横から叩きつけるような、ひどい風雨だった。

 昼を過ぎたあたりから生温なまぬるい風が吹くようになり、先を急いだが、やはり陽が傾くころになってぽつぽつと降りはじめた。なにか食べるものを手に入れようと考えていたが、降り方が激しくなってからはその考えもすぐに折れた。

 ここに使われていない古い小屋があることは教えられていた。もとはこのあたりで山菜などを採る者が建てた物置らしく、あちこち傷んではいたが、戸板を閉めればどうにか風雨は凌げる。雨漏りが二箇所あったが、それも気にするほどの落ち方ではなかった。

 脱いだ套衣とういを火のそばに広げると、ルネルは手足を伸ばし、濡れたからだを暖めるために腰をおろした。

 板敷きの小屋の中央には火床が切ってあった。この雨のなか、燃やすものを探しに出るのも馬鹿げていたため、隅に転がっていた木籠きかごをばらして火をおこした。火のそばには、持っていた干魚をかざしているので、いいにおいが立ち昇りはじめている。

 一尾だけの干魚である。あとは口にできるものがなにもない。焦がさないように一度魚を動かし、火のあたる部分を変えると、ルネルは仰向けにごろりと寝転んだ。

 若い娘が、と父王の叱る声が聞こえたような気がして、思わず聞き耳をたてる。しばらくじっとしていたが、耳に届くのは激しい雨音ばかりだった。

 孟王もうおう城が攻め落とされて、三か月以上が経っている。父の声が聞こえるはずはない。父は、孟国もうこくとともに死んだのだ。逃げのびた者たちと身を寄せた岩山で、えながら過ごした日々も、すでにひと月も前のことになっていた。

 王女だったころのルネルは、こうして一人で火を熾すこともできなかった。岩山で、ともに過ごした民たちのやり方を見るうちに、棒術や槍術と同じで、火を熾すこともあるところまでは技術だ、とわかった。

 それからは身につけるために繰り返しやった。そのうち、自分のやり方が見つかる。基本の型に、自分のやり方を擦り合わせてひとつにする。そうやって覚えたことは躰に染みつき、そう簡単には忘れないのだ。槍と同じで、火を熾すことにも慣れるのは早かった、とルネルは思っていた。

 慣れないこともあった。人の死である。

 とりでのように使っていた岩山も、襲われた。

 岩山の裾に広がる森に、食糧を調達しに出ていた民が、戻るときに尾行つけられたのだ。だからといって、それを責めることなどできなかった。森での危険を顧みず、みなの飢えを救うために出ていた者たちだ。岩山へたどり着く寸前のところで、彼らは斬り殺された。

 ルネルは、かつて父王に仕えていた隠術師いんじゅつしたちに周囲を固められ、わけもわからぬうちに岩山を出され、東方の山脈と森を迂回うかいして北上する道へと離脱させられていた。

 一頭だけいた馬は、隠術師の師長が伝令を飛ばすために使っており、自分の足で駆ける以外になかった。民とともに声を掛け合って走り続けたが、追手が振り切れず、落伍する者が相次いだ。振り返っている余裕はなかった。敵は白い駱駝らくだに跨がり、鞭をくれながら追ってきたのだ。顔がはっきりと見える距離まで迫ってきた男の暗い眼が、恐怖とともに心に焼きついている。

 結局、森の付近で新手に遭遇したときには、ルネルと若い隠術師が一人、脇腹ともも深傷ふかでを負った師長が残っているだけだった。

 岩山から逃げる自分の背後で、四十人以上が死んだのだ。とむらう言葉はおろか、涙すら出てこなかった。その資格すら自分にはないのだ、とルネルは思った。

 なんのための孟王もうおうなのか。なんのために、王家の血というものが自分に流れているのか。民を犠牲に、盾にするような真似をしてまで生きのびて、なにが孟王だ。そう詰め寄ったルネルに、師長の眼が射抜くような光を放った。

 次の瞬間には、若い隠術師に担ぎあげられていた。揺られながら、景色が飛ぶように流れていく。師長。新手の前に一人残ったままの師長の背中が、小さくなり、やがて見えなくなった。

 陽が落ち、いつの間にかまた夜が明けた。ルネルの言葉に耳を貸そうとせず、ルネルの躰を肩に担いだまま駆け続けた若い隠術師は、森を抜け、原野をしばらく行くと、突然膝を折った。

 地に放り出されたルネルは驚いたが、すぐにい寄った。息をしていない。隠術師がすでに死んでいるのが、見ただけでわかった。気力だけで、駆け続けたのだ。王家の血を守る、ただそれだけのために。

 そこからは、一人で歩き続けた。追手は、一人残った師長が捨て身で片付けたのか。誰もあとを追っては来なかった。

 なぜ、死ななければならなかったのか。みなが敬虔けいけんな信徒でありながら、それでも原理神教げんりしんきょうへの信仰が浅かったというのか。原理の神々に、正しく向き合えていなかったためだというのか。

 こんなとき、父ならばなんと言うのか。そして、エフレムがそばにいてくれたならば。

 起きあがり、干魚を刺した棒に手を伸ばす。もう充分に焼けていることは、においで判断できる。動かすと滲み出た脂が火に落ち、じゅっと音をあげた。

 忸怩じくじたる思いを抱えていても、空腹感には襲われた。生きるとは、こんなにも浅ましいものなのか、とルネルは思った。死んでいった彼らはもう、なにかを食べることもない。喋り、笑うこともできない。彼らの死を踏み越えて、自分は生きているのだ。やりきれなかった。

 魚に息を吹きかけ、かぶりつこうとした瞬間、小屋の外に気配を感じた。

 戸板から眼を逸らさず、火から離れた位置にそっと干魚を戻し、壁に立てかけた槍をる。

 雨音で、すぐそばに近づくまで気づけなかった。外は完全に闇に包まれているだろう。人か、けものか。

 槍は、兵の遣う長柄に手を加えたもので、重さも強度も工夫を重ね、いまではほとんどルネルの躰の一部になっている。ひと突きで、狙った場所を通すことさえできる。これだけは、手放さなかった。

 追手なのか。腰を落として槍を構え、戸の向こうの気配を探る。

 このあたりに集落はなく、盗賊が出るような場所ではない。そもそも盗るような物がないのだ。やはり獣か。この雨のなか、魚のにおいもそれほど遠くまで届くとは思えない。雨が降るより前に、獲物を探していた獣かもしれない。

 戸が叩かれた。

「すまないが、屋根を貸してはもらえないか」

 男の声だった。戸口には棒が立ててあり、外からは開かない。しかし頑丈な造りだとも思えなかった。

「かすかに火明かりが見えた。先客がいるようなので、こうして戸を叩いている。返事をしてもらえないだろうか」

 戸板の向こうで、雨音に紛れた声は低くこもって聞こえたが、ルネルはあることに気づいた。なまりのない炳辣国ペラブカナハの言葉である。落ち着いた声も、駱駝に鞭をくれる西域の追手のものではない。ルネルにはそう思えた。

 どの道、蹴破られれば戸は役に立たない。返事をせず、片手で槍をいつでも突き出せるように握り直して、戸の棒をはずした。狭い戸口である。入ってきた男がおかしな真似をすれば、槍でひと突きだ。息を呑み、両手で槍を構える。

 じっとにらみつけていた戸が開くと、豪雨の音とともに男が入ってきた。火床の炎が揺らめき、男の姿を照らす。西域の者でも、炳辣国の者でもないような恰好で、それほど背は高くない。

「ありがたい。いやあ、ひどい雨だな」

 そう言って屈託のない笑みを見せた男の口もとに、白い歯が眩しく覗く。惹きこまれるような笑顔だ。年齢はよくわからないが、その笑みは少年のような純真さを漂わせていた。

 川からあがってきたばかりのようにずぶ濡れの男は、戸の外に頭だけ突き出す恰好で、濡れた髪を絞りはじめた。ルネルにはちらりと眼をくれただけで、背を向けたのだ。構えた槍にも気づいたはずだが、たじろいだ様子もない。それがルネルの気にさわった。

「槍か。遣えるようだな」

 衣服の裾を絞りながら、こちらも見ずに男は言った。身構えもせず、挑発しているのかとも思えたが、男の背は隙だらけで武器らしいものも持っていないように見える。短剣くらいは腰にあるのだろうが、あとは白杖と、荷袋が戸口の脇に置かれているだけだ。

「何者なの。このあたりには、誰も住んでいないはずよ」

「これは失礼した。突然押し入っておきながら名乗りもせず」

 男は乱れた髪を掻きあげ、こちらに向き直った。顔の半分が部屋の火に照らされて、赤く闇に揺れるように見える。まだ髪の先や衣服からは水がしたたり続けていた。ルネルは、男の左耳からぶらさがったものに、ちらと眼をやった。羽の耳飾りのようだ。

「私は、アダム・シデンス。山で迷ったうえに、この雨ですっかり参っていた」

 名乗った男は、また歯を見せて笑った。火明かりだけで眼の色まではわからないが、異国の者だということはなんとなくわかった。どこがどうとは言い表せないが、炳辣国の男の雰囲気とは、どこかが違う。ただ、言葉は流暢りゅうちょうだ。

「この山で、なにを?」

「旅人でね。炳南へいなんのほうで仕事をけて、この小屋までやってきた」

「嘘が下手ね。ここには、あなたの仕事なんてない」

「そうかな」

「じゃあ、この小屋でなにをするつもりなの」

「言えない。依頼主に他言は無用、と念を押されてるんだ」

 やはり西域の者ではない。喋っていると、それはわかった。だが、連中に雇われて自分を殺しに来たのではないのか、とルネルは思った。しかし、それにしては悠長だった。はじめから殺すつもりなら、このやり取りにもまるで意味はないのだ。

 ルネルは黙ったまま、槍先をアダムと名乗った男の喉元に向けた。アダムが、ちょっと肩をすくめて見せる。しばらく睨みつけていると、アダムが諦めたように息を吐き、かすかに首を振った。

「たいした内容じゃない。荷物移送の依頼だ。つまりこの小屋にある大事な荷物を、別のところへ運ぶ、というわけさ」

「なにかの間違いじゃない。見ての通り、この物置にあるのは、山菜採りの古道具だけよ」

「そうか。じゃあ、私は仕事場を聞き間違えたのかな」 

「雨宿りに選んだ小屋も、間違いだったんじゃない?」

 言って、ルネルは槍を両手で構え直した。相変わらず、アダムに動じた様子はない。

「まあ待て。私はうさぎの肉を持っている。山の中腹でひと休みしたときに、たまたま巣穴を見つけたんだ。一緒にどうかな」

「それはいいことを聞いた。あんたを槍で突いたあとでも、兎は食べられる」

 アダムが低く声をあげて笑った。あなどっている。ルネルはちょっと驚かすつもりで、急所からは少しはずし、素早く突いた。

 瞬間、すべてが静止したような気がした。雨音さえも、聞こえない。どれくらいそうしていたのか、火床で炎が揺れ、じりっと音を立てて二人の影を揺らした。それではじめて、止まっていたものが動き出したように感じられた。

 槍先はアダムの躰をかすめた。そのはずだった。ところが、いまその槍はアダムの手にあり、先端はルネルの首筋にそえられている。なにが起きたのか、まるでわからなかった。

「私は剣のほうが得意なんだがな。あまり自分の腕を過信すると早死にするぞ」

 落ち着いたままの口調で、アダムが言った。ルネルができたのは、ただ睨みつけることだけだった。

「さて、火にあたらせてもらうとするか」

 アダムは無造作に槍を床に放り、ずかずかと火のそばへ行った。套衣を脱ぎ、広げてあるルネルの套衣の横に並べると、残りの着ているものをすべて脱ぎはじめた。アダムの裸を照らすのは焚火の灯りだけだが、ルネルは戸惑って眼を逸らした。

「おかしな男ね」

 アダムはまるで気にした様子もなく、脱いだものを入口のそばで絞り、また火のそばへ戻って床に広げていった。ルネルは、雨足が強くなる前だったので套衣を脱ぐだけで済んでいたが、アダムはすべて濡れてしまっているようだ。濡れて重くなった衣服を着こんだまま、どうやって自分の槍をかわすことができたのか、ルネルは何度も首を傾げた。

 アダムは全裸でうろうろと小屋にあるものを荒らし、そこから手頃な長さの棒を二本持ってくると、短剣で切り分けた兎肉に刺し、火床に突き立てた。雨のなかですでに血は抜いてあったらしく、少々荒っぽいが手際はよかった。

「座らないのか」

「私を、殺さないの?」

 ルネルの眼をじっと見たあと、アダムは鼻で笑った。

「言ったろ。ここへは、仕事をしに来た。それだけだよ」

 嘘を言っているようには思えなかった。仕事を請けたというのは多分、本当なのだろう。アダムの歳はやはりよくわからなかった。笑うとどこか幼くも見えるし、黙っていると死んだ叔父と同じくらいのようにも見える。口調は、穏やかだった。

 兎肉が焼けはじめた。獣肉は好きだった。祖父は獣肉が苦手で、母はどちらでもなかったが、父は魚よりも獣肉が好きだった。そう考えると自分はやはり、孟王であった父に似ているのかもしれない。猛々たけだけしく、頑固な父王だった。ルネルも、父譲りの気性で男勝りな王女だ、とよく言われたものだ。

「干魚は、一枚だけか」

「どうして?」

「兎の半分と、魚の半分を交換というのは、どうかな」

「兎はここの屋根を貸す代わりでしょ。分ける魚なんてない」

「なんだ、つれないな」

 ルネルは答えずに横を向いた。

 雨は変わらず激しく降っている。雨季の雨は二刻(約一時間)もすればやむことが多いが、落ち着く気配はまるでなかった。

 しばらくして、兎が焼きあがった。小さな兎だが、焼けた肉は香ばしく、たまらないにおいを漂わせている。

 口を利かず黙っていたが、ルネルはよだれが出てくるのを抑えられなかった。横目で見ていると、アダムが肉になにかを振りかけはじめた。

「木の実や種を砕いてあぶったものだ。こいつを振ると味が締まってもっと旨くなる」

「ふうん。旅の前は、猟師でもやってたの?」

「いや」

 焼けた兎の刺さった棒を、ひとつ手渡された。かぶりついて食べるよう、仕草で促される。

 息を吹きかけ、かぶりつく。兎肉はどうしても多少の硬さがあるが、振りかけられたものがほのかに香り、獣肉のにおいは薄れているようだ。わずかに塩も振ってあったらしく、噛み続けていると、脂の甘味が滲み出してくる。それが、全身に染みこんでいくようだった。久しぶりに口にしたが、いままでに食べた兎とは違う、眼が覚めるような味わいだ。ルネルは夢中でかぶりつき、気づくと口から溜息がこぼれていた。

「ずっと、旅をしてる」

 しばらく食べ進めてから、アダムが口を開いた。

「いろいろ試すうちに、うまいやり方を見つけるんだ。どうやって食うか、捕まえ方にしてもそうだ。まあでも、やってることは猟師みたいなものかな。魚なんかがまとまって獲れたら、近くの集落に売りに行ったり、別のものと交換してもらったりもするよ」

「生まれは炳辣国ペラブカナハ?」

「いや」

「流暢な炳辣国の言葉を喋るから、このあたりなのかと思ったけど」

「しばらく炳都ペラブーハンに滞在していたことがあって、言葉はそのとき覚えたんだ」

「耳がいいのね。まったく違和感がないもの」

 それきり話が途絶えた。互いにしばらく黙ったまま、兎肉を食べ進める。アダムは、ルネルが仕方なく分けてやった干魚に食らいつき、残った骨だけを口から吹いて、火のなかに飛ばしている。器用なものだ。鮮やかで、不思議と品のあるやり方にすら見えてしまうのだった。

 ルネルも食べ終わり、兎の骨を火に投げ入れた。

 アダムが火床に割れた板切れを足し、燃えさしでおきを突いて動かすと、火が大きくなった。

「明日の朝、仕事をはじめようと思う。この雨が、少しはましになっているといいんだがな」

 言いながら、アダムが鍋を火にかけた。外で雨を受けて水を満たした、小さな鍋だった。

「わからない人ね。ここには、あなたの言う荷物なんてないじゃない」

「あるさ」

 不意に、アダムの眼がルネルを射抜くように見た。端正な顔立ちが、火明かりに揺れている。

「確かに、この物置にはなにもない。君以外にはな」

「それって」

符牒ふちょうだろう。私が移送を頼まれた荷物というのは、つまり君だ」

「どういうこと?」

「この仕事を依頼した雑貨商の老人は、危険が伴うことを見越したうえで、荷物の移送を望んだ。人を介して紹介されたが、地元の人間を使いたくない理由でもあったのかもな。この小屋へたどり着くまでの目印と、他言無用の念押し。この手の依頼で、荷物の中身を知らされないことは少なくない。移送の仕事は運ぶことが目的で、中身を知る必要はないからだ。確かにここに来るまで、手厳しい襲撃を受けたよ。なんらかの目的を持った連中だったと思う。そこでもし、私になにか問題が起こったとしても、荷物の移送をする以上の情報は出てこない。それが、あえて荷物という符牒を使った理由だろう」

「私を、どこかへ連れて行くっていうの?」

「北だ。それも越境をして、簪呂国カザクロフトまで。楽な道のりとは言えない。思っていたよりも、大きな荷物だしな」

「私は、行かない」

 ルネルは、少し考えてからそう言った。

「そういうわけにはいかない。報酬は前金で受け取ってる。もう、手もとには残ってないけどな。気絶させてでも連れて行くよ」

「行けないのよ」

 叫ぶように、言っていた。言って、ルネルは自分の声の大きさに驚いた。

 雨音。遠くで、雷が鳴っている。強風が吹くと小屋が揺れ、それに合わせて雨漏りの水滴が連なって落ちてくる音がした。

「そうか」

 いくらかの沈黙のあと、ルネルから眼を逸らしてアダムが言った。

 アダムが火から鍋をおろし、器に湯を注ぐ。器から湯気が立ち昇り、焚火の煙と混ざり合っては消えていく。

 いつの間にか、アダムの髪先からしたたっていた雫は止まっていた。

「なにも、かないのね」

「訊かれたくないこともあるだろう。そうだな、名前くらいは教えてもらえるか」

「ルネルよ」

「悪いが、私も退けないんだ、ルネル」

 孟王でもなく、王女でもなく、ルネル様でもない。ただ名を呼ばれたのが、ずいぶんと久しぶりだという気がした。その名で呼ぶのは父か叔父、そしてルネルが幼いころからそばに控えていた隠術師、エフレム。

 兄のように慕っていた。エフレムが姿を消してから、どれほどの歳月が流れたのか。いろいろなことがありすぎて、遠い昔のことのような気がする。いまもどこかで、生きているのか。生きているのなら、なぜ自分のそばに駆けつけてくれないのか。

「退けないのは、一度請けた仕事だから?」

「この山の麓の小屋で、老婦人に助けられた。追手を引き受けて、自分たちにとって大切な荷物だから頼む、と私に言った」

「婆やが」

「裏切ることはできない」

「どこか似ているのかもしれない、私たち。そんな気がする」

 ルネルは言いながら、アダムに対して気を許しはじめている自分に気づき、かすかな戸惑いを覚えていた。

 風が小屋を揺らす。雨は、やはり朝まで降りやみそうもなかった。

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