鏡よ鏡
楠瀬スミレ
第1話
私には誰にも言っていない秘密がございます。私が二十歳のころからずっと胸の中で温めてきた、今も鮮明に覚えている大切な思い出でございます。
私は
宮崎と申しますと、私たちの世代は「フェニックスハネムーン」という歌を思い出します。今は亡き主人とのハネムーンも宮崎でした。
私たちの結婚は親の決めたものでした。夫に初めて会ったのが見合いの席、二度目が結納で、結婚式で会うのが三度目でした。私より少し年上の方にはよくある話です。紋付き袴の主人を見て、あら、こんな顔の人だったかしらと思ったのを覚えております。
榊原家は土地をたくさん持っているうえに事業にも成功し、お金持ちでしたし、私の実家もそこそこの家柄だったので、主人も私も、結婚相手を自分で決めることは許されませんでした。でも、それが当たり前だと思っておりました。
嫁入り道具は、立派なものを十分に持たせてもらいましたので、ご近所様へのお披露目では、たくさんほめていただきました。タンスの中身までお見せするのですが、着物を見た方は、皆様ため息を漏らし、大絶賛してくださいました。
私たちの披露宴は、古い土地柄なので、ご近所様も総出でお手伝いをいただき、榊原の自宅で盛大な宴を開きました。私は、自分で言うのもなんですが、当時、吉永小百合さんに似ていると言われており、花嫁姿をみんなが綺麗だと言ってくださいました。しかし主人はあまり私を見ようとしなかったので、とても淋しい気持ちになりました。今思えば、あんな性格の人ですから、恥ずかしかったのかもしれません。しかし、当時の私はとても淋しく感じていました。
主人はお酒には強くない人でしたが飲まないわけにもいかず、勧められるままに飲んでいました。結婚式の前日まで、たまっていた仕事を終わらせようと夜遅くまで頑張っていたらしく、披露宴の時の主人の疲れはピークに達していました。そんな体で夜行列車に乗ったのです。
その列車は、当時できたばかりの新婚さん専用の特別列車、「ことぶき号」でした。新しい物好きの義父が手配し、最高の旅を用意してくれたのです。
当時は恋愛結婚が増え始めたころで、憧れでもあり、ことぶき号はその象徴でした。車内はアツアツの新婚さんでいっぱいで、皆さん、手をつないだり、花嫁が花婿の肩にもたれかかっていました。それに比べて私たちは、ろくに話す時間もなかったため、ほとんど他人のような状態で、さらに悪いことに、主人の体調は最悪でした。
「話しかけるな、そっとしておいてくれ」
そう言ったきり、ぐったりしている主人を気遣いながら、黙って電車に揺られておりました。
横になれれば楽でしょうに、それは寝台ではありませんでした。席に座って、いやでも目に入る周りの人たちを見ているうちに、若かった私は、ますます淋しくなってきたのを覚えております。
やっとの思いでホテルに着き、主人を寝かせて、すぐにお医者様を呼んでいただきました。熱がありましたが、安静にしていたら大丈夫とのことで、主人はお薬を飲んですぐ眠ってしまいました。残された私も、何もすることがないので、その日は早くから休みました。これが初夜の思い出でございます。
翌日も主人は死んだように眠り続けておりました。いいお天気でしたが、出かけるわけにもいかず、お部屋ですごしました。義父が予約してくれたお部屋は特別室だったのでとても広かったし、ありがたいことにテレビがあったので、本当に助かりました。
何気なくテレビをつけていたら、子供向け番組が始まったので、おもしろくて見入ってしまいました。女の先生が数人の子どもたちといろんな遊びをする番組で、おやつの時間もあり、みんなで牛乳を飲んでいました。お口の周りに牛乳で白いおひげがついてしまうのが印象的でした。そして、番組の最後に、先生が手鏡を持ってこう言ったのです。
「鏡よ鏡よ鏡さん、みんなに会わせてくださいな、そおっと会わせてくださいな」
すると、鏡に映った先生の顔がモヤモヤ渦巻いた後、画面が変わり、鏡で隠れて見えないはずの先生の顔がこちらに見えるようになりました。テレビの中の先生とお茶の間の子どもたちが鏡を通して会うことができたという設定のようです。先生は子どもたちのお名前をまるで見えているかのように呼んでいました。
そんな魔法の鏡があったらいいのに、と思って部屋を見回すと、鏡台に綺麗な手鏡が置いてありました。外国製でしょうか? 銀色で素敵な装飾が施されている丸い鏡でした。私はその手鏡をのぞくと、思わず先生のまねをしてしまいました。
「鏡よ鏡よ鏡さん、みんなに会わせてくださいな。そおっと会わせてくださいな。太郎く~ん、花子ちゃ~ん」
すると、本当に鏡に映った私の顔が、モヤモヤと煙が渦巻くようになって消え、代わりにあの方のお顔が映しだされたのです。きりっとした男の人のお顔でした。
「花江さん、やっと会えました! 私を呼んでくれてありがとうございます」
鏡の中から聞こえた声は優しくて、とてもうれしそうでした。私は驚いてしまい、しばらく声が出ませんでした。その方は私の返事が待てないと言った様子で、はずんだ声でこうおっしゃいました。
「私を覚えていらっしゃいますか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます