平面彼女

鮭鳥羽一郎

第1話

彼女が生まれたのは、高校生物の授業中だった。教科書の余白に描いた島崎美久の似顔絵が、いきなりこちらに向かってほほえみかけてきたのである。


 もちろん気のせいだろうと思った。たしかに会心の作ではあったし、魂のこもった絵は表情が動くように見えるものだが、いくらなんでも無表情に描いたはずの絵が笑っているのはおかしい。昨日あまり眠れなかったせいだろうと、眼をこすって見なおした。けれども彼女の顔に浮かんだ笑みは消えないばかりか、ショートカットの髪の毛を揺すらせて、肩をきゅっとすくめながら、さもおかしくて仕方ないという風に笑った気がした。


「今の声は誰だ」


 教師が板書をやめて、生徒達のほうを振り向いた。まさかさっきの声が聞こえたわけはあるまいとは思いながらも、僕はとっさに絵の上に手を置く。すると手のひらの下から、やはり押し殺したような笑い声が漏れ聞こえている。


 前の席の生徒が、こちらへ首を向けた。何か気になることがあって、たまたま後ろを確認したにしてはタイミングが良すぎる。もちろん絵が笑っているわけはないから、僕が自分では気づかないままに笑ったのかもしれない。そう判断して、相手を見つめたままぎこちなく微笑んでみせた。しかし手の下では相変わらず、女子高生のかん高い笑い声がくぐもりながら響いているので、僕が女性のような声色を出していると思ったのだろう。相手は唇をひきつるように唇を歪めた後、そろそろと首を前に戻した。


 僕は手の指の間から、自分の描いた絵を覗き込んでみた。すると彼女と眼が合ってしまい、相手はこらえきれないといったように、笑いを爆発させた。もちろんクラス全員の視線が僕に集中したが、やはり声の高さが気になるのだろう。教師も怒ったような表情ではあるものの、どう叱っていいのか分からないといった表情をしている。僕もどう答えていいのか分からないので、このまま黙ってやり過ごそうと思った。しかしそのとき僕の教科書から、控えめな少女の声が発せられた。

「ごめんなさい」

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