第27話・若さま二人と護衛の主務、幽世に招かれるのこと
案内役の付喪神の女は、自らを《長船長光の刀の化身》と名乗った。
すらりとした長身に腰には長い刀を差している。健康そうには見えないが、目元の涼やかな物静かな美人だ。
「こいつは高瀬長光なんて呼ばれているよ。上秘蔵の……ええっと、お前は何番目だっけ?」
「十三番目だ」
「数百振り在る中の上から十三番目ってことかい。なるほど、そいつは大した名刀なんだろうぜ」
忠郷はどこか聞き馴染みのある言葉に首を捻った。一体どこで聞いたかと、歩きながらしばらく考えてようやく思い出す。
「ああ、なんだそうだわ! そうよ!」
「一体何事だ? どうしたんだい?」
「どうもこうもねえよ。寝言でも言ってんだ」
「違うわよ! うちのおじいさまの刀も長船長光だわ。化け物を一刀両断した名刀よ! 祖父から父が貰って、今もあたしが持っているわ」
「そうなのか」
高瀬長光は表情こそ変わらなかったが、声の調子は弾んでいる。
彼女は忠郷の手を取ると上下に強く振って
「大事にしてくれて礼を言う。君の家の長光によろしく」
と、言った。
忠郷はなんと言葉を返したらいいのかわからない。
そもそもあの刀は祖父のものであって、自分は腰に差したこともなければもちろん振るったことも鞘から抜いたことさえない。何の思い入れも愛着もない、ただ祖父が大事にしていたというだけの名刀であるから、自分は礼を言われるようなことなんて何もしていないのだ。
渡り廊下の突き当りは大きな黒い扉になっていた。高瀬長光が触れることもなく扉は音を立てて開き、彼女の肩の上からぴょんと飛び降りた火車が開いた扉の隙間にするりと身体をねじ込ませる。
扉の先は再び薄暗い畳敷きの部屋だった。
これはなんだか見覚えがある――総次郎はすぐに気がついた。自分がここへ来た時に最初に横たわっていた部屋とそっくりそのまま同じである。
「なんだよ、戻ってきちまった」
「いやあ……ちっとばかし様子が違うぜ」
勝丸が部屋の四隅を見渡した。灯りの色が違う。さっきは橙色の灯りが思っていたが、今は月のように青白い色のそれだ。
「さあ、皆待ちかねているぞ。御方に似て堪え性がないからな」
「おんかた?」
忠郷が眉を潜めてそう繰り返すと、火車がぴょんと肩の上に乗って小声で言った。
「ここにいる上杉の刀の付喪神たちはさ、景虎のことをそう呼ぶんだよ。ああ、景虎ってのは謙信のことだからね。あいつ出世してころころ名前を変えたんだ」
「御方というのが謙信のことなの?」
「そうそう。連中は恐れ多くて名前だって口にしない。悪口なんか言ってごらんよ。お前ら全員二度と江戸のお城の土を踏めないかもしれないぞ」
きししと火車が笑う。肩の上の化け物が存外楽しげにしているものだから、忠郷は慌てて首を振った。
「そ、そんなこと言わないわよ。大体、あたし悪口なんて言ったことなんかないじゃない!」
そんなことはないと思う――総次郎は怯えながら自分に寄り添う忠郷を冷たく一瞥する。
「まったく……こんなところ好きで来たわけでもねえのに小難しいことあれこれ言いやがって……俺はまだ仕事があるんだっての」
そう文句を言うと、勝丸はやおら部屋の襖を開けようと手に掛けた。
しかし刹那、勝丸が力を入れるよりも早くそれは勢いよく勝手に動いた。
目の前が橙色に開けて、忠郷も総次郎も一瞬目を細める。
そこは畳敷きの大広間である。丁度学寮の表にある、生徒たちが時折全員集められる大広間より更に大きな部屋だった。
大広間は襖で一度仕切る構造になっており、最上段の上座には誰もいない。
襖が開け放たれた手前の広間には左右に二十人、奥の部屋には左右に五人ずつ人の似姿をした付喪神がいる。
そうして広間の中央には頭上にずらりと大きな灯りが並んで宙に揺れていた。
勝丸が上座に向かって歩き出したので、総次郎も忠郷もついて行く。高瀬長光も傍らにいる。
「ね、ねえ……これがみんな刀の付喪神なの? 上杉家の名物?」
忠郷に小声で尋ねられて総次郎は口を開いた。
「……そういう話だろ。大体、どいつもこいつも皆手に獲物を持ってる……どうでもいいが、俺に寄りかかって歩くのはやめろ! 鬱陶しいったらありゃしねえ!」
忠郷は唇を尖らせただけで総次郎の肩を掴みながら歩くのを止めなかった。
「だって……なんだかとても歓迎されている風には見えないんだもの。見なさいよ、連中があたしたちを見る目の冷たさ……本当にちゃんと帰してもらえるんでしょうね?」
それはもちろん総次郎も感じている。
総次郎はゆっくりと辺りを見渡した。 居並ぶ付喪神は全員が女である。
しかも、誰も彼もが見目麗しく、美しい。そしてその全員が手に、傍らに、獲物を持っている。
(これが全員……付喪神? 器物の化身? この間の幽霊のようにも見えるが……でも姿形ははっきりしているし……)
こっそり顔を盗み見ているつもりで目が合って、総次郎は慌ててそれをそらした。付喪神がクスクスと笑っている。
「そいつらは腰刀の付喪神だね。短刀や脇差ってのはお家じゃ序列が低いのさ。上座に座っている奴ほど序列が上だよ。上秘蔵の連中は全員が太刀や打刀だね」
火車が総次郎に言った。
「あら、そうなの?」
「景虎の奴は毘沙門天の化身だなんて言われてたんだ。戦の神様だの軍神ーーなんて風にね。刀ってのも戦うために造られた武器だから、それなら戦場で軍神が手束から振るった名物にこそ価値があると連中は信じてるんだよ。だから景虎の奴が戦場で使った連中ばかりが序列の上位にくる……もちろん、その限りじゃあないけどね。序列を決めたのは今の奴らの持ち主だし。だけど腰刀連中はいつもいつでも主人とは一緒だろ? だからもんのすごく矜持が高くて、それはそれで厄介な奴らなのさ」
「付喪神ってのはみんな女の姿をしてるのか?」
「そんなわけないだろ。ここにいる連中が好きでこういう姿をしてるだけだよ」
火車が忠郷の肩の上で広間をぐるりと指した
「付喪神ってのはだいたい自分の持ち主には特別な情が在るもんなんだ。上杉の家にいる刀の付喪神は特にその傾向が強いね。おまけに景虎なんてのはほら、独り身だっただろ? だからみんな――」
火車は畳の上に飛び降りた。
「自分も番になれる望みがあるんじゃないかと思って、それで自分が知りうる限り一番の美人に姿を似せてんだ」
「はあ……なるほどね」
勝丸も聞いたことがある。
自分の父がいた武田の家の当主――武田信玄公は正室の他に何人も側室がいたはずだ。しかし謙信公にはそういうものは皆無と思っていた。おまけに妻さえ持たず、跡取りも養子ばかりだったと聞いている。
しかし――
「……まあ、人じゃねえにしろこれだけ傍に女どもがうじゃうじゃしていたら、もう食傷ぎみで腹いっぱいだわな」
既に自分も胸焼けを起こしている――ー刻も早く帰りたい。帰って仕事を片付けなければ。
すると不意に高瀬長光が誰かに声を掛けた。
「連れてきたぞ、水神切り」
そう言うが早いか、高瀬もまた列の中に加わりどっかりと腰を下ろしてしまった。
代わりに三人の目の前に現れたのは唯一若い男の姿をした付喪神だった。どこからともなく勝丸の目の前に現れるや、
「ああ、よかった! ようこそお出ましくださいました。遠路はるばるすみません。ささ、どうぞどうぞ」
と言って手を引く。
なんと腰の低い男だろう――まるで遊郭の男衆のようである。居並ぶ女の姿の付喪神たちの刺さるような視線を受けながら、勝丸は目の前の付喪神の男に「どうも」と頭を下げた。
勝手にこんなところへ連れてこられて文句の一つでも言ってやろうと思っていたのに、完全に彼に釣られる格好である。
「そいつは客ではないな。助宗からここへ案内せよと聞いていたのは若さまのご同寮だという二名だけだ」
静まり返った大広間が一気にざわめく。
「じゃあ……それは誰?」
「そうだ、そうだ。若君を江戸の城でぶん殴ってるという奴らをおれたちの前へ引き出すという話だったはずだ。それならそいつも同罪の輩だろ?」
「そうよそうよ。若様は同僚の奴らに江戸のお城で惨たらしく壮絶に痛めつけられていると聞いたわ」
「そうだそうだ。聞いたかよ? こないだなんか急所をやられて危篤とかで、直江の旦那が城へ呼ばれたんだ」
一斉に腰刀の付喪神達の悲鳴が上がり大広間は一時騒然となった。
「おかしいと思ったぜ……主上はただの子供の喧嘩と言ってなすったが、子供同士の喧嘩でうちの玉丸が危篤になんかなるもんか」
「ええ? お城へ集められているよその大名家の小倅にやられたのではないの?」
「じゃあ……御曹司は大人どもに酷いことをされたというわけ? ただの他所の家の御曹司同士の喧嘩と思っていたのに!」
付喪神の一人が勝丸を指した。
「御曹司ばかりじゃねえや。あんな人間も一緒になってぼこすかやりやがったに違いねえ」
「やっぱり、学寮だなんて場所は危ないよ。徳川の奴等、我等から御曹司を取り上げて何をしているかわかったもんじゃない」
可哀想に――とどこからかともなく言葉が聞こえて、次第に総次郎には話が読めてきた。なぜ自分や忠郷がこんな場所へ連れて来られたのか。
「なるほどね……」
ため息混じりにそう呟いたのは勝丸だった。
「千徳は一人っ子でお家には他に誰も男児がいない……大事なお家の跡取りに何かあっちゃあ、そら名物どもも気が気じゃねえわな……」
静かにそう言い終えると、しかし勝丸は
「冗談じゃねえぞ!! 一体誰がいつもこいつらの喧嘩を止めてると思ってんだ! ふざけたことを抜かすのも大概にしとけよてめえら!!」
と、罵声を浴びせた。そこここから非難の声があがる。
「ではお前は一体誰で何故ここにいるの?」
派手な白い着物を纏った付喪神が通る声で尊大に言った。最上段に最も近い場所を陣取りまるで名家の姫君のような姿をしている彼女が口を開くと、刹那、辺りはしんと静まり返る。
「大丈夫ですよ、姫さま。このお方はね、御曹司の護衛役の方です」
「護衛?」
「そうです。学寮に集められるのは大身の子息ばかり。腕の立つお方が傍について、しっかりお守り下さっていると聞いております」
付喪神の男は勝丸と目が合うと、恵比寿のように人の良さそうな顔をいよいよ綻ばせた。
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