第44話 幽霊の幽霊
ゲラ火山。
ユウ君とあの篠原会長を、敗走さしめし魔の山嶺。
そのただならぬ存在感は、シエナの街並みにまで影響を及ぼす。
「ゲラ火山に面した西側だけ、街の壁が高い」
トモロ平原の面する街東側が、子供でも乗り越えられるほどの壁しか備えていなかったのに対し、こちら側の高さと重厚さときたら、まるで城塞の規模である。
「それだけ壁の向こうに危険なものがあるということだ」
「それと、西側にはみすぼらしい建物が多い」
「危険と隣り合わせの区画には、誰も住みたがらないだろ。自然と、貧困層や無法者が多く住む、
道に座り込む子供の瞳からは、一切の輝きが失われている。露出の多い痩せた女が、俺に色目を使う。ユウ君の様子をうかがっていた男が、鋭く見返され、舌打ちをしていなくなった。
「なんか、色々気になる」
「気にするな。下手に手を出したら、間違いなくトラブルに巻き込まれる」
「それはそうだけどさ」
俺は心を無にして、その区画を抜けきった。虚ろな目をした子供の姿が、いつまでも頭から離れない。
(今は虎太郎のことだけを考えよう)
やがてシエナ西壁にたどり着いた。人間の腕力では到底開けられそうにない、巨大な門扉がそびえ立っている。
「こんなものを開閉できるってことは、こっちの世界も、それなりに科学技術が進歩してるのかな?」
「いいや、こちらの科学は中世レベルで完全にストップしている。代わりに
「へえ」
「正式にここを通るには手続きが面倒くさい。管理人に頼んで、横の通用口を使わせてもらおう」
門の脇に小さな扉があって、その傍らにオンボロ小屋がある。
「ゲラ火山に行きたい。扉を開けてくれ」
ユウ君が、切傷や打痕まみれのドアを叩く。「おい、ガイン」
「やれやれ、今日は死にたがりが多い」
ドアの向こうから男の声がした。
現われた大男の異形に、俺は思わず声を上げてしまう。
「珪ちゃん。失礼だぞ」
「す、すみません」
俺は急いで頭を下げる。
大男には片足がなかった。片腕もなかった。片目もなかった。
身体の左側を大きく欠いた人物が、俺のことなど気にかける様子も無く、小屋の横にあった安楽椅子に腰掛けた。
「こんな身体では、立ち話も難儀なんだよ」
安楽椅子の横の小テーブルに、男がチーズ片の乗った皿を置いた。
黄色片をぱくぱくとつまみながら、
「で、何の用だ。ゲラ火山に登りたいとか、バカなことを口走ったように聞こえたんだが」
と、半笑いになる。
「それで間違っていない」
「正気か、クロカワさんよ」。男が義手で頭をかく。
「なんだ、私の名前を覚えていてくれたのか」
「もちろんだよ。中級ダンジョン制覇の最年少記録保持者。クロカワとシノハラの二人組を知らん奴が、この街にいるのか?」
俺は、(ユウ君と会長はこの世界でも有名人か)と、舌を巻く。
「今は四人パーティーになった。こいつが新しい仲間の新山珪太だ」
「に、新山です。よろしく」
「ニイヤマね。ま、覚えられるかどうかは知らんが、よろしく」
俺は男の残っている方の手と、握手を交わす。ごつい手に力はこもっていない。
「名前って言うのは、覚えてもらうもんじゃなくて、イヤでも覚えさせるものだからな。アレみたいに」
男は義手の先端で、ゲラ火山を指した。
「嫌な存在だよ。この街に住んでいる誰しも、あんな忌まわしいものの名前を覚えたくは無いんだが、片言の子供ですら発音してしまう」
男がユウ君の目をのぞき込む。
「お前だって、酷い目にあった口だろう。命があっただけでも儲けもんなんだぜ。それなのに、もう一度アタックしようなんざ……。もうちょい頭のいいガキだと思ってたんだがな」
「
「あーー」男が、コツコツと、義足で地面を叩く。「そいつの特徴は?」
「緑色のローブを着込んだ私と同い年の少年だ」
「ん? 女の子じゃないのか?」
「あ、女子のようなキレイな顔をしています」と俺が補足する。
「そいつならさっき通ったよ」
「本当か!」
「本当ですか!」
「ああ、三人組だった。いや、正確には、二人組と、そいつらに左右から見張られている、はかなげな美少年か」
「そこまで察していながら通したのか」
「俺は単なる管理人でね。止める権限はないんだよ」
「情けないことを言うな。かつてはシエナ最強と謳われた戦士ガインがさ」
「手足がそろっていた頃の話はよしてくれ。今は見る影も無い。昔の自分のおこぼれに預かって、こんなオンボロ小屋に住み込みで働く有様だ」
「そ、その三人連れの特徴を教えてください?」
「構わんよ。守秘義務も無いからな」ガインが唐突におれと目を合わせた。「ところで、あんたらの仲間の美少女だか美少年――」
「は、はい」
「そいつ〈風導士〉だろう?」
「ど、どうしてそれを!?」
「珪ちゃん、この正直者め!」
ユウ君にたしなめられ、自分の失態に気づく。ジョブとスキルは最奥の個人情報だと、あれほど言われていたのに。
「まともすぎるぞ、坊主。それじゃあ、俺に名前は覚えてもらえんな」、とガインが笑う。
「で、でも、どうして分かったんですか」
「ニオイだな」と男は鼻をひくつかせた。
「匂い?」
「本当に匂いを嗅いでいるわけじゃないんだ。正確に表現するなら五感以上の感覚と言ったところか?」
「はあ?」
「この感覚を表すための言葉がまだ発明されていないんだよ。それで俺たちは、一番似通った嗅覚で代用しているんだ」
「???」
ガインの説明は、俺にはよく理解できない。
「大丈夫だ。坊主も三十歳を過ぎることには、実感できるようになる」
「いえ、できればその前に引退したいです。二十歳前くらいで」
「はははは、お前は賢いな」
「で、肝心の二人組の特徴は?」
「そうそう。……一人は真っ赤なローブを着込んだ魔法使いの男だな。人相は悪い。二十歳くらいか? ジョブは多分〈炎烈士〉だ。焦げ臭いニオイの時はいつもそうだ」
俺とユウ君は顔を見合わせる。
「間違いないな」
「うん。昨日会った奴だ」
あの狂気の笑い声が、鼓膜の奥でリフレインした。
「で、最後の一人は」
「……それなんだが?」
「どうした」
「いや、その男なんだが、クロカワたちは何か知っているか」
「いや、ほとんど何も知らない」
「【
「いや、【盗賊】では絶対に無い。装備品で分かる」
「どうした? あんた程の男が何を怖がっている」
「怖がっているだと。俺がか! 一度はシエナ最強と言われたこのガインがか」
「さっきは昔の話をするなと言った癖に」
ガインの手が皿の上のチーズに伸びる。手元が狂い、皿の端をつついてしまう。
「あっ」、地面にたたきつけられた皿が、粉々に砕け散った。
「……」
チーズが地面に散乱し、そのかぐわしい香りが、蟻たちを呼び寄せる。
「あんなニオイははじめてだった」
ガインが、ぽつりぽつりと口を開いた。
「その男からは、何一つニオイが感じられなかった。匂いもだ」
「ニオイも匂いも無い?」
「そうだ。肌の匂い、口臭、髪の匂い、何一つしなかった。戦士として鍛えられたはずの俺の感覚が、相手の情報を何一つ引き出せなかった」
男が背もたれに体重を預けると、安楽椅子が、きしむような音を立てて揺れる。
「まるで幽霊を見ているような心持ちだったよ。そいつが門の向こうに消えた後、俺は背中にぐっしょりと汗をかいているのに、やっと気がついた」
これ以上ガインは何も話したくなさそうだった。
無言で、門の横に設置された管理用口を開く。
俺たちは、ゲラ火山へと道なき道を進んだ。
「それにしても、
「あくまでガインの感想にすぎないさ。偶然の一致だ」
「その幽霊男が、怪盗団の三人目なのは間違いなさそうだけどな」
「そうだな。唯一スキルの判明していない奴だ」
「ぶっちゃけ、残念だろ」
「……実のところな」
怪盗団の構成員は三名。
うち、現在ゲーム内で活動しているのは二名。
三本のくじから二本を選ぶ要領で、俺たちは怪盗団メンバーと相対しなければならなかった。
「どうせ当たるなら、〈炎烈士〉と〈盗賊〉の組が良かったなあ」
この二人を弱いとは思わないが、手の内を知り尽くした相手は与しやすい。対策もできる。
「スキル不明の面倒な奴は、現実世界の会長に押しつけたかった」
俺のぼやきに、ユウ君が苦笑した。
「しょうがないさ。それに現実世界に残るのが〈盗賊〉なのは、まあ道理だ」
「逃げ隠れにはもってこいのジョブだからな」
現実世界の怪盗団メンバーの仕事は、こちらの追跡を警戒しながら、4台のスマホを無事アジトまで持ち帰ることにあった。〈盗賊〉以上の適任者はいない。
「会長は上手くやってるかなあ」
「篠原には何の心配もいらんさ。それより、問題は私たちの方だな。このままだと、あの手強い三人目と交戦が避けられない」
「だろうね」
俺たちの話題が、目下の危険人物ついて集中していく。
「今分かっていることは、獲物がムチというくらいか」
「あと、とてつもないパワーを持ったスキルと有するのも確かだ」
昨日、展望台にたどり着いた俺たちが、まとめて階下にたたき落とされたのを、お思い出す。
「虎太郎と同じ風スキルだったりはしないのかな?」
あの時の感覚としては、とてつもない暴風を浴びせられたようであった。
「いや、風スキルは基本的に非力だ。人間三人を同時に吹っ飛ばし、展望台の強化ガラスをたたき割るなんて、とうてい無理だよ。その点はトラ君の保証付きだ」
「あとは空を飛べることも厄介だ」
怪盗団の三人が、数百キロの盗品をかかえて、大空を舞ったことは、映像こそ残ってはいないが、明らかな事実である。
「こうして思うと、ずいぶんやりたい放題なスキルだなあ」
あまりにも強力で、そして融通が効き過ぎた。
「そんな万能スキルが存在するわけは無いんだが……」
「スキルって基本一つ一機能のはずだよな」
虎太郎は色々とバリエーションを有しているが、あれは本人の技術と創意工夫である。
「その話はいったんここまでだ。今は目の前のことに専念しよう。でないと、ガインみたいに、ここで片手・片足・片目を失う羽目になる」
俺たちの足下の大地はゆっくりと傾斜を始めていた。眼前に広がるゲラ火山の裾野は、深い森林が覆い尽くしている。
俺たちは、土がむき出しの斜面をゆっくりと登っていく。山道なんて気の利いたものはもちろん無い。
斜面はあちこちから木の根が突き出し、また斜面そのものも微妙なアップダウンが連続しており、ただ歩くだけで体力が削られる。
「まいった。舗装されていない道を歩くのが、こんなにも大変だなんて」
「ははは、私も最初はそう愚痴ったよ。私たち現代っ子は、便利な都市生活にすっかり毒されてるよな」
「ま、まったく」
時折言葉を交わしながらも、警戒は怠らない。
高度が上がるにつれて、森と表現していた木の密度が、やがて林のそれになる。
木と木の間隔がどんどん広がっていく。
(ここまでモンスターが出没しなかったのは、密生した木々が、奴らにとって障害物だったからだ)
俺もユウ君も、それはもちろん承知している。
「おいでなすったぞ」
黒い影が、木の梢を揺らした。
木と木の間を、何かが、縫うように駆け回る。
黒くて、速くて、鋭い影が、俺とユウ君めがけて、一気に落ちてくる。
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