第27話 風スキル使用不能

 虎太郎と死神蜂の会話はつづく。


 もっとも会話と言うのは名ばかり。


 実際に行われているのは、熾烈な情報の争奪戦に他ならない。


「外の世界の人間にとって、グエンさんたちの世界が……。その非常に言いづらいのですが、遊戯の一部であることをご存じでしょうか?」


 虎太郎が、侮辱とも取られかねない質問をほうった。


(お、おいおい、大丈夫か?)


 一歩間違えば、即バトル再開である。


「もちろん知っていますよ。残念なことながら、ね」


 俺の心配をよそに、死神蜂は静かな反応をかえしてよこした。


「なぜ、あなた方の創造主は、この世界をそのように作られたのでしょうか?」


「さあ、皆目見当がつきませんね。そもそもその件について、私は考えたことさえ無い」


「考えたことも無い?」


「ええ。神の御心の内を知ろうなど、おこがましいことこの上ない。私たちはただ知ることを知るのみでよいのです」


「グエンさんの知ることとは?」


三柱みはしらの神々。『創』りし神と、『導』く神、そして、『あざけ』る神」


「創り、導き、嘲る?」


 俺は死神蜂の言葉を繰り返した。


「愚鈍そうな方の人間よ」


「……お、俺!? なんて失礼な呼び名を」


「君はすでに神の一柱とお会いになっているはずなのだが」


「な、なんだって」


「珪太、一体いつの間に」


「いや、全然心当たりがないんだけど」


「聡明な方の人間よ。君もまた『導きの神』をすでに知っているはず」


「ぼ、僕も?」


「聖なる窓を通じてだ。この世界を訪れた人間はみな、あの方の美しきお声を耳にする」


「窓? ……ウィンドウ!? もしかしてお前が言ってるのって、あの無気力なナビゲーターのことか?」


「無気力……か。ふん。人間ごときに、あの方の素晴らしさは分かるまいよ。あの方は一見怠惰に見えて、その内には燃えるような熱情を秘めておいでなのだ」


 死神蜂は、うっとりと遠くを見つめる。


(おい、なんかすごい美化されてるぞ)


(しっ、余計な指摘はせずにおこう)


 俺たちが小声でささやき合う。


(それはそうと、これからどうする? もうちょい粘って情報を引き出すか?)


(いや、ここらが潮時だろう)


(逃げるか)


(上手いこと会話で隙を作ってからね)


(乗りやすそうな相手だからな。頼む)


「ところで」


 死神蜂がいつの間にか、俺たちに視線を戻していた。


「聡明な方の人間よ。君に一つ質問がある」


「僕に? ……残念ながら、僕には、グエンさんを楽しませるような、造詣ぞうけいが深い知識はありませんが」


「いやいや。この世界しか知らない私にとっては、外の世界の情報は、知的好奇心を著しくそそられる。どうだい? 一つだけでいいから、私の問いかけに答えてくれないだろうか?」


 死神蜂の口調は、今この瞬間まで、つとめて穏やかであった。


「……どうぞ」


「ありがとう。疑問とは他でもない。どうして君は、今、使のかね?」


 俺にとって、その質問は完全に意味不明だった。


(こいつ何を言ってんだ?)


 俺は虎太郎の方を向く。


 そこには、俺と同じ戸惑いの顔があるはずであった。


 だが、違った。


「と、虎太郎?」


 彼の美面は蒼ざめ、狼狽と困惑に覆い尽くされていた。


「ど、どうして分かったんだ」


 震える口元が動いた。


「一目瞭然だよ。私と、そこの愚鈍な人間との戦いに、君は一切横槍を入れなかった。そうする理由は一つとしてありえない。だから、君は今スキルを使えない。極めて単純明快な推理だろう」


「僕は地英師ちえいしです」


 虎太郎が突然言い放った。


「大地を操る魔法使いである僕は、空を飛ぶアナタに対して有効なスキルを有していない。ただ、それだけのことに過ぎません」


「……ああ、なんと悲劇的な」


 死神蜂が大げさな身振りで言う。


「どんな素晴らしい素材も、教育を受ける機会に恵まれなければ、その輝きは曇らざるを得ない。なんという、なんという残酷な!」


「お、おい。お前、さっきから一体何の話を――」


「いいかね、愚鈍な方の人間よ。君の相棒が『風導師』であることは、私にとってもう明白なのだ」


「な、なななな、何を根拠に虎太郎が、ふふ、風導士だなんて」


 俺の露骨すぎる狼狽ぶりに、虎太郎が頭を抱える。


「君は、この世界に魔法使いが四種類いることくらいは知っているかね?」


「バ、バカにするな。そのくらい常識だろう」


 つい一時間ほど前に、たまたまユウ君から聞いたことは、伝えなくてもいいだろう。


 このGAEゴッド アンド エビル世界において、魔法使い系の基本ジョブは四つ。


 炎を操る炎烈師えんれっし


 水を操る水法師すいほうし


 風を操る風導師。


 土を操る地英師。


「その通りだ。操作対象の違いから、各々は、自然とふるまいが個性的になっていく。例えば、パン屋はパンを作るための動作が身体に染みつき、それは魚屋のものとはまるで違うように。聡明な方の人間よ。君の目配り、歩き方、間合い、それら全てにおいて、君は風導師の個性を体得してしまっているのだ」


 言いつつ、死神蜂は、さっき虎太郎が隠れていた大岩を見た。


「本物の地英師は、けして、あんな大岩の陰には身を潜めない。あの岩塊はあまりに大きすぎて、いざという時、攻撃用に使い回せないからだ。攻防を同時ににらんで、あのくらいの岩に近づくのが、本物の手口だ」


 死神蜂の視線の先にはやや小ぶりな岩があった。


「ちなみに、スキルが使用不能になるという症状は、魔法使い系のジョブではままある」


 死神蜂は、まだ話しつづける。


 魔法系スキルを使用するに当たって、参照されるパラメータが『マジック』であることは、俺はすでに知っていた。


 その値が、知能、知識までを包括した、人間の総合的精神力と言うべきものであることは、虎太郎も初耳だったようだ。


「このパラメータは『パワー』や『スピード』とは異なり、極めて繊細なものだ。わずかな精神的変調で、大きく値は変動する。もっとも、精神的に好調ならば、魔法威力が大きく向上することから、一概に悪いとも言えないがね」


 死神蜂の滑舌は止まらない。


「聡明な方の人間よ。君はごく最近、何か、大きなショックを受けるような出来事に遭遇しなかったかね? それが原因で一時的にスキルが使用できなくなったと考えるのが妥当なのだが」


「……」


 虎太郎が非難の目で俺を見てくる。


 もちろん、そのショックの原因が、ユウ君の性別の話題であることは、疑いようも無い。


 俺はうつむいて、何も気づかないフリをし通す。


「まあ、ショックの原因を取り除くか、そうでなくても、小一時間もすれば、症状は改善するだろう。心配には及ばない」


(妙だ……)


 モンスターに愚鈍と侮られる俺でも、この状況の異常さには気づける。


(こいつは必要以上に親切すぎるぞ。一体何を考えているんだ?)


「し、しまった!!」


 虎太郎が叫ぶ。


「ど、どうした?」


「やられた! なんて迂闊うかつな!」


「ああ、やはり君は聡明だ。そして、案の定、経験がほんの少し足りていなかった」


 死神蜂が悲しげに首を振る。


「!?」


 俺の耳に、奇妙な音が聞こえだした。


 ザワザワザワ


 スタジアムを埋め尽くした観客が、一斉に足踏みを始めたような?


 音は、俺たちを、包み込むように蠢く。


「な、なんだ?」


 俺は、手にした剣に力を込めるが、切っ先を向けるべき方角も分からない。


「テレパシーの類……、いや、もっとシンプルだろう。人間の可聴域外の音波といったところか?」


「ご名答」


 虎太郎の言葉を受けて、死神蜂が身体を反転させる。


「私の首の後ろを見てみたまえ」


 そこには、小ぶりな羽が二枚生えている。


「これらは飛行のために用いられるものではなく――」


「音波を出すための器官なんでしょう。アナタはそれを使って、ずっと仲間と連絡を取り合っていた」


「な、なんだって」


「本当にどうかしてた。裏があるのは分かりきっていたのに。情報の貴重さに目が眩んだ」


 虎太郎は、悔しげに地面を踏みつける。


「逃がしたくない相手を足止めする場合、耳寄り情報を小出しにすることは極めて有効だ。参考にしたまえ。……まあ、次はないだろうがね」


「ふん。僕たちみたいな低レベルプレイヤー相手にずいぶんと手の込んだことを。万が一、極秘情報が漏れでもしたら、それこそ神の逆鱗に触れたのでは?」


「ご心配には及びません。情報は他者との共有によってはじめて価値を持つもの。君ら二人の脳みそに抱え込んだだけでは、何の脅威にもなりはしないのだ。神は気にも留めないであろう」


「と、虎太郎。蜂、蜂、蜂! ものすごい数」


 四方八方から、蜂を模した中型モンスターの大群が迫ってくる。


 先ほどの異音は、その羽ばたきの重奏に他ならない。


「……手槍蜂スピア・ビーか」


 その蜂型モンスターたちの下腹部には、長い針が確認できる。


 奴らは腕をのばし、その一物を引き抜いた。


 両手で保持すると、ハリは丁度手槍のサイズである。


 数百の穂先が一斉に俺たちに向けられた。


「君たちの知った神々の情報は、私からの死出の餞別だ。人間には過ぎたもの。心置きなくあの世に旅立つといい」


「こんの野郎!」


 俺は駆け出していた。


 俺たちを欺いたことを、どうこう言うつもりは無い。


 戦いの場でのことだ。


(だけど、いいように手玉に取られて、挙げ句の果てに頃されるだなんて、あまりにも悔しすぎるじゃないか)


 俺は返り討ちを覚悟で、死神蜂に突っかかっていく。


「ははははは」


 俺の悲壮な決意を、モンスターはせせら笑った。


 もはや刃を交えようともせずに、上空に高飛びする。


「くそお! 降りてこおい!」


 あまりの無念さに涙がにじむ。


「珪太、来る」


「!?」


 全方位から渦を巻いてせまる手槍蜂の大群は、俺と虎太郎を、あっという間に呑み込んだ。


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