第26話・鶴寮の三人、夜の世界へ誘われるの巻《弐》
自分が寝起きが悪いということを、総次郎は強く意識していた。
せめて傍らで呼びかけられたら起きるくらいにはならないと、容易に命を狙われてしまう――などと父・政宗にも言われたことがある。
それでもどうやったら浅い眠りになるのかなんてことはわからない。自らの意思ではどうにもならないことだってあるじゃないか。
どこか遠くで誰かが呼んでいる声がして、次第に総次郎の意識は浮上しつつあった。ユサユサと身体を揺らす力がある。
「おおい……おおい、起きろってばお前!」
ドン、と背中に強く力を受けて総次郎は覚醒した。とは言え、まだ頭ははっきりとは働かない。
「なんなんだ一体……まだ夜だろ?」
周囲を見渡して総次郎は呟いた。
辺りはまだ夜の暗さである。学寮に朝が来るとお部屋番が雨戸を開けて自分たち生徒を起こしに来るのが日課だった。
しかし、総次郎は我に返ったように再び顔を上げて驚いた。
そこは自分たちーー鶴寮生の寝間ではなかった。
自分の知らない畳敷の部屋。部屋の四隅には灯りが灯され、その中央に布団もなく自分一人が倒れている。
「おいらはお前たちなんて連れてくるのはよした方がいいって言ったんだよ」
総次郎の目の前にいたのは千徳と一緒にいる喋るけだものだった。
「なんなんだ……これは一体どういうことだ」
「まあね……つまるところ、わかりやすく言えばお前は夢を見てるのさ」
「夢?」
「そうだよ、夢。いつもなら玉丸の奴だけ呼ばれてここへ来るんだけど、今日はあいつらがお前らの面を拝みたいとか言うからさあ……」
「呼ばれる? あいつらってのは一体何なんだ?」
すると突然戸が勢いよく開く音がして、総次郎は思わず立ち上がった。部屋へ転がりこんで来たのは、総二郎がよく知る見知った同寮の彼である。
「い、いいいったい今度は何なのよ! もう!」
「あっ。ようやく見つけたな!」
火車がぴょんぴょんと跳ねて駆け寄ったのは、忠郷だ。いつもは一つに束ねている長い髪を下ろしている姿はまるで女のようでもある。喋り方もなんだかそんな風であるし、総次郎は出仕当初からどうにも気になっていた。
「短刀達に先に見つけられてもみくちゃにされていた。まったく、一度に一処へ集め置かないからこんなことになる」
続いで部屋に入ってきたのはすらりとした長身の女だった。
「そんなのおいらのせいじゃないやい。眠りに入るのは個人差があるんだから仕方ないだろ」
忠郷は長身の女の目を盗んで立ち上がるや、総次郎に駆け寄った。着物にすがりついて彼の顔を覗き込むその姿は相当に怯えている。
「ちょっと総次郎、あんた外の様子見た? とんでもないわよ。な、なんだかやかましい女どもが大勢いて、やいのやいのとあれこれ尋ねられて……」
「今まさに意識を取り戻したところだぜ、俺は。お前は夢を見てるんだと、そこのけだものに教えてもらったばかりだ」
総次郎が総次郎が火車を指す。
火車は畳をぴょんと蹴ると宙を何度か跳ね、女の胸も飛び石代わりに蹴飛ばして彼女の肩の上に降り立った。彼女も表情は特に変えず、総次郎と忠郷を見つめている。
「ここはね、
「つまり……それが、夢を見ている状態ということか?」
「そういうこと。ここは幽世にあるお城でさ、上杉の刀の付喪神たちが雁首揃えているんだよ。付喪神ってのは太陽の光があまり好きじゃないから、夜がずうっと続く幽世を気に入ってよくよく出入りをしてるんだ。連中は時々ここへ玉丸を呼んで、あれやこれやお小言言ったり、稽古を付けたりしているよ」
「そこへどうしてあたしやコイツが呼ばれなきゃならないのよ!」
忠郷が総次郎を指して叫ぶと、総次郎は露骨に嫌な顔をした。
「さあねえ。連中もお前たちの噂はずいぶん聞いているみたいでさ、会ってみたいとか言うんだよ。ほら、お前たちの親やじいさまってそれなりに名の知れた大名なんだろ? それでじゃないかい?」
要はヒマなんだよ、と火車は言葉を続けた。
「化け物の退屈しのぎに呼ばれるなんて……あたしたちは芸者じゃないのよ?」
「まあまあ、とにかく。挨拶の一つでもしないことには元の世界へ帰してもらえないよ。朝になる前にとっとと連中の総触れへ顔を出さにゃあ」
「総触れ?」
総次郎が尋ねたその時、ものすごい音が辺りに響き渡った。部屋の灯りが大きく揺れ、忠郷が叫び声を上げて総次郎の背後へ回る。
部屋の戸を蹴破って現れたのは、これまた総次郎が見慣れた自分の寮の主務――保科勝丸だった。
「まったく……夢くらいもちっといいものを見せろってんだ! 一体なんなんだよこれは!」
「うわーあ! お前が来ることは完全に想定外だよ! なんでここにいるんだい、お前!」
「……一体誰だ?」
「玉丸の寮の護衛役だよ。ああ、こいつ――たぶんあの場でおいらたちと一緒に寝やがったな! だから一緒にくっついて来ちゃったんだ!」
女の姿をした付喪神は
「仕方ない。とりあえずこれも連れて行こう」
と言って部屋の戸を開けた。
「ほらほら、お前たちちゃんと付いて来いよな。迷子になったら帰れないよ」
それを聞くや、慌てて忠郷が部屋を飛び出す。総次郎は一度冷静になってどうするべきか考えた。
まったく――何がなんだかわからない。
足元がなんだかふわふわするのは夢のせいか。
夢の中で「帰れない」ということは、つまり自分は目が覚めないということなのか?
あれこれ考えながら総次郎が部屋を出ると、部屋の外には従者らしき人間が待っていた。それぞれ頭がひきがえるとうさぎのそれであることを除けば、ごく普通であったけれども。
部屋を出た自分たちの目の前には廊下が続いている。大きな橙色の灯りが揺れる、長い廊下。薄闇の中にどこまでもどこまでも点々と灯りが続いている。
総次郎は傍にいた忠郷の頬を思い切りつねってみた。ひきがえるの面構えに絶句しているらしい忠郷は総次郎には目も合わせず、何も言わない。
それが分かって確信する。
ああ、やっぱりここは夢の中なのだ――と、
火車と共に現れた女は自分のことを刀の付喪神だと総次郎と忠郷に言った。
黒い着物を身に纏い少しも笑わない気難しげなその姿に、総次郎は未だ一言も口を聞かない姫路の自分の許嫁を思い出す。
「……つまり、千徳の実家にある刀どもがここにうじゃうじゃ集まっているってこと? 千徳だけじゃなくあたしたちのことも待ってるの? まったく……とんでもない悪夢を見ているわね」
「玉丸の奴は霊感があるもんだから割としょっちゅう霊夢を見るんだよ。これは体質の問題だね。だから幽世にもしょっちゅう呼ばれるんだ」
「霊夢?」
「そうそう。現世に実体を持たない奴とか、干渉するのが鬱陶しいとか煩わしいなんて思う奴らが人に伝えたいことが在る時によく使う手だよ。夢のお告げってやつ。大体はあの世へ行っちまった死人の魂ってのが多いかな。そういう連中はこの幽世から現世に呼びかけるわけ。そういう呼びかけを拾える人間ってのは稀だね。稀に人でないものの呼び掛けを拾える奴もいる。そういう奴は大体が修行を積んだりしてる特別な人間みたいだけど」
「……なるほどな。そりゃ、化け物や幽霊が見えるんだから付喪神の呼び出しを受けることくらい日常茶飯事ってわけだ」
「あんたもそういうものを見たりするわけ?」
忠郷が勝丸を振り返る。
「霊夢ねえ……俺はまあ……山の神様とかいう奴ぐれえは見たことがあるかな。夢現に目の前に現れて、だがしかし後になってみるとあれは夢だったのかも知れねえと……まあ、そういうもんさ。神様なんてものはみんな実体なんかあってないようなもんで、割とぼんやりしているもんだぜ」
総次郎と忠郷は付喪神について廊下を進んでゆく。その背後からついていくのが勝丸だ。
不意に廊下の両端の灯りが大きく揺らめいて燃え上がったと思った刹那、視界が白く開けた。
目の前には再び廊下である。
しかしそれは半屋外の渡り廊下で、両脇には庭木が重く雪を被った一面の銀世界の庭が広がっていた。
宵闇の空に大きな銀色の月が浮かび、雪の上をあちらこちら青白いの炎が揺れている。
「と、突然景色が変わったわ」
「越後ってのは冬の間はずうっと雪を被ってんだ。人の背丈ほども雪が積もるんだぞ」
「じゃあ、ここは越後なのか?」
「もちろん、越後じゃあないよ。だってここは幽世だもん。連中が越後のお城に似せて好き勝手に造っているのさ。昔、自分たちがいた春日山のお城に似せてね」
ーー造る? 総次郎と忠郷は顔を見合わせる。
「言っただろ? 幽世なんてのは夢の中みたいなところなんだ。あってないような世界だから、どうとでも自分の好きに出来る。自分たちの世界にお前たちやおいらを招いているんだから、どんなところにいようが自分たちの好き勝手に出来るに決まってるだろ」
「なんだか頭が痛くなってきたわ……とにかく、ここはあんたたちの夢の中の世界ってことなのね。どうりでこんなに雪が積もっているのにちっとも寒くないわけよ……」
自分たち二人は寝間着のままである。だのに、雪の寒さも冬の冷気もなにも感じない。
「上杉の家は景虎の奴が調子に乗って名刀を貰ったり集めたりしてたもんだから、刀の付喪神たちがとにかくいっぱいいるんだよ。数百振りなんて数にまで膨れ上がって、今じゃとにかく大所帯。てんやわんやとにかくやかましいから、お前たちも気をつけた方がいいぞ。酔っ払ってすぐ乱闘始めたりするから」
「一体何をしにそいつらのところへ行くんだ俺たちは。俺だけでもとっとと夢から覚めてえよ。お前ら見張るついでにうっかりうたた寝しちまったが、まだ仕事が残ってるのを思い出した」
忌々しげに勝丸。
すると付喪神の女が言った。
「申し訳ないが、ご城代の許可なくここから出すわけにはゆかぬのだ。とりあえず貴殿もお付き合い頂く」
「ご城代? 春日山城の城主とくりゃあつまりあれだ、謙信公ってわけかい」
「はあ!? 謙信なんてもう何十年も前に死んだじゃない!」
「相変わらず馬鹿だな、てめえは。だからここはあの世とこの世との境なんだってさっきそのけむくじゃらが言ってたじゃねえか」
呆れたように総次郎がそう口にすると、忠郷は青い顔をして叫んだ。
「ええ! 何なの!? じゃあ本当にそいつがここにいて城主をしているってことなの? 死んだ上杉謙信が?」
「そんなわけないだろ」
「そうよね。そんなわけがないわ」
火車あっさり言葉を返されて、忠郷も我に返ったように冷静になった。勝丸と総次郎が深くため息を付いている。その空気を破ったのは付喪神の女だった。
「ご城代は我ら上杉の名物において序列の筆頭。主上より我らの統率を任されておいでなのだ」
「つまり、上杉の家で一番の大名物の刀ってことさ。その刀の付喪神だね」
火車が言うには、付喪神が言うところの「主上」というのは、つまり自分の本体の持ち主を指すらしい。
付喪神は元が「器物」だから持ち主は絶対であり、持ち主こそが己の全てだ。
当然主人には皆並々ならぬ情愛があり、誰も彼もが主にとって自分こそが一番の刀であると信じて疑わない。
我こそが主上の一番――という無駄な諍いや争いを産まぬため、今の彼らの持ち主が彼ら上杉の刀剣・数百振りを全て検分し、序列を付けたらしい。
「ーーつまり、その序列の一番上ってのが、ここのご城代というわけかい。謙信公所有の愛刀の一番の大名物」
「さよう。数百振りの刀剣の中でも《上秘蔵》の位に列する面子はご城代を含め二十振のみ。お前たちをお待ちかねだ」
「お待ちかねって……つまりその、上秘蔵の二十振りの刀どもが? あたしたちを……?」
そう、と言うと火車は付喪神の女の肩から下りた。
「そう、じゃないわよ。大体、そいつらは千徳に用があるんじゃないわけ? あいつは一体どうしたのよ。あたしたちと一緒に寝床に入っていたわ。どうしてここにいないのよ?」
「いるさ、ちゃーんと。あいつはあいつでなんか別の用事があるんだって。だから多分後で合流するんだと思うよ」
「はあ……なるほど。合流ねえ……」
嫌な予感しかしないーー勝丸は腰に差していた脇差を強く握りしめた。
自分も霊感などと呼ばれる物が働く。だからこそ霊の類や化け物だって見えるし、大名家へ仕官するより以前はそうしたものを退治して日銭を稼いでいたこともある。
だからこそ、勝丸には自信があった。
自分の勘は大体あたる。
特にこういうーー良くない予感は。
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