チョコ一包み
yurihana
第1話
雪がシンシンと降り積もる。一人で歩いていた
辺りはとうに暗くなり、五才の子供が一人で外にいて良い時刻ではない。しかし心菜がいる町はひどく田舎だったために、道路を歩いている人が他にいなかった。
短い足でとぼとぼと歩いていく。薄くたまった水溜まりが、ピシャッと音をたてた。
三メートルほど先に、街頭が見えた。ポツンと立っている様子に親近感を覚えて、心菜は明かりの下まで駆けていった。
街頭の元にたどり着いて、心菜は足を止めた。すると疲れがドッと肩にのしかかってきて、心菜は膝に手をおき、肩で息をした。
家への帰り方も分からない場所まで来てしまった。何もしていないと、孤独感がヒシヒシと押し寄せてくる。これからどうすればいいのだろうか。五才の頭で名案が思いつくはずがなかった。心菜がどんな心境でいようとも、無慈悲に降り続く雪が、いっそう心菜の不安を煽った。
惨めな気持ちが膨らみ、心菜は顔を歪めて泣きそうになった。だが、泣けば一歩も進めなくなることを心菜は知っていた。
キュッと口を結び、心菜は立ち上がる。
そのとき、お腹の音が気まずそうに鳴った。
「あ、チョコレート」
心菜が思い出してポケットから取り出したのは、銀紙に包み込んであるチョコレート。六つ入っているが、一つ一つの大きさは小さく、人差し指の爪の大きさほどしかない。
その内の一つをそっと舌にのせる。ほのかな甘さがじんわりと広がっていった。
少しでも長く楽しみたいと思い、噛みたいのをこらえて、ゆっくりと舐めていく。だんだんとチョコレートは小さくなり、甘い余韻を残して消えた。
心菜の親は母だけだった。父は一年前に殺人犯として警察に捕まった。
今まで仲良くしてくれていた近所のおばちゃんは、態度を豹変させて心菜に冷たく当たるようになった。
仲の良かった平凡な家族は、一夜にして人類の敵となった。母親と心菜は、殺人を犯すような人物と暮らしていた事実に驚き、また、信じられない心地でいた。
世間は残された親子二人に考える時間を与えなかった。毎日のように鳴るインターフォン、家への落書き、うるさい電話。あらゆる人から、軽蔑、嘲笑、憎しみ、好奇の目で見られ、心が休まる暇がなかった。事態を全て把握できていない心菜さえかなりの疲労を感じていたのだから、母親の状態は語るまでもないだろう。
そんな日々が続き、母親の精神は蝕まれていった。心菜は母の様子に心を痛めたが、どうすることもできなかった。加えて、生活において自分がかなりの負担になっていることを本能的に察し、申し訳ないという思いを抱くことも、一度や二度ではなかった。
母親はヒステリックになっていった。時には心菜を殴ることもあった。心菜は黙って耐えた。迷惑をかけている自分が、叩かれるのは当然のことだと思っていた。母親は心が落ち着くと我に返り、心菜を撫でて泣きて謝った。そんなとき、心菜はどんな言葉もかけることができなかった。
ある日、母親は心菜にプレゼントをした。
母親はひゃがみ、心菜に包み紙をそっと握らせた。
「これはとても美味しいチョコレートなんだよ。デパートで買った高いチョコでね、これを食べると元気が出るよ」
「ほんとう?」
「うん!」
母親はにっこり微笑み、心菜の頭を優しく撫でた。
その様子を見て、心菜も嬉しくなった。
それから二日後のことであった。家の外から怒号が聞こえ、母親は髪をクシャクシャと掴み、掻き回した。
「――――――――っ!」
母親は声にならない叫びをあげる。心菜は思わず声をかけた。
「ママ、大丈夫?」
母親はゆっくりと心菜を見た。
「……大丈夫?
大丈夫!?
よくそんな言葉がかけられるわね!これが大丈夫に見える!?
もう駄目よ!あんなのと結婚するんじゃなかった!大嫌いよ!あんたのことも嫌い!あいつの血が入ってる!ああ、見るのも嫌だ!」
心菜は立ちすくむ。
「ご、ごめんなさ……」
「うるさい!
もう出ていけ!」
母親は叫ぶ。だが、これは本心ではない。精神が不安定になったことによる口走り。いわゆる憂さ晴らしの暴言である。
しかし、五才の子供は素直だった。大人が思うよりもずっと。
母親がはっとしたときにはもう、心菜は家の外だった。
足がもつれてよろける。もうどうしたら良いのか、自分がどこへいくつもりなのか、心菜には分からなかった。
上手く働かなくなった頭で、ふと浮かぶ疑問。
どうしてみんなママと私を責めるの?
父親が責められるのは分かる。だが、どうして、自分達も責められるのか。何もしていないのに。
みんな誰かにやつ当たりをしたいだけなんじゃないのか。犯人は刑務所へ行き、一般人が関われる環境にいなくなる。だから、残された家族に狙いを定める。そうして苦しむ様子を見て鬱憤を晴らし、正義という免罪符を掲げて、遠慮なく攻撃をする。
みんな、みんな、肩書きを振り回してる。
大人にとっては当たり前なのかもしれない。だが、社会を知らぬ心菜には、理解のできない、利己的な行動だった。
なんで?
なんで?
なんで?
集まって成長した悪意には、個人では到底及ばない力がある。心菜は答えのない問いを繰り返し、心の行き場を探すしかなかった。
指先、足先が冷え、感覚がなくなった。体が一度大きく震え、目を完全に閉じかける。自暴自棄の思考がめぐり、いやいや駄目だと打ち消して、心菜はまた泣きそうになった。急いでチョコをまた一つ、食べる。
よろよろと歩き、ふと左を見ると、小さな神社があった。吸い込まれるように境内に入る。チョコレートはもう一つもなくなってしまった。
震える手で合掌をし、心菜は浅く息を吸う。
赤くなった指に、白く小さな息がかかった。
「かみさま、かみさま。おかねはないけど、たすけてください。どうか、どうか、ママをたすけて。ここなじゃ、なんにもできなかった」
ボロボロと涙がこぼれる。頬が僅かに温かくなる。だがそれも一瞬のうちに消えた。
「かみさま、しか、もういないの……。おねがいします」
涙が地面に落ちてゆく。心菜はうつむき、口を固く結んで、目をきつくつぶる。スン、と鼻をすすった。
ふらふらと後ずさりし、脇にずれる。大きな木にぶつかって、そのままうずくまった。
ハァと息を吐く。トロトロといい心地がした。
チョコ一包み yurihana @maronsuteki123
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