どうか変わらぬように願うだけ
N/A
大人と子供
2本指で挟んだタバコの先にライターを近づけ、ライターに掛けた親指に力を込める。
ツッ……ツッ……シュボッ。
小さくメラメラと音を立てる炎が、タバコの先にくっつくと、真っ赤に染まって白っぽい煙が立ち昇る。
周りを見渡す。ここでようやく、灰皿が無いことに気付いた。
「ああ……そういや、もう無くなったのか」
今時の公園は、昔の扱いとは違い、煙草の吸い殻を捨てるどころか、普通のゴミ箱さえ撤収されてしまっている。
そもそも、外でタバコを吸うだけで周りから怪訝に思われてしまうこのご時世。
球を投げ合うだけで「迷惑だ」とドヤされ、遂には「ボール遊び禁止」の看板まで立派に建てられてしまうような今日この頃。
そのせいもあってか、休日の昼間にも関わらず人っ子一人もいない。あいにくの曇天で、親子連れの姿はおろか、小学生、中学生まで家に引き篭もっている模様。
「ほんと、変わっちまったなぁ」
まるで、違う世界に来てしまった気分だ。
昔なら、これくらいの曇天ならもちろん、例えどしゃ降りだろうが、その後の始末も省みず泥だらけになって、笑顔で家に帰ってきたものだ。当然、母親には叱られて、風邪を引くまでがセオリー。
咥えていたタバコを手に取り、ため息を白煙として吐き出す。新鮮な空気を喉に入れると、ピリピリとした感覚が喉をつつく。
「んぐ……」
喉風邪か、ふとそう思ったが、
そういえば昨日、息子を怒鳴った時に喉を痛めてしまった事を思い出す。
「タバコ……点けちまった」
最近、俺は本当に歳を取ったなと思う。
時代の流れを感じる時点で、なのだが。
喉の調子も、腰の調子も、いちいち気をつけないと、すぐにぶっ壊れやがる。一昔前までは、風邪でも一切辞められなかったタバコを、今ではちょっとした喉の枯れで遠慮してしまう。
仕方なしとタバコをふかしながら、代わり映えのしない殺風景な公園を見渡す。先程から人気は全くない。
公園内に堂々と聳えている大木も、葉を揺らして泣いているように感じた。
すると、タバコを支えている指に、小粒の冷たさが、肌に付いてスッと滲んでいく。
「む」
タバコを挟みながら手を裏返すと、手の甲に水の粒が一つ、二つと乗っかる。
「この天気なら……そりゃあ降るわな」
太陽では飽き足らず、大空までをも飲み込む黒雲は、いよいよ本領発揮だという。
みるみるうちに雨は勢いを増し、遂には、どしゃ降りとなった。
重い腰を上げて、濡れてしまったタバコを握り潰し、投げ捨てて雨宿りをしに行く。
先ほど見かけた、あの大木の麓が良い。
「よっこらせ……と……」
大木に寄りかかり、ついでに頭も固い幹に付ける。視線は自然と上を向くように、葉が強風に煽られている様子が見えた。
ガザガサと、バサバサと、なんとも耳障りだからこそ、ポッカリと空いた心を埋めてくれるような気がして……、
「好いな」
流れるように吐いた言葉は、雨粒が地面を打つ音に掻き消されてしまう。
「……しかし暇だ。帰るにも、遠いしな」
「帰る」という言葉を呟いたとき、頭の中にニキビが出来たような感じがして、途端に嫌気がさしてくる。
主な原因は分かっている。
端的に言うと、息子との距離感が掴めなくなってしまったのだ。
俺は、息子を悲しませた事しかない。
父親の役目は、しっかりと働くことで、家族のために金を稼ぎ、子供には舐められてはいけない、という固定観念が俺の中にある。
きっと、その考え方の所為だろう。
その、ある種真っ当で、時代遅れな考え方を突き通してしまったがために、息子は俺に対して苦手意識が生まれてしまった。
ただ、息子はそれをなんとか隠して、俺と接している。とはいっても、自ら会話をしにいこうとも、遊びに誘ったりはせず、上手く「躱して」いるだけだ。
俺から一方的に話しかけられたら、息子は聞こえの良い返事をする。
俺はその姿が誇らしい物だと、最近まで、思っていた。
礼儀なんてものは、一桁の子供が培って良いもんじゃない。
昔の俺がそうだったように、子供は子供らしく、自由気ままに遊んでりゃ良いんだ。
そういう環境を作らせなかったのは俺だ。
今更謝ったところで、意味がない。子供の無垢な心に根深く突き刺してしまった恐怖心は、そう簡単に抜ける代物じゃない。
そもそも、何て言う? 何て謝るんだ?
相手はまだ子供。今までの話を、そのまま正直に伝えるなんて馬鹿げたこと、出来るわけがない。こんな話をしても、伝わるわけがないんだ。
「……少し、寒いな」
まだ俺の中に、「父親としての威厳」なんて堅苦しい重圧が有るのだろうか。
だから、謝れないんだろうか。
そんな事を考えてしまうと、自身の救いようがない愚かさに、心が沈んでゆく。
「……くそ」
雷鳴。まるで、俺を戒めるような。
それなら、なんなりと罰して貰いたい。
天神がわざわざ叱ってくれるなんて、これほど光栄な事はない。俺なんかを叱ってくれる人は、もうこの世には1人も居ない。
両親という存在が、どれだけ有難いのか、どれほど難いのか、身に染みて分かった。
子供の頃、俺は親父が「反面教師」だと思っていた。いや、今もそうだろう。
普段の態度、座り方、タバコ、酒、叱り方……反面の対象は、枚挙にいとまがない。
中にはこじ付けのような、男らしくない言い訳のような憎悪さえあっただろう。
非常に温和な性格だった母親が、何故こんな奴と結婚したのかが、一生の疑問だった。
今になって、少し、思うところがある。
「結局血は、争えないってか」
よく「お前は父に似ている」と言われた。誠に勘弁して欲しい、という気持ちをぐっと抑え込み、笑って誤魔化していたのを覚えている。
ただ、やはり似ていたのかもしれない。
あの人が、俺みたいに苦悩している様子は想像だに出来ないが。こんな情けない姿の俺を、息子はきっと「有り得ない」と言う。
かくいう俺が、そういう感情であり、そんな父親の姿を、見たくもないからだ。
そう、見せるわけにはいかないんだ。
だからこそ、俺は容易に謝ることも出来ず、ここでのさばっている。
これは俺の思い込みだろうか?
いや待て。なら、「謝って」と息子から言われれば、素直に俺は謝るのだろうか。
単純に、俺はまだ「威厳」が捨て切れないだけじゃないのか?
俺にはもう、「立派な」父親を演じるのは、無理だ。
でも、普通の父親ぐらいにはならないと、
それこそ本当の「反面教師」じゃないのか?
じゃあ、どうすればいい?
一度謝っただけで仲を取り繕えるなら、絶交や離婚なんて言葉は生まれないだろう。
今になって急に態度を改めようだなんて、虫が良いにもほどがある。
息子は、昔の俺とは違う。
俺の顔を描いてくれた時があった。絵の隣には、「ありがとう」と、なんとも痛快な言葉が添えられていた。
例え「嫌い」だと認めていても、それを表に出さないように、頑張って隠している。
それは、息子が俺のことを「父親」だと、認めているからだ。
その温情に、俺はなにで返す?
なにか、返せる物があるのか?
俺は、
俺は……
『そんな顔するなよ。らしくねぇ』
そんな声が、聞こえた気がした。
自分の髪を掴んでは握り締め、胸中に溜まった疲労も絞り出すように、ため息をつく。
すると、フッと意識が崩れ落ちていく。
————————————————————
目を開くと同時に、地面の硬さ、濡れた服の冷たさ、肌に当たる陽の暖かさ……あらゆる感覚を取り戻していく。こんな場所で眠ってしまったがために、体はすっかり冷え込んでいた。
こんなところで寝込んじまったのかと、自身を情けなく思っていたら、突如として両肩に、優しめの衝撃を受けた。
その衝撃は、リズミカルに続く。
「肩叩き」だろう。
かなり小さな手で、俺の肩を叩いているのが分かる。
その子が女の子だと分かったのは、無邪気で可愛げのある鼻歌が聞こえてきたからだ。
「嬢ちゃん。どうしたんだ?」
俺は振り向かずに、女の子に「お世話」になりながら、優しく尋ねる。
「おとうさん、つかれてる、から」
女の子は嬉しそうに答える。振り向けば、きっと満面の笑みが見られることだろう。
「どう?」
「ああ、ありがとう」
「ごかげんは、どうですか?」
「そんな言葉、よく知ってるな」
「えへへ」
「うん。気持ちいいよ。ありがとう」
見知らぬ女の子は、未だに肩を叩き続ける。そんな彼女の献身的な姿に、俺は問いかけた。
「何で、こんなことしてんだ?」
すると女の子は肩を叩くのを止め、陽気に返答した。
「だれかのために、なりたいから」
「……そうか」
「だから、おとうさんのためになるの!」
「嬉しいぞ。ありがとな」
「うん!!」
そんなことを言って、女の子はまた、俺の肩を叩き始める。
しばらく、沈黙が流れた。その間、俺は何を考えるのでもなく、ただひたすらお嬢ちゃんの肩叩きを楽しんでいた。
そして、ようやく女の子から話し始める。
「にげないの?」
その言葉に俺は、格好つけて返す。
「逃げないよ。そりゃあ」
「どうして?」
「逆に、逃げる必要なんてないだろ?」
「……ごめんなさい」
「どうして、謝るんだ?」
ぐすぐす、といった悲痛が聞こえてくる。
女の子は、泣き出してしまったようだ。
「わたし、だれかのために、なりたい…」
「素晴らしいことじゃないか」
「でも、みんな、めーわくしてる」
「…そうかな」
「おとうさんは、わたしのこと、「キライ」っていった。
おかあさんは、わたしのこと、「じゃま」っていってた」
黙ってその話を聞く。女の子はベソをかきながら話を続ける。
「わたしは、めーわく。だれかのためになりたい。でも、それはおせっかいだって……」
「違うな。嬢ちゃんは勘違いをしてる」
「……え?」
「お節介って言葉はな、最高の褒め言葉なんだぜ?」
女の子は、驚いて固まってしまったのか、何もせず黙っている。
俺は、念を押すように言った。
「嬢ちゃんは何も間違っちゃいねぇよ。人は優しくされると嫌がるんだ。心ん中では、嬉しがってる癖にな」
「でも……」
「悪いな。人ってのはどうやら難しい生き物みてぇなんだ。「ありがとう」とか、「ごめん」とか、素直に言えねぇ奴もいるんだよ」
「じゃあわたし、じゃま、じゃない……?」
俺はふっと息を吐いて、頷く。
「俺は……好きだぜ、嬢ちゃんのこと」
女の子は俺の肩に手を置いたまま、嬉しそうに泣き始めた。
ポタポタと落ちる水滴の音が、雨音に似ているような気がした。遠くの地平線を見つめると、薄く虹が架かっていた。
少しして、女の子はまた俺の肩を叩く。
「もっと、おじさんのためになる!」
「ああ、よろしく」
————————————————————
俺は目を覚ます。背中が痛かった。木に寄り掛かって寝ていたからだ。
目を擦って周りを見てみる。公園に降りしきっていた雨は止んでいた。こちらに駆け寄ってくる後輩の姿が見える。
「先輩! こんなとこで何寝そべってるんですか」
「うるせぇーな。……調べてたんだよ」
キョトンとした顔でこちらを見てくる後輩の表情に、少し憤りを覚えたが、それはさておいて結論を伝える。
「ビンゴだった。ここだ」
後輩は、俺が指している大木を見上げた。
「ここって確か、女の子の亡霊が居るとか噂されてる大木ですよね。それが何か?」
「だから、ここに例の遺体が埋まってる」
「いや、どうして」
「……まぁ、予知夢ってやつか?」
「いや、勘じゃないですかー」
「俺の勘はよく当たるんだよ!」
・
・
・
翌朝、公園にある大木の下の地面から、6歳女児の遺体が見つかった。
その子の名前は、現在身柄を確保している、児童虐待の容疑で逮捕された夫婦の娘の名前と、一致した。
————————————————————
「おう。来たぞ」
返答はない。当たり前だ。
俺が今話しかけているのは、公園内にあるただの大木なんだからな。
「とはいっても、居るんじゃねぇの?」
皮肉っぽく言ってみる。
当然のように、何も返ってこない。
「……まぁ、そうだよな」
今日は、あの日のようなな曇天ではなく、雲一つない晴天だった。子供が遊んでいる姿もチラホラと見える。親御さんたちがこちらを不思議そうに見ているが、気にすることはない。
偶然にもここを通りかかり、あの夢のことを思い出したから、気の向くままに立ち寄ってみただけだ。
「大人って、なんなんだろうな」
俺は急に改まって、問いかけてみる。
「ガキから見た「大人」っていうのは、俺らのことじゃあない。アイツらが見てるのはある種の幻想で、それを目指しているアイツらは、一番「大人」っていう存在に近い」
俺の息子が見てる俺の姿は、「大人」だ。
じゃあ、俺自身は、どう思ってる?
俺だけじゃあない。
周りの人間、大人って呼ばれる連中は。
「全員、ガキだな」
息子の方が、「子供」の方がよっぽど「大人」として生きようと、もがいている。これを皮肉と呼ばないで、何て言えばいい?
「なぁ。嬢ちゃん。
人は、いつ「大人」になれる?
人は……いつ大人になっちまうんだ?」
せせらぐ木の葉。
子供の黄色い声。
微風が吹いていた。砂が地面を這いずり、掠れた音を立てる。
「……悪いな。変なこと話しちまって。許してくれ。俺の悪い癖でもあるんだ。」
大木から振り返り、立ち去ろうとする。
葉っぱが一枚、目の前を通る。落ちる。
落ちた葉は、鮮麗な緑だった。
それを見た、俺は……。
「頼むから、嬢ちゃん」
しばらく吹いていた風が、ピタリと止む。
同時に、木は黙ってこちらを向いた。
俺は思い切って、上を向く。
キラキラと差し入る陽光と、無邪気に動く葉っぱ。爽やかな空気を吸い込んで、胸一杯に広がった青い夢を、思いの丈をぶつけた。
「お前だけは、一生……子供でいてくれや」
俺にできること。
「どうか」と願う。たったそれだけ。
どうか変わらぬように願うだけ N/A @hidersun
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