第37話 局地戦決着

(落ち着け。落ち着け)


 浮き足立つ気持ちを、俺は、必死に落ち着かせる。


(俺の有利はもう揺るがない)


「ぜえ、ぜえ、ぜえ」


 俺の視界に映る漆黒の男は、あえぐような息をしながら、力ない歩みを続けるのみ。


 男の体重がかかると、床中に散乱した壁材が、音を立てて砕ける。


 相手のダメージは間違いなく深刻。目も眩むようだったスピードは見る影も無く、もはや鈍牛にも劣る。


(なのに、どうしてこんなにも恐ろしい)


 男のまとう漆黒の装束が、闇を一段と濃くしたように見える。


 ただ一つ確かなこと。


 ――男はもはやスキル使用をためらわない。


 男はここまで一貫してスキルを隠し続けた。


『――そういう戦略を抱えたプレイヤーはたまにいますね』篠原会長との会話が蘇る。『強力無比なスキルは、それ一つで戦況を一変させます。ゆえに、切り札として最後の最後まで温存するのは、まあ合理的です』


『そういう相手にはどう対処すればいいんです?』


『理想は、使う間もなく倒してしまうこと。中途半端に追い詰めるのが一番下策ですわね』


『も、もしそうなってしまったら?』


『もう、さっきから質問ばかりで。少しは自分の頭を働かせなさい』


『こ、これで最後ですから』


『まったく。……相手のスキルにアタリをつけなさい。そのヒントとして有効なのは、相手の戦闘スタイルとパラメーター傾向の二つです』


『なるほど。それはそうですね』


 スキルとは、たった一つだけの必殺の武器。


 それを十二分に活用するためには、自分の適性に合ったモノを選ぶのは当然であった。


 俺の思考は、ユウ君と虎太郎と過ごした、別の過去へと飛ぶ。


『おほん。GAEプレイヤーと戦う際において、スキルの予備知識は必須だ。これから珪ちゃんとトラ君には、私の知っている全スキルを暗記してもらう』


『ええ~、それって相当な数になるんじゃないの』


『まあ、そうだな。固有スキル。イベント産スキル。ガチャ産スキル。その総数は千を超えると言われている』


『そ、そんなに覚えきれないって。中一の英単語だってまだ半分も覚えきれてないんだぞ!』


『なんで自慢げだ!』


『まあまあ、珪太。千も覚える必要もないって。総数がいくら膨大でも、ユキさんが全部知っているはずもないだろうし』


『さすがはトラ君。懸命な分析だ』


『え? そうなの』


『当たり前だろ。スキルに関する情報はその多くが非公開だから、私や篠原の懸命の調査にもかかわらず、判明したのは200にも及ばない』


『うーん、それでも100以上は暗記か』


『ささ、授業をはじめるぞ。先生の言うことはきちんときくように』


『はい、先生』


『うんうん、トラ君は素直で実にいい。……それに引き換え』


『はあ、イヤだなあ。なんで自分の家でまで授業を……』


『こら、珪ちゃんも少しはやる気を出さないか』


『はあ……』


『自分の命を守るための知識なんだぞ』


『ふう……』


『少しは真面目にやれ!』


『やれやれ。早くもヤンキー先生の十八番、パワハラ指導がはじまったぞ』


『なんだと!』


『あ、いえいえ。今のは言葉の綾で』


『私はお前のために言ってやってるんだぞ!』


 顔を真っ赤にして怒るユウ君から逃げ回り、授業が遅々として始まらなかったのを覚えている。


『はあ、ユウ君と仲良しの珪太が羨ましいなあ。僕も彼女の幼馴染みになりたかったなあ』


 そういえば、必死に逃げ回る俺に、虎太郎が嫉妬の眼差しを向けてきていたっけ。


(やれやれ、虎太郎はそう言うけどさ。ユウ君は俺には遠慮がなくて大変なんだぞ。……と、そんなこと言ってる場合じゃない)


 今の俺がすべきは、愚痴ではない。その夜に暗記させられた全スキルを思い出し、リストアップすること。その中からスピード偏重の戦士系ジョブに不釣り合いのものを、削除していく。


 次に、男との距離を勘案しだした。


(俺と男の間は、もう8、いや7メートルもない。男が所有しているのが遠距離攻撃スキルなら、もうとっくに使用しているはず)


 遠当てのスキル【剣閃スラッシュ】や、大地を走る斬撃スキル【地走グランド・スラッシュ】を、候補から消す。


 男が、おぼつかない足取りでさらに近づいてくる。


(この距離。一歩で十歩分の距離を進む移動スキル【10歩テンポ】では通り過ぎてしまう)


 かかとを浮かせる気力も無いのか、男はベタ足を踏み続ける。


(投げた剣を空中操作する【飛刃ウイング】の線も薄い。切っ先で地を割る【地裂クラック】もこの距離では有効じゃない)


 男がさらに歩く。


 俺は頭の中で削除作業をつづける。


 ついに、男の姿が、眼前に迫った。


 後一歩踏み出せば、お互いの攻撃が届く。


「? ? ?」


 俺は困惑していた。


(こ、候補スキルが全部なくなってしまったぞ)


 この至近距離で有効なスピード系スキルは存在しない。


(まさか、パワー系スキルを習得している?)


 長所を伸ばすのが王道ではあるが、短所を補うという育成方針も、考えられなくはない。


(だが、邪道だ)


 敵を目前として深い思索は難しく、俺の意識は、自然と、男の一挙手一投足に裂かれる。


「ぜえ、ぜえ、ぜえ」


 全身を上下させながら、乱れた呼吸をしている。ダメージは見るからに深刻で、ジャブ一発で簡単にKOできそうだ。


「すうう」


 男が大きく息を吸って、最後の一歩を踏み出してくる。


 呼応するように、俺の集中力が極限まで研ぎ澄まされる。


 大きな事前動作を取った半剣が、俺の首筋めがけて来る。


「!??」


 俺は目を見張った。男の半剣には、何の速度も力も無い。


(こいつ、立っているのがやっとじゃないか)


 俺は、半剣を、自身の剣で受ける。


 刃が交錯し、ごくわずかな衝撃が生じた。それだけで、男が半剣を取りこぼした。すがりつくように、俺の手首を握る。


 その腕を無慈悲に払う。男の手は容易にはがれ、その身体が左に泳ぐ。


(むっ)


 男が最後の抵抗を見せた。体勢を傾けながらも、拳を握る。フックが俺の脇腹への軌道を取った。


(後ろ腰の短剣ロング・ダガーで対処する。……いや)


 拳からは何ら威力を感じられない。(ここはあえて腹で受ける)。受けたと同時に、腕を抱え込む。柔道技で投げる。寝技。絞め技へと移行。


 俺の中で投了までのプランが完成した。


 腹筋に力を込めて、相手の拳に備える。


 男の拳が、緩慢に迫る。


 ゆら、ゆら、ゆら――


 不意に男の拳がぎらりと閃いた。


「えっ!?」


 男の拳が光り放つ。


(違う。光っているのは手じゃない)


 男が手にした刃物が光っている。


(俺の短剣?)


 俺の背面にあるはずの刃物が、突如、敵の手の内に現われる。


 切っ先が俺の脇腹に触れた。ずぶずぶと音を立てて、刃が腹の中に吸い込まれる。


 痛みより異物感が勝った。一拍おいて、腹の中で大火事が起こる。


「~~~~~~っ!!!!」


 五感が千々に乱れて、天井と壁がぐるぐると入れ替わる。激しい音と共に、自然石調セラミック・タイルの床が、俺の身体を荒々しく抱き留めた。


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