日常と妄想

 英語教師に今年最後の挨拶あいさつを済ませ、他の生徒より若干多めの宿題を仰せつかった事をかばんの重みで実感しながら自分の教室、一年二組へと向かう。


 ――またやってしまった。


 私こと米村なずなは、事あるごとに妄想の世界へと足を運んでしまう。よくあるタイミングとしては、嫌な事、逃げ出したい事に直面した時。そんな時に心の奥底の妄想世界に精神だけを避難させ、現実世界での有事が通り過ぎるのをじっと待つのだ。しかし……。


 最近はそれだけでは無くなった。明らかに自分の願望を満たす為だけの引き篭もり時間が設けられてきている。確かに補習は早く終われとは思っていたが、あんな時に彼との妄想を膨らませてしまうなんて――それに決まって欲求に対する妄想を膨らませた後は、得も言われぬ虚しさに見舞われてしまう。



「あ、やっと帰ってきた。なずなんおっつかれー」


「予定より十分遅い……どうせ途中でまた考え事してて、先生に怒られてたんじゃないの?」


 西日が差しこむ教室に戻ると、尾花おばな なでしこ、萩生はぎゅう 織美奈おみなの二人が私を待ってくれていた。


「えへへ、ご名答。ごめんね」


「やっぱりー」


「それで、補習の方は大丈夫だったの?」


「一応ね。でもこれ」


 先程かばんに仕舞ったばかりの英語のプリントを、手品師てじなしが扱うトランプの様に広げて見せる。


「うわ……やっばーい」


「あんた只でさえ英語苦手なのに、更にそれだけの宿題追加されたらお正月返上しなきゃ終わらないんじゃないの?」


「ホントだよぉ。なでしこ、緒美奈おみな、お願い手伝って!」


「うーん……それはいいんだけどぉー」


「私達だって、そう英語が得意って訳じゃないわよ。どうせなら――」


 ガラッ 「あ……」


「あ、いるじゃん適任者! やっほぅスズっしー、こっちゃこいこい!」


「え? うん、なに?」


「ちょ、ちょっとなでしこ……」


 陸上部のユニフォームの上にジャージを羽織った、長身の男子。鈴城 健人けんと君は教室に入って早々なでしこに声をかけられ、少々驚きながらもこちらへと近づいてきた。


「鈴城君、英語得意でしょ? 今度なずなの英語の宿題を囲んでみんなで勉強会をしようと思うんだけど、一緒にやらない?」


緒美奈おみなまで……ごめんね鈴城君いきなり。迷惑だよね?」


「米村さんの宿題? いいよ、僕にできる事なら」


「そんじゃ決まり! 明日なずなんちでやろうよ。スズっしーもおっけぃ?」


「分かった、午前中は部活があるから、午後からでいい?」


「じゃあ、二時くらいでいいかしら。なずなもそれで良いわね?」


「え? え?? ほんとに? じゃ、じゃあ、それで……」


「じゃあ鈴城君、緑地公園前のセブン分かる? あそこからなずなの家近いから、そこで待ち合わせしましょ」


「緑地公園のセブンね、分かるよ。十分前くらいでいい?」


「問題ないない。そんじゃおーみん、お菓子いっぱい買ってこ!」


「嫌よ、私はあんたみたいにいくら食べても太らない体質じゃないんだから」


「じゃあ、僕はこれから部活だからもう行くよ。また明日ね」


「は、はい、お気をつけて……」


 端正な顔立ちに透き通った笑顔をのせて、鈴城君は一瞬だけこちらに視線を合わせて教室を後にする。その僅かな時間の目配せだけで私の心拍数は瞬間的に上昇した。ああ、やっぱりかっこいい……。


 鈴城君を見送った後、私達三人は下校し、それぞれの自宅への分岐点まで私は二人に散々からかわれた。


    

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