この花の下を行くと

帰鳥舎人

この花の下を行くと・・・長崎にて

 今年もまた満開のこの花の下を歩く季節がやってきました。

 あれは何年前のことでしたでしょうか。数えることをやめてから大分経ちました。

 思い返せば、君とこの道を歩いたのは、僕が旅行者として滞在したほんのひと時のこと。なのに、僕には毎年繰り返されていたかのような記憶として残っています。思い出というのは不思議なものですね。

 どの道を歩いていても初めてという気がしません。いつも過去をなぞっているような心持がしています。僕の心が乾いてしまっている証拠なのでしょうね。

 ほら見えますか?高校生くらいのカップルがこちらに向かって歩いてきます。互いの手にあるのはソフトクリームでしょうか。見た目には同じ味のように思えますが、ミルクとバニラくらいの違いはあるかもしれません。

 僕はね、バニラの香りがしない純粋なミルク味のほうが好みでした。君はチョコレートでしたね。ここでは一般的な、シャーベット状のミルクセーキも好きでしたよ。ですがもうこの歳になるとアイスクリームも食べなくなってきます。

 この花は何という花なのでしょうか。この時期に長崎を訪れるようになって、もう二十数年経ったというのに、僕は未だに知らずにいます。

 何も知らないまま、僕はこの道を通り抜けているだけなのです。

 君が「叔母さん」と呼んでいた、僕がお世話になっていた方の家は既にありません。叔母さんと呼ぶには若すぎた家主さんでしたね。

 路面電車を市民病院の前で降りて広い道路に沿って大浦海岸のほうへ歩くと、オランダ坂の入口に小さなホテルがあり、そこが今の僕の常宿です。

 軍艦島に行く船の乗り場にも近いし、大浦天主堂やグラバー邸もそれほど遠くはありません。さらに坂をずっと上っていけば鍋冠山の公園にでます。

 君に案内してもらった頃は単に景色の良い公園のひとつでしたが、今では綺麗に整備されて有名な夜景観光スポットにもなっています。ですから僕は人々が寝静まった頃を見計らってここを目指すことにしているのです。巷が寝静まった深夜、ホテルを抜け出したりしていると不審者に間違われるので気を付けてはいますよ。安心してください。

 逆に不審者に襲われた場合にはなす術もなく地面に横たわることになりますが、その時は星がよく見えるところか、出来るならこの花の下でありたいものです。

 心が痛むのは早朝に僕の死体を発見した方が不愉快な一日を過ごすことになりはしないかと言う事です。後日、茶飲み酒飲みのネタになるのなら多少は救われます。

 そう言えば思い出したことがあります。

 初めて路面電車に乗った時、思いのほか揺れたので僕は途中で車酔いを起し、乗り換える電停のひとつ手前で降りてしまいました。夜行を乗り継いできた事による寝不足も災いしたのかもしれませんが、少しばかり滅入ってしまい、気分が好くなってももう一度乗る気にはなれず、つまりはそこから思案橋まで歩きました。翌日からは十分に活用しましたけれど。

 こうして乗り継いでいると、路面電車はやはり長崎そのものではないかと言う気がします。今日も揺られてきましたが、その揺れが過去と現在の時間の振れ幅のようにも思えるのです。

 長崎は暗渠が多いと教えてくれたのは君でしたね。

 川や橋の名前があっても水が見えない地名が多くあります。また橋の名は残っていても橋自体がないところもありましたね。大浦橋では「橋ごと横断歩道のアスファルトに塗りこめられてしまったの」とその上でポンポンと跳ねた君を思い出します。弁天橋にもがっかりさせられました。でも名前が持つ浪漫はその名がなくならない限り残るものなのかもしれません。公任の歌の意味がなんとなく実感として沁みてきました。

 こうして小雨のなかを歩いていると君が隣にいるような気がしてきます。

 お気に入りの紫陽花色の傘がグレーの水溜まりに映るのを確かめながら、パシャパシャと踏んで歩くのを君は好んでいましたね。

 十二も歳が離れていたためか、その仕草がとても子供っぽく僕には感じられました。

 君が自ら命を絶った本当の理由は誰にもわかりません。もしかしたら君自身にもわかっていなかったのかもしれません。ただ画期的に現実を変えたかったのでしょう。それで君が抱えていた問題が解決したとは思えませんが、せめて解消はしたと思いたいのです。そうでなければ誰も救われることがありません。

 閉めきった窓の内にいる人に向って、「開ければいい」と誰もが軽く口にします。その簡単なことさえできなくなってしまうことを幸運な人たちは知らないのです。

 それを恨んでも仕方のないことです。痛みや辛さを表現する言葉はあっても感覚を共有する方法は存在しません。他人のことはどこまで行っても他人事で、自身の問題とは結び付かないものです。君がそれに諦観を抱いて、この世界を棄てて行ったとは思えないのです。もっと別の理由があったはずです。

 君の見ていた現実は、シャボン玉の表面に照り映えた歪な風景のように一瞬で弾けて消えました。

 弾けてしまったその後には梅雨明けの空のように夏の気配が広がっていたでしょうか。叶うのなら僕は君が見た最後の景色を見てみたいのです。それがどんなものであっても構いません。同じ風景を見たいのです。

 ホテルを出て海岸通りに沿い、南山手を抜け、琴浦へ向かって歩いてきました。

 最初から決めていた訳ではありませんが君が通っていた幼稚園に行こうとしています。

 「まだここに私の落書きが残っているの」と君が指さした壁は残っているでしょうか。

 笑っているクマのような、ネコのような、不思議な落書きで、君はどんな気持ちでそれを描いたのでしょう。

 僕はその頃の君を知りません。元気に走り回る園児を見ながら、不安や蟠りを抱えていなかった頃の、幸せそうな君を想像したいだけなのです。

 いつの間にか雨はあがって晴れ間が射しています。

 傘はもう必要がありませんね。

 「長崎は雨が多いけれど、坂の途中から眺める雨上がりの空と海の優しさが好き。」

 風が君の言葉に聞こえます。

 それは確かに君から発せられたものであったのか、僕が作り上げた空事なのか、確かめる術はなく、その言葉を反芻し振り返っても、残念ながらここからは海も見えません。

 家々に囲まれた細い坂道をのぼり右に折れると、坂は緩やかに下り始めます。

僕はそこで君を見るのです。

 母親の見守る中で、遅れては追いつき、追い越しては立ち止まり、輪を描くようにはしゃいでいる幼い君が僕の体を通り抜けたその弾みに、チクリとした痛みを落として行きました。

 たった今、笑い声を交わし合う可愛らしいカップルとすれ違う。

 彼らは僕が来た方に、僕は彼らが来た方へ向って歩いて行きます。途上は同じだとしても、その始まりと終わりも、過ごす時間も異なります。過去と未来が重なり合うことがないように。

 君の死を目の当たりにしていない僕は、君のお墓に花を供えても、どこか芝居じみていて、長い夢の続きをみているようでした。

 月並みな言い方ですが、僕はもう一度、どこかで君に会える気がします。

 この花の下を行くと・・・。






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