Yukari's Diary 8

「それはそうと、折り入ってお願いがあるんだけど」


 泉さんは私たちふたりに向かって、頭を下げる。


「どちらか、一人暮らしの方。――私を、しばらく家に泊めてはくれませんか」

「泊めて……って、これまた何が?」

「……今週頭に発売された、MONDAY SUPERって雑誌知ってる?」


 唐突に出てくる雑誌の名前は、大層有名な大手出版社が発行する週刊誌だった。


「知ってるけど……それが何?」

「こないだメジャーデビューしたばかりのアイドル、栗生くりゅう 裕太ゆうたと一般人の熱愛報道がすっぱぬかれたでしょう」

「ああ……そんなこともあったね。同じ学科の子が推してたらしく、瀕死の重体って顔してた」


 東堂さんの所属する国文学科には、コッテリとしたドルオタがいらっしゃるのか。


「あれね、私」

「え」

「熱愛相手として取り上げられている一般人のAさんっていうのは、私のことなの」

「うそっ、泉さんが……いったいどこで出会ったのよ」

「合コン」

「マジで」


 話についていけて、しっかりと驚くことができている東堂さんはむしろすごい。私はというと、泉さんの話が冗談なのか、本当なのか考えあぐねていた。


「そっかあ。だから泉ちゃん、今日はいつもよりおとなしめの格好だったんだね」

「そ。撮影されてしまったときに着ていた白ワンピ、お気に入りだったのに……当面着られない」


 芸能記者の突撃を避けるために、変装として地味な格好をしているらしい。デニムのボトムスに、シンプルな水色ストライプのブラウス。


「やっぱ、家の前に記者とか張ってたりするわけ」

「さすがにそれはない。何せこっちはパンピーだから……だけど、いつそうなるか分からないし、世間を騒がせた、恥をかいたって言われて、親から勘当されちゃったんだ」


 てへ、と舌をだして笑う泉さん。


「イマドキ勘当って」

「まあ……今までもそれなりに恋愛沙汰でやらかしてるし、堪忍袋の緒が切れたみたい。厳しめの家庭だしね」


 そうか。やらかしているのか。


「そういうわけで、家に帰るわけにもいかなくて……お願い、紫莉っち、東堂ちゃん、泊まらせて」


 私と東堂さんは顔を見合わせた。





 私と東堂さんは二人とも一人暮らしで、比較的大学から近くに住んでいた。泉さんは私の家と東堂さんの家を交互に行ったり来たりすることにした。固定の場所の往来より、複数の拠点から大学に通った方が、おそらくパパラッチされにくいだろう、という考え。

 初日は、私の家。


「じゃあ、泉さんと東堂さん。私は今からバイトだから、家で適当にくつろいでいて。九時には帰るよ」

「紫莉っち、ありがとー」

「いってらっしゃーい」


 珍しく賑やかな我が家を後にし、私は亜紀菜さんの家へと向かうのだった。

 ここのところ、亜紀菜さん(のお父さん)との間にトラブルは無く、学習状況は良好、苦手だと言っていた理科も、少しずつ伸びを見せ始めていた。こちらでも試行錯誤して、説明の方法を変えてみたり、宿題を厳選してみたり、一方で一部足りていないと感じる部分は自ら問題を作ったりした甲斐があるといったものだ。ただそれ以上に、亜紀菜さんのモチベーション自体がかなり向上しているのではないかと思う。正直、私は他人の心を動かしたり、動機付けを行ったりするのは苦手だ。亜紀菜さんにもその辺りの働きかけを行った記憶は微塵もない。――ということは、家庭教師以外のどこか外部から、何かしらのきっかけを貰ったのだろうと考えるのが自然である。


「前半終了、お疲れ様。ここまででなにか質問は」

「あの、この問題なんですけど、この部分の解法ってどうやったら思い付くものなんですか? 今まで解いていた例題とはちょっと違うパターンだなって」


 人見知り期間を終えたのか、亜紀菜さんからの自発的な質問も増えている。純粋に良いことだな、と思う。

 少し前に見せてもらった模試の結果は、B判定だった。三月に受けた試験であり、私の指導とは一切関係のないものだが、今後の指導の参考までに、と亜紀菜さんの父親が見せてくれた。一般的には悪くない成績だ。しかし、やはりA判定を取っていないと不安になる親心は分からないでもない。次の模試――六月半ばの模試では、ぜひともA判定を、と言われている。柔らかい口調ではあったが、暗に「A判定を取れなかったら、お前はクビだ」と言っているのだろう。まあ、亜紀菜さんの指導をクビになったからといって、家庭教師Do itをクビになるわけではないし、おそらくまた他の生徒を受け持つことになるだけだ。しかし、「教え方が悪すぎてクビになった家庭教師」という烙印を押されるのはプライドが許さないし、出来の悪い教師にそう簡単に仕事が回ってくるとも思えない。クライアントの要望には答えておいた方が無難だ。


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