第45話 黒鋼蜥蜴

 ゲラ火山一合目付近。


 さらわれた仲間とらたろうを求め、一心不乱に斜面を登る俺たちは、突如、モンスターの襲撃を受けた。


 黒くて尖った影が、俺たちを包み込むように、木々の間を跳び回る。


「くっ、モンスターとエンカウントしてる場合じゃ無いんだけど」


 俺たちの目的は虎太郎救出であり、怪盗団はんにん以外と交戦しても益がない。


「私たちの言い分を、モンスターが聞いてくれたらな」


「奴らにしてみれば、俺たちは、のこのこやってきた餌にすぎないか」


 地上をせわしなく駆け回っていた影が、二本の太幹を交互に蹴って、一気に高度を確保する。


 天高く飛翔した影は、太陽の中で小さな黒点となり、それが俺たちの真上でみるみる大きさを増す。


「!!」


「!?」


 俺とユウ君が、その場から跳び退く。


 直後、俺たちの立っていた地面が、砲撃を受けたようにめくれ上がった。


 土くれが舞い上がり、衝撃波で、周囲の細木が根元から倒れた。


 土と石が降り注ぐ中、その黒い生き物が、くぼ地のど真ん中にて、悠然と身体を起こす。


「黒い恐竜?」


 俺の動体視力では、この時点において、ようやくその姿が鮮明になる。


 全高およそ2メートル。やや前屈みながらも二足直立。五体は、陸上競技者さながらに、尻尾まで引き締まる。刃みたいに鋭利な横顔は、肉食恐竜を彷彿とさせた。


 自然と、俺の目は、敵の有する最大の武器に焦点を合わせていた。


 黒い指の先に備えられた、長くて湾曲した黒爪。


 指間を閉じて、四枚の刃を重ね合わせれば、それは大鎌の迫力であった。


黒鋼蜥蜴ブラック・リザードだ」


 ユウ君は、腰に片手をあてたままのラフな姿勢である。


 俺は剣を抜いて、攻防一体の構えを取った。


(斜面での戦闘なんてはじめてだ)


(敵の獲物も刃だ。剣対剣か?)


(ああ、剣道の本をまた読み忘れた)


 剣の持ち手を頭の高さまで持ち上げて、切っ先に天を衝かせる間に、様々な思考が浮かんでは消える。


「速いぞ、気をつけろ」


「わ、分かってる」


「クルルル」


 黒鋼蜥蜴が、俺を見て、ユウ君を見て、また俺を見た。


 もう俺から目を離さない。


 モンスターが人間を襲う動機の多くは、捕食である。


 捕食における優先事項は、獲りやすさ。


 すなわち、弱い獲物が目をつけられる。


(くそっ、ぱっと見、俺の方が強そうだと思うんだけどなあ。見る目のあるモンスターだなあ)


 この時の俺は、そんな間抜けなことを考えていた。


 不意に、モンスターのふくらはぎに、ぎゅっと力が込められる。


「!?」


 それを認めた直後、敵の黒い肢体は、俺の眼前にあった。


 二メートル近い巨体が、140センチちょいしかない、俺の懐に飛び込んできている。


 低く構えられた黒鎌が、アッパーカットの軌道で、俺の首に迫る。


「くうっ」


 上体をのけぞらせて、どうにか弧の軌道の外へ逃げる。


 下半身を上半身にそろえるため、一歩大きく退さがる。


 自然と股が大きく開いて、斬撃に格好の体勢になる。


「しゃっ!」


 鋭く剣を切り払う。


 だが、そこには何者もいない。


「!?」


 黒鋼蜥蜴の姿が、忽然と消え失せていた。


 だが、(分かっているぞ!)。


 敵は、半円のステップで、鋭く俺の死角に回り込んだ。


(俺は、つい昨日、【盗賊】と戦ったばかりなんだぞ)


 あの目の眩むようなスピードと相対した経験が、ここで活きた。


 俺は、振り返ることすらなく、ただ上半身をかがめた。


 即座に、俺の頭があった高さを、黒い鎌が通り過ぎていく。


「ルルッ!?」


 死角からの攻撃を、見もせずにかわされたことに、敵が動揺の声を上げる。


(その声、もっと上げさせてやる)


 低くかがめた身体をさらに地面に近づける。


 両手の平を地面にベタづけした。手を支えにして、両足を浮かせる。「どおりゃあ」。


 相手の向こうずねに、超低空の両脚蹴りを見舞った。


(蹴りで相手を転倒させて、すばやく上を取る。そのまま喉元を剣で切り裂いてしまえば)


 俺の勝利へのプランは、ところが、最序盤でつまづくこととなる。


「へっ?」


 敵のすねを蹴りつけた足裏から伝わってきたのは、地中深くまで支柱が刺さっているような、途方もない安定感。


 蹴りの衝撃は、すべて俺の身体に跳ね返ってくる。


「どわあああ」


 俺の身体は、斜面を転がった。


「やれやれ、何をやっているんだか」


 回りながら、ユウ君のため息が聞こえた気がする。


 地上に露出した木の根にぶつかって、俺はようやく止まった。


「クルルル」


 大股で、黒鋼蜥蜴が斜面を下ってくる。


 頭を振って意識をしゃんとさせる。急ぎ立ち上がった俺は、再び攻防一体の構えを取った。


 黒鋼蜥蜴が平時の歩みで、間合いを詰めてくる。


 一歩、一歩、一歩、一歩!?


 その一歩は明らかに不自然だった。


 浮かせた足が、空中を泳いで、そっと地面に降りる。降り立った足は、逆足の一歩の支えになるために、いくらかの力が込められる。


 この時のふくらはぎの力感が尋常で無いことが、俺の目には分かった。


 つまり、次のとてつもない一歩に備えて、あらかじめ支点の足に力を込めている。


(こ、これは大チャンス)


 おみくじで言うなら、凶を引き当てたようなものである。


 信じがたい幸運と言えた。


 なんでかって?


 この先不幸がやってくると、あらかじめ分かったんだぞ。


 十分に備えておけば、世の災難は、九割方やりすごせるものである。


 逆に大吉なんて言われたら、リアクションに困る。


 これから良いことがありますよ、と言われたって、それはおみくじのおかげじゃないし、望んだ幸福が来るとも限らない。


 若干思考を脱線させながらも、俺は、敵に気づかれないよう、そっと足を樹の根に乗せた。


 黒鋼蜥蜴は、初動を見破られているとは夢にも思わない。


 予測通りに、今日三度目となる、例の超速移動が披露された。


 タイミングを合わせて、木の根を足場に、俺が宙を舞う。


 先ほどの意趣返しとも言えなくもない。


 攻撃を浴びせたはずの相手は忽然と消え、死角から逆に急所を狙われる。


 敵の真上を取った俺には、敵の無防備な上面が、丸見えだった。


 あまりにも眺めが良すぎて、手に力が入る。


(チャンスこそ冷静に)


 かつてのユウ君からの、アドバイスが届く。


「ひゅう」と小さく息を整える。


 剣を大きく振りかぶった。片刃の峰が背骨に当たると同時に、腕力・背筋。腹筋を総動員した打ち込みが放たれる。


 全体重をも載せた一撃は、正確に、敵の左肩を狙っていた。


 そのまま心臓をも一刀両断できると、剣を振りながら、俺は確信していた。


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