発売後大好評につき特別掌編を公開!!/『隠居勇者は売れ残りエルフと余生を謳歌する』

逢坂為人/電撃文庫・電撃の新文芸

序章 冴えない青年、特売エルフを買う

序章 冴えない青年、特売エルフを買う

 東に勇者、西に英雄あり。

 極北、極南より侵入せしむる魔王を討ち滅ぼす者なり。


 ここ、超大陸ミッドグラウンドではそれぞれの種族が東西南北にそれぞれ分かれ、暮らしていた。

 東方地域オリエンスには東方人種の人間。西方地域シーファンには西方人種の人間。

 南方大森林ユーク地帯にはハイエルフ。北方樹林山岳カスカジーニ地帯にはダークエルフとドワーフ。

 それぞれの種族がそれなりに平穏な暮らしをしていた――魔族が侵攻する時以外は。

 魔族の住まう極東北ノルドヘイム極西南アンタラクティス。その王が、人の住む地域へ侵攻してくることがある。

 極東北ノルドヘイムの魔王は東方地域オリエンスに、極西南アンタラクティスの魔王は西方地域シーファンに、それぞれ侵攻する。

 その魔王たちを倒す使命を持つ者。それが、東は勇者、西は英雄だ。

 彼らの活躍により、魔王たちは滅ぼされ、世界は平穏を取り戻し――

 数年後には、人々の中ですっかり過去の話になってしまった。

 ご婦人の井戸端の話題にも上がらない。親父どもの酒場の世間話に出れば良いほう。

 みんな、日常生活が忙しくて、そんな昔の話題に構っていられない。

 それはつまり――今、目の前にある洗濯物を洗うことが大事、ということだ。


 東方地域オリエンスの北端にあるこんもりと深い森の中。

 森の一部が切り開かれ建てられた小屋から、彼女は洗濯物を両手に抱えて出てきた。

 二人分の洗濯物を井戸に置いてあるたらいへ入れ、汲み上げた水を張る。

 彼女は金に幾筋か銀の混じった髪を引っ詰め、かんざし代わりに編み棒を挿して纏めている。仕事着らしい服は洗い晒されて色褪せ、素朴な雰囲気を出していた。

 本人は凡庸だと思っているが、その顔は整っていて美しい。表情には初々しさがあり、少女のようにも見えたが、豊満な体つきから大人の女性だと知れた。

 そして、人ではありえない長い耳。

 彼女が洗濯を始めたころ、森の奥から調子よく木を叩く音が響いてきた。

「……仕事、始まったわね」

 音を立てているのは彼女の同居人で雇い主だ。今日は間伐をすると言っていた。

 弓矢を一緒に持っていったから、多分、何か獲物を捕らえてくるだろう。

「洗濯が終わったら、お肉を料理する準備を……」

 たらいに手を突っ込んだまま彼女は呟いて、それから顔を上げ、苦笑いした。

「……ここの生活、慣れちゃったわね」


「うちの女中メイドになってくれないか?」

 男はそう言った。

 手枷と足枷から開放されたばかりの彼女は、訝しげな表情で目の前の男を見た。

 年の頃は二十代半ば。木こりと猟師をしていて、この自由都市まで所用で来たそうだ。

 この男は奴隷として売られていた彼女を、女中メイドとして雇いたいという。

 奴隷身分から開放された上に雇われる、というのは、普通なら狂喜乱舞する話だろう。

 もちろん彼女にとっても、幸運のはずだった。

 しかし、彼女にとっては。

引く手あまたのはずの〝エルフ〟という触れ込みだったのに、売れ残った彼女にとっては。

別の意味に聞こえた。

 今、彼女についている価格は……銀貨三枚。

 売れ残る度に価格が下がって、気が付けば宿屋三泊分。特売の処分価格だった。

 そんな自分を――。

 彼女は薄汚れた金の髪の合間から諦めのこもった視線を男に向ける。

「……そう、そうよね。私みたいな売れ残り、そんな風にしか使えないわよね」

 売れ残った奴隷の自分を、娼婦でも手籠めの玩具でもなく女中にする。

 これは、手を出す価値さえない、ということだ。

「へ……?」

 男は言われたことがすぐに理解出来なかったのか、素っ頓狂な声を上げた。

「って、ちがうちがうちがう!! えっと……そんなことないから!」

「なら――体をバラバラの部品にして、売るの?」

「いや……いやいや! そんな酷いことしないっ!」

「そうなの。それじゃあ……何なのかしら?」

「えっと……ほら? 森の奥に住んでるから、みんな敬遠して募集かけても全然人手が来なくて。エルフなら森の中の生活は苦じゃないかな〜と。それにうちには魔具っぽい道具が一杯あってさ。これが普通の人間だと秘められた魔力にあてられて酔っちゃって。エルフなら魔力酔いしないかなぁ、なんて……」

 慌てているのか、男は木こりらしくないことを言い訳がましく口走っている。

 ますます色々不可解でいかがわしい。そう思いつつも、彼女は尋ねる。

「あの、エルフといえば、普通、魔法が使えるものでしょう? でも……私はいま、魔法をほとんど使えない……それで本当に、私がエルフだって信じるの?」

「……エルフだろう?」

 何の迷いもなく男は答えた。

 彼の瞳は真っ直ぐで、まるで何もかも見通しているようだ。

 男に見つめられ、心臓が高鳴った――こんな若い子に、小娘じゃあるまいし。

 彼女は落ち着かない胸を抑え、極力平静を装い尋ねた。

「……一応、言っておくけれど。私、あなたより大分年上よ?」

「まぁ、エルフだからね」

 男はあっさり返した。

 歳のことは気にしていないようだ――彼女の方は気にしているのだが。

 とはいえ、現状からして、彼女に何をどうにか出来るわけでもない。

 文無し。魔力無し。身を寄せる当て無し。持っているのは着ている木綿のボロ服だけ。

「……わかりました。もう買われましたから、あなたに従います」

 急に言葉遣いを改め、彼女は言った。男は困った笑みを浮かべた。

「えっと。女中さんとして、普通に働いてくれれば、いいので。賃金もそれなりに払います。……ところで、名前はなんていうの、かな?」

「ノーチェ、と言います」

 かつて〝魔女〟と呼ばれ、今は二束三文で売られているエルフのノーチェであったが。

 こうして、ただの元冒険者である青年に、彼女は雇われていった。


「でもまさか、本当にただの女中だったなんて……」

 洗濯をしながらノーチェはぼやいた。

「何か裏があるんじゃないかって、ちょっと疑ってたのに」

 裏なんてどこにもなかった。

 男は木こりをしつつ猟師をして、捕ってきた獲物を捌いて食って、風呂に入って寝る。

 そして、彼女はその生活の手助けをする。本当に、単なる森の中での生活だった。

 住み込み女中ということで、少ないながらも月一で賃金が出されている。

「本当に女中なのね……」

 警戒が空振りに終わったことには安堵した。だが、別の思いもある。

 家事をするのは一向に構わないのだが――やっぱり女中としてしかご用がないのかと。

「もしかして、年上過ぎるのが……」

 言いかけ、黙った。彼は違うと言っていたが、実際のところ、そこが一番気になる。

 大きな溜息を吐きつつ、彼女はシーツを手絞り機で脱水し、物干し竿に掛けた。

 木を切る音が止んだ。少ししたら、彼が狩を始める。

 彼が捕らえてくる獲物の調理の下準備をするため、彼女は小屋へと戻っていった。

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