回顧録6

 山腹に設けられたこぢんまりとした空間。そこで掘り起こされた土砂と、巨大な岩や鉄くずに囲まれて、大地の裂け目はあった。

 僅かな階段を備えた低い石の土台真ん中に、長さ一メートル幅数十センチほどの亀裂が口を開けている。その上に三脚のような台座があり、そこに彼女は掛けていた。地中より立ち昇る蒸気に包まれ、陽炎のように像を揺るがせながら。

 遠くで煙幕の隙間から姿を確認して、おれたちはそいつの元に歩み寄った。段の前に至ると、目蓋を閉じていたガイアは口を開いた。


「……待ってたぜ、テルス。そして竜太」


「ずいぶん余裕そうだね」おれたちは足を止め、まずテルスが応じた。「――ここに来ても、あたちたちを倒す手立てはなかったみたいなのに」


「違うな、竜太は倒す必要がねぇ」

 反論したガイアが微笑し、ゆっくりと瞳を露にした。

「倒せない理由もたいしたものじゃなかった。放置して寿命を待てばいい、戦わなけりゃただの人間だ。そいつ一人が生きていたところで生物は絶滅する。つまり――」

 ガイアは、もう一人の少女を指差した。

「テルス。貴様さえ倒せば、脅威はなくなる!」


「そいつはどうかな」

 おれは、一歩踏み出して異を唱えた。

「そっちが戦いたくなくても、こっちが攻めれば二対一だろ。たぶん、君はおれを殺せないし」


「いいよね、手筈どおりに」

 口を隠すようにして小声で告げたテルスに、黙って頷く。


 瞬く間にテルスの足がダチョウのようにかっこ悪く変化し、それを合図に左右二手に分かれた。

 ガイアがテルスを超えた偶然操作能力を発揮するには、あの穴の上いなければならないはずだ。テルスが撹乱し、不意を突いておれが攻める算段である。

 原因は不明でも、日本でおれと接触しようとした時点でガイアは吹き飛ばされたのだ。――同様に、穴からどかしさえすればいい。


「ティラノサウルス―REXレックス!!」

 接近したテルスが、発声通りの肉食獣に変身してガイアに食らいつく。


 力量差があるので防がれると予想した。怯ませればいい。それでも、ガイアをどかせるチャンスはできる。

 しかし、相手は微動だにせず頭を噛まれた。


「……最大級の肉食恐竜で対抗したつもりか?」

 その口内から、くぐもった少女の声がする。

「話になんねーな!」


 テルスの肉体がキトンを纏った少女に戻り、背後に弾かれた。

 土砂の上を滑り、岩山の壁に派手にめり込む。それを確認しつつも、おれはガイアのすぐ背後に迫った。

 必要なのはもう僅かの跳躍。――なのに、そこでガイアの声と共に穴があいた。大地の裂け目から一メートルほど後方の、足元に。


「うっそーん!」


 情けない悲鳴を上げ、走った勢いで穴の内壁に顔をぶつける。そのまま、深淵に落ちた。


「きゃははは」嘲笑う声は頭上から聞こえた。「地形そのものを変えたら対処できねーだろ! あたいは意識を及ぼせる範囲も肉体に囚われねーんだぜ」


 おれを倒すのに、ガイアは振り向きもしなかった。

 さらに両腕を、彼女は前に突き出した。手中に、二丁のマシンガンが握られる。

「自然物や単純な人工物だけじゃねえ。ここでのあたいは、おまえら以外の地球上の全ての偶然を意のままにできるのさ。そこに生じた文明もな!」

 煙が晴れだし、中に、跪いた体勢から身を起こそうとするテルスのシルエットが窺えた。

「てめえなんざ、これで充分だが!」


 銃口が火を噴く。鉛弾の嵐が横殴りにもう一人の少女を襲った。

 新たに起こる土煙の内部で、けれども幼い影が倒れることはなかった。

 銃弾を受けて踊っているわけでもない。時折、身体から散る火花がある。

 違和感を覚えたのか、ガイアは銃撃をやめた。煙が晴れるまで、じっとそこを見定める。


「……スケーリーフット」


 テルスの呟きが聞こえた直後、ちょうど煙幕に隙間ができた。

 ガイアが驚嘆に目を見開く。そこには、金属の塊のような身体になったテルスが平然と立っていた。


「勉強不足なんじゃないの」彼女はしゃべった。「ウロコフネタマガイ、金属でできた生命体なら地球上にすでにいる。人工物になんてなれなくても充分だよ」


「……じゃあ、こいつはあるかい?」

 すぐにガイアは平静を取り戻した。銃を二つ文字通り融合させ、巨大に変形させて肩に担ぐ。

「対戦車砲だ。ただの金属で防げるか!」


 ところが、それでもテルスは微笑を湛えていた。――なぜかって?


 ――これはおれの回顧録だからだ!


「その必要もないぞ!」

 奈落に落ちてからもそれらの光景を把握できていたおれは、ようやく落とし穴から這い上がって宣言し、後ろからガイアに飛び掛かった。

 そのまま彼女を抱くようにして、一緒に前方の地面へ転がる。


「くっ。てめえ、どうやって!?」


「さあね」

 腕の中で暴れるガイアに、我ながら素っ気無く返答するしかない。事実、理由は不明だからだ。

 ただ、どういうわけか頭が苦しかった。苦痛でなく、なにか思い出しそうで出せないような、そんな歯痒い感覚に満たされていた。


「くそっ、どこ触ってなに押しつけてやがんだこの野郎! はなしやがれッ!!」


「……う。ご、誤解だ」

 とんだ精神攻撃にうろたえる。


 確かに、後ろから嫌がる幼女を抱きしめて寝転んでる様は危ない。人類が絶滅していてよかった。

 いや違う。彼女の能力を無効化するらしいおれは、がっちりその柔らかくて温かい身体をつかんでいなければならなかったのだ。

 役得ではないしそんなつもりもなかった。――断じて!


「……勝負あったね」

 身体を普通の少女にして歩み寄ってきたテルスが、ガイアを見下ろして呟いた。

「手助けありがとう。それにしても、あのタイミングで穴の途中にしがみつくなんてすごいよ」


「えーと、そうじゃないみたいなんだが」

 記憶は曖昧だった。落下中に宙を浮いて帰還したような感覚もあった。また、落ちている最中でも、地上の出来事をぼんやりと理解していたような……。

 応答したおれへとテルスは首を傾げたが、まもなく目線をもう一人の少女に戻した。


「ま、なんでもいいよ。それよりガイア、もう勝ち目はないでしょ。その身体を解放して精神体に戻りなよ、あとはあたちが地球を修復するから」


「そうは……させるか!!」

 ガイアが吼えた。

 腕を振り上げ、振り下ろす。――おれには攻撃が効かない。この体勢では、テルスとも戦えない。じゃあいったい!?

 推考するより先に、拳はそのどちらでもなく地面に突き立てられた。

 途端、大地のあちこちが奇妙に盛り上がる。振動しひび割れ、それが放射状に広がっていく。

 まだ接触した範囲なら変化させられるのだ。地中の密度が高ければ、一部を動かせば隣も連動して変形することになる。


 動転してテルスもしゃがみ、同じように地面に拳を叩きつける。

「やめなよっ、あたちたちと心中するつもり!? どうしてそこまで!」


 彼女の疑問には頷けた。

 この状況で地盤を破壊すれば、ガイアも無事ではすまない。おまけに、テルスにも同様のことができる。ともすれば、ガイア自身直接攻撃されかねない。やけくその手段である。


 ――けれども、なにかが引っかかった。そして数秒経ったが、地響きと揺れはおさまらない。

 ガイアは歪んだ笑みを浮かべ、テルスには焦りの色が浮かび始めた。


「違う」そこで、どういうわけかおれは悟れた。「これは、地形への影響じゃない!」

 そこまで聞いて、テルスは地中に意識を移して調べたようだ。


「――植物ッ!?」


 そうだ。テルスの叫びにぴんときた。

 ガイアは、コンクリートさえ貫いて育つ植物に手を変化させたのだ。それを急成長させ、地中に蔓延らせている。地面の一部の動きでどうなるかを読めても、皮膚と接していない内部の植物にまでは届かない。


 慌てて、テルスはガイアそのものを停止させるべく手を伸ばした。


 瞬間、一帯が陥没。足元の隆起と崩落が、おれたちを引き裂いた。


 大地の裂け目と同じ蒸気が、あちこちの亀裂から噴出する。植物で岩盤に掘られた洞窟がどこかで繋がったらしい。

 あまりの変動にガイアを放してしまい、煙幕でなにも視認できなくなったところで。――ようやく、それが狙いだと理解した。

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