引きずる少女

逢雲千生

引きずる少女


 僕があの警備会社に入ったのは、就職難で苦労していた時のことでした。

 

 高校を卒業後、四年制大学に入学できたものの、仕送りは微々たるもので、週五日のアルバイトをしても生活費が足りない状況でした。

 なので少しでも生活が楽になるようにと、アルバイトを増やすことにしたのです。

 

 最初は夕方から終電までの間に、週三、四日くらいを目安に働ければと思っていました。

 しかしそんな条件で、休むかもしれない学生を採用してくれるところはほとんど無く、あっても深夜勤ばかりだったのです。

 

 コンビニやスーパーも面接しましたが、どちらも「時間に都合がつけられないのなら採用はできないね」と断られてしまい、どうすれば良いのか途方にくれていました。 

 そんな時に誘われた友人との飲み会で、私は友人に仕事を進められたのです。

 

「なら、警備員にでもなったら。オレ、紹介するよ」

 久しぶりにあった高校時代の友人は、大学に進学せず就職していました。

 とても厳しい状況だったそうですが、運良く採用された警備会社で、正社員になっていると言われたのです。

 

 警備会社と言っても、彼が勤めているところは便利屋のような会社で、機械の修理やペット探しまでやっています。

 ちょうど欠員が出たというのが警備部門で、別の部署にいた彼も、上司に言われて新しい働き手を探しているところだったそうなのです。

 

 なんて運が良いんだと思いながら、二つ返事で「やる」と言うと、彼はすぐにバイトで雇ってもらえないかと電話で上司に話してくれました。

 上司もよほど困っていたのか、すぐに了承してくれたそうで、僕はその日のうちに新しいアルバイト先を見つけることができたのです。

 

 数日後、友人に連れられて向かったのは、警備部門がある小さなビルで、会社の所有だというそこは、高いビルに囲まれた三階建ての古い建物でした。

 コンクリートで造られたらしく、階段を上がりながら見えた部分から、無骨な灰色がチラホラ見え、壁にはボロボロのポスターが残ったままです。

 一階と二階は倉庫になっているらしく、扉には「関係者以外立入禁止」の張り紙がされていて、それも少しボロボロになっていました。

 

 三階にある警備部門の扉を叩くと、主任だと言う高梨たかなしさんが対応してくれました。

 友人は紹介を終えると、仕事があるからと言って行ってしまいました。

 

「はじめまして、高梨です」

「こちらこそはじめまして。三津井みついと言います。これからよろしくお願いします」

 お互いに簡単な自己紹介で終わりましたが、高梨さんは良い人で、優しい笑みが似合う頼れる人だなと思いました。

 

 このビルは警備部門の人だけが使用しているのだそうで、高梨さんと僕以外に、十人以上の人が交代で詰めていると説明を受けました。

 なんでも、便利屋という側面があるのに警備員を頼む人が多いらしく、別に人を確保するためにこうしているのだそうです。

 

 正社員の人ばかりかと思いましたが、アルバイトが三人いて、警備員が持てる免許のような物を持つ人が二人もいました。

 就職難の上に不況も重なり、苦しい状況ではありましたが、それでもこの会社の顧客は増えているのだと言われ、なおさらすごいところだと思いました。

 よほど信頼されているのかと思ったのですが、その理由は後日わかりました。

 

 初めての仕事は、アルバイトの水田みずたさんと一緒に行う見回りでした。

 ビルの近くにある十階建てのオフィスビルに入り、一階から順に屋上まで見回るのが仕事です。

 このビルには専任の警備員もいましたが、できるだけ経費削減をしたいらしく、値段の安い会社に夜の見回りだけを頼んでいるのだそうです。

 

「夜はどうしても割高になるからね。俺も経験あるけど、時給制の場合、貰う方は嬉しいけど、払う方は渋い顔になるんだよね。前にいた会社が時給制だったから、なるべく早く終わらせろって言うのに、見回りは隅々までやれっていうんだから、まいったよ」

 

 水田さんは三十代の会社員で、昼間は普通のサラリーマンをやっているのですが、お小遣い稼ぎにアルバイトとして警備員をやっていると言っていました。

 この頃はまだ副業が認められておらず、会社にも知人にも黙ってやっていたらしく、週に一度来れれば良い人だったので、一緒に仕事をしたのは数回だけです。 

 しかし話し上手な人だったので、彼と一緒の時は退屈しませんでした。

 

 無事に最初の仕事が終わると、僕は大きな達成感を抱きました。

 時間の自由もあり、課題や出席日数で苦しい時は融通してもらえたので、とても良い会社に入れたなと喜んでいました。

 

 基本的に深夜勤か終電までの仕事が多かったので、生活費の足しどころか、昼間のアルバイトよりも良い給料を貰えたほどです。

 おかげで貯金も貯まり、二年三年と続けていくと、だんだんと難しい仕事も任せられるようになりました。

 

 そしてアルバイトを始めて四年目に入った頃、僕はあの恐怖を体験することになったのです。

 

「廃墟の見回り、ですか」

「ああ。ある建物のオーナーさんが、ずいぶん昔から放ったらかしにしてた事で廃墟になってしまい、たびたび人が出入りするようになったというんだ。オーナーさんの話だと、近所の若者や廃墟マニアとかいう人達らしいんだが、今年中には取り壊したいらしくて、人が出入りできないように見回りをしてほしいんだそうだ」

 

 その年、初めて任された大きな仕事が廃墟の見回りでした。

 ずっと以前から廃墟の見回りはありましたが、ネットや動画配信などの普及により、同じ趣味を持つ人同士のコミュニケーションが増えたこともあってか、たびたび私有地に入っては、個人所有の廃墟に無断で立ち入る人が増えていたのです。 

 ここ一、二年は特にひどく、毎日見回って欲しいという人もいたそうですが、そこまで人を回せる余裕がなかったので、断ってしまった話も多かったと言います。

 

 僕に舞い込んできたこの依頼も、できれば毎日見回って欲しいという話だったのですが、断られても諦めきれなかったのか、こちらの都合が合う日に、昼間だけでもやって欲しいとのことでした。

 

 さいわい、僕は授業の単位が足りていたので時間があり、大きな仕事も受けていなかったので、週に三日から五日の間で引き受けられました。

 それをオーナーさんに伝えると、とても喜んでくれたそうです。

 

 この会社は個人からの定期的な依頼となると、何かあった時のことも踏まえてか、会社から特別ボーナスが出ていました。

 特に廃墟などの危険な場所においては高額で、卒業後の不安もあったため、少しでも貯金をふやそうとしていたこともあり、僕は就職した時と同様に二つ返事で引き受けたのでした。

 

 頼まれた廃墟は、意外にも会社の近くにありました。

 会社から車で三十分のところにある丘の上に建っていて、その周囲は住宅地として賑わっていた地域なのだと、会社を出る前に高梨さんから説明を受けました。

 しかしバブルが崩壊すると、交通の便の悪さから人が離れていき、今ではお年寄りかお金持ちくらいしか住んでいないのだそうです。

 

 丘の上にある平地に建てられた廃墟は、坂に建てられている住宅よりも立派なもので、一目で豪邸だったことがわかりました。

 柵付きの門から住居までは遠く、周囲を囲む塀の先を見てもかなりの広さがあることもわかります。

 オーナーさんが預けていった鍵を使って柵を開けると、草だらけで元の姿がわからなくなった道が僕を出迎えてくれました。

 

「うわあ、これはひどいなあ。草だらけじゃないか」

 

 なるべく隅々まで見回って欲しいと言われていましたが、まだ昼間だというのに薄暗く感じます。

 瑞々しい草とは裏腹に、すっかり色をなくしてしまった石畳はボロボロで、デコボコした道として住宅まで続いていました。

 

 住宅は古い洋風建築で、玄関は高そうな木で出来ています。

 さぞかしすごいお金持ちが住んでいたのだろうと考えつつ玄関の扉を開けると、真っ白い粉が舞って僕の視界を塞ぎました。

 

 粉の正体はほこりで、もう何年も人が立ち入っていないのか、玄関は一面真っ白になっていました。

 念のためにと持ってきたマスクをつけてライトで照らすと、薄暗い玄関がよく見えます。

 子供が何人集まっても走り回れるほど広い玄関は、靴を脱ぐ場所も広く、本当に立派な物に見えました。

 まだ人がいて、誰かが使っていたのならば、さぞかし立派で綺麗だったのでしょうが、とっくの昔に見放された玄関は、主人をなくしてうなだれたように崩れた靴入れと壁により、足の踏み場がほとんど無くなっていたのでした。

 

 玄関を上がって奥に進むと、リビングらしき場所に来ました。

 何十人もの人が余裕で入れるほどの広さがあり、当時の家具はそのままのようです。

 

 大きなソファーが三つあり、一人がけの立派なソファーも五つあります。

 低いテーブルも大きな物で、僕くらいの人ならば三人は横になれそうでした。

 

 リビングの隣にはキッチンがあって、ところどころ壊れていましたが、四人がけのテーブルと椅子が十分置けそうなほどの広さです。

 キッチンの奥には外に出る扉があり、その隣には玄関に行ける扉もありました。

 確認のために両方のドアノブをひねりましたが、錆びついているのか回せず、後で外側から確認しようと諦めたのでした。

 

 また、リビングを挟んでキッチンの隣にあった部屋は客間だったらしく、埃をかぶりながらも威厳を見せる調度品が数多くあり、部屋を見れば見るほどすごい家だったということがよくわかります。

 残念ながら、壁や天井が崩れているところもあり、リビングとキッチン、そして客間以外の場所は入ることすら難しくなっていました。

 

 二階に続く階段は壊れておらず、軋みも少なかったので二階に上がってみると、こちらは家族の場所だったようです。

 子供部屋が二つに夫婦の寝室、そして何のためにあるのかわからない和室が一つと、親戚などの親しい人用なのか、少し狭いですがきちんとコーディネートされていたであろう部屋が五つもありました。

 

 こんな立派な家に住んでいたのに、どうしてオーナーさんはそのままにしているのだろうか。

 そんな疑問を持った頃、廊下の向こうで何かが落ちる音が聞こえたのです。

 

「……もしかして、誰か入ってきたのか」

 少し低い声で囁くように声を出すと、音が続けて二回聞こえました。

 僕に気がついた誰かが焦って動いてしまったのか、何かを蹴る音がしたのです。

 

「今行くから動かないでよ。いいね」

 誰なのかまではわかりませんでしたが、見回りで不審者に出会ったのならば、身の危険を感じない程度に接触しなければなりません。

 もし不法侵入者で、乱暴な人であったのならばすぐに逃げられるようにと、身構えながら奥に進みます。

 穏便に済ませられることを願いながら、奥にある子供部屋に入りましたが、そこには誰もいませんでした。

 

「あれ?」

 子供部屋は十二畳ほどの広さで、隠れる場所はいくつかあります。

 ですが、これだけ埃まみれの中に隠れるとなると、必ず埃が少なくなる場所があるのですが、どこを見ても自分の足跡しかありませんでした。

 

 何度も探せるところを探してみましたが、誰かがいた痕跡すらありませんでした。

 動物でもいたのかなと思いながら部屋を出ましたが、どうも気持ちがすっきりしませんでした。

 まるで胸の中をかき混ぜられているような不快感に、僕は早く帰ろうと一階に下りたのです。

 

 二階へ続く階段は、人目につきにくいようにしたのか、家の奥にありました。

 一階に下りるとすぐ隣に洗面所と浴室があり、正面にはオシャレな扉のトイレがあります。

 

 念のために全てを見回りましたが、浴室は天井が落ちていて、トイレも歪んでしまったのか開きませんでした。

 洗面所は広いだけで、割れた鏡と崩れた壁があるだけの空間に変わっていました。

 

 一通り見回りは済みました。

 しかし胸の違和感が消えなかったので、今日はこのまま会社に戻ろうと廊下に出た時、二階から大きな物音が聞こえたのです。

 

 ゴトン、という音の後に、ズル、ズル、シュルシュル、という音が繰り返し聞こえ、だんだんと近づいてきます。

 階段に戻って二階を照らすと、薄暗い廊下のところに人影が見えました。

 

「誰ですか? ここは立ち入り禁止ですよ」

 不法侵入者だと信じていた僕が人影を照らすと、その人物はニヤリと笑ったのです。

 

 異様な光景でした。

 ライトに照らされたのは女の子で、十代半ばくらいの少女です。

 長い髪を腰まで垂らし、白いブラウスに藍色の長いスカートを着ていた彼女は、首に何か長い物をつけて階段を降り始めました。

 

 ズル、ギシ、ズル、ギシ、シュルシュル、という音が繰り返し聞こえ、少女から目を離さずライトで追います。

 彼女は一段一段ゆっくりと降りてきましたが、真ん中くらいまで降りてきたところで音の正体に気づいたのです。

 

 彼女の首についていた長い物。

 

 それは人の腕でした。

 

 斜め下から見ていた僕の目には、彼女の首に巻き付くようにすがる少年が見えていて、彼の首には紐が巻き付けられていました。

 少女は異常な状態の少年を引きずりながら、ニヤリと笑ったまま階段を下りてきていたのです。

 

 一歩、また一歩と後ろに下がりますが、少女は僕に笑いかけたまま、変わらないテンポで下りてきます。

 今にも声を上げて笑い出しそうな笑みに、僕はようやく彼女が普通ではないと理解しました。

 

 震える手で腰にある無線に手を伸ばすと、急いで会社に連絡を入れました。

 その間も彼女をライトで照らし続け、だんだんと近づいてくる姿に震えながら応答を待ったのです。

 

 無線は繋がりました。

 しかし、電波が悪いのか声がよく聞こえません。

 何度も何度も知っている人達の名前を呼んで呼びかけますが、無線は突然プツリと切れ、それ以降何の音も出さなくなってしまったのです。

 

「嘘だろ……おい、誰か。誰かいないのかよ」

 

 敬語も忘れて呼びかけますが、無線は切れたままです。 

 今まで一度も無かったことなので、この時はパニックになってしまったのでしょう。

 自分でもわけがわからないほど気持ちがめちゃくちゃになり、何を言っていたのかまったく覚えていません。

 

 後で聞いた話では、この時の俺は「少女が」「少年が」「首が」とだけ、何度も何度も繰り返していて、無線は切れていなかったそうなのです。

 しかし俺の方は何も聞こえず、無線独特の砂嵐のような音もしなかったので、切れたと思って無線から手を離してしまいました。

 

 ズル、ギシ……。

 

 忘れていた音が耳元で聞こえました。

 

 何の音だと、これまでの出来事を忘れて驚いてしまい、音がした方を反射的に見てしまった時、自分はきっと恐怖でひどい顔をしていたと思います。

 息が止まるほどの恐怖が目の前にいて、口を半開きにして、ニヤリと笑ったのですから。

 

「うわあああああああああ」

 あまりの恐怖に叫びましたが、その声すら別人のように感じました。

 腰を抜かし、埃だらけの床にへたり込むと、階段越しに僕を覗き込んだ少女は、再び階段を降り始めたのです。

 

「ひぃ、ひぃいっ」

 

 ズル、ギシ、ズル、ギシ、シュルシュル……。

 

 何度も何度も繰り返される音は、次第に近づいてきます。

 

 彼女の首に巻きついた少年の腕はびくともせず、それどころか階段を引きずられているのに、くの字になってしがみついたままなのです。

 

 少年は、顔を少女の肩にくっつけたままなので、どんな容姿なのか、何歳くらいなのかもわかりませんでした。

 少女も不気味に笑ったままでしたし、今思えば生きている人では無かったのでしょう。

 ですがこの時の私はどういうわけか、二人とも生きている人だと思い込んでいたのです。

 

 真っ白な床を必死に下がろうとしますが、腰が抜けて足がうまく動かず、少女は少年を引きずったまま僕の方に歩いてきます。

 裸足の足が一歩、また一歩と近づくたびに僕も後ろに下がりますが、ただただ距離が縮まるだけでした。

 

 彼女が歩いているはずの場所は埃が動かず、引きずる少年の後にも埃はそのままです。

 それでも僕は生きていると思い込み、得体の知れない恐怖から、ただただ「殺さないでくれ」と叫んでいました。 

 必死にもがいたのが良かったのか、床を半分も腕の力だけで下がった時に足が動き、あと数歩で少女に追いつかれるという状況で逃げ出すことができたのです。

 

 あとはもう必死で、車に乗って会社まで戻ったのですが、車に乗ってからの記憶は曖昧で、その時会社に詰めていた水田さんから聞いた話だと、真っ青な顔で入ってくるなり、駆け寄った人の顔を見て失神したと言われました。

 

 目を覚ましたのは病院で、あまりの恐怖にさらされたせいか、目を閉じてもパニックになるため、しばらく精神科に入院することになりました。

 幸いにも早い段階で回復できたため、今後の話をするために会社に行くと、高梨さんからあの家の話を聞くことができたのです。

 

 僕が失神して病院に運ばれた後、気になった水田さんがあの家に行ったそうです。

 もう一人資格を持った正社員も同行したそうですが、彼は勘が鋭いらしく、入る前から「ここは駄目だよ」と言って車に残ったそうです。

 

 こういった不特定多数の建物に入る仕事をしていると、たまにガチのお化け屋敷に当たる事があるそうです。

 水田さんは以前の会社で経験したそうなのですが、高梨さんの場合、あの家に入ろうとすると足が動かなくなったため、中に入ることなく帰ってきたと言っていました。

 これは異常だと思った高梨さんが、代表してオーナーさんに僕の件を話したところ、少しだけ言いにくそうに全てを話してくれたのだそうです。

 

『いやあ、実はね。あの家、前から出るって噂だったんですよ。私の前に何人もオーナーさんが変わってましてね。私のところに話が来た時には、もう手の施しようがなかったみたいで、一応霊能力者とか呼んでお祓いしてもらったんですけど、取り壊そうとしたり中に入ったりするとお化けが出るんで、仕方なく放ったらかしにしてたんです。でも今年になって、あの場所を買い取りたいって人が現れましてね。安全確認のために、しばらく誰かに出入りしてもらって、幽霊なんていないことを証明してもらおうと思ったんですよ』

 

 

 

 これはつい最近知ったのですが、僕があの家に入った数十年前。

 まだバブル全盛期だった頃に建てられたあの家は、一代で財を成した男性が土地ごと買い取って建てた豪邸だったのだそうです。 

 奥さんと子供数人で暮らしていましたが、バブル崩壊後に会社が倒産してしまい、あの家で一家心中をしたという、当時は少なくなかった話でした。

 

 

 

 僕はあの出来事以来、必ず二人以上でしか仕事が出来なくなりました。

 普通の生活をしていても、人のいない場所では震えが止まらなくなり、ひどい時には過呼吸を起こして倒れてしまうほどです。

 

 警備員の仕事は、どうしても新しいアルバイト先が見つからなかったので続けましたが、二度と廃墟には行かなくなりました。

 会社もそんな事があったので、あれ以来仕事内容をきちんと確認し、向かう場所がどういったところなのかを事前に調べた上で引き受けるようになったそうです。

 

 大学を無事に卒業する少し前に、あの家がようやく取り壊しになると知りました。

 これで安心だと思いましたが、なぜか気になり、同じ会社に勤めていた友人に頼んで一緒に来てもらうことになりました。

 恐怖で震えましたが、卒業後は遠くの町に就職が決まっていたので、最後にどうしても訪れたかったのです。

 

 自分でも何をしているんだろうと思いました。

 友人も、口利きした僕の一件を聞いていたので、何度も心配して引き止めてくれましたが、仕事を辞める前に、どうしてもあの家を見ておきたかったのです。

 

 昼間に訪れたあの家は以前よりも朽ちていて、建物の形がほとんど残っていないほどボロボロになっていました。

 主人を亡くし、数十年もの間、誰も寄せつけなかった豪邸は、かつての面影を消し去るように崩れ始めているようでした。

 

 今でもあの時の少女の顔は覚えていますし、少年の姿も忘れられません。

 どうして彼女達がいたのか、彼女達は誰なのか。

 それは今でもわかりませんし、知りたくもありません。

 

 ただ、もしあの二人が心中した家族の一員だったのだとしたら、いまだに成仏できずにさ迷っているのでしょうか。

 

 けっきょく、今でもあの家は残っているそうです。

 崩れて形も無くなり、かつて庭だった場所も面影すら無くなっているのに、人の出入りを拒絶し続けているのだそうです。

 

 誰もいないあの家で、二人はあの姿のまま、今もあそこに居続けているのでしょうか。

 

 血に塗れた顔の少女と、足首から下が無かった少年は、今もーー。


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