第8話・千徳、目付役から頼まれる
客間へ向かって歩き出すと勝丸が口を開いた。
「このクソ忙しい時に突然わけわかんねえことおっぱじめやがって……いつも言ってるじゃねえかよ。うちは寮監督がいねえんだから俺一人じゃ手が回らねえんだ。予定は予め先に情報を寄越せっての!」
「僕らの寮監督、前に総次郎に顔を殴られて辞めちゃったんでしょ? 僕も聞いたよ」
「ああ、そうらしいぜ。言っとくが俺もぶん殴られたその阿呆な寮監督って野郎のことは知らねえんだ。あんなガキにやられるくれえだ、よっぽどの阿呆さ」
「新しい寮監督はいつ来るの?」
「さてねえ。俺も二日に一度は上役殿に聞いちゃいるが、もうしばらくは今のままだとさ。全く……冗談じゃねえ。俺はただの護衛役だっての! そう聞いてここへ来たんだ俺は!」
勝丸の口ぶりは騙されたと言わんばかりである。廊下中に響き渡る大声で勝丸は尚も続けた。相当に鬱憤が溜まっていると見える。
「なのに、なんで主務の俺が寮監督の仕事までせにゃならん! ただでさえお前らは手が掛かるってのに、その上俺は一人で主務の仕事と監督官の仕事とをやっとるんだぞ!? ほんなら手当も倍貰わなきゃ割に合わねえじゃねーか! 話が違う!」
ほら、また始まった―—僕は叱責に見せかけたいつもの勝丸の愚痴を聞きながら客間を目指して廊下を進む。
御殿は珍しく静かだった。どこの寮の生徒も部屋を留守にしているように思える。
各寮の部屋には向かいに部屋番の小坊主や主務が待機する小さな部屋がある。生徒達が授業や講義で部屋を留守にしている間彼らはここで色々な雑務をしているはずだったが、どうも今日はそうした彼らの気配も少ない気がした。
御殿と表とを区切る扉を抜けて僕らが客間に到着すると、廊下に一人小坊主が立っているのが見えたよ。僕らの姿を確認するや彼は廊下を走ってきて
「北の御殿の上杉千徳様でいらっしゃいますか?」
と尋ねてきた。
「そうです」
「ああ、良かった。ささ、お待ちかねでいらっしゃいますので!」
言うが早いか、客間係は僕の腕を引いて歩き出した。連れてこられたのは《菖蒲》の客間である。
すると勝丸がドンと足を踏み鳴らして客間係に詰め寄った。
「お前、なんぞあのお目付け役殿から言いつけられてんのか?」
勝丸は客間係の少年の顔を覗き込む。客間係は
「いえ……いらっしゃったらこちらへお通しするようにとそれだけです。もうお待ちかねですからお早くどうぞ」
客間係は面倒臭そうな表情を隠すこともせず、客間の隣に用意されている控えの間を開けて勝丸を中へ促した。
「ふうん……それなら俺はいつものように控えの間に待機させてもらうぜ。千徳、何かあったら大声出しな」
「あ、勝丸もいてくれるんだ」
「俺たち主務は担当の寮生が面会の時は隣の部屋に控えてろと言われてんだ。これでも一応護衛役だからな。どうせお前さんもいるんだろ?」
勝丸が客間係に尋ねる。
そうなのだ。客間は二間あって、控えの間では客間係が必ず待機する事になっている。生徒の安全を考慮してそうしているという話だったけれども、客間係は大半が僕ら生徒よりも少し年上くらいの年齢の男子ばかりだから護衛のためとは言い難い。
「いえ、お目付け役殿が自分の待機は不要と仰せです」
「ふん。俺は待機させて貰うぜ。悪いがあの御方は信用ならねえ!」
客間係は一瞬だけ目を細めると「ご自由にどうぞ」と言った。
「貴方のことは特に何も言われなかった」
彼を見送ってから僕は客間の戸に歩み寄り静かに部屋へ声を掛けた。
失礼があってはならないだろう――おそらく彼はいい感情を抱いて自分をここへ呼び出したわけではなさそうだ。
「失礼致します!」
堅い所作で部屋へ入ると、まず聞き慣れた言葉があって千徳は下げた頭を慌ててそちらへ向けた。
「いつまで待たせるつもりだ。俺も務めがあるので暇ではない」
聞いたことのある声である。
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