第2話
ナナセはまったく平凡な女で、いつの間にか出会い、いつの間にか共に暮らし、いつの間にか結婚していた。
不思議な事に彼女との馴れ初めは思い出せない。それはさして興味がなかったからか、あるいは結婚後の湧き上がる情動により掻き消されたのかは定かではないが、挙式もせずに形式上だけの夫婦という間柄となってしまったのは彼女に対してわびしい思いをさせてしまったと思う。大した贅沢もさせてやれず、ナナセは鬼籍に入ってしまった。大変に、忍びない。
ナナセにはいつかに「働きになんて出ずにゆっくりしていなさい。たまに君の美味しい料理を出してくれるだけで満足している。家の事もしなくていい」と言った事がある。すると彼女は「酷い事を仰る」と、可愛らしく口を尖らせ反対するのだった。
「私、好きでやってるんです。お仕事だって、そりゃあ大変だけど、中本さんやアキコちゃんだっているんですもの。楽しくやっています。家事だってそう。どうか、私から楽しみを奪わないでください」
それを聞いた際に私は、「あぁ、この女は俺なしでも立派に生きていけるんだな」と苛立ちに肝を震わせた。
私という人間は支配的に女を扱いたくて仕様がなかった。自身の手から離れ好き勝手に動かれるのを良く思えなかった。もっといえば、意思も自我すべて私に捧げ、私だけのために生きてほしいという傲慢な欲望があった。ナナセの自律的な生き方はそんな私の心を障った。何故ナナセは私のいないところで楽しめるのか。なぜナナセは私の知らない世界に行ってしまうのか。泥水のような嫉妬と支配欲が私に訴える。「彼女の自由を奪い、苦しませてやれ」と。内なる声に抗いながら、私は自分を押さえ付けていた。
彼女が決して己克に優れていたわけではないと知ったのは、大分後の事である。
気高くあらんとしていように見える彼女に対して抱く私の怒りはいつ暴発しておかしくはなかった。いや、事実、彼女に牙を向けた事が何度かある。私は嫌がる彼女を押し倒し、白い肌を何度も犯した。言い訳がましくなってしまうが、そうしなければ私は自我を保てなかったのだ。そこで彼女を穢さなければ、いつかきっと……
裸で横たわるナナセは「ごめんなさい」と呟く。それを横目に私は、罪悪感と嗜虐欲求と、そしてやはり、満ち足りぬリビドーに不満と怒りを覚えるのだった。このまま髪を掴み、愛を呟きながら美しく綺麗な鼻を潰してしまったら。細く白い指を折ってしまったら。真っ黒な眼球を取り出して噛んで網膜を啜ったら。どれだけ、どれほど、どのような快楽が、喜びが得られるだろうかと、想像せずにはいられなかった。想像すると、また貪らずにはいられなかった。私は涙を浮かべる彼女を再び犯して、何度も何度も汚して、散々に穢した挙げ句、ゴミのように床へ放り出し寝入ってしまうのが常だった。だが、それだけしてもナナセは朝早くに起き、「おはようございます」と何事もなかったかのように朝食を作って待っているのだ。私はそれを良い事だと安堵し、「ありがとう」と、彼女に対して笑みを返した。
ナナセとの生活は概ねそんなものであった。何ともない日常を過ごしながら、笑い、甚振り、泣かせ、また、笑い合うような、退屈な毎日であった。
どれだけ酷い真似をしてもナナセは私を許してくれた。その態度が不遜に見え始めた頃からだろうか。ナナセより前に唇を交わしていたあの女が、トワが再び、私の前に現れたのは。
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