桜が一個

@Syatyo0401

桜が一個

 そこには桜が一個いる。

 色素の薄い桜色が視界を満たし、なだらかな風に流され、桜色の傘の外には桜色の雨が降っていた。

 春の匂いを含んだ空気を肺いっぱいに吸い込む。

 微かな桜の匂いとともに土や草、咲いたばかりの花の匂いが鼻孔を刺激した。

 ここには桜が一個いる。

 ここにはそれ以外何もない。時々聞こえる木の擦れ合いや小鳥のさえずりが聞こえてくるだけで、この場所はいつも静寂に包まれていた。まるで世界が私一人になったかのようだ。

 この場面、このシチュエーションを、私は知っている。

「あれから丸5年、かぁ。あの子は今頃何をしてるんだろぉ……」

 私は一人の少女の姿を思い浮かべる。

 

 肩までかかった色素の薄い桜色の髪に白いの肌、赤い瞳、細い体、小さい背、その背を隠すようにさされた桜色の日傘。

 そんな見た目の病弱さとは裏腹に悠々とした態度の緩い感じのあっけらかん少女。

 ここはあの子からある一つの『告白』を受けた場所だ。


『さあ、ここで感動感激、告白イベント~。うちは、どうやら君のことが好きらしいのだけど……君はどう?』


 あの子は見た目とは裏腹の大人びた声でそう言った。

 あの子はこの日、この場所で自分の思いを悠々とさらけ出した。


『君がうちに思いを寄せてくれていたのは知ってる。もうかれこれ、10年来の付き合いだね。うちは君のことが好きだよ。最初はこの気持ちが何なのかわからなかった。けど、最近になってやっと理解した。これが恋心というものなんだね』


 彼女はそういって肩の傘をくるくるとまわして長々と『告白』を続けた。


『君はずっと前から自分の中の気持ちに気づいていたんでしょ? じゃあ、先輩だ。君はすごいね、こんな沸々とした煮鍋みたいな感情をを10年も抱えていたなんて……。……はあ……今思えば、君からのアプローチ、かなりの数もらっていたんだね。ごめんよ、うちは知っての通り、これまで他人の思いになんて、まったく関心がなかったから、君の思いにまったく気づかけなかった。まったく、うちったら、とんだ無自覚系女たらしハーレム主人公だね」


 

 あの子は、この場所を特別な場所だといった。

 他人から見れば、こんな空き地など誰かの私有地ぐらいにしか考えない。

 しかし、私にとって、私たちにとってのこの場所は、どんなにすごい力で全く同じものを複写しようとしたって決して替えの利かない思い出の品の一つだった。

 

 その思い出の品から私は、一歩……ニ歩と離れ……背を向ける。

 いつまでも過去に縛られてはいけない、いつまでも物には執着してはいられない。

 ここに来るのは今日で最後……。

 この思い出の品は確実に私の心の柱の一つとなっている。

 この場所が消えてなくなったって、ここは私の心の中核となってくれるだろう。

 最後にもう一度、この景色に視線を巡らす。

 

 ただ……ただ一つだけ、ここに足りないものがあった。

 しかし、それはここにはない。

 どこにもない。


「やっほ~、うちのたった一人の初恋人?」


 声がした。

 頭の中の記憶の声や幻聴でもなく、この日この場であの子の声が聞こえた。

 私は声のした自分の背後、桜の木の幹の裏をじっと見つめる。

 そこから、一人の女性が出てきた。日陰だというのに日傘をさしていた。初めて見る容貌だ。しかし、その女性のいたるところから、私の知っている、なにか……懐かしいなにかが散見していた。

 

 色素の薄い桜色の髪に白いの肌、赤い瞳、細い体、小さい背、その背を隠すようにさされた桜色の日傘。

 そんな見た目の病弱さとは裏腹に悠々とした緩い感じのあっけらかん態度。

 

 私はこの女性を知っている。

 名前や生年月日、星座、十二支、好きな食べ物、趣味、特技、出身、好きな音楽、好きな本、好きな映画、好きな服、好きなタイプ、好きな人間、よく見る雑誌、何をすれば喜んでくれるか、なにをしてしまえば悲しんでしまうか、何をすれば腹を立てて怒ってしまうか、彼女の髪の色、肌の色、瞳の色、声、匂い、肌の質感、髪の質、身長、体重、スリーサイズに至るまで……。

 その懐かしくて親しみ深い女性の名前を私は口にする。

「桜ちゃん……。やっぱり、この景色にはあなたが不可欠ね」

「あれ、思っていたより冷静な反応……もしかして気づいてた?」

 腰にまで長くなった桃色の髪をかき上げ、その子はあくまであっけらかんと聞いてきた。

「それはもう、一文目から」

「一文目から! だとすればずいぶんと、ミスリードなセリフ回しの数々……考えるの大変そ」

 私は少女から女性になった桜ちゃんのもとに近づき、目線を合わせる。

 彼女も私を見上げ、目線を合わせてくれる。

 そして、互いに互いを摺り寄せ、深く抱きしめあった。

「久しぶり……元気だった? 相変わらずちっちゃいなぁ、桜ちゃん」

「あぁ、久しぶり……元気だったよ。ちっちゃいは余計だ、うちのかわいい初恋人」

 私は彼女の肩に顔をうずめた。

 春の匂いを含んだ空気を肺いっぱいに吸い込む。

 その匂いには微かに桜の匂いが混じっていた。

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