森の魔女はあまいのが好き
椿 千
森の魔女
森の奥には魔女が住んでいる。
その魔女はどんな望みも一つだけ叶えてくれる。
心の底から叶えたい望みがあるのなら、強く望みなさい。
そうすればおのずと魔女の元へ道は開かれるだろう。
■■■■■
そんな噂か本当か分からない話を聞いたナナは、一つの望みを胸に魔女が住むという森の前にいた。
「この森の、どこかに・・・・・・」
街から少し離れた場所にあるこの森は、まるで他者からの介入を拒むように木々が覆い茂り、ひっそりと静かに広がっている。そのどこか薄暗い雰囲気からナナの周りの大人達はこの森に入ったことがない者がほとんどで、母親からもあまり近付かないように、と言い渡されていた。
だけど、そんな森の前にナナは一人で立っていた。
森に行こうと決めた時からドキドキと緊張でうるさい心臓を落ち着かせるように、ゆっくりと深呼吸をして前を向く。
森の奥に行くと告げた時、親友のメイにはやめた方がいい、と引き止められ、一人で行くのは危ないと何度も言われたが、それでもナナにはどうしても叶えたい望みがあった。だからその言葉に頷くことは出来なかった。それを言えばメイは仕方ないと苦笑して、無理だけはしないでね、と約束をして送り出してくれた。
その時にメイから教えてもらった望みを叶えるために必要な、魔女に渡す報酬が入った籠をきゅっと握り締めなおすと森へと一歩踏み出した。
その瞬間彼女の周りを取り巻く風がざわざわと少しだけ騒いだが、魔女に会うことで頭がいっぱいになっていたナナは特に気に止めることは無かった。
森の奥のどこかにいるという、どんな望みも叶えてくれる魔女。
いつからその噂話が流れ始めたのかはわからないが、魔女の噂に関しては誰もが一度は耳にしたことがある。
「魔女ってあれだろ?真っ黒な猫を連れているっていう」
「不老不死らしい」
「すげぇ強いらしいよな」
「魔法が得意って聞いたわ」
ご領主の娘の病気を治したとか、貧乏な青年をお金持ちにしたとか、死んだお祖父さんに孫を会わせたとか、戦で傷ついた騎士の目を見えるようにしたとか、猫と話す事が出来るとか、街を歩けば魔女の話はいくらでも溢れている。
だがその魔女に関しての話は誰も知らず、どんな人物なのかもわからない。
ただとても強い魔法が使えるということは誰もが共通して話しており、それ以外は厳つい顔しているだとか、全身真っ黒な格好だとか、顔がないだとか、本当は人間ではなく魔物だとか、どれも信憑性のないものばかりで、ナナにはどれが本当なのか分からない。
それでも会えると信じて、ナナは森の中を進んでいた。
森の中は入り口を見た時に感じていた雰囲気と違い、明るく木々の間からは光がさしており、更には爽やかな風まで吹いていて驚いた。
噂とは、全然違うんだ……。
お化けが出そうな薄暗い森を想像していたので、それとは違う雰囲気に少々戸惑う。
ここが本当に、魔女がいるという森なのかな。
不安になりながらも、魔女に会いたいと強く望めば自然と魔女の元まで導いてくれるはずだ、という噂を頼りに前へと道を進めば数分も経たないうちに赤い屋根の大きな家が見えた。
「これ、が・・・」
ポツンと現れたそれは街で見る家と何ら変わり無い造りに見えて、これが本当に魔女の家なのだろうかと増々不安になった。
こんなに可愛らしいお家に、本当に魔女が住んでいるのかな……。
少し近付いてみればモクモクと煙突から煙が立ち上がる様子に家の中に誰かが住んでいるのは分かるが、想像していた魔女の家とは違い、明るい色合いの煉瓦造りのなんとも可愛らしいドールハウスのような家に間違っていないだろうかと不安になる。そのうえ庭には綺麗に手入れされていると一目で分かる花壇まであった。
だけど目の前にある家以外に、それらしき建物はない。見渡す限りその家と草木ばかりだ。
だからナナはそっとその家に近付くと、勇気を振り絞ってコンコンッと小さく扉を叩いた。その間も心臓が口から飛び出そうなくらいドキドキとしていたが、ここが魔女の家でありますように、と胸の中で祈るように返事を待った。
「はーい」
それからすぐに応える声があり、パタパタと家の中から聞こえる足音と共にゆっくりと扉が開かれる。
「・・・・・・え?」
そして現れたのは、ナナが想像していた魔女とは全く違う人だった。
ナナが思う魔女というのは、黒い服にとんがり帽子、しわしわの顔をした老婆のような人だと思っていた。
しかし目の前にいる人は、そのどれにも当てはまっていない。
サラサラとした長い黒髪に黒目、白い襟と繊細なレースがついた紺色の上品なワンピースを身に纏い、ぱちりと目を瞬かせてナナを見つめる人はとても魔女には見えない。むしろどこか貴族のお嬢様だと言われても信じるだろうし、自分よりも少し歳上くらいの小柄な可愛らしい女性に見えた。
この人が、魔女?
それが信じられなくて思わずまずまずと見つめてしまえば、女性の首が傾げられる。
「私に、御用じゃないの?」
違うの?という声にようやく自分が何をしにここまで来たのかを思い出しハッとした。
「あ、あのっ!わ、わ、わ、た、わた、わたっし!」
何か言わなければ!と焦ってしまい上手く言いたい事が言えないでいれば、女性は落ち着いてとばかりにぽんぽんと優しく肩を叩いてくる。
その手が温かくて、まるで母親のような接し方にここまで来れた安堵からか緊張が解れて涙が出そうになった。
ダメダメ、こんなところで泣いちゃダメなのに!
そう思い目を擦ろうとすれば、やんわりとその手を制された。
「落ち着いて、ちゃんと分かってるから」
大丈夫よ、と女性は柔らかく微笑むと、涙目になっているナナと視線を合わせてゆっくりとした口調で話し掛けてくる。
「魔女に用があって来たのよね」
「っ!は、い・・・」
「さぁ、こちらへどうぞ」
零れかけた涙をそっとハンカチで拭うと、家の中へとナナを招く姿に、やはりこの人は魔女ではなくて、この家の中に本当の魔女がいるのだと思った。
だってこんな優しいおねえさんが魔女のはずがないもの。
女性のあとについて行きながら、彼女の姿を観察するがやはり魔女には見えないし、家の中を見渡しても綺麗に整えられた空間にここが魔女の家だとは思えなかった。
しかし、家の奥へと案内されても誰もおらず、そこには先程まで誰かがそこにいたのだとわかるひざ掛けがおいてある椅子が一脚と、テーブルにはカップが一つあるばかりだ。
「あ、あのっ!」
もしかして間違えて来てしまったのだろうか?それともやはり魔女なんていないのだろうか、と少し不安になりながら魔女はどこにいるのかと彼女に尋ねようとした。
だって間違って来てしまったのなら、早く本当の魔女の元へ行かなくちゃ!
だが口に出すよりも早く、振り返った彼女と目が合った。
黒色だと思ったその瞳は、よく見れば光の当たり方によってラピスラズリのような深い青に変化するのだと知った。
そのどこか不思議な虹彩をした瞳に目を奪われていると彼女の瞳がふっと細められる。
「私が森の魔女、アカリよ」
よろしくね、と微笑まれたがやはりその顔はナナの想像する魔女とは似ても似つかなかった。
■■■■■
「それで?あなたの望みはなぁに?」
あの後驚いて固まるナナを半ば強引に椅子に座らせた森の魔女、アカリは慣れた様子でお茶の用意をするとそう切り出した。
魔女?本当に?この人が・・・?
魔女だと自己紹介されても、すぐには信じられなくて混乱してしまったが、目の前で何も無い空間からポットやカップをポンポンッと簡単に取り出す姿を見てしまうと魔女だと信じるしかない。
凄い、これが魔法・・・!
初めて目の当たりする魔法につい見惚れてしまえば、クスッと楽しそうに目を細める魔女と目が合い気恥ずかしくなって俯いてしまった。だが魔女はそんなナナの様子を気にした素振りもなく、カチャカチャと何かを用意している音が聞こえたのでほっとした。
「甘いものは好き?」
「は、はいっ」
「そう、よかった」
ポンッと軽い破裂音と共に目の前にクッキーが入った小皿が現れる。
それと同時に新しいカップがナナの前に置かれた。
「どうぞ」
「あり、がとうごさいます・・・」
目の前に置かれたカップからはふわりと花の香りが漂い、その匂いを嗅ぐと魔女だと聞かされて再び緊張していた気持ちが少しだけ落ち着いた。
だけどすぐに言いたいことが言えずまごついていると、魔女はゆっくりでいいから話してね、と言いながらナナにカップを持たせる。
その両手からじんわりと伝わる温もりに魔女の優しさを感じ、そっと口をつけた。そうすれば緊張でカラカラだった喉が潤い、少し呼吸が落ち着いた。
その間も魔女は急かす事なく待っていてくれており、そのおかげで次第に体から余計な力が抜けていった。
「え、えっと、あの・・・」
「なにか望みがあったからここに来られたのでしょう?」
だから何を望むのか教えて欲しい、とお茶請けとして出されていたクッキーを齧りながら再び問い掛けてくる魔女にナナはコクコクと頷き、口を開いた。
「あ、」
「あ?」
「ある人と、話がしたいんです・・・・・・っ」
勇気を振り絞って告げた言葉に魔女は「話?」と繰り返す。
それに頷いてからナナはぽつぽつと自分の想いを語り始めた。
どうしてここへ来たのかを。
「わ、わた、わた、私・・・うま、く、おしゃべり、出来な、くて・・・」
ナナは元々人と話すのが苦手だった。
しゃべるのもゆっくりだし、緊張すると余計に言葉が出てこなくて、つまってしまい上手く話せなくなる。
それに加えて昔から人見知りで、友達も幼なじみで親友のメイだけだ。そんな引っ込み思案な性格のせいで、人の輪に入ることも出来ずいつも図書館で本を読んで過ごしていた。
外で賑やかに遊ぶ子達を見れば羨ましいな、と思うこともあったが自分とは違うのだと思っていたし、それが当たり前で、仕方ないと自分でも受け入れていた。
しかし、そんなふうに過ごしていたある日、突然知らない男の子から話しかけられたのだ。
「ふーん、なるほどね。その子とお喋りができるようになりたいのね」
「は、はい。わ、私とお、おなじで、本がすき、って言ってて・・・」
図書館で本を読むナナをいつも見ていたのだと、仲良くなりたいと言ってくれたその男の子は、ナナの周りにいた意地悪な男の子たちと違って、上手く話せないナナの事を笑うでもなくゆっくりと優しく話しかけてくれた。
『君も本が好きなの?僕と同じだね』
そう言って笑いかけてくれた男の子は、まるで絵本の中の王子様みたいにキラキラとしていて、すごく眩しかった。
それと同時に、そんな人が私に話しかけてくれた事実に胸がぎゅっと締め付けられて、夢ではないかと思ったくらいだ。
「すごく、嬉しかったん、です…」
私に話しかけてくれて、そう言ってくれて。
同じ本が好きな人。そんな人に出会えたのが嬉しかったから、沢山本の話がしたくて話しかけてくれる男の子に答えたいと思ったが、話そうとすればするほど緊張して上手く口は動いてくれなかった。
そんな私に相手が気を使ってくれているとわかるから、余計に顔が見れなくて、今ではまともに顔を見ることも出来ず俯いてしまい、彼を困らせてしまった。
違うの、違うの、本当は私もあなたとお話がしたいの・・・っ。
そしていつも思い出すのは男の子の困った顔だ。
「だ、からっ、変わり、たくてっ」
そんな自分が嫌で変わりたいのに、なかなか理想通りにならなくて。
もっと積極的に話しかけようと、いろんな人と関われば変わるかもしれないと、外に出るようにしてみたり、親友相手に話す練習もしたりしてみた。
それでも変わらなくて、それなら彼が普段いるという場所にも行ってみたらどうかとメイから提案されてやってみたが、他の子と話している中に入ることは出来なくて、そんなナナを周りの女の子は邪魔だと言い冷たくてあしらわれてしまい、彼に近付く事も出来なかった。
「もっと、きちんと話せるようになりたいっ……!」
悲しくて、苦しくて、もっと上手く話せるようになりたくて。
だから魔女の元へ来たのだ。
この望みを叶えて欲しくて。
「……そう、わかったわ。それがあなたの望みね?」
「はい!!」
確認するように問いかけた魔女にナナは力強く頷いた。
すると魔女は少し待ってて、と言い渡して席を立った。
そして後ろにある棚の元へ向かったかと思うと、あれかな?これかな?と言いながら何かを探している。
「あの・・・・・・」
「ちょっと待ってね〜確かこの辺に・・・」
しばらくして目的の物があったのか、パッと表情を明るくした魔女は何かを手に戻ってきた。
「それならこれね」
「これは・・・・・・」
「おしゃべリップ〜」
タラララッタラーン!と謎の擬音を口にしながら魔女が机の上に置いたのは、一見すると口紅のようなものだった。
繊細な花の絵が描かれところどころに宝石のような飾りがついたそれはナナが知る限り、母親の持つ化粧品とは桁違いなほど高そうに見えた。
実際キャップを開けて中を見せてくれたが、それはとても綺麗なピンクの口紅で自分には不釣り合いに思う。
これをどうするのだろうかと、少し不安になりながら魔女とそれを交互に見つめていれば魔女はそれを手に口を開く。
「話したい人に会う前に、これを唇に塗って出掛けてね。そして話しかける前にゆっくりと一呼吸するの」
「これ、を…?!」
「えぇ、そうよ。もちろん未使用の新品だから安心して使ってね」
にっこりと笑って告げられるが、ナナがに気にしていたのはそこではない。
こんな高そうなもの貰えません!!と内心焦るが、それに気付いていないのか、初めてだと勝手が分からないだろうから私がするわね、と言って魔女は固まってるナナを近くにあったドレッサーの前に招いた。
「ほら、目を閉じて」
「えっ、で、でもっ」
「ほら!」
断ろうとしたが、魔女からの圧を感じて言われるがままに目を閉じれば、そっと唇に何かが塗られた。まるで絵筆が触れるように唇に何度か塗られた感覚がすると、それはスッと離れる。
初めての感覚にどうすればと戸惑っていれば、ゆっくりと深呼吸をして、と言われて従った。
「言いたい事が言えなくても、焦らずゆっくり深呼吸するの。それから相手の目を見て、名前を呼んでから話してみればいいわ」
「あの、それだけ、で・・・えっ、と」
魔女のことを疑っている訳では無いが、そんなことでいいのかと、もっと他に何かした方がいいのではないかと聞けば、魔女はゆっくりとした声で大丈夫と続ける。
「それだけだと思うかもしれないけど、あなたは変われるから」
変わりたいと思ったからこそ、ここまで来たのでしょう?
そう告げる声にここに来るまでのことを思い出し肯けば、魔女が笑った気がした。
「はい、出来たわよ」
そうして目を開けて、という合図と共に目を開けば鏡の中にいつもよりどこか大人っぽくなった自分の姿が映る。
ローズピンクの唇がキラキラと輝いて、一瞬そんなことあるわけないのにお姫様に見えた気がした。
「これが、わたし…」
「えぇ、よく似合ってるわよ」
すごく可愛い、と褒めてくれる魔女に頬が熱くなる。だけど、魔女の塗ってくれた口紅の効果なのかすんなりと感謝の言葉を口にする事が出来た。
「ありがとうございます」
「ふふっ、頑張ってね」
これであなたの望みは叶うはずよ、と口紅を渡されそうになったが、やはり高すぎるそれに貰えないと断ろうとしたが、そう言う前に魔女に口紅ごと拳を握られてその上からギュッと手を握りしめられた。
「私は魔女よ、あなたの望みを叶えただけ」
「で、でもっ」
「大丈夫、それに対価は持ってきてくれたのでしょう?」
それで十分と言われるが、ナナが持ってきたのはただの木苺のパイだ。
こんな貴族が使いそうな高級な口紅と釣り合いがとれるはずもない。
しかもこれは魔女の魔法がかけられた特別なものだから余計に。
普通に買ったらいくらするのか、考えるだけでも恐ろしいのに!!
そう思うのだが、魔女はそれで十分だと繰り返す。
「だけど、これだと・・・っ」
「あなたがここまで来てくれたことに、意味があるのよ」
そしてそれは私の為に持ってきてくれたのでしょう?だから何も問題はないの。
「ほんとうに、それでいいんですか・・・・・・?」
「もちろん。むしろこれがいいのよ」
そう何度も繰り返す魔女に促されるように手を握って口紅を受け取れば、今度こそ魔女は嬉しそうに微笑んだ。
その表情にこれが正しかったのだと思ってしまうから、とても貴重で素敵なものをくれた魔女の為にも頑張って彼に話しかけようと思った。
そしていろんな話ができるようになりたいから、魔女の言ったこと守って変われるように努力しよう、と。
「・・・私、がんばります」
「応援してるわね」
頑張ってね。これはおまけよ、と乱れていた髪を整えて更には花飾りをつけてくれた魔女にナナは何度もお礼を告げて、魔女の為に持ってきていた籠を渡してから、家を後にした。
「ありがとうございます!優しい魔女さん!!」
そして受け取った籠の中には大きな木苺のパイが入っており、それを知った魔女は満足そうに笑って少女が森を出て行くのを見送った。
「それで?あなたはいつまでそこに隠れているの」
嬉しそうに笑いながら帰っていく少女を見送ってから、外に向かって話しかければゆらりと木の奥から人影が現れた。
それに今更驚きはしないので、アカリはハァとため息を吐き出した。
「あの子が緊張しないように気を使ってあげたんだよ」
「それは有難う、でも隠れるならもう少し上手くやれば?」
緊張して周りが見えなかったあの子でなければ、キラキラとしたオーラを隠しもせず堂々とこちらの様子を伺っていた背の高い騎士の姿などきっとバレていただろう。
「そうだね、今度から気をつけるよ」
そう口で言いながらも直す気がないことを知っているので、アカリはそれ以上言うことなく家へと戻った。その後を当然のように着いてくる騎士には、もう何も言う気は無い。
そして慣れた様子で勝手にキッチンで紅茶を用意する相手に、アカリも後は任せて椅子へと腰を下ろした。
「今日の依頼はなんだったんだい?」
「好きな人とおしゃべりがしたいんですって」
可愛らしい恋の依頼よ、と言えば聞いておいて興味が無いのかへー、と気のない返事があった。
「それで、叶えてあげたんだ」
「叶えるって程じゃないわ」
魔女としての力は何も使ってない。
ただ話を聞いて、それに必要なことを少し手伝ってあげただけだ。
そう言えば騎士、ヴィクターは魔法を使わなかったのかと不思議そうな顔をする。
「魔法を使えば簡単だったんじゃないの?」
「魔法はそんなことに使うものじゃないわ」
確かに魔法を使えば、あの子の望むものを全て叶えてあげることも出来ただろう。
惚れ薬を渡したり、相手の気持ちを少し誘導したりして無自覚な恋を叶えてあげる事も出来た。
だけど、それではダメだ。
「あの子にとっての私の役目は、勇気を与えて少し背中を押すことよ」
魔法で心を変えるのはタブーだとアカリは思っているし、したくはない。
それにあの子の本当の望みで願いは、好きな子と話がしたい、ではないのだからその先も叶えられるようにほんの少しだけ手伝ってあげたに過ぎないのだ、今回は。
それでもきっと十分なはずだから。
そう言えば一先ず納得したのか、大人しくアカリの前に座り紅茶を飲んでいる。
ついでにいれてくれた紅茶はやはり腕がいいのか、自分でいれるよりも美味しい気がして少し悔しかった。
まぁ、仕方ないわよね。私はここにきて日が浅いんだし。
紅茶よりも緑茶のほうが入れるのは得意だから仕方ない、と自分に言い訳をしながらカップに口をつけた。
それからヴィクターがお土産だと持ってきてくれたケーキと先程貰った報酬をお皿に出していれば彼がそれで?と問いかけてくる。
それに何が言いたいのかと視線で問えば、分かっているだろうとばかりに彼の瞳が細められた。
「なに?」
「いつになったら俺の願いは叶えてくれるのかな、って」
「あなたの望みは叶えたでしょう」
ヴィクターの望みはもう叶えているはずだ。
それは彼にとって不本意なタイミングで、それしか選択肢が無かったのかもしれないが、ルールはルールだ。
初めて出会った時に、仲間を助けて欲しいと望んだのはヴィクターで、アカリはそれに応え、約束通り望み通り叶えたはずだ。
そして魔女であるアカリが望みを叶えるのは、一人につき一つと決めている。
だからもう彼の望みは叶えられない。
例えそれがどんなものであっても。
それを知っているはずなのに、彼は度々そう言うのだ。
このやり取りだってもう既に何度目になるのか、アカリは覚えていない。それでも彼が来る度に繰り返しているので、そろそろ一年が経つ頃だろ。
「そうだね。だからこれはお願いだよ」
俺と一緒に森を出よう?そして王都に来て欲しい。
そう甘い顔で誘う声に、アカリは今回の報酬のパイから顔を上げることなく嫌だと断った。
そもそもその事だって何度言えばいいのか。
「どうして?」
「前から言ってるけど、私はここを出る気はないのよ」
「それこそどうして?君がここにいる理由もないと思うけど」
「あるのよ、ここにいないとだめな理由が」
魔女の強すぎる力はあまり知られてはいけない。何よりアカリ自身がそれを望まない。
そもそもここにいるのだって、この世界の神様に望まれたからだ。
『 この世界の安定剤になって欲しいのだ』
そう乞われて、日本で暮らしていた森野灯はこの異世界に森の魔女として存在する事になったのだ。
そもそも普通にこれまでOLとして生活していたのに、ある日いきなり神様だと言う人の前に連れてこられて世界の安定剤になってほしいとか言われても意味が分からないだろう。
実際嫌だと断ったし、元の世界に返してほしいと何度も頼んだ。
まぁ、結局は無理だったんだけど。
その時の報酬のようなものとして、この世界での快適で平穏な生活に必要なもの全てと、強い魔法が自在に使えるという神様からの寵愛という名のチートのような恩恵を受けたのだから。
それを自ら放棄するようなことはしたくないし、する気もない。
一応神様にお願いされてここに来たのだから、役目もこなそうと決めている。
だからこの森の中でのんびりと暮らし、時折強い望みを持つ人間の悩み相談にのるくらいが丁度良いのだ。
「だからヴィー、私を連れ出すのはあきらめて」
そう言えば彼は仕方ないな、とため息を吐き出した。
「アカリは頑固だね」
「今更でしょ」
「でも俺は諦めないから」
何度でもまた会いに来るし誘いに来るから、と微笑む姿がケーキよりも甘くて今すぐに紅茶が欲しくなった。むしろコーヒーください。
「アカリ?」
「・・・べつに。今度来る時はマドレーヌがいいわ」
「わかった、覚えておくよ」
そして今日も甘い香りが屋敷には漂っていた。
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