回顧録3

 地震速報聞いたのに、留美から逃げて路地裏に十歩ほど入ったところだったかな。

 そこでやっと、はっとして立ち止まったね。――なにしてんだろって。

 もう速報から数十秒くらい経ってたのに揺れないのは妙だったが、地震が起きるってのに傍らの女の子置いて逃亡とは最低じゃないかと。


「くそっ。留美、無事かぁー!?」

 で。自分に呆れつつもそんな呼び掛けをしながら踵を返したところで、


 ――世界は終わったんだ。


 いきなり、真っ白な光が視界を覆った。眩しくて目を閉じて躓いて、仰向けに転んだ。――数秒後に音がした。

 硬いもの同士がぶつかる音。なにかが爆発するような音。そんなのがいくつも。


 それで、恐る恐る目を開けた。

 おれ自身にはケガとかなかったけど、ビルの合間から黒煙が見えた。遠くで火災報知器かなにかが鳴ってもいるようだった。

 もうさっきの光は消えてたわけだけど、明らかに街の様子が豹変してたんだ。なにより、人の気配がなかった。事故か災害が起きたのは確からしいのに、悲鳴の一つもない。


「……地震、か?」


 まあ。揺れなかったわけだが、あの速報と現状からはそう推測するのが妥当だった。

 だから、改めて留美のところに行こうと立て膝の状態にまで身を起こしたわけだが。そこで――。


「――地震じゃねーよ」


 そいつがしゃべった。

 女の子。路地裏の出口に、いつのまにか少女がどや顔で立っていた。

 一瞬びびったね。なにしろ、それはキトンを纏った白人で七歳ぐらい。


 思い出のフィリナに似ていたからだ。


 澄んだ声までそっくり。でも写真とか撮ってなかったし、目前の少女は吊り目がちで、きつい印象を受けるのは違った。だいたい、あの子と会ったのは十年も前だ。

 髪色も別だった。フィリナは銀髪だったけど、その少女は赤毛のセミロング。それもいわゆる現実的な赤じゃなく、アニメキャラみたいな原色の赤。だからコスプレでもしてんのかと捉えたね。当初は。


 んでもって彼女は、片手を腰に当てて威張るような態度で言った。


「あれは地震じゃねぇ。あたいが放った突然変異をもたらす波長を、おまえらの無能な機械が電波と勘違いしたんだ」


「……な、なんだって?」


 明らかにこの少女こそ電波なんだが、おれはあまりの突拍子のなさにそんな返答をしてた。すると、彼女はこちらに歩きながら高言した。


「あたいは、全真核生物に死という状態をもたらしたのさ!」


「……えと、なんだかわかんないけど。だ、大丈夫か、お嬢ちゃん」


 ようやく我に返って、煽るでもなく本気で心配した。普通に考えれば、揺れは感じなかったもののおかしな変化をもたらすものは地震だ。

 それで彼女が頭でも打ったのかと案じたのだ。もっとも、鼻で笑って少女は語った。


「あたいのことはそうだな、〝ガイア〟とでも呼びな。いくら無能でも、南極ウイルスの名前くらいは聞耳にしたことがあるんじゃねえのか?」

 両腕を大きく動かし、周囲の環境を示すようにしながら。

「その効能こそこれだ。寄生した真核生物へと死をもたらし、原核生物は直接食い殺す。地球上の全生物を殺戮するウイルス、それこそ南極ウイルスなんだよ。まあ、あたいが支配できるのはこの肉体のまま〝大地の裂け目〟にいても微々たる偶然が限度だがな」


 ここまでくると、さすがにガイアなる少女がただの中二病、もとい小二病とかでないのは呑み込めた。あまりにも賢すぎる。ちょうどそこで、少女に目を奪われて察知できなかった異変も瞳に映ったのだ。


 彼女の後ろ。狭い視野から窺える、路地裏を出た先の空間。


 歩道に、買い物籠を持った女性が倒れていた。空いた手はその子供と思われる幼稚園児くらいの少年と繋いでおり、そちらも横になって身動きしない。さらに奥には、車道を挟んで反対側の建物で潰れている自動車があった。

 おあつらえ向きに、すぐそばには鳥の死骸が落ちてきた。


 ようやくぞっとした。この少女の発言は、でたらめじゃないかもしれないと。

 ガイアはもう目前まで来ていて、まだ立て膝だったおれを見下ろしていた。それは愛らしい容姿に似合わない迫力があって、情けないことにこちらは尻餅をついてしまった。


「事前にミトコンドリア辺りに感染してなきゃ、ここまでの変化も起こせなかったぜ。長い間潜伏させてたそれらを同時に変異させ、相互作用で初めて成しえる毒性だ。そして――」

 少女がおれを指差した。

「どういうわけか、てめぇにだけはなにも効かねえからな」

 ジャギンと、その指先から飛び出しナイフのように鋭利な爪が伸びた。彼女が開いた手を振り上げると、そいつは五本の指全てに生えた。

「直接、殺す!!」


 わけがわからないまま、宣言したガイアにそれを振り下ろされる。

 対処なんてできるわけもない。頭を腕で庇うのが精一杯だ。


「……! 亀の甲羅?」


 だが痛みは襲わなかった。代わりに鈍い音がして、少女が驚嘆を口にした。


 どういうわけか、おれとガイアの間にもう一人少女が来ていて、腕に備えたまさに亀の甲羅みたいな不恰好な盾で爪を受け止めていた。こちらもガイアと同じくらいの子だった。

 いつの間にそんなブームがきたのか、やっぱりキトンを纏っている。その時点では後ろ姿だったので、腰くらいまであるツーサイドアップの髪だけが窺えた。またもや髪色もおかしい。――真っ青。まさにアニメ的なありえない青だ。


「甲羅だけじゃあないよ、――熊の腕力!」


 そう述べた新たな少女が腕を振り上げるや甲羅は消え、そのまま突き出した拳でガイアを殴った。

 相手は吹っ飛ぶ。五メートルは後方に。――明らかに子供の力量じゃない。


 もんどりうって倒れたガイアが、口元から流れた血を手の甲で拭う。

「ちっ、恐れていたことが起きたか。てめえも〝精神体〟だなッ!?」


「そだよ。あたちのことは、〝テルス〟とでも呼んでよ」

 自分の胸に手を当てた新たな少女――テルスが名乗った。それからにこやかに警告する。

「もう好きにはさせないよ。全生物を元に戻して、じゃないと……」


「さもなきゃなんだ、クソガキ!」


「チーターの速力」

 噛み付くガイアに答えず、静かに囁いた。直後、テルスは相手の懐に潜り込んでいた。

「君をやっつける。――ゴリラの筋力」

 ジャンプして叩き下ろしたその腕が、アスファルトにひびを入れた。


「ノミの跳躍!」

 そう声に出し、ガイアは避けていた。上空に。五階建てはある隣のビルくらいの高さまで。


「ハヤブサの飛翔!」

 今度はテルスが跳んだ。――いや飛んだ。

 両手をハヤブサのような翼に変異させ、すぐにガイアの上を取る。意味不明だが、やっぱり姿まで変わるとダサい。


「馬の脚力!」

 驚愕するガイアの頭上で前転し、テルスは勢いをつけて踵落としをくらわす。


「くっ、蟻の体重!」

 墜落してきたガイアが叫ぶ。すごい勢いだった。

 なのにそれは途中で衰え、羽毛のように着地した。

「ちっ、ついてきやがるな。〝完全霊媒〟はあたいだけのはずなのに」


「観念して世界を元に戻しなよ」

 両翼を優雅に上下させながら空中に静止し、ガイアを見下ろしてテルスが念を推した。けれども地上の少女は余裕を取り戻した態度で、それを見上げる。

「勘違いすんじゃねえよ、ガキが」


「……うっ」

 直後、飛翔する少女が乱れた。翼は人の手に戻り、そのままおれとガイアの間に墜落する。


「ふふふ、やっぱりな」ガイアが勝ち誇る。「実力は互角らしいが、今更出てきたってことはあたいより遅く完全霊媒化したんだろ。こっちの方が身体と馴染んでるってこった」


「な、なにしたの?」

 苦しげに身を起こしたテルスだが、虚しくも途中で崩れる。


「生物毒素だよ」得意げにもう一人の少女は語った。「数種類の猛毒を混合した、触れただけで皮膚から染み込む。おまえでも簡単には治療できないぜ」

 それから、十本の手の指に猛獣のような鉤爪をまた生やす。

「さあて、これであたいの天下だ」

 その少女が一歩踏み出しかけたとき、


「……やめろよ」

 ――おれはテルスの前に出て、ガイアと睨み合っていた。

「よ、よくわかんねえけど。喧嘩ならもう終わってるだろ」


「あん? ただの人間のくせになにを生意気な口を」


「中二病か小二病かなんだか知らないが、き、君だってただの女の子じゃないのか」

 そんなわけないのはもう確認済みだが、そうとでもしなきゃ事態を呑み込めそうになかった。

 ガイアは、不快そうに眉を吊り上げた。


 自分の半分くらいしかない少女を見下ろしながら、言葉とは裏腹に手足は震えた。けれどもこれ以上、外見に似つかわしくない暴力で傷つけ合う彼女たちを見過ごせなかった。


「……む、無理だよ。殺されちゃう」

 やっとという感じで、背後から縋るようにテルスがズボンをつかんできた。


 おれは微動だにせずに答えた。

「危険だろうが意味不明だろうが、黙っちゃいられないんでね」


「その子は今、人間じゃない。――リュウ、殺されちゃう」


「え、なんでおれの名前……?」

 正確には略称だが、名乗った覚えがなかった。

 そのため振り返り。初めて、留美を小さくしたような彼女の容姿を近くで観察した。

 驚きより早く、ぶつかった視線を相手が僅かに動かしたのが危険を告げた。

 テルスの眼差しはおれのすぐそば。いつのまにか肉薄していたガイアに注がれていたのだ。


「めんどくせえ、まとめて死ねェ!!」

 少女の暴言に焦り、おれは腕を振って抵抗した。


 刹那、失敗を自覚した。彼女は凶器を備えているのだ。皮膚に鉤爪が食い込み、肉を裂かれる映像が脳裏で明滅した。


 ――なのに次に網膜が映したのは、砕け散る獣の爪だった。


 ガイアの絶叫が空気を裂いた。そのまま、彼女は後ろに吹っ飛んだ。

 路地裏を抜け、車道を横断して反対側にあった車の残骸に激突。衝撃で発生した火花がガソリンにでも引火したのか、爆発する。

 ――巻き起こった炎を眺めながら、しばらくテルスと一緒に呆然とした。


「……そうか」遠く離れた瓦礫から、ガイアの声がした。「そんなくだらねぇ理由だったのか」

 煙と火の奥から、立ち上がる少女の影があった。


 ちらと背後のもう一人を確認する。

 毒に侵されたらしいが、いずれ治るようなことも仄めかされていた。確かにさっきより調子はよさそうだが、まだ苦しそうだ。

「……だめだ。おれが……やるっきゃ……」

 なんだかわからない。わからないが、たぶんおれがガイアを吹き飛ばしたのだ。そして彼女には、そんな攻撃はたいして効いていない。

 おれが止めなきゃ、あのバカげた争いを。そう決心しながら、数歩踏みだした。


 ――それが限界だった。

 いろんなダメージが蓄積してたんだろう。今度は、前のめりに倒れた。

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