第一幕 その4

 魔王の復活。

 それは、全人類の滅亡を意味する。

 神話の時代の遺跡といわれているグローヴ・ストーンの碑文に寄れば、

 ――全てを投げ打ち、復活を阻止すべし。

 と書かれている。

 そして、その後の時代の古文書でも、

 ――魔王を復活させてはならない。

 ――ひとたび復活すれば、全ての生きとし生けるものは屍となり、世界は崩壊する。

 と、何度も書かれており、過去数千年の人類の歴史は、いかに魔王の復活を防ぐかの戦いだったことが分かる。

 正しい歴史か、伝説かは不明だが、過去に一度復活したことがあると言われている。その時には、完全に目覚める前に倒すことが出来たそうだ。

 尤も、全人類の半分以上が死滅した、との恐ろしい記述もあるが。

 そして、こうも書かれている。

 魔王が復活する前には、必ず魔族が大量発生する。

 実際、ハルトとイリスが抱き合うなど、Hの予兆的なことをすると、魔族が発生する。

 ハルトとイリスが触れ合うことを魔王復活の予兆と捉えているのか、魔族が喜びに沸き立っているのだ。

「世界を崩壊させるか、救うか――と言えば聞こえはいいが……やることがHするか、しないかっていうのがな……」

 問題の深刻さと、その実体のギャップが激しすぎる。

「そ、そうですね……私たちのお付き合いに、世界の命運がかかっているだなんて……それがなければ、今頃はもっと――」

「ん?」

「いっ!? いえ! 何でもありませんっ」

 イリスは恥ずかしそうに、目をそらした。

「と、とにかく……あまりイチャイチャし過ぎると、危険です」

「ああ。その分だけ、世界が崩壊に近付く」

 とはいえ、彼女とどのタイミングでHしたらいい? みたいな話で世界の運命が決まるというのも、どうかと思う。

 しかし事実として、ハルトとイリスが学院に入学してから、北方からの魔族の侵略が一段と激化した。北方魔族テンペストも、魔王の復活を感じ取っているのだ。

 だから、イリスとイチャイチャしてはいけない。そう思っているのだが――、

「分かってはいるが、俺たちの中の魔王の半身が、お互いを引き寄せる。本能みたいなもんだ。ガマンしようと思っても、なかなか難しい」

「だからといって、普通のカップルのようにベタベタするわけにはいきません! 私たちがイチャイチャすると、それだけ世界が破滅に――」

「だったら何で、さっき抱きついてきたんだよ……」

「うっ! そ、それは……」

 イリスは言い訳に困った。

「ハルトくんの顔を見たら、うれしくて……何だかガマンが出来なくなっちゃって……気付いたら、飛びついていたの……」

「……っ!!」

 そんなことを言われたら、嬉しいに決まっている。今度はハルトの方が、イリスに抱きつきたくなる衝動と戦う番だった。

「それは……俺だってそうだ。だが、それが『魔王の半身ジユリエツト』の呪い、転生婚礼ネクロマンスの罠なんだ」


 ――転生婚礼ネクロマンス


 それは魔王の呪い。

 魔王の半身は、宿主であるハルトとイリスを内側から刺激し、Hしたくなるように仕向けている。

 その呪いの威力は凄まじく、時には二人を催淫状態にまで陥れる。

 突然やって来る発情期のようなものだ。

 さらに驚くべきことに、転生婚礼ネクロマンスは物理的な現象にも干渉する。

 奇跡的な偶然を引き起こし、二人にHなアクシデントを起こさせるのだ。

 実際、今日も――、

「今日のエルリック先生の拘束魔法……あれが失敗したのも、転生婚礼ネクロマンスのせいですね」

「……だろうな。転生婚礼ネクロマンスは不条理なまでの偶然を作り出すからな」

「でしたら……やはり私とハルトくんは、もう会わない方が――」

 イリスの言葉をさえぎるように、ハルトは言った。

「それが何だってんだ」

「え? ですから、転生婚礼ネクロマンスから逃れ、世界を救う為には、私たちが別れるしか……」

 イリスの瞳に涙が溜まってゆく。

「ふざけんな!!」

 突然叫んだハルトに、イリスの体がびくっと跳ねる。

「なんで俺たちが、世界の犠牲になんなきゃいけねーんだ!」

「で、でも……」

「俺は今まで諦めたことはねえ。逃げたこともねえ。そんな下らねー運命に負けてたまるかよ!」

「……でも、どうするの?」

「そんなもん、イリスとずっと一緒にいる。そして世界も破滅させねえ。俺とイリスが生きる世界をぶっ壊してたまるか!」

「……どうやって?」

「それはこれから考える!!」

「それ……本当に出来ると思ってるの?」

 そう問いかけるイリスの瞳は、救いを探している。

 ハルトは不敵に笑った。

「楽勝だ」

「ふふふ……」

「何だよ? 何が可笑しいんだ?」

「ううん。言ってることムチャクチャだけど……なんか、本当に何とかなりそうな気がして来ちゃった」

 そう言いながら、イリスは指先で涙を拭いた。

「もう。面白いこと言うから、泣くほど笑っちゃったじゃない」

 満面の笑み。

 普段の学院では決して見ることの出来ない、イリスの笑顔。

 氷のような顔の下には、こんな素の表情がある。

 それを知ったことが、ハルトがイリスを好きになった理由の一つでもある。

 お互い、一目惚れだった。

 最初はその気持ちに戸惑うばかりだった。

 しかし、二人きりで敵と戦う機会があり、お互いの中にある魔王の半身の存在を知った。

 それからだ。

 腹を割って話をして、お互いのことをよく知るようになったのは。

 それから、次々と意外な一面が明らかになっていった。

 お姫様なのに、身分に関係なく人を評価すること。

 嘘や人を騙すことが大嫌いなこと。

 兵士が戦死すると、隠れて涙を流していること。

 寮に入るのは城から長期間出る初めての経験で、前夜は楽しみで眠れなかったこと。

 甘い物が大好きなこと。

 一度、自分で服を選んでみたいと思ってること。

 普通の女の子のように、買い物をしてみたいこと。

 氷のような表情は表向きで、本当は表情豊かなこと。

 冷たい態度は威厳を保つためで、本当は優しいこと。

 キリがない。

 一目惚れは、恋だったのか、転生婚礼ネクロマンスのせいだったのか、ハルト本人には分からない。

 だが、そんなものは今となってはどうでもいい。

 今、イリスを好きな気持ちは本物だからだ。

「ハルトくん……そろそろ戻らないと」

 壁の時計を見上げ、少し寂しそうにイリスがつぶやく。

 内側から見るので逆になっているが、時計の針は二十二時を指そうとしていた。

 そろそろ見回りが来る。

 見つかると、色々と面倒なことになる。束の間の逢瀬も、終わりの時間だ。

「……そうだな」

 ハルトは戸締まりをしようと窓の側へ行った。

 窓の取っ手に手をかけたとき――突然、突風が窓から吹き込んできた。

「きゃ……っ!」

「イリス?」

 慌てたようなイリスの声に、ハルトは振り返る。

「っ!?」

 イリスのスカートが大きくまくれ上がっていた。

「だっ、だめっ! 見ちゃ……」

 イリスは慌てて前屈みになり、スカートを両手で押さえる。

 結果、お尻を後ろへ突き出す格好になった。

 その背後には、時計を動かす歯車。

 その歯車に、イリスのお尻を包む最高級の下着が挟まった。肌には食い込まず、薄い生地だけをついばむように巻き込む、奇跡的なタイミング。

「ひゃっ!?」

 イリスの下半身が引っ張られる。

「おい!?」

 ハルトは床を蹴ってイリスのもとへ駆け寄ると、イリスの両手を掴んだ。

「引っ張るぞ!」

「ま、待って」

 イリスは切羽詰まった表情でハルトを見つめた。

「どうした!?」

 歯車の力は強く、イリスの体が引っ張られる。

「ぬ、脱げちゃう……」

「言ってる場合かぁあ!!」

 ハルトは力一杯イリスの腕を引いた。

 イリスの太ももを白い布が滑り、つま先からすっぽ抜けるのが見えた。

「うわっ!?」

 急にイリスの体が軽くなり、ハルトは勢い余って後ろへ倒れる。

「きゃぁああ!?」

 そして半分放り投げられた形で、イリスはハルトの胸に馬乗りになった。

「……っ!?!!」

 ハルトの目の前十数センチ先に、イリスの秘密の花園がある。

 スカートの下には何もない。

 可愛らしいおへそと、驚くほど白い下腹部。

 そして――、

 一瞬遅れて、ふわりとスカートが降りて来た。

「は……は、はる……」

 耳まで真っ赤になったイリスが、小刻みに震えていた。

 ハルトはこの瞬間、

 ――ああ、世界がまた一歩、破滅へ近付いた。

 と思った。

 このような奇跡的な偶然、いわゆるラッキースケベを魔王の半身は引き起こす。

 典型的な、転生婚礼ネクロマンスだ。

 きっとどこかで、強大な魔族が目を覚ましていることだろう。

 ――でも、俺のせいじゃねえ。

 これもみんな『魔王の半身ジユリエツト』の呪い、転生婚礼ネクロマンスが悪い。

「なっ!? 何をしているのです!?」

 くそっ!? 見つかった!!

 金色に光る錫杖を掲げた少女が、俺たちを見おろしていた。

 この学院の生徒にしては、やけに小柄な体。

 金髪にウサギの耳のような黄色いリボン。

 白のワンピースのような制服。

 ルミナス教国の筆頭魔術師――クララ・シュトラール。

 小柄なのも当然で、クララは十二歳。

 学院の入学資格は十五歳なのだが、クララは特別に入学を認められたのである。それだけ、能力がズバ抜けているという証拠だ。

 ハルトは心の中で舌打ちした。

 こいつが今晩の見回りだったのか。また、面倒な奴が……。

「あ、あなた方は、ブレイズのハルトさんと、アブソリュートのイリスさんっ!? こんな夜遅くに……こんな場所で、なんて淫らなことをしているのです!? か、神の罰が降り注ぎますよっ!」

 正視していられないとばかりに、クララは顔を背け、手に持っている十字形の錫杖を、悪魔よ退散とばかりにぶんぶん振った。

「ち、違うぞクララ! 俺たちは殺し合っているところだ!!」

 今さらながらイリスは抜刀し、剣の刃を俺の首筋に当てる。

「へ……?」

 クララはおそるおそる俺たちの方へ瞳を向けた。

「なあんだ。そうだったのです? だったら問題な――」

 微笑みかけた顔が、再び困惑の表情へ変わる。

「問題大ありなのです!! 早く剣を納めて、立つのです!」

 イリスはスカートの裾を気にしながら立ち上がり、俺も出来るだけイリスのスカートの内側を見ないようにして、起き上がった。

 立ってみると、クララを見おろす形になる。

 しかしクララは、いかにも「怒ってます」とばかりに腰に手を当て、ぷんすか顔を披露した。

「もう消灯が近い時間なのに、こんなところで決闘なんでダメなのです!」

 いつもなら、もう少しイリスといがみ合う芝居をするところである。だが、今は差し迫った問題もある。

 イリスがノーパンなこととか。

 ここは素直に従うことにしよう――そうハルトは判断した。

「ああ、分かったよ。今日のところは、クララの顔を立てて俺も引こう」

「ふん……もう少しでとどめを刺せたものを……」

 と、クールにキメながら、スカートの裾をしっかり握っているイリス。

 また窓から風が吹き込むのではないかと、気が気ではないようだ。

「とにかく、俺たちは帰るぞ」

「待つのです。こんな夜遅くに出歩く不良さんのお二人には、ルミナスの経典からありがたいお話をお聞かせするのです」

 クララは杖を抱えたまま、両手の指を組み合わせて、天使のような微笑みを浮かべた。

「い、いや……俺は遠慮しておく」

「う……私も」

「そう言わないで、聞いて下さいなのです。きっと心が浄化された気分になって、ケンカなどしなくなるのです。明日は学内にある聖堂をご案内するのです」

 クララはルミナス教国の筆頭魔術師であり、聖人とも、光の天使とも謳われている。身も心もルミナス教に捧げており、教皇も一目置いているという。

 それ故なのか、隙あらば布教しようとする。

「いや……だからな」

「明後日には、入信の手続きをするのです」

 ゆるふわ系のキャラのはずが、布教の時だけは妙に押しが強い。

「さあ、共に祈りましょう……ルークス」

 ルークスとはルミナスの祈りの言葉で、『光』を意味するらしい。

 クララの布教攻勢にハルトはうんざりだったが、今のイリスはさらに窮地に追いやられている。

 なにせ、はいていないのだ。

 ノーパンである。

 しかも制服は割とミニスカート。

 風が吹いたら、一発で死ねる。

「と、とにかく、私は帰らせてもらうわ」

「あ、待って下さいなのです!」

 背中に投げかけられる声を無視し、階段への扉を開こうとした。が、もう少しで取っ手に手が届く、というとき――扉が勝手に開いた。

「じゃーんっ! アデリーナちゃんが逃がしませんよ!」

「なっ!?」

 扉が開き、にぎやかな少女が飛び込んで来た。

 ピンク色のツインテールに、満面の笑顔。

 そして巨乳。

 はだけた上着は、胸が収まりきらないからか? と疑いたくなる。

 ホライズン王国の筆頭魔術師、アデリーナ・アースランド。

 ハルトは心の中で天を仰いだ。

 くそっ! さらに面倒な奴が!!

 四カ国の筆頭魔術師が揃い踏みである。

 グランマギア魔法魔術学院は、この四カ国により設立された学院である。その代表たる四人が、なぜか夜遅くに、こんな場所で鉢合わせるのも奇妙な話であった。

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