蘇るん

働気新人

彼女を生き返らせることは……

 いつも通りの日のことだった。いつものように学校へ行って、帰るだけの。そんな日になるはずだった。

 それが違うと気づいたのは彼女、結がボロ切れのように目の前で倒れているのを目撃してからだ。

 学校からの帰り道。青信号を渡っているとき、トラックのブレーキ音が辺りに響き渡る。俺は一緒にいた結に背中を押され、歩道までよろけたんだ。振り返ったのは、結がトラックに轢かれる瞬間だった。


「――――」


 彼女の最後の表情は笑顔だった。安堵を滲ませる笑顔を浮かべ、何かを言った。俺はそれを聞き取れない。衝撃の連続で頭が追いつかなかったし、トラックのブレーキ音と、ぶつかった音で俺の耳まで声が届かなかった。


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 朝の日差しで目がさめる。


「あの時の夢か……」


 俺は涙を拭きながら起き上がる。

 結の事故から三年。俺はある目的のために金を貯めた。

 高校生活をつぎ込んで、貯めに貯めた金額は260万円。今日、その目的が達成される。それを考えるだけで鬱々とした気分が霧散し、やる気が出てくる。


「優にいー、起きてー!」


 唐突にそんな声が響き扉が開かれる。開け放たれた扉に視界を向けると、そこには仁王立ちした妹が立っていた。


「なんだよ、玲」

「お、優にい。おっはー。今日はなんか元気そうだね?」

「ん? まあな。やっとこの日が来たからな……。てか、どうした? 朝飯か?」

「うんや! 朝ごはんもそうだけど、なんか荷物届いてるよ? すっごいおっきいの」


 顎に人差し指を当て、小首を傾げる玲。俺へ荷物が届くのなんて心当たりは一つしかない。


「ああ、もう届いたのか。ところで玲、学校は?」

「ふっふー。春休みでございますぜ! あと優にい朝から質問が多いっ」

「そうか、今日からか……」

「最後のは無視ですかい……玲ちゃんは悲しいぜ……」


 玲は今年中学3年生。3つ下の妹。朝早く夜遅い両親に変わり、家事炊事洗濯掃除全てをこなす万能妹。有能だが、ちょっとアホの子なのが兄として心配所。


「優にい、今失礼なこと考えてる?」

「いや、そんなことはない」


 勘だけ鋭いのはどうにかなんないものか。

 そんな兄妹の素敵な朝のコミュニケーションから抜け出し、荷物を確認しに行く。待ちに待った荷物だ。早く行って開けてあげなければ。


「優にい、今日バイトは?」


 玲も付いてくる。ああ、朝ごはん作ってたのか。

 焼き魚の香りと、味噌汁の優しい匂いが鼻腔をくすぐってきたのですぐわかった。

 む、妹が愛らしく小首を傾げてる。なんの話だっけ? あ、バイトか。


「……休み」

「そっか、珍しいね! バイトの虫になってる我が兄が心配だよ! ……結ねえのことがあってからずっと心配」

「…………」


 妹にも随分心配させてしまっている。でも、それも今日まで。玲、お前も喜んでくれるだろう。


「あ、優にい。荷物重すぎて運べないから、玄関に置いてあるよ! 配達のお兄さん大変だよね」


 玲にそう言われ、俺は玄関へ向かう。

 玄関には成人男性が座って入れば、だいぶ余裕ができるサイズのダンボールが置いてあった。そのダンボールには宛先が羽山優。商品名に『蘇るん』。


 待ちに待った。このためだけに、3年間バイトをして金を貯めたんだ。


 ダンボールを開けると、そこには結の見た目をした、ロボットが入っていた。かなり精巧に作られている。ちゃんと服を着ていることにも驚いた。


 これは『蘇るん』。数年前から発売されたロボットだ。これはただのロボットではなく、死んだ人間の記憶を複写し、仕草等を完璧に真似る。死んだ人間を生き返らせることができる。

 購入時に基本情報を入れ、記憶のバックアップがされているか確認。条件をクリアすれば生き返らせることができる。

 記憶のバックアップは、携帯端末のリンカーで行われる。リンカーは手首に巻きつけることで、視界にPCのような画面を出すことができるものだ。

 そして一般的に知られていないが、リンカーには心肺停止した瞬間、記憶をバックアップする機能が付いている。

 俺は結のリンカーを使って『蘇るん』を設定した。


「優にいー! ……え?」


 俺を呼びに来た玲が固まる。まあ、振り向いてないから見えないけど。きっと嬉しそうな顔をしているはずだ。


「優にい、それ……?」

「結だ。やっと帰ってくるぞ!」


 俺は歓喜のあまり大きな声を出していた。


「それが、結ねえ……?」

「ああ、そうだ! これであの悪夢はなかったことになるんだ!」


 笑顔で振り向く。玲の顔を初めて直視する。悲しそうな、怒っているような複雑な表情をしていた。


「そんなわけ……、そんなわけないでしょ! それが結ねえ? ふざけないで!」

「さっきからそれってなんだ! こいつは結だ! 誰がなんと言おうと結なんだ!」

「……それが、優にいの答えなんだね。私は優にいを許さないっ……」


 玲は泣きそうな顔で自分の部屋まで走っていった。取り残された俺は『蘇るん』に声をかける。


「結、大丈夫だ。玲はわかってくれる」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「ぅん……。あれ? 優? ここ優の家? んー? なんか違和感あるなぁ」


 ダンボールの中で体育座りしていた結が、伸びをしながら目を覚ます。全てあの頃のまま。

 もう俺の方が背も高いし、年齢も上になってしまった。だけど、そんなこと関係ない。結がいるっていうことが大事だ。

 俺は手首のリンカーを操作して、ホログラムウィンドウを開く。そこには同期した『蘇るん』のバイタルを確認する計器がずらりと表示される。

 仮装心臓エンジン、関節部位部品損亡値、眼球型高性能カメラ、仮定脳メモリ温度と使用率。見方がわからなければどこから目を付けていいかわからない。この3年間学んできたからなんとか読めるが、把握しきるのは難しい。

 計器を確認していると結が顔を上げる。


「確か私、車に轢かれたよね?」

「っ! ……ああ」


 急に話しかけられた上に、俺のトラウマに触れる話だったから返事に間ができる。


「やっぱり……。これって『蘇るん』?」

「そう! 結、俺さ。頑張ったんだよ。必死にお金稼いで……」

「はぁ……。ありがとね! 玲ちゃんは?」


 一瞬、結の表情に影がさしたような気がした。すぐに消えてはっきりとは見えなかった。俺は思考をすぐに切り替え、玲との先ほどのやり取りを思い出す。


「……ちょっと喧嘩して」

「どうせ『蘇るん』のことで喧嘩したんでしょ? 優は一つこれだってなったら、他のことに目がいかないの変わってないね」

「う、うるさいなぁ」

「ま、いいや! それでなんで私を蘇らせたの?」

「それは……理由はない……」

「無計画だねぇ。これは私じゃないんだよ? 自分のエゴって自覚しなさい。私は嬉しいけどね。玲ちゃんとまた会えるし!」


 あっけからんと笑う結。『蘇るん』を起動してから表情に影が差すことが多い気がする。きっとまだ記憶が混同しているんだと自分に言い聞かせる。

 そう考えていると結が、入っていたダンボールを自分で手早く片付け、軽い足取りでリビングへ向かう。俺は結の背中へ声をかける。


「お、おい。結。大丈夫なのか?」

「ん? 平気だよー。全く相変わらず心配性だなぁ。玲ちゃんは?」

「部屋、かな……」

「ん、行ってくる。あ、部屋変わってない?」

「ああ、変わってないよ。階段上がってすぐのところ」


 軽快なステップで玲の部屋へ向かう結。俺はそれを見送ってホッと一息つく。少しバイトで根を詰めすぎたかな……?


 肩を回しながらリビングに戻り、玲が用意してくれていた朝食を食べ始める。焼き魚と味噌汁。目玉焼きが付いていて張り切ったのがすぐにわかる。


「あんたなんて、結ねえじゃない!」


 ……バタン!


 勢いよく扉が閉まる音が聞こえる。少し沈んだ表情をした結が二階から降りてくる。


「お、朝ごはん? 玲ちゃんには感謝するんだぞ」

「結……」

「辛気臭い顔しなさんな!」


 結がパッと笑う。大丈夫なのか心配になってしまう。起動してからすぐなので、どこか不調がないのかつい考える。リンカーのホログラムウィンドウを自分にしか見えないよう設定し、常にバイタル計器を表示させておこう。


「優、今から出かけようか」


 珍しく真面目な表情で声をかけてくる結。断る理由もないから急いで朝食を掻き込む。


「ングっ。ちょっと待って。すぐ準備する」

「急がなくていいのに。ご飯ぐらいゆっくり食べな?」


 もう一度結の顔を見るといつも通りの笑顔を浮かべていた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「どこに行くんだ?」

「いいから」


 朝食を食べて急いで準備をした。

 出かける時に一応、玲には声をかけたが、何も反応が返ってこなかった。ただ部屋の中からすすり泣くような声が聞こえ、胸が締め付けられた。

 そっとしておくのが一番だと思って行ってきますとだけ残した。まだ受け入れられないだけだ。結が事故にあった日からもう三年。いきなり結が『蘇るん』で生き返るのなんてそりゃ驚く。

 一旦結と遊びに行けることを楽しもう。そう切り替えると結が急に止まる。


「ここ」

「こ、こは……:」

「わかるよね? 私が死んだ場所」


 あたりが見えにくい交差点。急カーブの先にある電柱の下には花束が置かれている。

 あれは、俺が置いた……。ここは、今朝見た夢と同じ。結が――死んだあの場所。

 結が俺の目をまっすぐに見つめる。


「優、私すごい嬉しかったよ。ここまでして私と会いたいと思ってくれて。私のために頑張ってくれて。私ね、優のことが好きなんだ」

「お、俺は、俺も……」

「待って、最後まで言わせて?」


 結の儚げな表情。結のこんな顔は初めて見た……。


「私ね、優が玲ちゃんのお兄ちゃんとして必死に頑張ってたのも知ってるよ。家のことは玲ちゃんに任せっきりだからせめて外のことはって……。そういう優しいところとか。すごく好き」


 俺は視線に耐え切れず顔を下げる。

 ……俺は、どうすればいいんだろう。結が何を言いたいのかいまいち掴めない。結は俺に何を伝えたいんだ。


「でもね」


 ちらりと結の顔を見る。まっすぐに何かを決意したような表情で、俺を見つめる結。

 いっぱいに涙を溜めた瞳と俺の目が会う。


「私はね。もう、死んじゃってるんだよっ……。死んじゃった私に縋ってる優なんて見たくなかったよ。前を向いて欲しかった……。私が轢かれるときに最後に言ったのは『前を向いて』って、ただそれだけを言いたかった! 私が一番優の好きなところは前向きなところだったのに!」


 滂沱の涙を流しながら。魂から絞り出すように。俺だけに向かって、訴えてくる。


 結は、何を……。何を伝えようとしてる!


「っ、俺は」

「玲ちゃんに、『お願いだから優にいを解放して』って言われたよ……。優は私にとっても大事な人だから。優が一番わかってるでしょ? ……私が結ではないって。結の記憶を持った再現度が高いだけのロボット。それを一番わかってるから玲ちゃんに怒鳴って、必要以上に私を心配してるんじゃない?」


 言われて思う。一番俺が結を結と見てなかったように思う。玲のそれって言葉に逆上して。


「それでも俺は! 結が好きだ! 諦めることなんてできない! どうして――」

「どうして!? まだわかってくれないの? 私は私じゃないよ。記憶はある。何かも一緒だけど私は優と玲ちゃんと一緒に歳を取りたかった! 私も一緒に学校に通いたかった! 私は優と一緒に歳を取って、私が先に死んで、その時は優に看取ってもらうんだって! そう思ってたからだよ!」

「それでも! それでも俺は! 結にいてほしい!」


 涙でぐちゃぐちゃな結に同じような顔で俺も食ってかかる。言いたかったのはきっとこうじゃないだろうと思いながら。


「優にい! 結ねえ!」


 いつの間にか出来ていた。ちょっとした人垣から息を切らし、目を腫らした玲が転がるように出てくる。


「優にい! いい加減にして! 結ねえと会いたいと思うのは優にいだけじゃない! 私だって……でも、それじゃダメ! 結ねえだって、優にいだって望んでない! 私に言わなかったのだってこれは違うって自分でわかってるからでしょ!?」


 無自覚で。いや、自覚していたのに、あえて見ていなかった所を言われて、体から力が抜け、膝から崩れ落ちる。


「……優。今の優を見たらどれくらい辛かったか想像くらいはつくよ。でも、今優がしていることは私への依存だよ……。ごめんね。先に死んじゃって。でも私の最後を看取ったのが優でよかったって。不謹慎かもだけど。心から幸せだって思う。こんな自分勝手な私を好きになってくれて。ありがとう」


 泣きながら結が笑顔を作る。ずっと張っていた気がすっと抜けていく。肩の荷が下りたようなその感覚と共に、俺は意識を手放した。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 起きてからは時間が早く進んだ。もう結はいなかった。玲から聞いた話だと、結は自分で返品を申し出たらしい。口座を見たら『蘇るん』分のお金が戻ってきていた。

 玲からは散々怒られたし、何度も殴られた。玲にこんなに怒られたのは初めてだった。

 学校の成績は気付いたらかなりやばいことになっていて、普段関わってこない両親にも怒られ、親父にはぶっ飛ばされた。

 俺は、結のことが好きだし。一番大事な人だけど、結のお陰で切り替えられた。。

 好きな人に、情けないところは見せられないよな。上で見ててくれ、俺さ。結の分まで頑張るから……

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