或る怪物たちの青春

以医寝満

或いは今日の宿題

宿題:名前の由来は?


    *


 女の子はおいしい。柔らかくて肉付きがよくていい匂いがする。素材の味が活かしやすいのは間違いない。

 それに比べて男は筋張っていていけない。匂いもお酢の古いのを彷彿とさせる。ダメというワケではないがおいしくただくためには気を遣う。


 やはり女の子が好きだ。食べるなら女の子。


 久留真意ひさとめまいは、しかし男を喰ったことが一度も無い。獲って喰おうと思えばできたが、今週は頭の中で女肉の美味を称えてグルメを気取ることに忙しかった。食わず嫌いとも言う。

 真意はお腹が鳴く気配を察知してなんとか堪えようとしたが、その甲斐虚しく、静まり返った教室に低い音が響いた。

 ――まあこういうこともある。仕方ない。それに腹の音が鳴ったからといって、約八メーター四方の教室でその出どころを正確に聞き分けられる人間もそう居るまい。

「久留さん……」

 ばれるとすれば隣の席でしかとその音を聞いたであろう彼だけである。

「久留さん、大丈夫?」

「何が? お腹?」

「その……初世はつよさんのこと。仲良かったでしょ。もう一週間見つかってないって」

 芽在肢得がざいしゅうは腹の音など聞こえなかったかのようにそう言って、神妙な面持ちで俯いた。

 真衣が周囲を見るとふさいだい顔が同情の視線を向けているのがちらほら見て取れた。そこで初めて自分が調子はずれなことを口走ったと気付き、眼差しが奇異の目に変わるより先に慌てて取繕った。

「そっか……もうそれぐらいになるね。ちょっと――ごめん」

 そう言って心労がたたった風を装い、席を外そうと試みた。

「む、無理しないで! 保健室なら僕が付き添うから」

 少しよろけて見せた真衣の肩を肢得が支えた。

 演技に熱を入れ過ぎたなと、真衣は舌打ちをすんでのところで飲み込んだ。

 

 肢得に付き添われて廊下を歩く。冬の廊下は冷たく、二人分の足音が余計に響くように思われた。

「久留さんが体調崩すなんて珍しいね」

「まあ、確かに。修学旅行の時以来かな」

「修学旅行か……僕は途中で帰っちゃったんだよね」

「怪我だっけ?」

「そうそう、あんまりいい思い出じゃないかな」

「………………」

 この違和感――話の下手な男だ、と真意は内心呆れる。

 保健室に着き、肢得が引き戸を開く。

「やあ肢得。……そうか、急患のようだね。入りなさい」

 真意は養護教諭の表情と声に聊かの違和感を覚えつつ、肢得に導かれるまま保健室へと足を踏み入れた。

「少し具合が悪いみたいで。休ませてあげてよ」

「それを決めるのは僕なんだけどね……久留さん、とりあえず横になるといい」

 そのまま部屋の奥、空いているベッドに通される。上履きを脱ぎ、ゆっくりと体を横たえた。

 ちゃんと具合が悪そうに見えただろうか。真意の危惧を余所に、養護教諭はベッドの横に椅子を持ってきて腰かけた。

 首から垂れたネームプレートには“芽在繋がざいけい”の文字が並んでいた。

「兄さん」と肢得が養護教諭に耳打ちする。

 肢得とよく似た顔つきだが随分と恵体だ。肢得が男子高校生にしてはやや小柄というのもあるが、二人並ぶとその差は歴然だ。

「成程ね、事情は分かった。久留さん、心と体は不可分なものだ。十分に休んでいくといいよ」

「はい、ありがとう、ございます」

 弱っているふりをするのもいい加減煩わしく思えてきた。

「ところで肢得、戻る前にちょっといいかい?」

「……うん」

 肢得とその兄、繋は席を外すらしかった。真意は漸く一人になると思って早くも気を緩めそうになった。

 その瞬間、立ち上がった繋が汚物でも見るような眼を真意に向けていることに気が付き、すぐに瞼を閉じた。

 

 

 

 真意は普通ではなかった。それは女子高生にしては変わった性格をしているとか、仮病を見抜かれないほどの演技力があるとか、恋愛対象が女性だとかいう話ではなく、もっと決定的に普通の人間とは違っていて、異常で、怪異じみていた。

 そんな彼女の親友が一週間ほど前に突如として姿を消したクラスメイトの初世饗子はつよきょうこだった。親友、というのは勿論表向きの話である。

 饗子は眉目秀麗、人当たりもよく、利発さでも周囲から頭一つ抜けていた。

 絵に描いたような人気者。教師からの信頼も厚く男子生徒から好意を寄せられることなど日常茶飯事。それを妬む女子生徒でさえ、一度言葉を交わせばたちどころに彼女のよき友となる程であった。

 真意はそんな彼女をどことなく軽蔑していた。妬み嫉みの類ではない。この世の全てから愛され祝福されているような彼女の境遇が、勿論そんなそぶりは億尾にも出さないのだが、酷く傲慢に映った。

 人間は全て初世饗子を手本とせよ、彼女のように生きよと、そう示されているようで、虫唾が走った。

 しかしそれも初めのうちだけだった。


 二年前、修学旅行での話である。折悪く、その日は丁度重なってしまっていた。

 真意は重い方だった。

 頭が痛むし吐き気もする。何より厄介なのは消えることの無い飢餓感だった。事前に分かってはいたことだったが出先でとなるとやはり気が滅入る。

 昼間の日程は全て欠席して一人、部屋で寝ていたこともあって、夜はろくに眠れなかった。布団に入ってものたうち回って汗をかくばかりでちっとも楽にならない。せめて気を休めるか、でなければ紛らわすでもしようと思いたって外に出た。

 夜。趣のある旅館の外周をぐるりと回り、多少は気休めになったところで教師に見つかる前に部屋に戻ろうとした時だった。

 いい匂いがした。

 それは旅館の中庭へと続く通路の方から漂ってきた。空腹も手伝ってフラフラと匂いの許へ歩みを進めると、そこにあったのは長い髪を一つに結んだ饗子の後ろ姿だった。

 あのいけ好かない優等生がこんな時間にこんなところで、一体何を。

 虚を突かれた動揺が真意の足元に現れた。無造作に踏まれた古い板張りは軋んで音を立てる。

 気配を察したらしい饗子は口元を抑えてゆっくりと振り返った。そして真意の姿を見止めるや否や悟ったように目元だけで笑みを浮かべた。

 一度前を向き直して口元を拭うような素振りを見せてから立ち上がる。決まりの悪そうに立ち尽くしている真意の許へ、後ろ手を組んで歩み寄り耳元で囁いた。

「私のことを誤解していたようですね。これ、あなたも食べますか?」

 そう言って饗子は手に持っていたものを真意に渡してその場を後にした。

 色香。真意は完璧にあてられてしまっていた。

 逸る胸を抑え、やっと平静を取り戻してようやく、手元に目を落とした。

 そこに握られていたのは左腕だった。

 たまらず貪った。量は多くなかったが柔らかく、芳醇な風味の肉だった。口に含み咀嚼もほどほどに飲み下した塊が胃に落ちて確かな質量を感じさせて真意の餓えを満たし、滴る血が喉を潤す。

 爪の一片も残さず骨まで平らげるのに五分とかからなかった。

 いきおい、よろよろと部屋に戻り布団に身を投げる。シーツは冷たく、撫でれば程よい摩擦が肌を痺れさせるようだった。

 真意はそのまま深く眠りに堕ちた。

 

 

 

 真意がベッドの上で目を覚ますと保健室には西日が差し込んでいた。少しの間窓の外を眺めて微睡んでいようと思ったが「久留さん」と呼ぶ声に意識を呼び戻された。

「目が覚めたみたいだね。気分はどう?」

「芽在くん……寝起きの女子に近づくのはデリカシーが足りないんじゃない?」

「大丈夫みたいだね。よかった」

 肢得は屈託なく笑った。

「養護の先生――お兄さんは?」

「ああ見えて実はサボり魔でね。僕が久留さんを任されたんだ。さ、早く帰ろう。家まで送るよ」


 夕焼けが消えかけた道を二人で並んで歩く。

 肢得とは特に親しい仲ではないと、少なくと真意はそう思っていたが、不思議と今の状況に悪い気はしなかった。

「似てるね、芽在くんと兄さん」

「似てない部分の方が多いと思うけどね」

 相変わらず話が下手だ。顔は結構可愛いというか甘い感じで、そういうのが好きな女にはモテそうなのに。などと思いながら仕方がないので真意の方から話を広げたやることにした。

「何処が似てないの?」

「うん――と、先ずは体格かな。それと兄さんは僕と比べ物にならないくらい優秀なんだ。その分変わってるけどね」

「優秀?」

「そう。養護教諭になる前は外科医だったんだ。整形外科でね。……かなり腕がいいって評判だったんだよ。天才だなんて言われたりしててね」

「それなのに養護教諭に転職したの? 医者と保健室の先生って近いようであんまり近くない職業だと思うけど。免許とか、制度的に」

「それだけ、変わってるってことだよ……」

「そう……」

 それ以上話を広げる気にはならなかった。


 肢得は本当に真意の家の前までついてきた。いまいち距離感のおかしいやつだと思ったが、それは自分も同じかもしれないと真意は思い直す。

 が形ばかりの礼を伝えて玄関の扉に手をかけると「久留さん」と呼び止められた。

「何?」

「いや、その……あ、明日もう一度、放課後、保健室に顔を出すようにって、兄さんが」

 肢得はやけに歯切れの悪い口調で伏目で話す。

 やっぱり口下手だ。

「分かった。ありがと」

 そう言って真意は玄関の扉を開けた。扉の音を追うように「あの」と再び肢得が呼び止める。

「まだ何か?」

「えっと……初世さんは、初世さんは何か言ってなかった?」

 途切れ途切れにそう問う肢得の顔を玄関から漏れ出た光が照らしていた。

「……さあ。ていうか、話したくないかな」

 真意はわざとらしくそっぽを向いたまま答えた。

「そう、だよね。ごめん、変なこと訊いて……それじゃあ」

 肩を落としてその場を後にする肢得の姿を、真意は見えなくなるまで眺めていた。

 ちょっとした意地悪のつもりだったが、話したくないのも本当だった。

 それでも、まあちょっと、肢得のことを可愛げのあるやつだとは思った。


 そのまま風呂に入って、親が作った食事を摂って、何事もなく床に就いた。晩御飯は魚の煮つけで、生姜がきいていてまあまあ美味しかった。魚はまあまあ好きだ。

 横になって天井を眺めながら、肢得の問いを思い出した。

 一週間前のことだ。勿論、真意は饗子に会っていた。饗子がいなくなる直前に会って、話をしていた。

 忘れる訳が無かった。この一週間、あの言葉も味も匂いも、饗子の全てが忘れられなかった。恐らく、今後一生忘れることはない。


「ねえ、これって愛なのかしら?」

 

 初世饗子は最期にそう言ったのだった。




 翌日、いつもと変わらない、葬式の様な授業をうけ、教師の声を読経に見立てて船をこいだりしていると、瞬く間に放課となった。

 昨日肢得に言われたことを思い出し、そう言えば今日は教室で肢得の姿を見かけなかったようなと、思いながら、真意は保健室へと歩みを進めた。

 引き戸を叩き、返答がないのを確認すると「失礼します」とぶっきらぼうに言って戸を引いた。嫌に暗い保健室は無人だった。照明のスイッチはどこにあるのか知らない。

 人を呼びつけておいてこれか、とは思ったが、まあさぞかし忙しいのだろうと、大人しく待つことにした。

 真意はなんとなく、昨日と同じベッドに腰かけ、窓を見てブラインドが閉まっていることに気が付いた。

 昨日は気にも留めなかったが、そういえばブラインドは開いていて、西日が差し込んでいた。だから今はこんなに暗いのか。

 そう思いながら、立ち上がって二、三ある窓のうち一つのブラインドをいじり、開閉してみた。

「普段は閉めているんだよ、邪魔されたくないからね」

 不意の声に振り返ると、そこには繋が、肢得の兄が立っていた。

「お兄さん?」

「お兄さん…だって? ——めろ。——やめろそんな呼び方するな! 僕に近寄るな! 肢得に近寄るな! 汚らわしいクソビッチの分際で!」

 繋は血走った眼で真意を睨む。一歩ずつ、ゆっくりと彼女に歩み寄った。

「お前さえ、お前さえいなければ——肢得はずっと僕のものだったのに! ああ——あぁあ!」

 悲鳴とも呻きともとれる声を最後に、繋は床に崩れ落ちた。伸ばした手は、けれど真意には届いていない。

 倒れた繋の股のあたりには血が滲んでいた。

 真意はその様子をただ見ていた。

「すごいや、全然動じないんだね。やっぱり人が死ぬところ見慣れてるの?」

 いい匂いがした。とてもいい匂いが。

 だから、真意は驚かなかった。

 もう一度ブラインドを開けなおす。部屋に差し込んだ茜色が声の主を照らし出した。

「芽在くん——何処から」

「保健室の隣、専用の倉庫があるんだ。予備のベッドとか道具とか色々置いてあって泣いても叫んでも誰も来ない。兄さんはいつもそこで僕を犯すんだ」

 言いながら、肢得は真意の傍に立つ。体はシーツで覆っていた。

「かわいそうな人だよ。実の兄なのに、本気で僕のことしか愛せなかったんだ。僕のことが心配だからって、わざわざ仕事まで変えて、それで最後はこれだもの」

 肢得は傍らに横たわった繋を見てそう言った。

「男の格好してたのもお兄さんの趣味だったの?」

「——気づいてたんだね」

 目を丸くした肢得はシーツをはだけさせた。

「変な虫がつくといけないからって男装を強要された時は流石に引いたよ。でもどうして分かったの?」

「違和感があったから」

「どんな?」

「それは……」

 真意が肢得とまともに接したのは昨日が初めてだった。しかし肢得が女性であると知るにはそれで十分だった。

 何故なら。

「当ててあげよう。いい匂いがしたから、でしょ。——初代さんもそう言ったんだ」

 肢得は閉まっていたブラインドを開けた。鮮明に照らされた一糸纏わぬ肢得の体はどうしようもなく、ちぐはぐだった。

 四肢にそれぞれ切って貼ったような傷痕が、まだ糸もとれないままで残っていた。

「初代さんが行方不明になる前、僕は君より先に彼女に想いを伝えたんだ。そしたらあっさり振られたよ。好きな子がいるからって。

 だから僕は一生のお願いをした。あなたの心が手に入らないなら、せめて体を下さい。僕があなたの為にそうしたようにって。

 言ったよね? 兄さんは天才で、整形外科医で、僕のことを本気で愛してた。僕の言うことは大体何でも聞いてくれたんだ。

 そうして体を取り換えて、僕は初代さんと一つになった」

 肢得は両手を差し出した。よく見ろ、と言わんばかりに。そして満足げに笑った。

「——でも、ダメなんだ。これでも完璧じゃない。兄さんの腕をもってしても他人の肢体を繋ぎ合わせるのは無理があったんだ。

 このままだといずれ初代さんの体は腐り落ちて、僕もきっと死ぬ。

 だから、久留さんに近づいたんだよ」

「何の為に?」

 真意はそっぽを向いたまま言った。

「この期に及んでしらを切らなくてもいいよ。決まってるでしょ?

 食人鬼に食べられて、初代さんと本当に一つになるためさ」

「……それを真顔で言う芽在くん、どうかと思うよ」

 真意が冷たく言い放つと肢得はおどけたように笑った。

「つれないこと言わないでよ。兄さんにしてみればどうも面白くなかったみたいでね、説得に苦労したんだよ。俺を置いていかないでくれって泣きついて離れてくれなくて、仕方がないから兄さんとも一つになることにしたんだ。

 今も繋がったままだよ、自分で切り落として自分で縫い付けて、すごく痛そうだった。兄さんは今も僕の中にいるよ。ほら」

 肢得は自分の陰部を指し示す。

「いいよ、見ないよそんなの」

 真意は顔を背けつつ片手で視線を遮り、もう一方の手を呆れ気味に振って見せた。

「本当に見ないの? これから食べるのに?」

「先ず、どうして私が芽在くんを食べる前提なの」

「食べないの?」

「食べないよ」

「どうして?」

「——好きじゃないから」

 そこまで聞くと肢得は含み笑いを浮かべた。

「ふーん。でもさ、初代さんのことは好きなんでしょ?だったら僕のことも食べるよね。だって、今の僕の体は半分くらい初代さんの体だもん」

 真意はむっとした。言い方が癇に障るのもあったが、何より図星だったから。

「それに、初代さんの体だってあの時は半分くらい僕の体だったわけだし」

 本当に、本当にいちいち癪な物言いをする奴だと、真意は心底そう思った。

「——分かった、分かったよ。食べる。食べるから」

 そう言うと肢得は満足げな表情を浮かべた。

「もう——なんでこうなったかな、どさくさに紛れてお兄さんまで食べることになっちゃうし。まあ一部だけだけど、よりにも寄ってソコだし……」

「大丈夫だよ、兄さん短小だから」

「そういう問題じゃない」

「えへへ」

 二人はしばし見つめ合った。

 そして。

「じゃあ食べるよ」

「うん。できればおいしく食べてほしいかな」

 真意は口を開く。抱き合うようにして首元に狙いを定めた。

「ねえ、左腕は大事にゆっくり食べてよね」

 真意はこたえない。

「それから」

 肢得が耳元でそっと告げた。

「君が愛したのは、結局誰だったんだろうね」

 いい匂いがした。




 肢得の言った通り、左腕を丁寧に慎重に食べようとして面食らった。精巧にできてはいるが、紛れもなく義手だった。

 何とかして食べられないかといじっていると義手の一部が開いた。

 中にはシャーレが入っていた。

 それは培養中の胚だった。


   *


 これが私の狂った親たちの話らしい。

 自分の名前の本当の意味がこれだなんて。

 こんなぞっとしない話はない。

                     名 前

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