度を上昇させることで、「おっぱいを揉ませて欲しい」という頼みを聞いてくれる確率が上がると僕は踏んだのだ。



「……お、おう。早いな」



 相良さんは僕を見るなりやや気まずそうに目を細めた。

 あの土下座を目の当たりにした後なのだから気まずい気持ちもわかる。



「お……じゃなくて、早起きなんです」



 危うく禁断の果実へ目線を下げて欲望の権化を口に出しそうになったが、堪えることに成功した。



「へぇ……」



 それだけ言って相良さんは着替えに行ってしまった。

 次はどうするべきか――そんなときこそ【異性を操る術】の教えなのだ。僕は記憶のノートをペラペラとめくり、使えそうな技を探していく。



「なるほど、褒めると好感が上がるのか」



 【アンビバレンスの法則】――人は誰しも二面性を待っており、コンプレックスを抱えている。


 女の子に対して褒める時、表面に出ている部分ではなく、裏側に潜んでいるコンプレックスや欠点を褒めてあげると良いらしい。

 例えば奇抜で料理なんて出来そうにないギャルに対して「料理が上手そうだね」と言うのがいいという。

 そんなことを考えていると、ちょうどいいところに着替え終わった相良さんが姿を見せた。



「飯田、品出しまだ残ってるぞ」


「相良さんっていいおっぱいだよね」



 自然な笑みで僕は言い切った。

 胸が大きいのはコンプレックスだと聞いたことがある。だから僕は迷わずにそのコンプレックスを本心で褒めた。これで好感度爆上がり、間違いない。



「ん? 今なんて?」



 相良さんのキツい視線と声色。どうやらまたも、やらかしてしまったらしい。それは相良さんの態度で察することができた。僕の頭の中では既に土下座をしている風景が思い浮かんでいる。



「すみませんでした!」



 というか土下座した。素早い判断であった。



「ちょっ、またっ」


「本当に――」


「もういいから、お客さん見てるから本当にやめてくれないか?」


「……はい」



 その後は少々睨まれながらも仕事をしたのだが、その件には触れてこなかった。

 相良さんはどうやら財布を忘れたらしく、帰り際、僕にジュースを奢らせてくれた。もちろん僕の方から提案した。課金して経験値2倍ポーションを手に入れるよりも、相良さんとの好感度を2倍にする方がいい。

 気さくに「サンキュー」と言って自転車に乗って去っていく相良さんのメロンは今日も揺れていた。


 こうしてセカンドコンタクトが無事終了。まずまずの成果だと僕は思っている。





 次の日の夕方――偶然にもまた相良さんと時間帯が被っているので、僕はワクワクしながら待っていた。

 そろそろ好感度も上がってきたと判断したので、今日はとっておきの技を試したいと思っている。

 それは【イエス誘導法】といって、会話でイエスを言わせ続けて難易度の高い要求を混ぜて承認しやすくする手法。



「最近暖かくなってきましたね」



 やってきた相良さんに当たり障りのない会話をぶつける。

 まずは確実なイエスを取るため、ジャブを打つことによっておっぱいへの階段を登っていくというわけだ。今日の僕は冴えている。



「ん? そうだな」


「もう春なんですね」


「まぁな」


「春といえば花見ですね」


「そうだな」


「おっぱいを揉ませてくれますか?」


「そ……え?」



 よし、作戦どおり。

 相良さんは受け入れやすくなり、イエスと言いやすくなっているはずだ。



「あのなぁ、飯田……」



 歯切れが悪い。どうしたんだろう、イエスと言うだけだよ相良さん。



「ぶへっ」



 だけどその返しはビンタという物理攻撃で行われたのだった。

 その後、相良さんは不機嫌なまま仕事を再開。就業の時間までお互い一言も喋らないまま業務をこなした。どうやら今日は失敗に終わったようだ。



「あっ――」



 着替え終わって帰る際、相良さんが突然慌てるように声を上げた。

 僕は無視して帰ろうと思った。だけどこれは気まずい空気の改善と、おっぱいを揉ませてくれるチャンスに神様が用意してくれた何かしらのイベントなのではないかと妄想を膨らませ、声をかけることにした。



「どうしたの相良さん」


「携帯忘れちまった……親に連絡しないとまずいんだよ。10時までに」



 只今の時刻は9時57分。あと3分でタイムオーバーじゃないか。



「なぁ飯田、携帯貸してくれないか?」



 僕が先程発した無礼な発言により怒っているものだと思っていたが、頼み事をしてくるとはそれほど大切な用事なのだろう。これを気にさっきの不敬を許してもらいたい。



「いいですよ」



 だから僕はいさぎよく携帯を差し出した。

 相良さんは親への電話を済ませてすぐに携帯を返してくれる。



「サンキュー」



 そう言って相良さんは笑みを浮かべる。その笑顔が一瞬可愛いと思ってしまった。

 いかんいかん、僕はもっと瞳孔の色を失った病んでるお姉さんが好きなのだ。惑わされてはダメだ。

 これが僕と相良さんのサードコンタクトだった。





 それから4日が経った。ようやく相良さんとシフトが被る日がやってきた。

 僕は小刻みに震えながら相良さんを待つ。



「おはよう、相良さん」


「おはよう」



 早速やってきた相良さんといつものように挨拶を交わす。少しばかり眠そうな面持ちで目を細めながら唇をすぼめている。

 この前の件もあり、そんな相良さんの表情が可愛く見えてしまうのは気のせいだろう。



「相良さんってイヌ派ですか? 猫派ですか?」


「どうした急に……猫派だな」


「猫派ですか、僕もです。じゃあ蕎麦とうどん、どっちが好きですか?」


「私はうどんだな。蕎麦ってあんまり食べる機会ないし」


「僕もうどんですね。近くにうどん屋もあるし、この辺は行きやすいので。もしデートするなら映画とカフェどっちがいいですか?」


「デート? ん~……したことないからなぁ……強いて言うなら映画?」



 僕にしてはまともなことを言っているように感じるかもしれないが、何もただ無作為に質問しているわけではない。これは準備をしているのだ。

 【ダブル・バインド】――何かを要求する際、やってもらうことを前提として選択肢を2つ以上与えるという手法。

 例えば主婦の方が旦那さんへ家事を頼む時、「お風呂掃除やって」と頼むのではなく「お風呂掃除か、洗い物どっちがいい?」と選択肢を与えることで、どちらかの要求を通しやすくするものだ。

 さらに先日試した【イエス誘導法】を応用して段々と要求を大きくしていくスタイルを確立したのだ。



「レジ打ちと品出し、どっちがいいですか?」


「品出しかな?」


「わかりました! じゃあ僕はレジ打ちをしますね」


「レジ打ちをするなら、お金のチェックも頼めるか?」



 お金のチェックは本来、前のシフトの仕事で僕の領分ではないのだが、相良さんの頼みなら甘んじて受けよう。



「わかりました!」



 今です! と格闘ゲームの必殺技を発動するタイミングかの如く脳内に声音が響き渡る。



「金曜日と土曜日、どっちならおっぱい揉んでいいですか?」



 その必殺技の結果は「時が止まる」だった。相良さんとはしばらくの間、時間が止まったかのような気まずい見つめ合いが発動する。



「あのさ……」



 ようやく時が動き出したかと思えば、相良さんは呆れた様子で口を開いた。



「な、何でしょうか」


「飯田って変態なの?」


「へ?」


「いや……仕事は真面目にやってるし、なんとなく悪い人じゃない気はするんだよ。でも言動がちょっと……いや大分おかしい」



 僕はおかしいだろうか。とりあえず謝るという選択肢が瞬時に頭を過ぎった。



「すみません」


「別に謝らなくても……やっぱなんでもない、今のは忘れろ」



 さっきの質問の答えを貰っていない。頭の隅には金曜日も土曜日も予定が開けている僕が待機している。だけどなんとなく、相良さんが落ち込んでいるようにも感じたので質問の催促は出来ない。

 そのままバイトの規則通りの、プライベートの会話など一切無く、就業間際の時間まで迎えてしまった。



「飯田」



 だけどその規則を最初に破ったのは相良さんだった。

 手のひらを頬に添えながら小声で囁いてくる。



「どうしました?」


「あの客、しつこく誘ってくるんだよ。だからレジの相手してくれないか?」



 あの客――視線の先には大柄で、筋肉の鎧を纏った男が品物を選んでいた。強面の顔には古傷があり、どう見ても裏稼業の人に思える。

 僕は大急ぎでかぶりを振ろうとした。怖かったからだ。好きでもない女の子のために身を売るようなことは出来ない。


 ――が、そこで僕の背後から電撃が走ったかのような閃が訪れた。

 確か本には【好意の返報性】という心理があった。人は与えられた好意に対して何かを返したくなるというものなのだが、この試練をこなすことでおっぱいへの道が開かれるのではないだろうか。いや、開くぞ確実に。



「わかりました」



 僕はキリっと表情を切り替えて、できる限りダンディーな声で了承のむねを伝える。

 相良さんはその間、店長室に隠れるということだった。



「おっ? デカ乳のねーちゃんいねーのか?」



 レジに来た強面の男は覇気でも出しているかのような眼力で睨みを効かせてくる。



「い、今――別の仕事をしてます」


「かぁ……おめぇーじゃ意味ねーんだよ。なんのためにこんな辺鄙へんぴなコンビニに来てると思ってるんだ」



 概ねこのコンビニの評価には同意。

 あの巨大なメロンが栽培されてなければこのコンビニに価値などない。



「ろ、680円でーす」



 僕は覇気に臆することなくバーコードの読み取りを済ませた。負けるな僕。



「おい、あのねーちゃん呼んでこいよ」


「そ、それは無理でーす」



 出来る限りの笑顔を作り、先程と同じトーンで断りを入れる。



「ふざけてんのか?」



 だけど強面の男はいきなり胸ぐらを掴んで来た。やばい、僕の人生がまた終わりそう。



「君、何をしている! 警察を呼ぶぞ」



 ここでタイミング良く店長が登場。強面の男は舌打ちをしてとっととコンビニを出ていった。耐え難い――なんて耐え難い仕打ちだ。

 事なきを得た僕はすぐ家に帰るべく歩みを進めたわけなのだが――帰り際、相良さんが申し訳なさそうに「ごめんね、ありがとう」と言ってくれた。


 家に帰った僕は仕切りに今日の出来事を思い出し、身体を震わせた。

 生まれてこの方喧嘩した経験などなかった僕が胸ぐらを掴まれたのだ。その恐怖はおっぱいを要求するのも忘れるほどだった。

 なんで僕はレジを変わったんだろう。こんな怖い思いをするなら変わらなけれな良かったと。



「ありがとう」



 何故か相良さんの言葉が頭を過る。僕はゲーム以外で誰かに頼られることなんてなかった。だけど相良さんはなんだかんだ、こんな僕を頼ってくれている。

 相良さん。相良さん。相良さん――。

 相良さんで頭が支配されていく感覚。

 初めて体感するこの感覚はなんなのだろうか。考えても答えはでない――モヤモヤする。

 だけど不思議と恐怖心はどこかへ消えていて、僕は目的を思い出す。

 やることは1つ――おっぱいを揉むことなのだ。

 明日もバイトが被ることを知っている僕は、これまでの全能力を駆使して決戦を仕掛けようと覚悟を固めるのだった。





 【ザイオンス効果】というものを知っているだろうか。人は顔を合わせる度に警戒心を解いていくというもので、ある学者の実験ではその警戒心が都合よく無くなり出すのは5回目以降らしい。

 今日がその、相良さんと顔を合わさる5回目のコンタクト。

 つまり今日までのこと全てが僕の作戦の一部だったというわけなのだ。警戒心がない今では、なんの要求でも受け入れやすくなっている。ということは僕の天下布武の始まりなのである。

 そしてあろう事か、本日の夕方。相良さんは駅前に用事があるらしく僕と帰り道が一緒なのだ。これはチャンスを通り越して激アツの事態である。



「それで話って?」



 隣を歩く相良さんが声を掛けてきてくれた。前ぶりに「今日は話があります」と伝えてあったのだ。

 ――今こそ自分のおっぱい道を死んでも守りぬく時!



「相良さん、僕とキスしてください!」


「キ、キス!?」



 相良さんは驚くように目を見開いている。この要求はきっと断られるだろう。だがそれが【ドア・インザ・フェイス】の真骨頂なのだ。

 【ドア・インザ・フェイス】とは最初に無茶な要求をして、後から段階の下げたお願いをすることで要求を受け入れやすくするという手法。


 よくある話ではお金を借りる場合だ。いきなり「千円貸して」と頼むよりも「1万円貸して」と1度頼んでから要求する方が「千円ぐらいなら……」と成功率が上がるあれだ。



「キスは無理かな……」



 唇に人差し指を添えて、頭を斜めに俯ける相良さん。気のせいかほんのりと頬が赤い。そんな相良さんの姿に思わず僕の胸がドクドクと音を立て始める。



「じゃあ――」



 言うんだ。言うんだ僕。



「おっぱいを揉ませてください」



 言い切った。僕の全身全霊の10日間をぶつけたのだ。了承されてもいないのに何故か達成感が体中から込み上げてくる。


 ――そして頭がクリアになり、不思議と冷静さが浮上する。今までの傾向からだとノーと言われるに違いないと思い始めていたからだ。というかよく考えてみればキスもおっぱいも変わらないんじゃないか? とも感じていた。

 だってそれって普通はこ、交際してからするものじゃないか。


 ――あぁ、また僕はやらかしてしまったのか。大人しくいつものように土下座をしよう。



「いいよ」


「ごめんなさ――――えっ?」



 今なんて?



「ごめん――聞こえなかったんだけど、今なんて言ったの?」


「いいよって言ったんだ」



 ――――――計画通り。

 今僕の内側に潜む顔はノートで大量殺人を企てた青年のような表情をしているだろう。


 だけど――。

 ここで何故か、相良さんに対しての罪悪感が芽生えてしまう。

 目の前に大きな果実が2つあるのにそれを食べたら何か大切なものを失ってしまうと感じたのだ。それは昨日からモヤモヤしていた気持ちの正体でもあって――おそらく僕の恋心なのだ。



「相良さん――」



 待ったを掛けるには十分な理由だった。僕はおっぱいよりも相良さんの事が好きになってしまったのだから。



「【認知的不協和にんちてきふきょうわの解消】」


「……へっ?」



 相良さんのボソッとした小声の呟きに、僕は頭を真っ白にした。

 それは【異性を操る術】の最後のページに記載されていた言葉だったからだ。


 【認知的不協和にんちてきふきょうわの解消】とは人が抱える行動や不快感に無意識のうちに理由を付けること。

 例えば何故ゲームをするのか? それは楽しいからである。レベルが高いからである。優越感に浸れるからである。というように理由は無意識のうちに作られている。

 恋愛に関してなら吊り橋効果などがいい例だろう。危機感ある状況のドキドキの理由を無意識のうちに異性へのドキドキに刷り込ませるというもの。


 海外の有名な大学の実験では川に溺れる人を助けた結果、助けられた人ではなく、助けた側の方が助かった人を好きになる方が多いとのことらしい。


 それは「何故助けたのか?」という自問へ無意識に「好きだから」という理由を付けているからなのだ。

 これを今回のことに置き換えるなら、相良さんの頼みを聞き続けた僕は無意識のうちに好きへ誘導されていたということになる。



「ふふっ」


「えっ――」



 相良さんは妖艶な笑みを浮かべながら、鞄からあるものを取り出した。それは――【異性を操る術】という僕の持っているものと全く同じ本だった。

 脳裏には今まで相良さんが幾度となく頼みごとをしてきた光景がフラッシュバックする。どうして相良さんが僕を頼るのか? 答えがそこにあった。



「飯田は私のものだ」



 そう囁く相良さんの瞳孔は色を失っていた。それは僕好みのヤンデレキャラクターの持つ瞳と同じ。

 人は二面性を持つとはよく言ったものだ。



「ずっと一緒にいようね」



 そんな言葉を投げ掛けられたらドキドキが止まらないよ。どうやら操られていたのは――僕の方だったようだね。

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「おっぱいを揉ませてください」 シン・ミカ @sinmikadon

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