第2話 なんやこの古いゲーム の巻

「ただいまあ」


 玄関から聞こえてきた母の声でヒロキは目を覚ました。どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。左頬にカーペットの模様を貼りつけた顔を上げて、柱に取り付けられたアナログ時計を見る。時刻は午後六時半。


「はぁー、重た。ヒロキ、ちょっと荷物運んで」


「はぁーい!」


 乾いた喉のまま戸の向こうの母に聞こえるように大きな返事をして、ヒロキは台所へ向かった。


「おかえり」


「はい、ただいま。カレー作るから手伝うて」


「うん」


 ヒロキは母からずしりと重たいエコバッグを受け取り、両手でそれをテーブルの上に置いた。続いて冷蔵庫の野菜入れから人参を、それから常温保存していたジャガイモと玉ねぎのカレー三種の神器を取り出すと、隅に積んであった古新聞を数枚引き抜き、その上に並べた。


「俺が皮剥いてる間、お母さんはお湯沸かしといて」


「はいはい。ほんま、ヒロキが手伝うてくれるから助かるわあ」


 ……と言われても、ヒロキの目当ては労働に対して発生するお小遣いである。


 とりあえず後はルーを入れるだけの状態まで持っていったところで、母から契約通りの50円玉を受け取った。ヒロキは自室へ戻り、早速それを本棚に収めてある貯金箱へ投入した。「100万円貯まるBANK」と書かれたそれもまた父からのお下がりであったが、500円玉を投入することのないヒロキにとっては、それは決して100万円貯まらないBANKであった。


※ ※ ※


「誕生日プレゼント、もうちょっと考えるわ」


 テーブルを挟んで母と向かい合わせに椅子に座り、カレーを掬いながらヒロキが言った。


「ええ? もう今週末やで。早よ決めや」


「うん」


 口の中で、ごろっと形の分かる大きめのジャガイモが転がった。大きく切っておけば、二日目のカレーの中でもしっかりと存在感を維持できる……それが中村家のカレーの作り方だった。


「どうせ、またゲームなんやろ?」


「……うん」


 母はヒロキがゲームにハマっていることを快く思ってはいなかった。別れた夫から受け継いだ趣味ゆえ仕方がないこととはいえ、ヒロキからすれば「無理解」の三文字であった。


(あーあ、お父さんやったら一緒にゲームで遊んでくれんのになぁ……)


※ ※ ※


「うわ、なんやこの古いゲーム」


 ほとんどの生徒が帰った放課後の教室。ヒロキがランドセルから取り出したゲームボーイアドバンスを見て、健太が声を上げた。拓海は、それを物珍しそうに覗き込んで「アドバンス、二世代前のハードやね」と解説した。大学生の兄がいる影響で、拓海は古いゲームに詳しかった。


「しゃあないな。まあ、古うてもポケモンはポケモンや。基本は一緒やろ」


「……お前らな、あんま古い古い言うなや」


 そのヒロキの苦情を無視して、健太は早速「ポケモン初心者講座」を始めた。


「ポケットモンスター、縮めてポケモン。これは、ポケモンを集め、育て、戦わせるRPGである」


 まるでゲーム雑誌の紹介文を読み上げるかのように棒読みをする健太に、ヒロキは「それぐらい知ってる。アニメ観たことあるし」と抗議した。


「ちなみに、ピカチュウは主役ではありません」


「えっ?」


 すぐさま出鼻をくじかれたことにより抗議は失敗に終わり、ヒロキは大人しく講座を受けることになった。


「ピカチュウは、今おるトキワシティの近くにあるトキワの森に出てくるよ」


 と、拓海が補足する。


 余談になるが、ゲーム開始直後に博士からもらえるヒトカゲ・ゼニガメ・フシギダネの三種のうち、どれか一匹をアニメの主役にしてしまうと、それを選ばなかった子供が可哀想なので、そのどれでもないピカチュウを主役にしたという逸話がある。今になって振り返ってみれば英断である。


「んで、ゲーム進めてポケモンリーグのチャンピオンになったらクリアや」


「…………」


「…………」


「……おわり?」


「……ほな、続きはボクから」


 健太の大雑把過ぎる説明を拓海が引き継いだ。


「まず、ヒロキくんがプレイしてる『ファイアレッド』は、1996年に発売された初代ポケモンを、ゲームボーイアドバンスでリメイクしたものやね」


「はい、質問。じゃあ『リーフグリーン』ていうのは何? おと……父親がプレイしとったんやけど」


「『ファイアレッド』のバージョン違いやね。出てくるポケモンの種類がちょっと違うねん」


 初代ポケモンから続く2バージョン同時発売。これにより、ソフト一本だけではすべてのポケモンを集めることはできず、ポケモン図鑑を完成させるためにはもう一つのバージョンを遊んでいるプレイヤーとの通信交換が必須となる。これは、ポケモンの醍醐味である通信機能を推進するために用意された施策であった。なお、現在はオンラインでの交換が可能となっているため、友達がいないプレイヤーでも安心である。


「ゲームの目的は、大きく分けて3つ。まず、8つのジムをクリアしてポケモンリーグのチャンピオンになりエンディングを見ること。次に、すべてのポケモンを集めてポケモン図鑑を完成させること。そして最後に、他のプレイヤーと戦って勝つこと」


「他のプレイヤーって、誰?」


 ヒロキの素朴な疑問に、意外にも拓海たちはウーンと考え始めた。


「そら、オレとか拓海とか?」


「でも、ボクらよりウチのお兄ちゃんの方が強いし。そのお兄ちゃんも大会で負けたことあるて言うてたし……」


 どこまで考えても、次から次に上手が顔を出す。その思考の行き着く先は……。


「……世界チャンピオン?」


「いやいや、世界て。だってこれゲームやで」


 ヒロキは手を左右に振ってツッこんだが、拓海はいたって真面目な顔で答えた。


「いや、ポケモンは実際に毎年世界大会が開かれてるねん。確か去年がハワイで、今年はカナダで開催やったかな? 大人しか出場でけへんシニアの部なんかもあるで」


「マジか」


「マジやで」


 ヒロキは、自分が思っていた以上のスケールの大きさに少し口が開いた。


「まあ、無理にそんなレベルまで目指さんでもね。まずは自分の好きなように楽しむのが一番ちゃうかな」


「せやな。ところで、気になっとったんやけど」


 さりげなくプレイのハードルを下げて購買意欲の低下を防ぐ拓海の話術に乗せられて、ヒロキが続けて質問をした。


「戦闘中に出てくる『こうかはばつぐん』とか『こうかはいまひとつ』とか、あれなんなん?」


「ええ質問やね。まず、ポケモンには種類ごとにタイプ(属性)があります。ヒロキくんが使ってるフシギダネは草タイプで、ポッポは飛行タイプ、みたいな感じ」


「ほー」


「そして、ポケモンが覚えている『技』にもタイプがあります。たとえば、有名なピカチュウの『10万ボルト』は電気タイプの技やね。で、ポケモンがその技を受けた時、タイプ同士の相性によって効果が変わってくる。草タイプのフシギダネやったら、相性の良い水タイプの攻撃はダメージが半減するけど、逆に弱点である炎タイプの攻撃はダメージが二倍になってしまう。そういった効果を表しているのが……」


「『こうかはばつぐん』と『こうかはいまひとつ』か!」


「そういうこと。つまり、勝ち進んでいくためには、どんなタイプの相手とも戦えるように色んなポケモンをゲットしなあかんってことやね」


「あ、それ知ってるわ。”ポケモンボール”投げて『ゲットだぜ!』言うやつやろ?」


『モンスターボールな』


 健太と拓海の声がハモった。一瞬の沈黙の後、拓海が続けた。


「ポケモンにモンスターボールを投げてゲットする。確かにその通りなんやけど、ただ闇雲に投げたらええいうわけでもないねん」


「と言うと?」


「相手の体力(HP)を減らしたり、麻痺や毒、眠りみたいな状態異常にしたりで、ある程度弱らせてからボールを投げるとゲットしやすくなるねん。もちろん、やり過ぎて倒してもうたらあかんけどね。その辺の微調整をいかに上手くやるかが腕の見せ所やね」


「なるほど……!」


「それから……」


 次の解説に進もうとした拓海を、健太が肩を軽くたたいて遮った。きらきらと輝くヒロキの瞳が「早くやらせろ」と訴えかけてきていたからだ。やる気になった以上、ここから先は自分で触ってもらうのが手っ取り早い。


「よっしゃ、やるで!」


 ヒロキは改めてゲームボーイアドバンスを両手に持ち、シャーペンでボコボコと空けた机の穴を避けて両肘をついた。控えめな明るさの液晶画面に目を落とすと、そこにはもう一つの世界が広がっていた。ポケモンたちが飛び出してくる、うっそうと茂った草むら。一息つける赤い屋根のポケモンセンター。冒険に必要な買い物ができるフレンドリィショップ。目の前に長年かかっていた霧が晴れ、それらが初めて「意味あるもの」としてヒロキの前に姿を現した。


 なんだ、こんなことか。分かってしまえばなんてことはない。苦手意識はどこへやら、たちまちヒロキはポケモンの世界に魅了されていった。


-つづく-

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