私のはなし

尾八原ジュージ

第1話 いるのかいないのか

 3年間の海外赴任を終えて帰国した俺は、ひさしぶりに高校の部活の同窓会に顔を出した。


 そこで南野に再会した。学生の頃は仲がよかったが、社会人になってからはお互い忙しくて、疎遠になっていた男である。


 ひさしぶりに談笑していたとき、南野は携帯で撮った写真を見せてきた。きれいな女性と、かわいらしい男の子がカメラに笑顔を向けている。


「うちの嫁と息子だよ」


「お前、こんな美人の奥さんがいたのかよ! 羨ましいなぁ。息子さんは何歳?」


「こないだ3歳になった」


 南野はデレデレな笑顔でそう教えてくれた。




 翌年、再び同じメンバーで集まることになった。その席で俺は、1年ぶりに南野に再会した。


「そういえば南野、奥さんと息子さんは元気か?」


「おう、元気元気」


 そう言って、南野はまた写真を見せてくれた。きれいな女性と、かわいらしい男の子が並んで写っている。


「おー、相変わらず幸せ家族だな。息子さん、もう4歳だっけ?」


「いや、3歳だよ」


 南野の答えを聞いて、おや? と思った。


「あれ、去年会ったとき、3歳って言ってなかった?」


「え、そう? 先月3歳になったんだけどなぁ」


「そうかぁ……俺の勘違いだな。すまんすまん」


 その日はそんな話をした。この年になれば、周りも子持ちが増える。誰か他の知り合いの子供の年と間違えて覚えていたのかもしれない、と思った。


 家族の話をする南野は、相変わらずデレデレと笑っていた。




 その数日後、たまたま長田という知人に会った。彼は俺と同じ大学でふたつ年上の同級生だったが、実は南野の従兄にあたる人物でもある。


 ふたりで話していたとき、俺はふと南野のことを思い出した。


「そういえば、南野っていつ結婚したんだ?」


 尋ねると、長田の顔が急に曇った。


「あいつ、結婚なんかしてないぞ」


「えー? 俺に奥さんと子供の写真見せてくれたけど?」


「あれなぁ……俺やうちの親も心配してんだけどさ」


 長田は頭を掻いた。何でも南野は、数年前からあの女性と男の子の写真を人に見せては、自分の妻と息子だと自慢するようになったという。ところが実際に、彼が誰かと結婚したという事実はない。また、彼の家族に実際に会った人もいないらしい。


「その写真って、あいつ自身は写ってなかっただろ?」


 そう言われて、俺は背中にすっと冷たいものを感じた。


 落ち着いて考えれば、南野が写っていないなんて、別におかしなことじゃない。彼が家族内ではカメラマンに徹しているだけかもしれない。俺の親父も昔はそうしていたものだった。


 それでも咄嗟に俺は、長田の言うことを否定できなかった。彼の顔は暗く沈んでいた。


「あいつ、二十歳になる前にご両親が亡くなっただろ? それから、俺の親父やお袋が親代わりみたいになってたんだ。だから知ってるんだよ、本当はそんな家族はいないのにって……でも否定すると急に暴れ出してさ……どうしちゃったんだろうな」


 長田は悲しそうに首を振った。




 それから数ヵ月が経った。


 辞めた社員からの引き継ぎで、今まで行ったことのなかった取引先を訪ねた俺は、偶然そこで南野に出会った。


 聞けば、この会社で働いているという。


「偶然だなぁ。今度飲みに行かないか? 来週はどうだ?」


 屈託なく話しかけてくる南野に、俺は固い笑顔を向けていただろうと思う。


 本当は少し泣きたかった。もしも長田の言うことが本当だったらどうしよう。南野は朗らかで気遣いのできる奴だった。なのに、一体どうしてしまったのだろう。そう考えると悲しくなったのだ。


(いや、長田の言うことが間違っている可能性もある。なんにせよ、俺自身が確認しなければ)


 差し出がましいかもしれないが、南野が今よくない状況にあるのなら、何か自分にできることをしてやりたいとも思った。


「来週なら、いつでも空けるよ。お前、家庭があるんだから忙しいだろ?」


 そう答えてみると、南野はデレデレと笑い崩れた。


「悪いなぁ~。じゃ、来週の水曜日でいいか?」


「おう。わかった」


 帰り際、また「家族」の写真を見せてもらった。


 幼い子供にとって、数ヵ月の月日はかなり大きな変化をもたらすものだろう。身長が伸びたり、大人っぽくなったりするはずだ。しかし、画面に映る南野の「息子」は、以前見せてもらった写真とあまり変わらないように見えた。


「これ、最近の?」


「おう。週末に動物園行ってな」


「へぇ……」


 画面の中の女性と男の子は、やはり明るい笑顔をこちらに向けていた。




 次の週の水曜日、約束通り俺たちは仕事帰りに落ち合った。


 南野の独身時代からのお気に入りだという、雰囲気のいい居酒屋で杯を重ねながら、俺は彼に何をどう聞いたらいいのか迷っていた。


 当たり障りのない話をしているうちに時間は経っていった。明日はふたりとも仕事がある。


「名残惜しいけど、そろそろ帰るか」


 南野が時計を見ながら言った。


 店を出て四ツ谷駅に向かうと、やけに混んでいる。どうやら俺が使っている路線で、人身事故があったらしかった。もう夜遅い時間だというのに、復旧の目処も立っていないという。


「うわぁ、参ったなこりゃ」


「どうするんだ? お前、中央線だろ?」


「振替輸送か、いっそそこら辺のホテルに泊まるかなぁ」


「すごい人だかりだな、こりゃ」


 南野は改札付近に溢れ返らんばかりの人混みを見ていたが、「ちょっと待っててくれ」と言ってどこかに消えた。間もなく携帯電話を片手に戻ってくると、


「よかったら、うちに泊まらないか? うちに帰る方の電車は動いてるから」


と言う。


 俺は驚いた。


「いいのか?」


「今、うちの嫁に電話してみたんだけど、別にかまわないとよ。ただ、明日早いんで、息子と一緒にもう寝るそうだ。そんなわけで何のおもてなしもできませんが、よければどうぞと言ってたよ」


「いや……しかしなぁ」


 俺は考えた。電車の復旧も振替輸送も時間がかかりそうだ。ホテルに泊まるのも決して安くはない。なら、いっそ南野の好意に甘えてしまった方がいいのではないか。


 それに、本当に彼に妻子がいるのかいないのか、確かめることができるかもしれない。


「じゃあ、泊めてもらってもいいか?」


「おう、もちろん」


 南野の自宅までは、地下鉄と私鉄を1度乗り継いだ。彼の住むマンションは、まだ築年数が浅そうなきれいな建物だった。交通の便も悪くない。


「いいとこに住んでるなぁ」


「嫁がこだわってなぁ。住み心地は確かにいいけど、ローンがきついよ」


 南野は苦笑した。


 彼に倣ってそっと部屋に入ると、中はしんと静まり返っていた。玄関には男物の革靴の他に、女物のパンプスと、子供用の小さなスニーカーが並んでいる。三和土の隅には青い三輪車が片付けられていた。


 俺はリビングダイニングに通された。室内はきちんと整理整頓され、キッチンには色々な調味料が並べられている。清潔で、家庭的な女性の気配がそこかしこに感じられる部屋だった。


「ちょっとそこで待っててくれ。子供の様子を見てくるから」


 南野は二人がけのソファを勧めると、忍び足で部屋を出ていった。


 俺はリビングダイニングの入り口に立ったまま、辺りを見回した。リビングの床には厚めのマットが敷かれている。部屋の隅にカラーボックスがあり、画用紙やクレヨン、粘土の入った箱などが仕舞われている。


 近づいてみると、クレヨンの箱は色とりどりに汚れていた。幼い子供が使い込んだ形跡のように思えた。


(やっぱりあいつ、ちゃんと家族がいるんじゃないか……? いや、でもやっぱり、いつまでも息子が3歳なのは変だ。長田もあんな、変な冗談を言う奴じゃない)


 南野はまだ戻ってこない。俺はソファに腰を掛けた。うつむいて深いため息をつきながら、ふと


「いるなら実物を見てみたいよなぁ」


と呟いた。


 その時、背後でコトリと音がした。


 振り向くと、カラーボックスの中に収まっていたはずのクレヨンの箱と画用紙が、床に落ちていた。クレヨンの箱は蓋がとれ、中身が何本か飛び出している。


 画用紙には、黒い丸をいくつかぐりぐりと重ねた顔のようなものと、たどたどしい平仮名が描かれていた。


 その字は「よつや じんしんじこ」と読めた。

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