第10話
結局アルトくんは戻らないまま初日の仕事が終わった。
お店を閉める作業が終わる頃にはかなり疲労が溜まっていて今ならベッドに倒れた瞬間眠れる気がする。
「お疲れー、一日やってみてどうだった?」
「つ、疲れました……」
閉店の看板を出したリンダさんに聞かれ素直に答えると声をあげて笑われた。
「そりゃそうだろうね、でも疲れるくらい頑張ってくれたんだから私は嬉しいよ。はいこれ、今日のお給金」
渡されたのは数枚の貨幣。
私がはじめて自分で稼いだお金だ。
「あの、リンダさん!これで果物を売ってください」
「果物?」
「はい。ソニアさんとウォルトさんにお礼をしたくて」
生活に必要なものを買い揃える事も大事だが、私を受け入れてくれた二人に何かお礼がしたかった。
何がいいかと考えて果物ならすぐに食べられるし喜ばれるのではと考えたのだ。
「そう言うことなら任せて。今日の分だとこのオレンジ二つかな」
リンダさんはオレンジを二つ棚から取り出して袋に詰めると私に渡してくれた。
そして私が差し出した手のひらからオレンジ二つ分の貨幣を引く。
余った分はちゃんと貯めて必要なものを買うのに使おう。
「スザンナちゃんのお礼、二人ともきっと喜んでくれるよ」
「はいっ!」
微笑むリンダさんに見送られ、オレンジの袋を抱えて私はお店を出た。
仕事場のすぐ隣に家があるというのは疲れた体にとってありがたい。
家の中に入ろうとドアに手をかけた時いきなり誰かに肩を掴まれた。
驚いて振り返ると鋭くこちらを睨み付けるアルトくんが立っている。
「どうやってウォルトのおっさん達に取り入った。金か?母さんにまで取り入ろうったってそうはいかないからな」
ぎり、と私の肩を掴む手に力が入る。
爪が食い込んでいるのか少し痛い。
「私にお金はないよ、だからリンダさんのところで働かせてもらってるの」
「嘘つけ。貴族は金で何でも言うこと聞くと思ってるんだろ、俺達を便利な駒か何かとしか思ってないんだ!」
私の言葉はアルトくんに届かない。
それだけ彼は貴族を恨んでいるのだろう。
「どうしてそんなに貴族が嫌いなの?」
肩の痛みを堪えながら問い掛ける。
「……あいつらは……父さんを……俺から奪ったんだ!」
吐き出された声には悲しみや苦しみが混ざっていた。
「それって……」
「とにかく今すぐこの村から出ていけ、お前みたいなやつここにはいらないんだ!」
私の言葉を遮りアルトくんは力任せに肩を揺する。
つい手が緩み抱えていた袋が地面に落ちた。中からオレンジがひとつ転がりでる。
「こんなもので気を引こうなんて無駄なんだよっ」
「やめて!」
私がオレンジを拾うより早くアルトくんが拾い上げ地面に叩き付けて踏み潰す。
ぐしゃりと潰れてしまったオレンジに呆然としている間にアルトくんはくるりと背を向け帰ってしまった。
幸いひとつは無事だ。
のろのろと潰れてしまったオレンジを拾い家の裏手に持っていった。
土がついて中もぐちゃぐちゃになってしまった、これでは食べられない。
勿体無いと思いながらそっと地面に埋めて隠した。
手についてしまった土を払い落として残ったオレンジの袋を持ち家の中に入る。
「ソニアさん、ただいま帰りました」
明るい声で帰宅を告げるとキッチンからソニアさんが出てきた。
「お帰りなさい。リンダさんのところはどうだったかしら?」
「覚えることがたくさんあって、でもとても楽しかったです。これ、お土産のオレンジです。はじめてのお給金で買いました。ソニアさんとウォルトさんに」
袋を差し出すとその中身を見たソニアさんがやさしく頬緩む。
「まぁありがとう。きっとウォルトも喜んでくれるわ。もうすぐ夕飯の支度が終わるから手を洗ったら食器を並べてもらってもいいかしら?」
「はい!」
私は元気良く頷くと手を洗う為に洗面台に向かった。
手に少し残っていた土を洗い流しながら深く息を吐く。
「……こんなこと何でもない……辛くない、私は大丈夫、すぐに大丈夫になる……」
キッチンにいるソニアさんには聞こえないように小さな声で自分に言い聞かせる。
森で男達に追い掛けられた時だって、川に落ちた時だって、公爵家にいた時に父と思っていた人に愛されなかった時だってなんとかなってきた。
だから今度も大丈夫だ。
私はこれくらいのことで傷付いたりしない。
けれどアルトくんの攻撃はそれだけでは終わらなかった。
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