神魔のゲーム

アリムラA

第1章 4人が集う

第1話 新山珪太の非日常と日常


 まだセミのやかましい季節だというのに、その一本の大樹は、すでに赤々とした葉に衣替えをしている。


 俺は初めそう思った。


 だが違った。


 全然違った。


 樹木に実ったブルーベリー色の果実に、鳥たちが集いだす。


 フシュー。


 時同じくして、枝に規則正しく穿たれた穴から、異臭を伴う気体が発せられた。


 鳥たちが異変に気付くも、もう遅い。


 充満した可燃性ガスに、火花が引火した。


 ほのおが踊りける。


 その赤々と燃え盛る様が、遠目の俺に、鮮やかな紅葉と錯覚させたのだ。


 翼を焼き尽くされた鳥たちが、地べたに横たわる。


 樹木の根が、触手のように蠢くと、鳥たちの亡骸をからめとって、たちどころに養分とする。


「な、なんなんだ、この木は」


 よく見れば、異様なのは、この一本だけではない。


 枝先を槍のように振るって、昆虫を串刺しにするもの。


 うろ穴に臼歯が生えていて、中に入ってきた小動物をむさぼるるもの。


「キイイ。キイイィ」


 イタチに似た動物を、根で歩行しながら追い回すもの。


 攻撃的に進化した異常な植物群。


 明らかに地球上のものとは思われない。


「お、俺は一体どこに迷い込んだんだ?」


 しかし、現状、それ以上思索を深めることはできない。

 

 ミシミシ、と樹木がへし折られる音がした。


 音は森の奥から響き、まっすぐ俺の方へと近づいてくる。


 現在の俺は、逃亡中の身の上であった。


「しつこい。いたと思ったのに」


 俺は、音とは逆方向へと逃げ出す。


 妖樹の森を、苦痛をこらえながら、駆け抜ける。


 走る衝撃で、背中に負った切り傷から、血が滴る。


 それは足元に生い茂った緑のカーペットに、赤い水玉模様をペイントした。


 それが追跡者にとって、格好の目印になっていることに、俺は気づいていなかった。


「!?」


 俺の視界が、突如眩まばゆい光で充たされる。


 あれだけ深かった森が、唐突に終わりを迎えた。


 次に俺を待ち受けていた光景は、草一本生えない荒野であった。


 乾ききってひび割れた大地。


 そこに多数の奇岩がそそり立っていた。


 奇妙と評したのは、その岩々が、人間の顔面を模している点だ。


 それもどの顔も苦しみに歪んでいる。


 病にむしばまれる顔。


 貧困に苦しむ顔。


 愛するものと別離した顔。


 様々な艱難辛苦に冒された表情が、これでもかと並ぶ。


「な、なんなんだよ、これは」


 俺の恐怖と混乱は、さらに度合いを強める。


 まるでこの世界は、邪悪な神が、人間を苦しめるためだけに、創造したかの如しである。


 呆然と立ち尽くす俺が、ようやく我に返ったのは、木々をなぎ倒しながら近づく音が、すぐ背後に迫った時である。


「う、うわああ」


 なすすべなく、荒野に駆けだす俺。


 次いで、その生物も、森から飛び出してきた。


「オオオゥゥ」


 相撲取りをトリプルで重ねたような、縦長の巨体を持つ怪物。


 武器は手斧。


 もっとも、あの巨漢にとっての手斧は、人間用の槍よりも長い。


 怪物は、長い歩幅で、あっという間に俺との距離を詰めてくる。


(む、無理だ!)


 遮蔽物のないここでは、とうてい逃げ切れるわけがない。


 俺は泣きたい気持ちを必死にこらえて、脚を止め、追跡者に向き直った。


「グウウウィ」


 怪物も、その場で立ち止まる。


 俺と4メートルをゆうに超える巨人が、対峙した。


 ミスマッチもはなはだしい。


 怪物の手斧は、俺の血で赤黒く汚れている。


 それを見ると、背中がじんじんと痛んだ。


 怪物が、刃にそっと指を這わせて、乾きかけの俺の血をすくいとる。


 指先をしゃぶる。


「ンンンンムゥ」


 ジャムを舐めた子供みたいに、頬をほころばせる。


 より鮮度の高いジャムを得ようと、俺に向かって近づきだす。


 俺は、必死に頭を巡らせるが、それは生存の方策を考えていた訳ではない。


(この化物は何だ? ここはどこだ? どうして俺がこんな目に?!)


 俺の思考は過去へと向いており、それは走馬灯を見る行為と、大差ない。


 5W1Hが何一つとして判然としないこの状況。


 唯一、分かることは、自分が誰かということくらいである。


 俺の名前は、新山にいやま珪太けいた


 どこにでもいる、一山いくらの中学生だ。


                  ○●〇


「ただいま~」


「……」


 学校帰りの俺を迎える声は、なんら無い。


 ブラック大企業に、夫婦そろって勤め上げる両親は、今日も日付が変わる前に帰れるか怪しい。


「キャンキャン」


 代わりに、愛犬が俺に駆け寄ってくる。


 その動きに、犬特有の俊敏さが感じられないのは、高齢と後ろ足の怪我が原因だ。


「おう、シロ! ようし、ようし」


 俺は、自分にじゃれついてくる茶色の雑種犬を、力いっぱい撫でまわす。


「お前がいてくれれば、母親五人に迎えられるより、よほど嬉しいよ」


「クウ~ン」


 しばらくは心地よさげに撫でられていたシロだったが、やがて、しきりに外へと出たがりだす。


「ダメだぞ。まだ散歩はお預けだ」


「キュ~ン」


「そ、そんな悲しそうな声で鳴くなよ。お前のためなんだ」


 シロの怪我は、散歩中に自転車と接触したことで負った。


(若い頃のシロだったら、乱暴運転の自転車くらい、軽々とかわせていただろうに)


 かかりつけの獣医師が言うには、筋力だけでなく、五感も大分低下してきているという。


「またあんな目にあったら大変だろう。怪我が完治するまで、散歩はお預け」


 代わりに、俺は室内でできる犬の遊びに、いつまでも付き合ってあげた。


「キャンキャン」


 嬉しそうにはしゃぐシロだったが、小一時間としないうちに、ウトウトしだす。


「本当に、もうおじいちゃんなんだな……」


 俺は寝入ったシロを、寝床まで運んであげた。


 腕の中のあまりの軽さが、悲しいというより、むしろ怖い。


 シロがもう間もなく自分のいなくなることを想像すると、心の中には、早くも夜のとばりが降りて来た。


 闇には『孤独』という名前がついている。


「どうか長生きしてくれよ」


 シロの都合を顧みない、人間おれのワガママだとは自覚している。


「さてと、これからどうしようかな? どうも微妙な時間が余ってしまったなあ」


 ただ過ごすには長すぎて、何かをするには短すぎる。


「こういう時はゲームに限る」


 俺はスマホを取り出すと、ブックマークしているゲームのサイトを開く。


「おや?」


 時々たしなむパズルゲームは、あいにく『メンテナンス中』であった。


「まいったなあ。操作が苦手な俺でも楽しめる、数少ないゲームだったのに」


 サイトに並ぶ他のゲームを流し見するが、どれもややこしそうだ。


「なんかないかなあ? 俺でもできるくらい簡単で、気軽に楽しめるようなゲーム」


 一つのゲームが目に留まった。


【ゴット アンド エビル】


『極めて感覚的に操作できるRPGです。それでいて非常にリアルなファンタジー世界を体感できます』


「うん、いいんじゃないか。感覚的ってのがすごくいい」


 俺は、アイコンにそっと指を伸ばす。


「しかし、VRでもないのに、体感というのはどういうことだろう?」


 俺の指が、『GAME STRAT』をタッチする。


 ――世界がぐにゃりと歪んだ。


「え? え? え?」


 居間を構成していた線が乱れ、その内にあった色が飛び出してくる。


 色は、他の色と混じり合って、元々の色彩とかけ離れていく。


 線も重なり合い、交じりあい、世界の形をまったく別物にしていく。


「ワウワウワウ!!」


 眠っていたはずのシロが、けたたましく吠え出す。


「こ、こ、これは?」


 混沌とした世界の風景に、少しづつ方向性が生まれだす。


 シロの吠え声が、みるみる遠ざかる。


 線は生い茂った木々のラインを作り出し、色が線の内側に戻って、世界を緑と茶色で彩る。


「……」


 俺の前には、見たこともない木々が居並ぶ、森の光景があった。


 そこに学生服のままの俺が、ポツンと立っている。


「!?」


 地面が揺れた。


 いや、俺が立っているのは地面では無かった。


「ば、化け物?!」


 大きな人型の怪物が、横たわっている。


 その顔面の上に、俺は立っているのだ。


「……」


「……」


 俺も怪物も、現状を把握できない。


 ポカンと開いた口を、向け合う。


 やがて、怪物が、自分が大変な無礼を受けていることに、気づいてしまう。


「ゴォォォォ!」


 怪物の咆哮が、葉を揺らした。


「ご、ごめんなさい!」


 俺は、怪物の顔から飛び降りると、木々の間を駆けだした。


 怪物は、脇に転がしてあった手斧を持って、俺を延々追い回すのだった。


 

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