本日オムライス390円

大瀧第七団地妻

本日オムライス390円

 本日オムライス390円とのことだったので、2019年1月39日、近所に新しくできた喫茶店に入った。当然オムライスを頼んだ。オムライスを頼んだものの、オムライス一つだけで二日分の空腹を満たすことができるのか疑わしくなり、ウエイターを呼び止めて何かおすすめを聞いた。

「本日オムライス390円となっております」

本日オムライス390円とのことなので、オムライスを頼んだ。

 注文を終えたので、残すところ

390円×2=オムライス+オムライス

780円=2オムライス

ここで、両辺を2で割って

390円=オムライス

すなわち390円のオムライスを待つのみだ。しかし、オムライスはなかなか出てこなかった。

 なぜオムライスが出てこないのかを考える。オムライスを作るにあたって必要な工程は大まかに分けると三つだ。ケチャップライスを作る(a)、卵液を焼く(b)、工程aで作ったものに工程bで作ったものを乗せる(c)。この内のどこかで不具合が起きたのだろう。工程aに関しては、さほど時間もかからないように思われる。なぜなら、私よりも後にオムライスを注文した客に、もうオムライスが提供されているからだ。工程b、cに関しても同じことが言える。では、なぜオムライスは出てこないのか。全く見当もつかないが、出てきていないという純然たる事実を無視することはできない。オムライスが出てくるまで、これといって考えるべきこともない。必然的に、消去法でオムライスについて考えざるを得なくなる。


               文章の断裂


 コンクリート壁を塗る。

 灰色で無機質なコンクリート壁を、グレーの塗料をのせた刷毛でゆっくりとムラなく塗っていく。塗り残しを見つけると、刷毛を持った腕を肘まで塗料に浸し、たっぷりと塗る。壁にはもともと鼠色のペンキで絵が描かれていた。

 時折透明人間がやってきて、塗り具合を確認する。「良い出来だ」または「塗り残しがある」とだけ透明な声で呟く。彼は透明人間にしては不透明な部類であるが、それでも十分に透けている。透明人間は去る。後ろ姿が遠くなっていく。

 コンクリート壁Dを塗り終わる。Cを塗り終えたのは二年と三か月前で、Eを十七年後に塗り終える。透明人間はEに着手すると同時にあまり顔を見せなくなり、そしてその四年後に完全に姿を消した。

 コンクリート壁を塗るのは辞めることにした。


                 復帰


 ここで、ある一つの仮説を立てる。厨房にいる人間は皆、オムライスを作ったことがないのではないか。オムライスを作ったことのない人間がオムライスを作るとなると、ひどく時間がかかるだろう。彼らは往々にしてピラフのプロフェッショナルだ。特にエビピラフに関して言うならば、幼少期よりピラフの英才教育を受けてきたエリートにも比肩する。しかし、オムライスに関しては誰よりも素人なのだ。

 ふと、隣の席に目をやる。そこには、自爆テロリストと思わしき人物が座っている。東京都豊島区雑司が谷のカフェだ。

 彼は爆発物らしきものが規則正しく配置されたカーキのベストを着て、左腰には日本刀を差している。右利きだ。

 ウエイターを呼び止める。

「隣の彼は煙草を吸っているようだけど、この店は禁煙ではないんだね」

「はい、当店は全席喫煙が可能ですが、帯刀されている方に限らせていただいております」

ジャケットの左ポケットに入れていたクレイモアを取り出す。

「腰に差す手段がない。テーブルの上に置いても問題ないだろうか」

「コースターをお持ちいたします」

彼は棚から大剣用のコースターを一枚持ってきた。

「ごゆっくりどうぞ」

ジャケットの右ポケットから日本刀を取り出し、右腰に差す。左利きだ。


オムライスが届く。


オムライスを食べる。


オムライスが届く。


煙草を吸う。


オムライスを食べる。


オムライスを食べる。


オムライスを残す。


店を出る。


隣の彼の話。


 血統に関して言えば、由緒正しい武家であるらしい。宮城の田舎にある母の実家の和室には、物々しい甲冑が飾ってあったことを覚えている。

 私は中学二年生の秋、仙台から東京へと引っ越した。父が仙台支店から本社へと異動になったためだ。内向的な性格のせいか、私には友人というものがほとんどいなかった。毎朝決まった時間に家を出て、自転車で片道15分の通学路を走り、授業を受け、帰宅するだけの毎日だった。野球部に所属をしてはいたが、そこそこの強豪校であったそうで、軍隊のような厳しさに耐えられず、二カ月も経たないうちにいわゆる幽霊部員になった。そのため、引っ越しに際して特に何の問題も、これといった別れもないままに一年と半年通った中学校を後にした。両親にとって、それは好都合なことだったのか、それとも息子に関する重大な懸念点であったのかはわからない。その後、私は東京の中学校でも以前と似たような生活を送り、特筆すべき出来事もないままに卒業し、第一志望で東京の二流高校へと進学した。勉強ができないわけでもなかったが、取り立ててできるわけでもなかった。凡人がある程度の真面目さを持って勉学に取り組んだ結果、凡人の中ではある程度の成績を取っていたというだけである。高校ではアマチュア無線の同好会に入会し、それなりに交友関係というものを得た。暇があれば会に割り振られた物置のような部屋にたむろし、時折無線機を弄って、あとはもっぱら猥談に勤しんだ。ここで、同会に所属していた悪友、野崎について話しておく。

 野崎は学年上私と同級生であったが、年齢は一歳上だった。高校入学に際して一年の遅れを取ることになったためだ。中学三年生の春、彼は高校の入学試験が行われている間、長野県の山中に閉じ込められていた。事の発端は、野崎の叔父である。彼の叔父は登山が趣味で、どうもそれを鼻にかけている節があった。試験を前にした野崎が家に帰ると、そこにはわざとらしく冬山帰りの格好をした叔父が居間でふんぞり返っており、彼のことを冬山の厳しさも知らない若僧だと小馬鹿にしたらしい。人一倍負けん気が強く、生まれつきの無鉄砲である彼は、そう言われるとすぐさま叔父の持つ用具一式を奪い取り、冬山へと向かった。しかし、登山に関してずぶの素人である彼では厳冬期の冬山になど全く歯が立たず、幕営してから二日間吹雪の中で身動きも取れずにただ人が通るのを待っていたらしい。そして、彼の一年目の高校入試は、救助隊と教員、そして両親に烈火のごとく叱られる形で終わり、翌年、私と同年に入試を受ける運びとなったわけである。

 野崎は年齢こそ一つ上だったが、同級生として私に接していた。いつどこで身に着けたのか彼はアマチュア無線に詳しく、よく外国とも交信しているようであった。しかしその実、彼は無線一割、雑談四割、猥談五割で構成される典型的な思春期の童貞であった。

 「なあ、すかいらーく行かないか、松田」

無線機が無造作に積まれた部屋で、野崎は唐突に言った。

 すかいらーく、についての記憶が瞬時に蘇った。


                “すかいらーく”


 幼い頃、仙台に住んでいた私は、同じ宮城県内にある母方の実家へとしょっちゅう遊びに行っていた。小遣いとして貰えるいくらかの小銭が目当てだった。祖母はよく私に自分たちの先祖について話して聞かせた。私の先祖には「松田すかいらーく之守政近」という人物がいたそうで、それなりに位の高い武士だったそうである。しかし、人斬りを稼業にする「本日オムライス重徳」に敗れ、武士の位を剥奪され、宮城の山奥で未来永劫一族ひっそりと暮らすことを余儀なくされたとのことだった。


                 喫茶店


 近所に新しくできた喫茶店「純喫茶野崎」に「本日オムライス390円」との張り紙があった。私はコンビニエンスストアでダイナマイト付きベストのカーキタイプを買うと、すぐさま羽織り、例の「本日オムライス390円」喫茶へと単身乗り込んだ。私は今日先祖の恨みを晴らさなければならない。そのためなら自身の命など取るに足らない些末なことだった。

 ウエイターが来る。

「ご注文はお決まりですか?」

「オムライスを一つお願いします」

オムライスを一つ頼んだ。

オムライスが届く。

オムライスを食べる。

私は監視を辞めた。

野崎はロシアと交信している。

煙草を吸う。

ベストが爆発する。

野崎が猥談を始める。

体は透き通っているが、不十分だ。

オムライスを食べる。

オムライスを食べる。

野崎はもうコンクリート壁を塗らないようだ。

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